第10話 亡霊退治
白岡との会食は、打ち合わせの三回に一回は食事に誘われ続けての実現だった。
気持ちよくスムーズに書いて貰うためには、こういうことも必要で、以前は作家への営業で接待場所を増やしている時もあった。
本日は、白岡ご贔屓の日本食レストランだった。
「いやぁ、美味しい物は誰かと一緒だと倍増ですねぇ!」
いつものようなラフな格好とは一転して、カチッとしたスーツできめた白岡は、お酒も入って上機嫌だった。
「こちらこそ、こんな特別なお店に御一緒させて頂いて、ありがとうございます。」
「何回もしつこく誘って気を悪くされたでしょう?」
白岡はちょっとすまなさそうな笑みで頭を掻いた。
「とんでもない!本当ならこちらからお誘いさせていただかないといけませんでしたのに……なんせ、事務所を構えたばかりで予定のやり繰りが上手く出来ませんで、申し訳ありません。」
遥子は正直に打ち明け、頭を下げた。
「これは私のモットーみたいなものでしてね……初めてお仕事する方とは必ずお食事をするという。」
「親睦を図るといった意味でですか?」
「もちろん、それが大前提です。仕事場では仕事以外の話は殆どしない空間になってしまいますからねぇ」
白岡は、そこでグラスの冷酒を口に運んだ。
「食事は、ある意味その人の本質的なものが見れるというのも私個人的な考えでして。」
遥子も冷酒を一口飲み、微笑む。
「それで……私は、合格でしたか?」
「そうですね、ガードは完璧……といったところですかね?」
ガードと言われて、遥子は苦笑いするしかなかった。
「……努力します。」
「いえ、それも一つの才能ですよ。貴女が表裏のある人でなくて良かった。今後は、私の書く物が貴女のガードを崩せるように頑張ればいいわけですからね。」
「とても楽しみに期待しております。」
遥子はそう言いながら、クスっと笑った。
作家というのは、それぞれに独特の感性と表現があって、それを肌で感じる時にこの仕事の面白さを実感する。
ある意味、これが白岡の宣戦布告でもあり、彼が本気モードに入る為のスイッチなのかもしれない。
「今度は、土門君も一緒にどうですか?彼の選ぶ資料や写真はとても興味深い。私が頼む物の少し上をいく感じがとても面白くて、毎回ちょっと楽しみなんですよ。」
やはり、土門の評価はここでも高い。遥子は頷きながら笑った。
「ここしばらく、先生のお手伝いが出来なくて拗ねておりましたので、とても喜びます。資料の件も、伝えれば尚更張りきりますよ!」
「いい意味でプレッシャーになればいいんですがね」
「そういうことなら、お任せ下さい。仕向けるのは得意ですから。」
遥子の強い笑みに白岡は、でしょうね、と苦笑で答えた。
白岡をタクシーに乗せ、御礼を告げ丁寧に見送ると、遥子もタクシーをつかまえた。
さほど酔ってはいないものの、連日の激務でクタクタだった。
中野の自宅の住所を告げ、ぼんやり外を眺める。
静岡から上京して、15年以上になる。夢の為、仕事の為、生きる為に暮らしてきたこの街が遥子は好きだった。
人が溢れビルが溢れ、多くの雑多な物がぎゅっと詰まったこの街が性に合っていた。
新宿に入り、事務所があるビルが前方に見えたとき、明かりが点いていることに思わず腕時計を確認しながらシートから体を起こした。
「運転手さん!すみません、停めて貰えますか!」
遥子に言われて運転手は咄嗟にハザードを点けながら数メートル先のガードレールに寄せて停めた。
タクシーから降りてあらためて見上げると、やはり間違いなくうちの事務所の明かりだった。
遥子は運転手にここで降りたいと告げ、料金を払うとビルに向かう。
もう12時に近い。こんな時間に事務所の電気が点いているはずはない。
誰かが残業して、消し忘れたのか?
それも考えにくいが……
エレベーターを三階で降りると廊下を右に曲がり事務所の前に立つ。
一瞬躊躇したが、思いきってドアを引くとやはり鍵は掛かっておらず、開いた。
電気が点いていた理由はすぐにわかった。土門が居た。
パソコンに向かって一心不乱に打ち込んでいて、遥子が入ってきたことにも気が付いていない。
腕組みをしながら入口ドアにもたれて黙ったまま見つめる遥子だったが、先に口を開いたのは土門だった。
「……こんな時間にそんなところで何してるんです?」
パソコンを見たまま顔も向けずにそう聞いた。
「私に気づいていたの!?」
遥子はツカツカと土門のデスクに歩み寄る。
「それはこっちの台詞よ!貴方こそこんな時間まで何してるの?」
土門はすぐに答えずに作業を続け、エンターを強く叩くとぐんと伸びをした。
それからあらためて遥子を見て口を歪めて笑う。
「……何をしている、ですか?僕がこんな時間までゲームでもしていると思います?」
「そういうことを言ってるんじゃないわ。明日までに仕上げないといけない作業でもあるまいし、この時間まで誰がやれと言ったの?」
遥子のキツイ言い方に、土門は肩をすくめて見せた。
「誰にも言われてませんよ。僕が今日中に仕上げると決めただけです」
「土門君!貴方のその自分勝手な……」
「締め切りは!!」
土門が立ち上がり、遥子を遮った。
「締め切りは、今週末なんですよね?それを仕上げないと遥子さんに同行出来ないんですよね?逆算すれば、今日中に仕上げれば同行させてもらえる。そして、たった今仕上げました!」
遥子は、唇を軽く噛み、眉をひそめた。
「どうしてそこまで同行したがるの?編集者見習いにとっては、校正も校閲も大事な訓練だわ。」
「どうして?……貴女がそれを聞くんですか?」
二人はデスクを挟んで睨み合うように向き合う。
「僕は、遥子さんと仕事がしたいんです。最初からそう言い続けてますよ?貴女と仕事するためなら徹夜だって厭わないって言いましたよね?」
土門はそう言うと、くるりとデスクを回り、遥子と向かい合った。
「だから、なぜそうまでして…私に……」
遥子が全部を言い終わる前に、土門は片腕を遥子の腰に回すとぐっと抱き寄せ、耳元に口を寄せる。
「これも最初から言いました。ひとめ惚れだって。」
あまりに予想外の土門の行動に遥子は固まった。
土門は、遥子の髪の香りを嗅ぐと視線を合わせニンマリ笑った。
「今夜の接待は日本食でしたか?…日本酒の香りが残ってる」
突然我に返った遥子は両手で土門の胸を力一杯突き、彼の腕をほどいた。そして、土門の頬を引っぱ叩いた。
「セクハラよ!!」
土門は叩かれた頬を指でトントンと叩きながら眉を上げた。
「パワハラですよ?」
遥子の動揺とイライラは頂点に達する。
「いったい、貴方は何なの!?もう!!何なのよ!?」
遥子は両手を固く握りしめ拳を作って土門を睨み付けた。
土門は、怒り心頭の遥子とは逆に冷静だった。ゆっくり両手の平を見せ、小さな降参をしながら困ったように微笑む。
「遥子さん、落ち着いて。……そんなに僕が嫌いですか?」
「苦手なのよ!」
遥子は噛みつくように言った。
「ふむ……苦手なら、克服出来る可能性はありますね、良かった。」
「良くなんかないわ!!」
遥子は何かが外れたかのように息巻いた。
「良くないわよ!!苦手なんだし!!いっそのこと辞めて貰おうと思うこともあるのよ!でも!」
今度は遥子が怒りに任せて土門の半袖のシャツを引っ掴んだ。
「貴方は優秀なのよ!!どんなに私が苦手でも、今貴方に辞めてもらうとうちは困るの!皆が貴方の能力を認めてるわ!あの健さんも!白岡先生ですら!わかる!?この腹立だしさが!この苛立ちが!貴方にわかる!?わかりなさいよ!!」
吐き出すように詰め寄り訴える遥子を、土門は、両手でそっと優しい力で包み込むように抱きとめた。
「遥子さん、落ち着いて。落ち着いて、落ち着いて……」
先程とは違うふわっとした力で包まれ、無意識に土門の胸に倒れ込む形になった。
子供をあやすように背中をそっとさすられ、遥子は深く息を吐く。
顔を上げると土門の優しい真っ直ぐな目とぶつかった。
一番苦手な眼差しだ。思わず逸らそうとすると
「逸らさないで。僕を見て。」
それはいつもの生意気な声ではなくとても優しい声だった。
「僕は、そんなに似ていますか?遥子さんは時々僕から視線を外すけど、見たくない程、似ていますか?」
おそらくは初めて、土門の目を間近で見つめた。
少し茶色い眼だった。まつ毛が長く綺麗にバランス良く縁取られてる。
切れ長に見えていたが、よく見ると奥二重だった。
鼻の形がとても男前だ。高すぎず低すぎず、細くスッとしている。
唇は、中央が少し厚めで大きめの口だ。
遥子は、そこで愕然とする。
確かにこの人は江上にとても似ている印象だけれど……自分はこんなに近くで江上をまじまじと見つめたことは無かった。
江上の瞳が何色かも知らない。
彼に抱きしめられたことも彼を抱きしめたことも1度も無い。
当然、唇を合わせたことも、なんなら手を繋いだことも無い。
七年も傍に居たのに、愛していたのに、彼の何も知らないのだ。
「……似て非なるもの……」
遥子の口からそんな言葉が溢れた。
その言葉に、遥子を抱き止めていた土門の腕が反応して力が入った。
「僕は、僕。土門駿平です。遥子さんが誰を重ねているのか知らないけど、僕はその人のレプリカではないですよ」
優しかった彼の瞳に強い光が灯った。
「何があったんです?誰が、貴女をそんなに傷つけたんです?」
「……貴方には…縁もゆかりも無い話よ……」
遥子はゆっくりと彼の腕を解き、一歩後ろに距離を取った。
薄いブルーのストライプ柄のオーバーブラウスのしわを神経質に直し、背筋を伸ばした。
「……ごめんなさい、余計なことを話過ぎたわね。」
ようやく冷静さを取り戻し、この10分余りの出来事を激しく悔いた。
「このひと月、オーバーワークで疲れているのね、貴方も私も。申し訳なく思っているわ。」
土門は、じっと見つめたまま口を開かない。
「でも、仕事のペースが安定して軌道に乗るまでは、もう少し頑張ってもらわないといけないからよろしく頼みます。……今夜の作業が終わったのなら帰りなさい、戸締りは私がするから」
土門は遥子の言葉を受けて、黙ったままデスクに戻りパソコンに向かい慎重にデータ保存すると、電源を落とした。
通勤用のリュックを背負い、ようやく口を開いた。
「送りますよ、と言っても答えはノーですか?」
「……えぇ。タクシーを呼ぶから大丈夫よ」
土門は肩をすくめるとドア口まで行って振り返った。
「一つだけ言わせてもらいます。オーバーワークであっても、二人とも疲れていたとしても、今夜の事を無かったことにはしませんし、しないでください。やっと聞けた遥子さんの本音はちょっとキツイですけど……僕の気持ちは何も変わらないので。」
そう言い終えると土門はニッコリ微笑んでドアを開けた。
「土門君!!」
咄嗟に呼び止める。振り返った土門に、
「……叩いて…ごめんなさい……」
そう済まなそうに言った遥子に、土門はいつものようにウインクをして親指を立てた。
「遥子さんなら、何でもオッケーです!惚れた弱みってやつですよ!」
土門がドア口から消えた後、遥子はふらふらとソファに崩れ落ちた。
ひとめ惚れ……惚れた弱み……
よくもまぁ、あんな真っ直ぐな目で!堂々と言えるものだ。
どこまで本気なのか、冗談なのか、からかわれているのか……
だが、彼が見せる真っ直ぐな目が嘘の無い本心だと感覚的に読み取れるから、苦手なのかもしれない。
私は……怖いのかもしれないと、遥子は沈む気持ちで思った。
さっき、今更ながら思い当たった事実。
長い時間、一人の男を想ってきたというのに何一つその人を知らなかったという事実。
その人に良く似た別の男が偶然現れて……苦手意識を持った。
あれ程までに好きだったから見るのが辛いのかと自問自答してみると、実はそうではないと、最近自覚した。
長谷部に、彼が幸せだと聞いて、心底良かったと思った。
多くの感情が救われた気がした。
そう、自分の中では完結している想いなのだ。
じゃぁ……なぜここまで土門を苦手とするのか?
似てはいるけど似ていないところばかりが目につく。
完結はしたけれど、代償も大きかった故にもう誰かと深く関わるのが怖いのかもしれない。
「ここまでよ!」
遥子は誰に言うともなく声に出して呟いた。
関わりたくなければ関わらなければいい。
今はそれどころじゃない。最優先事項は、山積みなのだ。
感傷的な感情は、見ない方が得策なのだ。
遥子は、気を取り直して携帯でタクシーを頼むと、事務所の電気を消してビルを後にした。
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