小さなビーナス
三山 響子
小さなビーナス
「週末遊びに行こうよ。ひろくん何食べたい?」
しばらく出てこなさそうなので先にお風呂に入る事にした。階段を降りたところでお母さんと会う。
「あら、
「彼氏と電話」
「全く、中一で彼氏ができるなんて本当にませてるわねぇ。試験前なのに勉強は大丈夫なのかしら」
「恋愛で頭がいっぱいで勉強どころじゃないんじゃないの」
お母さんの返事を待たずに洗面所のドアを閉めた。ちょっと言い過ぎたかな。風香の話になるとどうしてもトゲのある言葉を発してしまう。
鏡に映る自分の姿と対面する。一重で細い目、丸っこい低い鼻、ニキビだらけの頬。
只でさえ目を背けたくなるほど嫌いな地味で醜い顔つきは、口角が下がり目はどんよりと澱んでいて、陰気臭さが増していた。驚いた。心は顔に出ると言うが、ここまで顕著に表れるのか。
シャワーで陰気臭さをドロドロと洗い流し、パジャマを着てリビングに行くと、いつの間にか電話を終えた風香が手鏡を前に眉毛を整えていた。
「あ、お姉ちゃん。今日、四時間目に校庭で持久走やってた?」
「やってたけど」
「やっぱり。私、窓際の席だからよく見えるんだよね。お姉ちゃんの背中見てすぐ分かった。授業中じゃなければ、お姉ちゃん頑張れーって叫びたかったよ」
「やめてよ、みっともない」
汐理の嫌がりようを本気と捉えていないのか、風香は眉切りバサミの向こうから幅の広い二重の瞳を覗かせながら無邪気に笑う。筆で撫でたようにスッと通った鼻筋、口紅を塗っていないのにほんのり色付いた唇、雪のように白い肌。
心をシャットアウトしていても油断するとつい見惚れてしまうので、無理矢理顔を背け、リビングの入り口へと向かった。
「顔の事ばっか考えてないでいい加減勉強したら」
いつからだろう。「おやすみ」よりも先に嫌味が口をついて出てしまうようになったのは。
風香は汐理の二歳年下で、同じ公立の中学校に通っている。
大人しくて引っ込み思案な姉と、明るくて人懐こい妹。性格は正反対だが仲良しで、幼い頃はいつも一緒だった。
関係性が変わり始めたのは、風香が十歳を超えた頃からだった。
元々可愛らしい顔立ちの風香だったが、成長期に入ってからぐっと女性らしさが増し、その美貌から校内で徐々に名が知れ渡るようになった。
汐理も初めは風香の姉という立場に密かに誇りを持っていたが、次第に周囲から心無い言葉が聞こえるようになった。
「あの人が風香ちゃんのお姉ちゃん? 全然似てない」
「なんか地味だね。風香ちゃんはあんなに可愛いのに」
周囲の声は繊細な汐理の心を容赦なく傷付け、汐理は風香に対して大きな劣等感を抱くようになった。
姉妹なのにどうしてこんなに違うの。私は地味で不細工で友達も少ないのに、風香は明るくて可愛くて常に友達に囲まれて。風香ばかりずるいよ――――
風香への羨望や嫉妬心で心が
風香は今までと変わらず汐理に話しかけてきたが、その清純無垢な性格がかえって汐理の心を苛立たせた。
汐理が中学生になり、ようやく風香と学校が分かれて気が楽になったのに、今年から風香も中学生になりまた同じ学校になってしまった。
風香は中学でも、他学年の生徒が休み時間にわざわざ教室まで見に来るほどの注目の的で、入学して数ヶ月で他クラスの男子と付き合い始めた。姉より先に彼氏ができた事も、汐理の心をモヤモヤさせた。
こんな自分が嫌でたまらなかったが、自然と湧き上がる感情をうまく処理できるほど汐理はまだ大人になりきれていなかった。
自分の部屋に戻り、明日の準備を済ませると、汐理はCDプレーヤーのスイッチを入れて布団に入った。柔らかなオーケストラの音色が部屋中を優しく包み込み、生活感溢れる小部屋があっという間に壮大なコンサート会場に生まれ変わる。
クラシック。汐理の心の拠り所。クラシックの海に浸っている時だけは劣等感や嫉妬心から解放され、心穏やかになれる。
温かな音色で心が浄化されていくうちにまどろみ、やがてゆっくりと眠りに落ちた。
*
「風香ちゃん、もう彼氏できたの?」
音楽室へ向かう途中、さつきが驚いたように聞き返した。
「勉強もせず毎日電話してる。眉毛まで整えて、一体何しに学校に行ってんだか」
「相変わらずモテるねぇ。昔から可愛かったけど、このところ急に大人びて可愛さに更に磨きがかかったよね」
汐理と同じ吹奏楽部のさつきは近所に住む幼馴染で、風香の事も幼い頃からよく知っている。頭の中で昔と今の風香を比べて感慨に浸っているようだ。
「うちのクラスの男子も風香ちゃんの事狙ってたけど、彼氏いるなら叶わぬ恋だね。残念」
「どうせすぐ飽きて別れるんじゃない。性格がとびきり良い訳でもないし」
「汐理、どうしていつも風香ちゃんに対してそんなに当たりが強いの」
さつきから指摘され、また悪く言い過ぎちゃったなとちょっぴり反省した。
「きつく当たってるつもりじゃないけど。周りからちやほやされて彼氏もできて調子に乗りそうだから、せめて姉は厳しい態度でいようと思って」
「注目されるのもある意味大変そうだけどね。ちなみに汐理は好きな人いないの?」
「いないよ。私の恋人はクラシックだから」
「またまたー」
相変わらずだね、と言いつつ、さつきは嬉しそうに今朝から申し込みが始まったクラシックコンサートの話題に花を咲かせた。毎年行われる夏季コンサートで、当選すれば有名なコンサートホールでプロのオーケストラ団体の生演奏を聴く事ができる。さつきも汐理に負けず劣らず大のクラシック好きだった。もちろん汐理も申し込み済みだ。
「お互い当たるといいね」と言葉を交わしたところで音楽室に到着した。扉を開けると既に数人の部員が来ていて、それぞれ個人練習の準備を始めている。
皆に挨拶し、汐理とさつきも準備を始めた。三年生の二人にとって、夏の大会は中学校生活最後の大会となる。風香に勉強勉強と言う割には、今の汐理にとっても正直勉強なんかどうでも良く、意識は完全に夏の大会に向いていた。
あちこちで鳴り始めた楽器の音色を耳にしてやる気が
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