真夏の白昼夢

縞々なふ太

第1話

人生において、成すことは必ずしも困難でない。しかし欲することは常に困難である。少なくとも、為すに足ることを欲することは。

「芥川龍之介?」

「はい。」

先生が、好きなんだ、と笑う。捻くれ者の私は、徳田秋聲のほうが好きですけどねとぽつり、返事した。

「はは、そっかそっか。ならこれは知ってる?……人生とはマッチ箱のようなものである……」

「重大に扱うのは馬鹿馬鹿しい、重大に扱わなければ危険である?」

「おっ、さすが。」

「侏儒……って、見識のない人を馬鹿にする、みたいな意味だって聞きました。」

「アバウトに言うとねえ」

「あれって、最後の方遺稿じゃないですか。」

「そうだね。」

「太宰治の人間失格も……。……死って、魅力的ですよね。エッセンス……いや、違うな……」

「死にたいの?穂乃果さんは」

「いやー……べつに。先生は?こころの”先生”だって、最後は自殺じゃないですか。」

「うーん、僕は親友の死因なんかつくっちゃいないからねえ」

間延びのする話し方は先生の一種の個性である。先生は、学校の最寄り駅から徒歩10分、ボロボロアパートに1人で暮らしている。先生は本当は先生じゃない。でも海の近くの喫茶店で出会った、その字面がなんとなくこころに似てたから、(実際の小説の場面が全然違う、なんて分かりきってるけど)私が勝手にそう呼んでいる。ほら、なんとなくカリスマ性があって、人生を達観しがちなところとか、そっくりだし。

「それで?今日はなんかあったの、学校で」

「……英語のエッセイ」

「おっ、そりゃまた。僕は助けてあげられないよ、外国語より日本語派だからねえ」

「自力で書きます!それより、お題が難しくて……」

「なになに」

「将来の夢」

「ああ、それで侏儒の言葉」

「まあ……」

「ないの?夢」

「……先生はありました?私くらいのとき」

「うーん、記憶が無いねえ。年取ったからなあ」

「何言ってんの……見た目20代じゃん」

「こう見えて若作りしてんの」

「へえ」

「心底興味ないって顔だね……」

「まあ……。一応、他人ですし」

「週2で通って愚痴愚痴言ってる人の台詞ではないね」

「……うっさいな」

じとりと見詰めると、いたずらっ子みたいに笑ってパチリと片目を閉じた。

「それで?何書くの」

「それが決まらないから相談してんですう」

「それもそうだ。そうだな、そんなのは適当に嘘をついておけって言うのが常套句だけれど」

「でも、こういうお題で嘘をつくのは、誠実じゃないと思うんです」

「穂乃果さんらしいっちゃらしいね」

「それに……」

そこで言葉を区切る。部屋の隅に追いやった高校生らしく重量のあるリュックには、もうひとつ、悩みの種が入っている。

高校二年生の夏休み、受験勉強が緩やかに始まるその季節に合わせた、志望校調査。

「実際、夢ってなんなんでしょうね」

「なりたい職業とかでしょ」

「それはそうなんですけど。大人って、言うじゃないですか。それってほんとに夢なの?趣味と仕事を混同しちゃダメよ。それで本当に食べていけるの?」

「穂乃果さんのことを心配してるんだねえ、それは」

「高校生って、子供ですか」

「どうだろう、もう高校3年生には成人するし」

「先生、大人って、どうしたらなれるんですか?」

言葉の端が滲んだ。目尻涙が溜まるのを、先生は笑って見ていた。

「人生ってアイスクリームみたいなものだよ。」

「ピーナッツ?」

「そ。舐めることを学ばなきゃ……ってね。いいじゃないか、大人になんてならなくても。大人になるってことはね、僕はこう思うよ。」

__自分の意思も、やりたいことも、なりたいものも、所詮って笑い飛ばせるってこと。

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