イミテーション・メモリーズ
こんかぜ
前編:目的地まで、あと5メートル
「あ、あのっ!」
背後から強い声で呼びかけられた俺は、開いていたスケジュール帳を仕舞って振り返る。
「おっ、真由里……お疲れ」
「プロデューサーさんっ、ちゃんと私のライブ見てくれてましたかっ?」
茶色のボブカットを揺らしながら弾むように聞いてくるのは、俺が担当しているアイドルユニット『エンジェル*ワークス』のリーダーを務める少女・
彼女はもともと俺が通っていた高校の後輩であり、初めてプロデューサーとして面倒を見ることになったのも彼女だ。
真由里はちょっと気弱な性格だが、その持ち前の粘り強さを駆使して、これまでいくつもの障壁を自身の力で打ち破ってきた。
彼女の提案による積極的な営業やライブの積み重ねが功を奏し、大規模なライブツアーが予定されたのは記憶に新しい。
そんな真由里は、ユニットにとってとても重要な存在であり、かつ俺にとっても大事な存在となっていた。
「ライブ中の真由里はとても可愛かったよ。ファンもあのパフォーマンスを見てきっとワクワクしてくれたに違いない」
「そうです……よね! そうですよね! きっとわくわくどきどきしてくれましたよねっ!」
「ああ、それもこれもお前が精いっぱい頑張ったからだ。もっと自分に誇りを持て」
「えへへ……ありがとうございます、プロデューサーさん」
そう言うなりぐいっと距離を詰めてきて、彼女のトレードマークであるふんわりとした天使の微笑みを振りまいた。
「ちょっ、真由里……近いぞ」
「あっ、ご、ごめんなさい」
あわてて一歩下がると、今度はたたたっと控室のドアへ向かっていく。
「……あの、プロデューサーさん」
「ん?」
「……いえ、何でもないです」
「ん、そうか。とりあえずこのあと打ち上げやるから真由里も来いよ。俺がおごってやるからさ」
「――っ、はい!」
最後に、元気いっぱいの笑みを振りまいた彼女は、そのまま控室を飛び出してメンバーのもとへと向かっていった。
「……ふぅ。アイツも昔とくらべてずいぶん丸くなったよなぁ」
まだ彼女の甘い香りが残っている部屋の中で、俺はひとり物思いにふける。
「……問題は、ここ最近あいつのスキンシップが過剰になってきているところだな」
丸くなったアイドルはファンにとって親しみやすいため評価は高くなるが、あまりにも丸くなりすぎて誰かに好意を持ってしまっては一大事だ。
「……あとで注意しておくか」
俺はソファに腰かけると、先ほど仕舞ったスケジュール帳を取り出し、今月の予定の確認作業に移った。
◆
「あっ、真由里! どこにいたのよ探したじゃない」
「ご、ごめんね
「またプロデューサーのところに顔出してきたの?」
「う……うん」
私の言葉を聞いた彼女は、心底あきれたようにため息をついた。
彼女とは中学2年生のころに出会い、そこから多少の衝突はあったけれど、ここまで何とか上手くやって来れた信頼し合える友達。
「もう。プロデューサーのところに行くのは別にかまわないけど、あたしたちの事も忘れないでよね?」
「ごっ、ごめん!」
私が頭を精いっぱい下げると、彩羽ちゃんは「まぁ、いいわ」と言ってシャワーを浴びに行った。
「あ、私もシャワー浴びておかないと」
今日のライブは広々としたドームでの公演だったため、歌ったり踊ったりするのはもちろん、所定位置へ移動するのにかなり走った。
と、そこまで思考を巡らせた私は、ふと我に返ってさっきの行動を振り返ってみる。
「あっ……もしかしてプロデューサーさん、汗のにおい気になったかな……?」
そういえば、つい勢いあまって彼に詰め寄ってしまっていた。
一刻も早く感想を聞きたかったため、つい先走ってしまったようだ。
「うぅ……不快な思いさせてたらどうしよう」
とりあえず、もう二度とこのような失態をおかさないためにも、早めにシャワーを浴びてこよう。
そう結論付けた私は、スタッフさんからもらったタオルで軽く汗を拭き取ると、シャワー室へ向かった。
◆
(今日こそ、プロデューサーさんにこの気持ちを伝えたい)
ドームに隣接されている施設のシャワーを浴びながら、彼のことを思い浮かべる。
しっとりとした黒髪で、顔は女の子みたいに小さくて可愛いけど、いざという時はとてもカッコよくて。
そして優しくて、メンバーのことを誰よりも考えていて……ちょっと運動が苦手でおっちょこちょいだけど、そこがまた愛おしくて。
「プロデューサーさん……」
ユニットのメンバーがみんな『プロデューサー』と呼び捨てにしている中、気弱な性格が影響してどうしても他人と距離を置きがちだった私を、彼は見捨てないでくれた。
ダンスが上手くいかなくて落ち込んでいた私を、彼はそっと見守ってくれていた。
そしてミスなく最後まで踊りきれたときは、まるで自分のことのように喜んでくれた。
「プロデューサーさん、好き……」
そんな彼に、私はいつしか惚れていた。
具体的にいつ惚れたのかは思い出せないけど、気づいたら心の底から大好きになっていた。
でも、アイドルがプロデューサーのことを好きになるのはご法度だし、許されない。もし関係がメディアにバレてしまったら、ファンのみんなを落胆させてしまう。
「でも……」
好き。どうしても好き。たとえ世界が終焉を迎えても、私はずっと彼のそばにいたい。
「いつかは、私のすべてを……」
そう言って、自分の身体を見下ろした。
でもそれは、仮にも花の女子高生とは思えないくらい貧しかったけれど。
でもいつか、そのときが来るのなら。
「……って、いったいどんな妄想繰り広げてるのわたし!?」
「ちょっと真由里。うるさいわよ」
「あっ、ご、ごめんね」
となりの個室から不機嫌そうな声が聞こえてきたので、条件反射的に頭を下げた。
まあ、絶対向こうからは見えてないけど。
「またプロデューサーのこと思い浮かべてたの?」
「えっ、いや、そういうわけでは……ナイヨ?」
「いやもうバレバレだから。隠し通せてないから」
うぅ……こんなことになるならせめてドラマで演技力を磨いておくんだった……。
「はぁ……何度注意しても言うことを聞かないのね」
「わ、私だって努力はしてるよ」
私のプロデューサーに対する怒涛のアプローチを危なく思った彩羽ちゃんは、先月あたりから私のとる行動に関して何かと警告するようになってきた。
そのたびに反省はしているんだけど……。でもやっぱり乙女の本能というか欲求というかそんな感じの抗いがたい何かのせいで一回も約束を守れたことがない。
「まあ、内心で思慕するくらいなら別に構わないのだけれど……ねぇ、真由里」
「ん? なに、彩羽ちゃん」
家から持ってきたシャンプーで頭を洗いながら、視線だけ隣に向ける。
すると、普段の彼女らしからぬ、冷え切った声が届いた。
「もし、あなたが本気で異性に告白をしようと思うのなら――」
一瞬、私の脳裏に彼の笑顔が浮かんだ。
そんな私の脳内を見透かしてか、彩羽ちゃんはゆっくりと、噛んで含めるようなトーンで言葉を紡ぐのだった。
「――そのときは、アイドルを辞めなさい」
「えっ……?」
冷たくて、突き放すような物言いに、私の思考が止まりかける。
「――っ、なんで、辞めなきゃいけないの?」
私がタイルの壁に向かって問いかけると、少しの沈黙があってから、細々とした声が返ってきた。
「……“アイドル”っていうのは、端的に言ってしまえばファンを楽しませる“商品”なの。誰の手にも汚されていない、清廉潔白な」
「商品……」
「ファンはそんな私たちのパフォーマンスを見て、ワクワクしたりドキドキしたりするの。もし自分の推しているアイドルの背後に異性の影がちらついていたらワクワクどころじゃないでしょ?」
となりから、キュッとシャワーを止める音が聞こえた。
「そ、それはそうだけど、でも」
「“でも”じゃない。貴方はユニットのリーダーなのよ? それだけ注目されているのだから、リスクだって高くなるわ」
自分の恋心を否定されたみたいで、悔しくて、反論する。でも彩羽ちゃんの言うことにも一理あるし、真っ向から対立する気にはなれない。
「――あたしだって諦めたんだから」
「え……?」
ふと、背後から声が聞こえた。
私は急いでシャンプーを洗い流し、シャワーを止めて振り返る。
「それってどういう――」
するとそこには、物憂げな顔をした彩羽ちゃんが立っていた。
彼女は私にバスタオルを手渡すと、言葉を続ける。
「あたしには両想いの男子がいたの。同じ学校で、同じクラスで、同じダンス部で……。いつも一緒にいた」
「…………」
「それである日、あたしのダンス大会での成績が話題になって、アイドル事務所の責任者から直々にスカウトされたわ」
「そ、そんなことってあるんだ」
でもまあ、彩羽ちゃんはダンスの上手さもさることながら、歌も上手だし顔もかわいいし……スカウトされてもおかしくないかも。
「はじめは断ったけど、それでも彼からの応援と推薦もあって、とりあえず入ってみることにしたの」
「それが、“神無月プロダクション”?」
「ええ、そうよ」
通称“カンナプロ”と呼ばれている神無月プロダクションは、現在3期生までのアイドルを育成している超大手の芸能事務所。
所属しているアイドルの数は百人を超え、しかもそのほとんど全員がTVで人気タレントとして活躍している。
「当時のあたしは神無月プロダクションのルールをよくわかっていなかった……結局のところ、それが一番の原因だったのかもね」
頭と身体を拭いてシャワー室から出てきた私たちは、この後の打ち上げに向けて私服に着替える。
椅子に座った彩羽ちゃんの髪をドライヤーで乾かしていると、少しの間をおいて、彼女は苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。
「ある日、あたしと彼の関係がプロダクションにバレたの」
「う……うん」
「でも、その頃のあたしは“カンナプロ”が極端な恋愛禁止のルールを敷いているなんて知らなくて……」
「それで、強制的に別れさせられたの?」
「そんなの生ぬるいわよ……彼が受けた仕打ちはもっと酷かった」
私が沈黙とともにドライヤーを止めると、彩羽ちゃんは前のテーブルへ崩れた。
そして、一言一言、悔しさと悲しさをにじませて紡いだ。
「嘘のスキャンダルをでっち上げて、彼を悪者に仕立て上げたの」
「えっ……?」
「あたしはその時、何も言えなかった……。『ごめんなさい』の一言も……!」
彩羽ちゃんは椅子から立ち上がると、こちらに身体を向けて、目の奥をじっと見据える。
「だから、今よりもっと有名になろうって決意した。彼を見つけて、今度こそ謝るために」
「…………」
私はもう、何も言うことが出来なかった。
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