110話  提案

灰塚はいづか れん



叶愛かなとさんざんやりまくったせいで、久しぶりの筋肉痛にさいなまれていた日の夕方。



「ただいま~」



廊下から少し気だるい声が聞こえてきて、リビングのソファーにもたれかかっていた俺は咄嗟に厨房ちゅうぼうにいるお母さんと顔を見合わせた。その後、俺たちはさっそく速足で玄関に向かった。

そしたら、久しぶりに見る結月ゆづき姉さんの姿が目に入ってきた。

明るいベージュのコートと紫色のブラウス、黒いスラックスを身につけている、正に仕事ができる女の定番みたいなスタイル。

2年ぶりに見る姉は、相変わらずお洒落だった。



「おかえりなさい!もう、顔見るのも大変なんだから」

「帰ってきたからいいじゃん。ただいま、お母さん。連も」

「ああ……おかえり」

「……………へぇ」

「うん?」

「いや、だいぶ印象が変わったね。びっくりした」

「えええ……?」



少し眉をひそめてしまう。何を言ってるんだ、この姉は。

いや、そもそもたった2年でそんなに印象が変わるものなのか?

……たぶん、長い間会えなかったからからだろう。そんなことだと思って苦笑してみせると、姉さんはさらに追い打ちをかけるように言ってきた。



「ゆるゆるになったね、連」

「………は?」

「ふふっ、まぁいいや。後でゆっくり話そう?」

「え……待てよ。後って」

「お母さん~今日のメニューなに?私お腹空いた」

「もう~~早く手洗って来なさい!今作ってあげるから」

「は~い」



待って。後ってなんだよ。

そう聞きたい気持ちが山々だったけど、姉さんは涼しい顔でさっと洗面台に行ってしまった。

玄関に一人で取り残された俺は首を傾げながら、考える。

……柔らかくなった?俺が?

……だとしたら叶愛のおかげだな、それは。



「……変わったか」



再び苦笑いしながら、俺はリビングに戻った。







食事を終えた後、俺はいつものように部屋でパソコンをいじりながら色んな音楽を鑑賞していた。響也きょうやにおすすめしてもらった曲から個人的に好きなアーティストの曲まで、ヘッドホンを付けてずっと聞きふけていた。

叶愛と一緒にいる時間は大事だけど、やっぱりこうして一人でのんびり趣味を楽しむのも悪くない。

付き合ってからは時間のほとんどを叶愛のために使っていたから、なかなか一人でいる時間が取れなかったのだ。まぁ、とは言ってもやっぱり叶愛といる方が好きだけど。

とにかくそうしているウチに、ヘッドホンで流れてくる音楽を突き抜けてノックの音が聞こえてきた。



「……えっ」



………お父さんはまだ帰っていない。帰ってきたとしても、わざわざ俺の部屋にまで来たりはしないはず。

それはお母さんもまた然り。ということは……

消去法で、結月姉さんしか浮かばない。



『知ってるでしょ~?早く開けなさい~』

「……はああ」



まるで俺の考えを読んでいたかのような言葉に、思わずため息が出てしまう。

仕方なく渋々立ち上がって門を開けると、ニッコリとした結月姉さんの顔が映ってきた。



「お邪魔します~」

「……俺、入っていいって言ってなかったけど?」

「いいじゃん、別に~~もう、いつも日葵ひまりにばっか懐くんだから。私寂しいよ?あなたが赤ん坊だった頃は、私がいつも――」

「はいはい、分かりました。そこのベッドに適当に座って」

「ははははっ、こんなツンツンするとこは変わってないんだ。いいな~~」



満面の笑みを湛えながら姉さんが入ってくる。いや、そもそもなんでウチの姉たちはこうも俺をいじめるんだ。

外向きの服装ではなく、家で着るラフな恰好のまま結月姉さんはベッドに腰かけた。俺は唇を濡らしながらも、大人しくドアを閉じてデスク前の椅子に座った。



「ふふっ。久しぶり、連」

「…なんかいいことでもあったの?」

「今目の前にいるじゃん。可愛い弟」

「……………………何の用事?」

「ええ~~冷たい。少しはウキウキしてくれてもいいじゃん。2年ぶりだから」

「……まぁ、それもそっか。元気してた?」

「うん、元気してた。連はまあ、特に聞かなくても分かるよね。背も伸びたし、それに印象もだいぶ変わったし」

「…さっきも聞きたかったんだけど、そんなに変わったの?」

「うん、びっくりするくらい変わった。まあ、それもこれも全部例の彼女さんのおかげかな~」

「それは確か…………えっ」



……待て。今この人なんて言った?



「え?彼女?」

「うん、彼女」

「………………………………………誰に聞いた」

「日葵。あ、ちなみに言うと夏陽なつひも知ってるからね?連に彼女できたってこと。いいな~~私も会って見たい。わたし銀髪が地毛な女の子って会ったことないもん」



夏陽姉さんは、俺の二番目の姉で地方で看護師として働いている。

いや、それよりもうみんな叶愛の存在を知ってるんだけど。何故………?

別に隠すつもりはなかったけど。でもあの馬鹿お姉ちゃん、借りがあるとはいえ勝手に言いふらしやがって……!

脳内で日葵姉ちゃんのでへっと笑う表情を消しながら、俺は深呼吸を重ねてから言った。



「絶対に見せねぇ」

「ええ~~ケチ。少しくらいは合わせてくれてもいいじゃん。日葵があんなに絶賛するから、私気になって夜もまともに寝れなかったんだよ?」

「叶愛は姉さんたちのおもちゃじゃないから。家に挨拶しにくる場合を除くと、絶対に見せねぇ」

「へぇ……家に挨拶、ね」

「うぐっ……」



……しまった。本音が漏れて……



「……すごいね。連をここまでとりこにして未来を見させる少女。益々興味が湧いてきた」

「いや、興味失くしてくれよ」

「ちゃんと大事なんだね?あの叶愛ちゃん、っていう子」

「…………そりゃ、当たり前だろ」



顔を背けながら一人ごちるようにそう言い放つ。まごうことなき本音だった。

叶愛は、俺にとってもう自分以上に大事な存在になっている。それを否定したくはなかった。

結月姉さんは、それこそ周りに花びらでも浮かんでいそうな笑顔で何度も頷く。



「そっか、よかった。ちゃんと幸せそうで」

「……それで、本当になんの用事?まさかからかうために来たんじゃないだろうな」

「ええ~無駄話しに来ただけだよ。結婚前に、連とこうして二人きりで話したかったし」

「……ああ、そうだった」



そういえば姉さん、結婚するんだったな……

食事してた時一応祝ってたけど、別に改めて言っても問題はないだろう。



「結婚おめでとう、姉さん」

「さっき聞いたよ?でもありがとう」

「姉さんが結婚か……」



なんだか不思議な感じがする。といっても、結月姉さんと俺の間にはけっこう歳の差があるので、おかしなことでもないけれど。

そういえば、肝心なことを聞き忘れた気がする。俺は少し口角を上げてから質問した。



「どんな人なのか聞いてもいい?姉さんと結婚する人」

「そりゃ当たり前じゃん。まあ……強いて言うなら、変人かな。超が付くほどの」

「は……?」



わけわからない顔で首を傾げると、姉さんは深い息をついてから苦笑を浮かべた。



「いつも振り回されてばっかなんだよね、私」

「……想像しにくいけど。相手の方、お医者さんだろ?」

「うん、小児科医。同じ病院にいたわけじゃないけど、友達の紹介でたまたま出会っちゃって」

「へぇ……でも超が付くほどの変人なんて。姉さん、そんな人が好みだっけ」

「違う~今でもあんなヤツよりしゃきっとしたイケメンの方が好みなんだから。でも………」



次の瞬間、姉さんはすごく慈しむような顔で、そんなことを呟いた。



「……なんか、放っておけないんだよね。本当」

「……………」

「ちょっとバカっぽいけど。でも子供たちを好きなのが目に見えて分かるし、一人一人に対してもすごく真剣に接するし、なにより自分の仕事にちゃんと誇りを持っているから。そんなところがなんとなく、恰好よく見えたんだよね」

「……へぇ、姉さんもそんな顔するんだ」

「……ちょっと、からかわないでよ」

「いや、別にそんなつもりじゃなかったけどな」



あんなに真面目だった姉が、正に恋していると宣言するようなこの緩んだ顔。珍しいと思うと同時に、聞いた言葉の中でどこかが頭の中で引っかかった。

医者としての誇り。患者さんを真剣に思う気持ち。

……俺には、そんなものがあるのだろうか。



「そっか、誇りを持って仕事しているんだ」

「うん、そうだけど……そういえば、連はどう?こういう話するのはちょっとアレかもしれないけど……お父さんの病院、継ぐ気?」

「…継ぎたくはないかな。正直、あんなでっかい病院の院長なんか俺にとっては重苦しいだけだし」

「じゃ、他に夢でもあるの?もうすぐ受験生でしょ?」

「………それもないかな。そもそも俺、医者になるかどうかも迷ってるんだ。向いてるかどうかも分からないし」

「ううん、向いてるよ。連は向いてる」



きっぱりと断言されて、俺は俯いていた顔を再び上げる。

姉さんはさっきより真剣な顔と眼差して、体を射貫くように俺を見据えてきた。

……そういえばこんな会話、芹菜せりなともしてたっけ。



「まあ、連はお父さんみたいなタイプじゃないけどね。でもどちらかといえば、向いてると思うよ。頭切れてるし冷静だし、後ちゃんと優しいから」

「…………そうかな」

「確信がないんだ?」

「当たり前だろ、そんなの。そもそも未来のことなんてあんま考えたことないし」

「ふうん………」



姉さんはいつの間にか、俺の枕を膝の上に乗せてから頬杖をついていた。

それは、姉さんが何かを真剣に悩む時に出るルーティンみたいなものだってことを、俺は知っている。

しばらく経ってから、姉さんは破顔しながら言ってきた。



「今春休みだよね、連?」

「そうだけど?」

「じゃさ、うちに来てみない?」

「………は?」

「今同棲してるんだからね。私たち」



暖かいけどちゃんと真面目な、姉さんに一番似合うその表情で姉さんはさらに言い続けた。



「ヒントをもらえるかもしれないよ?あの人に会って見たら」



いきなりの提案に、俺はしばしまともに言葉を紡げなかった。

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