33話  プレゼント

灰塚はいづか れん



ゆずりはとの共同生活も慣れてきた頃、俺はある問題について密かに悩んでいた。

ぬいぐるみのプレゼントをしたらどうかな、という考えは前々からあった。

きっかけは当然、夢にうなされている杠を見た時からだった。



「………」



あんなに苦しくもだえている姿を見ると、さすがに抱きつけられる物の一つは必要なんじゃないかと思ってしまう。

それに、杠はいつだって一人なのだ。真夜中に悪夢を見て目が覚めた途端に一人だなんて、深く考えなくても辛いだろうと容易に想像できる。

でも、杠は頑固で他人から何かをもらうの自体を嫌がる。だから俺も今まで行動には移さなかったけど……




「俺、今日は用事あるからお昼ご飯は要らないよ」



でも、物は試しだから。

もしプレゼントしたぬいぐるみが杠の好みじゃなかったとしたら、適当にクローゼットの中にでも放り込んでくれればいいだけの話だし。

意を決して、俺は朝ご飯を食べてから間もなくしてそう言い出した。

いきなり外出すると聞いて驚いたのか、杠は目を丸くしていた。



「買い物?」

「うん、色々と」

「……足りないものでもあるの?それにゴールデンウイークだから、どこのお店もお休み中じゃ…」

「調べてみたら、目当ての店はちゃんと営業中だって」

「…誰かと待ち合わせでもしたの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」



…いや、待って。

これは結局のところ杠が使うものだから、本人がちゃんと目で確認した方がいいんじゃない?



「…一応、聞くけどさ」

「うん?」

「杠、ぬいぐるみとかは好きな方?」

「…いきなり?ぬいぐるみは…まぁ、貰ったことはないけど、適当に好きよ」

「………そっか」



貰ったことがないっ……か。自然と声色が下がってしまう。今の返事で、杠の苦々しい幼少期が垣間見かいまみえた気がした。

でも、嫌いじゃないのか。だったら話は早い。



「まさか、私にプレゼントをするつもりはないでしょうね」

「俺がそんな心優しいやつに見えるか?」

「………見えるけど。あなた、優しいし」

「………そこは否定して欲しかった。でもさすがの俺も、プレゼントする前に相手に直接聞くとか、そういう野暮ったいことするわけないだろ?」



実は、めちゃくちゃする気だけど……不器用で悪かったな、不器用で。

とりあえず、杠はそれを聞いて納得したのか、すぐに肯いてくれた。ほんの少しだけ複雑な感情が沸いたけど、よしとしよう。



「それもそうだね。それで、なにを買いに行くつもりなの?」

「…それは、着いてからのお楽しみということで」

「え?」



俺は即座に立ち上がって、ぼうっとしている杠を見下ろす。

当たり前に状況を把握できていない杠は、首を傾げて呆けているだけだった。



「一緒に行かない?お昼ご飯奢ってやるよ」

「………え?一人で行くんじゃなかったの?」

「さっき考えが変わった。杠も一緒に来て欲しいんだけど」

「……いいけど。でもその前に教えて。本当になにを買いに行くの?」

「そうだな……なにか食べたいものは?」

「………話をそらすな」



ジト目で睨んでくる杠を見て、俺は苦笑をこぼすしかいなかった。

お前がもう少し素直なヤツだったら、話をらさなくてもよかったのにな……全く。








「この中から選んでくれよ」

「………」



一緒に昼食を取って訪れた場所は、当然のようにぬいぐるみの専門店だった。以前、響也の妹の誕生日プレゼントを買うために一度来たことのある店だった。

ゴールデンウイークだからか、店の中にははしゃいでいる子供たちがたくさんいてなかなか微笑ましい空気が漂っている。

しかし、杠はその雰囲気に全く溶け込まず、目を細めたまま俺をジッと見上げてきた。



「…一応聞くけど、灰塚はぬいぐるみが好きとか、そういう趣味はないんだよね」

「それはまぁ…ないけど」

「じゃ、これは誰に対してのプレゼント?」

「………言っておくけど、お前じゃないから」



もし計画がバレたら面倒なことになりそうだったので、俺は一旦ウソを突き通すことにした。



「…………そう、女の人?」

「うん、そうだけど」

「……あの人と、仲いいの?」

「それは、まぁ…俺の知り合いの中では、一番」

「…そう」



杠は何か言いたそうな不満げな顔だったけど、俺は大丈夫だろうなと楽観的に思った。

だって、ウソは一度しかついてなかったのだ。肝心なプレゼントの貰い手をだましただけで、その他の説明はすべて事実だった。

杠は、俺にとって一番仲のいい女の子だから。



「…………ひどい」

「うん?」

「……なんでもない。それで、灰塚は私になにをして欲しいの?」

「さっきも言った通り、この中で一番杠好みのぬいぐるみを選んで欲しい。なるべく抱き心地がよくて、抱きしめた時にちょうど体に収まるほどのサイズで」

「…私の体に収まるほどの?それに、私の好みでいいわけ?」

「うん。むしろそうしてもらわないと意味がないっていうか……」

「…………そうなんだ」



いや、待って。

なんだかものすごく落ち込んでるんだけど……え?



「あの……杠?」

「……知らない」

「え?」



……怒っている。

杠は、確実に怒っていた。唇も目に見えるほど唇を尖らせているし、気のせいなのか声も少し震えているような気がした。

それでもなお、彼女は店内を見回りながらぬいぐるみをチェックしていて。

その様子を見て、何かを間違えたような感覚だけが膨れ上がっていった。



「……これ」

「……これでいいの?」

「私の好みなんでしょ?だったら、これ」



俺がそわそわしてる間、杠は必死に顔を隠しながら色んな商品の中で一つを選んでくれた。

ごく普通の、ブラウンのもふもふとしたぬいぐるみだった。サイズはちょうど杠の体に収まるくらいで、手を握ると柔らかな感触がする。うまく作られたものだなと自然に思った。

でも、俺たちはもうそれどころじゃなかった。

杠はもう隠しきれないほど、目じりに涙を浮かべていたのだ。



「……えっと、本当にこれでいいの?一度抱きしめてみたら?」

「……そんなの要らないでしょ。どうせ私が使う物でもないし」



その言葉を聞くや否や、俺はどんなところで間違ったのかを咄嗟に気付いて。

これ以上隠すのはダメだと本能的に判断して、俺はすぐに頭を下げてから謝った。



「…ごめん」

「…………えっ?」

「本当にごめん。ウソついた。せめて……その、サプライズをしてあげたかったけど、誤解を招くとは思わなくて………」

「………ちょっ、えっ…?誤解?」

「言い直す。これ、杠が使うやつだから、ちゃんとその……気に入るものを選んでくれよ」

「……………え?」



下げていた頭をようやく上げると、杠の戸惑っている顔が視界に入ってきた。



「……プレゼントの相手、私じゃないって」

「そこがウソ。だいたい俺と仲がいい女の人って、精々朝日向とお前くらいだから」

「……私の好みを聞いたのって、暗黙的に私を排除はいじょするためじゃなかったの?」



………察しはついてたけど、本当にこんな風に思ってたんだ。でも当たり前かもしれない。杠は傷だらけの女の子なのだ。

他人からの好意をありのままに受け取ることができない、傷だらけの女の子。

……自然と、そんな杠を配慮しなかった自分に対しての苛立ちが込み上がってくる。



「今日は最初から杠ためにここに来たんだ。好みを聞いたのは、お前が使うものだから、気に入らないものをあげたら台無しだと思って」

「…………」

「……ごめん、圧倒的に言葉が足りなかった。本当にごめん。好きなやつ選んでくれれば助かる」

「……わたし、こういうの要らない」

「…俺だって、いつまでもお前と一緒にいられるわけじゃないから」



少し膝を曲げて、いつの間に顔を伏せている杠と視線を合わせる。

ほんの少し湿っているその目は、心配になるほど弱くて、あやうくて……俺は洗いざらい、本音を伝えることにした。



「悪い夢を見た時、隣に誰もいないと淋しいだろ?これを抱えていれば少しは気が楽になるかもしれないよ。余計なお世話だとは思うけど……でも、見て見ぬふりはできないから」

「わたし……子供じゃない」

「……ぬいぐるみが嫌なら別の物にする。でも俺は…受け取ってほしいかもな」



子供じゃないって、杠はそう言ったけど。

でも違う。俺は杠をまだ子供だと思った。

彼女は子供の時の傷を背負ったまま今を生きているから。傷を治すなり、ふたをするなりして人と向き合うのが大人だとしたら、杠はまだ子供のままだった。強い大人になりたがっている、泣き虫な子供。

だから、傍にいたかった。

杠が苦しむ姿など見たくもないし、できる限り力になってあげたいと思う。この感情がいつ芽生めばえたのか、俺は分からないけど。

彼女が、幸せになれたらいいなと心の底から思っていた。



「お願い」

「…………うっ」



そして涙もろい彼女は、また泣き出しそうになりながらも、再びさっき選んだぬいぐるみを手に取ってくれた。



「……これでいいの?」

「………うん」

「ありがとう」

「………なんであんたが礼を言うの」

「……さぁ、素直に受け取ってくれたから?」



会計を済ましてから家に帰るまで、俺たちは特に何も話さなかったけど。

でも彼女がこのぬいぐるみを大切にしてくれるということだけは、なんとなく確信できた。

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