第四話
(…………………え?)
ぎゅっと心臓が潰れる感覚がする。息を忘れクラクラとする頭。
今聞こえた声は、間違いなく婚約者であるエルバートの声であった。聞き間違いだとそう信じたい。
信じられなくて、信じたくなくて震える手は扉を開けられずにいた。
自分の中でぐるぐると何かが渦巻く感覚がする。本能でそれが嫉妬であり恨みであることがわかる。そこに力が加わっていることも。
漆を塗った美しい木製の扉が、監獄の檻のようにさえ見え始める。開けてはいけない場所のように感じてしまうのだ。
しかし、いつまでも立っているわけにはいかない。
震える手でそっと扉を開ける。
中には驚いた顔をしたエルバートとオリヴィアがいた。
オリヴィアの深い蒼の長い髪が揺れる。金の瞳には罪悪感が写っている。オリヴィアの顔はサァッと血の気が引いて青ざめていく。
しかしそんなことなど気にもならないのか、否、気にしていられないのかエリザベスは殿下を見つめている。
漆黒の耳の下で切り揃えられている髪、エリザベスと同じ赤い瞳を持った少年は、目を瞑りまたゆっくりと目を開けた。
「…エリザベス」
静かに彼女の名前を呼ぶ。その声は優しさが含まれていないいつもの、平坦な声であった。
エリザベスは本当に心臓が潰れてしまうのではないかと思うほど、心臓が激しく動き、額には冷や汗が浮かんでいた。
「殿下……今のは、本当ですか…」
震える声で、否定して欲しいと願いを込めながら言葉を紡いだ。
しかし、そんな願い虚しくエルバートの口からははっきりとこう告げられた。
「本当だ」
サァッと全身の血がなくなってしまったのかと錯覚するほど、血の気が引いていった。
今エリザベスに襲っているのは絶望と憎しみ。どうして大事なものを奪っていくのか、そんな思いがエリザベスを支配している。
母の最期の時も、母の心は父親に向いていた。母は父を愛していた。
でも、見舞いにも来ない男よりもエリザベスは自分に目を向けて欲しかったのだ。どうしようもない寂しさが、無念の思いがエリザベスの心には残り続けた。
体の奥底の渦巻いている黒い感情が徐々に黒い魔力に変換されていく。
「どう、して。どうしてなのですか……殿下…それの、何がいいと…?」
まだ理性は残っている。しかしそれも時間の問題であるとエリザベスはわかっている。
だが、聞かずにはいられなかった。かけらしかない理性を崩してでも、どうして義妹を選んだのかと聞かずにはいられなかった。
エルバートはオリヴィアのことをそれ、と読んだエリザベスに少し怒りを覚える。
「彼女をそれ呼ばわりしないでくれ……彼女は心優しく、どんなことにも一生懸命だ。そして僕の心に寄り添ってくれる。どんなに弱く自分はだめだと思っても、彼女はそれを否定して、励ましてくれた。
いつも僕に完璧を求める君と違い、彼女のそばは落ち着くんだ。それに」
「彼女のことを助けもしない、作法を教えもしない、君のような人は嫌いだ」
ストンっとエリザベスの中の感情が全て抜け落ちた。全て黒い渦が飲み込んでしまったのだろうか。
本当に心を向けられていないのだと、わかってしまったから。最初からわかっていた。エルバートは自分のことは好きではないのだと。
それでも、彼に応えたいとエリザベスはずット努力を続けてきた。
でも、奪われてしまった。どんなことも、お前の努力は無駄なのだとそう思い知らされる。
「殿下…。エルバート殿下。あなたは、一時でもわたくしに弱さを見せてくださいましたか?」
疑問が、湧き上がる。
「わたくしがいつ、あなた様に完璧を求めましたか?」
止まることはできない。黒い渦に思考が奪われていく。
「わたくしがいつ、あなた様を否定しましたか?」
どうして、どうしてと癇癪を起こした子供のように
「大嫌いな父親の愛する新しい娘など…どう好きになれというのですか?」
ズズズッとエリザベスの影から黒い魔力が溢れ出す。
エルバートは即座にそれに気付き、オリヴィアを庇うように前に出る。そのタイミングでリックと生徒会の残りのメンバーであるルイが駆けつける。
「おいおい、これは一体どうしたんだ!?」
灰色に近い水色の短く揃えた髪に黒縁のメガネをかけたルイがひどく焦った様子で生徒会室の扉の前で叫んでいる。
「エルバート!無事か!?扉が開かないんだ!中からとんでもない魔力量とすっっッッッごい不吉なものを感じるんだけど!?」
リックも焦っているのかドンドン!と扉を叩いて開けようとしているが、コンクリートのように硬くなっている扉に太刀打ちできないでいた。
エルバートが扉を見てみると、エリザベスの影からのびた黒い魔力が扉を包み込んでいるのか真っ黒に染め上げられていた。
「オリヴィア…どうして、あなたたちは…!いつもわたくしから大事なものを奪っていくの!!!」
エリザベスがそう叫ぶと、それに応えるように黒い魔力は彼女を包んでいく。
世界を嫌え、世界を憎め、世界はお前など愛していない。何の声ともつかない声がエリザベスの脳内に直接響く。
「そう、そうよ。わたくしのことなんて……誰も愛してくれない!!」
悲痛な彼女の叫びが生徒会室に響き渡る。
黒い魔力はやがて晴れると、エリザベスは目を黒く染めきっておりその目からは黒い涙が絶え間なく流れ続けている。
彼女がきていた制服は真っ黒なドレスに変わっている。頭の後ろには円の形をした後光のような黒い蔦のようなものが絡まったものがふよふよと浮いていた。
見ているだけで恐怖が湧き上がる。とんでもない魔力量が生徒会室に満ちているのもあり息がしづらく、足も動かない。
エルバートはただオリヴィアを庇うことしかできなくなていた。
オリヴィアはなんとかしなければと、思考を巡らすが今は大賢者の声を聞こえず、自分では太刀打ちできないということしかわからない。
「!!!これ、瘴気か…?いや、それに似たもの…黒く染まっているけれど、まだ瘴気じゃない。エルバート耐えるんだ!!」
ルイの声がエルバートの耳に届く。外ではきっと中に入ろうと今も頑張っていてくれているのがわかる。
(僕が、今しなくてはならないことは…彼女を守り抜いて、自分も助かること)
グッと精神を持ち直しエリザベスに向きなおる。
エルバートが得意とする炎系の防御魔術を展開する準備をし、いつでも攻撃が来ていいように構える。
「全く、こんな風に復習するなんてね!」
リックはなんとか扉を開けようと、いくつかの魔法を駆使しているが全く通用しない。
魔力量はドンドン上がっていく。
中にいる人物はただでは済まないだろう。早めの救助が求められているが、あまり魔法を使って仕舞えば黒い魔力は自身の中にも入ってこようとするだろう。
「なんの騒ぎだ!!!」
茶の髪を後ろ部分だけ長くして縛っている、黒曜石の瞳をしたこの学園の学園長であるアルフレッドが走りながらやってくる。
騒ぎを見ていた生徒の1人、アイザックが呼んで来ていた。
アルフレッドはその場を見ると、驚いた顔をした後にどけ、とそう告げて魔法を展開し始める。
土と風の魔法で巨大な岩をとんでもないスピードでぶつけようとしているのだ。
エリザベスはそれを感じ取り、昔から交流のあった兄のような存在からも邪魔だと思われているとそう感じる。
「あぁ……あぁああっ!!兄様も、兄様も…わたくしのことを愛していないのですね……」
黒い魔力はどんどん溢れかえり始める。
それはこの学園さえも飲みこまんと、勢いをつけ始めている。その瞬間、心にぽつりと光が差した。
声が聞こえる。大好きな母の声が。
『……ズ………リズ。どうか落ち着いて』
「!?母、上…」
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