第5話 不思議な夢の花

「勉強疲れたー!お散歩行ってきていい?」

 アントンの横でまじめに勉強に励んでいたロゼッタ。しかし、ずっと頭脳を酷使し続けるのは大人でも大変なもの。アントンはロゼッタの頑張りに免じて休憩時間を許した。

「行っておいで。疲れたろう。あまり遠くに行ってはいけないよ」

「はーい」と元気よく返事して、ドアを開けて店内を通り抜け、ジェイクに一言断ってから外に出る。

「お散歩行ってくる!」

「おー、気を付けろよ」

 しかし、ロゼッタはすぐに店に引き返すことになってしまう。店の前の道端に、見たこともない綺麗な花が咲いていたのである。はて、いつの間にこんなところにこんな花が咲いていたのだろう。

 その花は幼いロゼッタの膝の高さほどの花で、葉序は互生し、ピンクの釣鐘型の花が三個ほど鈴蘭のように連なっている花だった。鈴蘭とは葉の付き方が違うし、ホタルブクロとは花の付き方が違う。まるでおとぎ話に出てくるファンタジーのような花だ。その花が二輪、身を寄せ合うように咲いている。

 学習障害で物事を覚えるのが苦手なロゼッタだが、解らない割には学習意欲の高い彼女は、店に引き返してジェイクに訊いた。

「早かったな。忘れ物か?」

「ジェイク、店の外に変な花が咲いてるの」

「変な花?」

 ジェイクを連れて花のそばに連れて行くと、なるほど確かに見たことのない花だ。

「アントンは頭いいから何か知ってるかもしれねえ。連れてこい」

 ロゼッタはその場にジェイクを残してアントンを呼びに行った。だが、連れてこられたアントンも、こんな花は見たことがない。

「ホタルブクロでもないし、オダマキでもないな。鈴蘭とも違うし、スノーフレークとは葉っぱが違うな。なんだろうこの花」

「なんかいい匂いするかな?」

 ロゼッタが這いつくばって匂いを嗅いでみると、花粉の粉っぽい香りとフローラル系の香りがする。化粧品のような香りだ。

「ママのお化粧みたいな匂いがする」

「へえー、面白いから部屋に活けてみるか。ハサミと花瓶持ってくるよ。ここにいな」

 ジェイクは二階のリビングに向かい花瓶になみなみと水を注ぎ、道具箱を漁って園芸用のハサミを取り出し、ほどなくして店先にやってきて花を切った。割合にかさばる葉っぱのせいで、二輪とも花瓶に活けたらぎゅうぎゅうになってしまった。

「こんなもんかな」

「綺麗だねー」

 三人はその花をリビングの食卓の中央に据え、その夜の夕餉は花を眺めながらの優雅な食卓を囲んだ。


 その夜、三人は奇妙な夢を見た。まるでそのシーンを体感しているようなリアルな夢で、五感が限界を超えて覚醒したような、現実より生々しい体験だった。

 ジェイクは胸をかきむしられるような焦燥感を感じながら、去り行くアントンの後姿に追いすがった。

「頼む、行くな!行かないでくれ!お前がいなくなったら俺は生きていけねえよ!」

 しかし、アントンは顔中を覆う毛の中から射貫くような冷たい目でジェイクを一瞥するのみだ。

「何をいまさら。この店に僕の居場所なんてないですよ」

「そんなことない!判ったんだ、俺、お前のことが好きだって!お前を尊敬している。この店にはお前がいないと、もう店をやっていけねえよ!頼む!何でもするから行かないでくれ!」

 締め付けられるような胸の痛みと、溢れて止まらない涙。そのままジェイクは自分のうめき声で目を覚ました。仮面の内側がひんやりと濡れて皮膚がつっぱるような感覚。ジェイクは仮面を外して涙をぬぐった。

「何つー夢だよ……」


 一方アントンはというと、夢の中でジェイクを襲っていた。ジェイクの下半身に顔をうずめ、裸のジェイクを押し倒している。

「やめろ、アントン!何するんだ!」

 アントンの心臓は極限まで興奮し、体の奥が燃えるように熱かった。

「あなたが好きです、ジェイク。あなたのためなら、僕は何だってします。どんなことだって喜んでします。あなたを愛している……!」

 その後、思いが果てるまで二人は体を重ね、……アントンは目を覚ました。

「え……?今のは、夢……?なんて夢だ。僕が、ジェイクを?」


 ロゼッタはというと、二人の我を疑うような夢とは大きく異なり、夢らしいファンタジックな夢だった。

「ロゼッタ、お前の超魔力を思う存分振るってきな!」

 ジェイクに背中を叩かれて送り出された先で、見知らぬ大人たちとともに大冒険に出たロゼッタは、巨大なモンスターを前に魔法銃を構えた。

「みんな、下がって!えーい!死んじゃえ!」

 ロゼッタが銃の引鉄を引くと銃口からは炎のドラゴンが生まれ、敵に向かって襲い掛かり、大爆発を起こす。

 それを見ていたジェイクは、「お前、すげえよ!こんな力があったんだな!これからも大活躍を期待してるぜ!」と、ロゼッタの頭をくしゃくしゃっと撫でまわした。

「エヘヘ、ジェイクのためならあたしなんだってするよ!任せて!」

 目を覚ましたロゼッタは、人生で味わったことがないほどの高揚感と優越感を感じていた。

「あたし……あたしに、あんな魔力が……?」


 翌朝、気まずい思いをしながらジェイクとアントンがリビングに降りていくと、ロゼッタが賑やかに足音を立てて降りてきて、ビッグニュースを喧伝した。

「聞いて!夕べね、面白い夢見たの!すっごかったんだよ!めちゃくちゃリアルなの!」

「あ、ああ、そうか」

「へ、へえ、どんな夢だい?」

 ロゼッタは胸を張って夢の内容をまくしたてる。

「あたしに秘密のパワーがあってね、魔法銃を撃ったらどぉーん!って、ドラゴンが出てくるの!それ見てジェイクがね、『お前凄いなー!』ってめっちゃ褒めてくれたの!すごかったんだよ!ガオーン!ってでっかいドラゴンが出てきてさあ!冒険者の人たちビックリしてたの。あたし大活躍だったの!」

「ほう、お前に隠された力ねえ……」

「ああ、この夢本当にならないかな。ジェイクの役に立ちたい」

 まさに夢見心地のロゼッタを横目に、ジェイクはアントンにそれとなく聞いてみる。

「お前、なんか夢見た?」

「ええ?!い、いえ、特に何も……」

 急に話を振られたアントンは夢の内容を思い出してドキリとしてしまう。咄嗟に嘘をついたが、言えるわけがない。ジェイクをレイプをした夢だなどとは。アントンは自然な流れを装ってジェイクにも聞き返してみる。

「ジェイクは何か夢見ましたか?」

「ぅ俺ぇ?!俺は、別に夢らしい夢は……覚えてねえよ」

 思わず動揺してしまったが、不自然ではなかっただろうか。話を振られても困ってしまう。アントンに想いを告げて追いすがる夢だなどとは。

 この日はただの夢で済んだのだが、その夜は前夜の夢の続きともいえるような、同じ内容の後日談の夢だった。ジェイクは孤独に泣き、ロゼッタにそれは恋ではないかとアドバイスされる夢。アントンはジェイクに何度も体を求められる夢。ロゼッタだけが健康的に、大魔法使いになる大冒険の夢である。

 その次の朝の空気と言ったら目も当てられない。ロゼッタはますます有頂天に夢の話をするし、ジェイクとアントンはお互いが目を合わすのも気まずい。ジェイクは何となく恋しい気持ちを引きずってそわそわしてしまうし、アントンは心臓だけが興奮から冷めやらず顕在意識との壮大な解釈違いに混乱してしまう。

(この夢は墓場まで秘密にする……)

(僕が、ジェイクと……?やめてくれ。うう、心臓が辛い)

 しかし、その夢は早々に現実になることになる。


 その日、店に一人の猿族の紳士が銃の修理にやってきた。

「この店に腕のいい修理工がいると聞いてやってきたのだが、いるかな?」

 ジェイクはアントンを褒められて、得意になってアントンを紹介しようとした。

「ええ、いますよ。ちょっと変わったやつなんですが、日数をいただければ素晴らしいカスタムもいたします。連れて来ましょうか?」

「是非。噂に名高い修理工さんに一度お目にかかってみたいと思っていたんですよ」

「アントン!お客さんにご挨拶しな!」

 ジェイクがアントンを呼びに行くと、アントンはその顔を客の前に出すのをためらったが、しぶしぶ店に出て行って挨拶した。

「修理工のアントン・ニコルソンです。よろしく」

 すると紳士は差し出されたアントンの手と、毛むくじゃらの犬の様な顔を見比べて、握手の手を引っ込めた。

「あ、貴方何です?犬族?猿族?犬族なのに修理なんかできるのか?」

 ジェイクはアントンを庇って説明する。

「ああ、彼は猿族なんですが、ちょっと髭が濃くてですね……」

「猿族?!その顔で猿族だって?!気持ち悪い!こんな不潔な男に私の銃は預けられないな!汚らわしい!髭ぐらい剃ったらどうだ!」

 紳士の素直な反応に、アントンは「またか……だから出て来たくなかったんだよな……」と、案の定とは思いつつも傷ついてしまう。アントンは慣れっこだが、ジェイクにとっては信じられない反応だ。我が事のような無礼に、怒髪天を突いた。

「何てこと言うんだあんた?!不潔だって?!ちょっと髭が濃いだけだろうが!毎日シャワーさせてやってるぞこっちは!ちょっとあんまりじゃないのかその言い草は?!」

「何だと?奇形の猿に任せる銃は無いといって何が悪い?」

「ジェイク、いいのです」

「よくねーよ!見た目でこいつの何が解るっていうんだ?!俺はこいつの腕に惚れ込んでこいつを雇ってんだ!こいつを尊敬している!うちの自慢の修理工の悪口言う奴はうちの客じゃねえや!帰りやがれ!」

 ジェイクはまくしたて、紳士の胸ぐらをつかんで玄関に追いやった。

「な、何て失敬な店主だ!私は客だぞ!代わりの修理工を出せと言っているんだ!」

「うちの修理工はこいつ一人だけだよ!失敬はどっちだ!おら、帰れ!」

 ジェイクは胸ぐらを掴んだままドアを開け、客を蹴り出して玄関のドアを閉め、施錠した。客はやんやと罵声を浴びせていたが、やがて諦めて帰って行った。

「アントン、悪かったな、お前を店に出しちまって。気にすんなよ、あんな奴は。俺はお前を尊敬しているぜ」

 アントンは唖然と一連の流れを見守っていたが、心の奥で何かがスパークした。未だかつて、こんなに必死に自分を庇ってくれた人はいなかった。そのうえ尊敬しているだなんて。

(ああ、この人に、地獄までついていこう)

 アントンには、ジェイクの笑顔が菩薩のように思えた。

「ジェイク……。ありがとう、ございます……!」

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