第1章 最後の日。あの想いを秘めて旅立つ。

第1話 アーカイブされる日々 episode1

ビ――ンビ――ン。

けたたましく鳴り響く原付スクーターの2ストロークエンジン。


「さびぃ!!」


原付スクーターとは言え、バイクを乗り回すには厳しい季節に突入した。

ようやく本日の早朝から始まったバイトから解放され、帰宅途中にある俺。


快調に音をたてぶんまわっていたエンジンの音が突如途切れだした。

プスプス。「おいおい、マジかよう」

もうちょっとだから何とかもってくれ!

プスン、プスン。ボツっ「えっ」

止まるなよぉ。頼むから動いてくれぇ。


スターターを何度か回したが、それ以来エンジン音は聞えなかった。

腕時計をちらっと見て「6時かぁ、おやっさんの所まだ開いているな」と呟く。

まったく、また戻んなきゃいけねぇなんてついてねぇな。


親しくさせてもらっているバイク屋まで、スクーターを押して歩いて行く。

およそ3キロほど先にあるのだが、意外とこのスクーターは重い。


躰は冷え切っているうえに、腹も減っている。

朝からフル稼働だったバイト。疲労感も半端ない。

そこにこんな状態になるとはとことん今日はついてねぇ。


ようやく『時田モータース』の看板が見えて来た。店の前に行くとすでに戸はがっちりと閉まっている。


「おいおい、嘘だろう。おやっさんよぉ、店閉めるにはまだ早い時間だぞぉ」

と、ぼやくが躰は店の裏手にある自宅の方に動いていた。

「ごめんくださぁい!」玄関先で大声で言う俺の声に反応するかの様に「はぁ―い」と声が帰って来る。


ほんわりと漂う香。たぶん煮物の香だろう。

すきっ腹にはこたえる香だ。


そこに片手にお玉を持ち、なぜかは分からないが、がぶがぶのワイシャツの上にエプロンを着た……て、いくら自分の家の中だと言っても、そんな恰好で出てくんじゃねぇ。


「あれぇ、郁美じゃん。どうしたの?」


まったく恥じらう気も見せない此奴は高校のクラスメイトでもある時田麻奈美ときたまなみ

お互い幼稚園の頃からの付き合いだ。ま、簡単に言ってしまえば幼馴染と言う仲だ。


家は少し離れているがお互い兄妹の様に育ってきたせいか、麻奈美のほとんど下着姿にエプロンと言う意味ありげな姿に動じることもなく。


「バイク壊れた」

「はぁ、そうなんだ。でも、お父さん今いないよ。商店街の会合で出て行っているんだよね」


「マジかぁ」


「それに多分今日はお酒飲んでくるから修理は出来ないと思うんだけど」

「はぁ―、何でこんなんだよ。今日は」

がっくりと肩を落として落胆する俺に「ま、あがりなよ」と麻奈美は俺に言う。

「腹減ってんでしょ。もしかしてバイトの帰りだった?」

「ああ、もうちょっとの所で突然止まりやがった」


「もぉ、いい加減あのスクーター限界超えちゃっていたんだよ。ま、タダで使っているんだから文句は言えないでしょ」

「そりゃな、文句なんて言わねぇよ。今は動いてくれればそれでいいんだから」


投げ台詞の様にいい流し、勝手知ったる他人? いや、他人じゃねぇな。むかしっから自分の家よりも、麻奈美のこの家の方が何となく落ち着く気がする。


「あったけぇ」炬燵こたつに入り、キッチンに向かう麻奈美の姿を目で追う。

動くたびにチラチラと見える下着。もといパンツ。


「今日は青か」

「えっ、なんか言った?」

「いやなんでもねぇ」


「もう少しで出来るから食べていきなよ」

「ありがてぇ、ごちになるわ」


言われなくても食っていく気満々だ。麻奈美は料理は上手い。性格は少々がさつなところはあるが、これと言って非を口にするところは俺的にはない。最も、お互い何かを意識。その何かとは思春期真っ盛りの男子が想像する恋愛じみた感情や、クラスメイトの女子に向けるエロイ妄想などは一向に湧いてこない。


むしろいて当たり前すぎるような存在だ。


中学の時までは平気で俺の前で裸になっても何も気にしない奴だ。高校に入ってからは少しはましになった感じはするが、現在俺が目にしている姿が此奴の俺に対してまったく何も感じていないというのがその気持ちの表れなんだろう。


「ほいよ。熱いから気を付けて食べて」

目の前にホクホクと煮あがった肉じゃがが置かれた。

十分温かい部屋の中でも煌々と器から湯気が立ち上っている。


炬燵に出来立ての肉じゃが。

朝から労働に勤しみ、冬の冷たい風をバイクで浴びた躰には堪えられない。


「今ご飯とお味噌汁持って行くからね」

「おお、ありがてぇ」

「でもよかったよ、郁美が来てくれて。お父さん今日会合あるのすっかり忘れててさ、慌てて出て行ったんだよ。おかげで肉じゃが余りそうだったから、助かちゃった」


ほふほふ、う、うめぇ。程よく味が染みた肉じゃが、躰にこの温かさが染みる。

そんな俺を見つめ麻奈美は「美味しい?」と一言言い微笑んだ。


その表情がとても懐かしい人を思い起こさせた。


俺も、麻奈美も母親はもうこの世にはいない。

俺の母親は、俺がもの後心付いたころにはすでにいなかった。その面影を感じることが出来るのは、和室の仏壇に飾られているフォトケースに入った一枚の写真だけだ。


親父と付き合っていた……結婚する前の姿らしい。

綺麗な人だ。俺にはその印象しかない。


麻奈美の母親。おばさんが亡くなって6年が経とうとしている。

そう言えば、今日はおばさんの命日だった。

月日がたてば悲しみも次第に薄れて行くんだろうな。命日なのに、麻奈美を一人残して会合と言う名目で酒を飲みに行くおやっさん。

こんな日くらいは一緒にいてやればいいのに。


思いにふけっていると、俺の対面に自分の分の肉じゃがとご飯味噌汁を用意し、炬燵に足を入れ、「いただきます」と手を合わせて箸でジャガイモをつまみ口にアムっと頬張った。


「う―――ん。上出来。ね、上手く出来たでしょ」

「ああ、ホントうめぇよ。おばさんの味にまた近づいたな」

「そうぉ? ホント? だとしたら嬉しいな」


ちいせぇ時はおかっぱ頭で髪も短くしてて、女の子と言うよりは男の子って言う感じにしか見えなかった麻奈美。

高校生になってから髪を伸ばし始めた。

伸びた髪がはらりと麻奈美の顔にかかる。



やっぱ似て来たな……。おばさんに。


俺にとっても母親みてぇな人だったから、思い入れも大きい。

飯食ったら、線香でもあげよう。


そんな感傷的な気持ちになってしまう。


俺がいた。

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