第二章 その十八 オープン前日

新屋敷と出会ったあの日から3年の月日が経った夏の日、美玲はベトナム料理店の横の階段を地下に降りていく。降りた先の扉には、『Cafe&Barドワーフ』と小さな看板が貼り付けてあった。


「そのまんまじゃん。」


自然と笑みがこぼれる。扉を開くと広めの店内のカウンターに懐かしい笑顔があった。


「お、来たな。いらっしゃいませ。・・・っつうかオープン明日っつったろ。」


「だから明日だと混むでしょ?」


カウンター席に座る。「やっとこの街に帰って来れた。」三年ぶりに歩く街並みよりも、新屋敷の顔を見た瞬間にそう思った。


「ここが裏カジノだったんだね。」


店内を見渡す。ここは数ヶ月前まで裏カジノがあった場所だった。そこにバーをオープンすると新屋敷からメールが来たのはつい先週の事だった。

あれからもたびたび新屋敷とはメールのやりとりは続けていたが、実際に会うのはこの街を離れてから初めてだ。と言っても人生においても今回が2回目なのだが何故か本当に会えた嬉しさに顔がほころんでしまう。本当に本当に変わらない笑顔だ。


「しっかし新屋敷さんは全然変わんないんだね。」


「マスターと呼べマスターと。」と笑いながら新屋敷は届いたばかりと思われるグラスを並べる作業を続けている。


「美玲は随分変わったな。・・・あ今じゃ美玲はまずいのか。」


新屋敷は嫌らしくない程度の目で美玲を見る。白のタイトなシャツにレザーのホットパンツ。漆黒のボブにダークカラーを基調とした鋭い印象のメイク。

そして何よりも、その長い手脚にくまなく彫られた『タトゥー』。


「今は、『彫露』でいいのかい?」


呆れたような笑顔で新屋敷は今の美玲の名を呼んだ。


「まさかタトゥーの女を探す為に、手前が彫り師になっちまうとはなぁ。ひゃっはっはっ!」


そう、妹の事件の唯一の手掛かりは監視カメラに映っていた『タトゥーの女』。その手掛かりと情報を得るべく美玲は散々考え、調べ、自ら彫り師になる道を選んでいた。


「ツユって呼んで。墨入れた人はまた彫りたくなるってのあるあるだからね。蛇の道は蛇って言うしさ。新屋敷マスターさんだってこんな所に店出して。」


麗華の事件の唯一の手掛かりと思われるタトゥーの女。その謎の女が映っていた監視カメラがあった場所がこのCafe&Barドワーフのある建物だった。新屋敷からこの場所に店を出すと連絡が来た時、美玲にはその気持ちが一瞬で伝わった。それが美玲にとってどんなに嬉しかった事か。身内でも無い彼が、会った事も無い他人の事件を忘れないでいてくれる。忘れていないどころか、こうして今も追い続けている。

それは世間的に見れば狂気にも映るだろう。その自分の尺度で徹底的に悪を叩き潰す彼の存在自体も一般常識の観点からすればむしろ恐怖の対象でしかない。


『凶悪なる正義感』。


しかし美玲はその行き過ぎた正義感に救われた。奮い立たせてもらった。あれから1000日を超える日々を、妹を地獄に追いやった犯人を追い求める作業にだけに没頭する決心を与えてもらった。新屋敷に対する美玲の想いは、実にシンプルに、かつ強大な尊敬と感謝だった。


「まー、あれからも何回か調査報告メールでしたけどさ、やっぱあのカメラの映像くらいしかアテが無ぇんだわ。もうここに居座るしかねぇかなってな。ひゃっはっはっ!!」


そう高笑いする新屋敷の姿はその身長に反比例して巨大な守護神に見える。「帰ってきて良かった。」と美玲改め彫露は心から思った。


「じゃあ本格的に操作開始ね!アタシも来週から『お向かいさん』だから♪」


彫露は「は?」と目を丸くする新屋敷を見ながら爆笑する。


「向かいのビルにスタジオ借りたの、アタシもそこで彫師やるから。来週から勝手にココの常連になるから覚悟しといて!」

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