あの日、爺ちゃんが鬼をブン殴った。

梅蟹 誠

第一章 その一 ハナイチ

吐きそうだ。


午後6時22分。アパートの一室、起床後10本目のタバコをもみ消しながら男はそう思った。

男の視線の先には玄関扉。もうすぐにでもこの扉を開けて出勤しなければならない。


「あー、気持ち悪ぃ。」


そう言って男は11本目のタバコに火を点ける。

吸い殻で山となっている灰皿、ジャックダニエルの空き瓶、その周りに散乱するおびただしい数のクレープの包み紙。

テーブルの上には男の吐き気の理由が全て揃っていた。


「・・・何で毎日こんなに気持ち悪ぃんだよ。」


その理由を理解出来ていないのは本人だけのようだ。多分バカなんだろう。


男の名は鳴神花一。バーテンダーだ。

しかしカクテルの一つも作れなければ、カクテルの名前すら憶えようとしない。勤め先のバーに出勤しても、カウンターの中でただタバコを吸って勤務時間を終える。

帰りがけに何故か早朝までやっているクレープ屋台で苺クレープを20個買い、気絶するように眠るまでウィスキーとクレープを交互に口に運ぶ。

そして夕暮れ時に目が覚め、また勤務先に向かう。そんな毎日を3年続けている。ちなみに出勤時刻は午後5時、この時点で1時間以上遅刻している。


「仕事、行こうかなぁ。」


彼は毎日この台詞を言う。行くのが当たり前なんだ、結局行くんだから。無駄な独り言を言うな。


「うるせぇな。」


いつも通りの悪態をつき、やっと玄関に向かう。

扉を開けるとそこには首吊り死体。

ぶら下がりながらもこちらを睨みつけるそれをサンドバッグのように殴りつけ、鳴神はやっと職場に向かった。


あ、申し遅れました。私は鳴神に憑いております坂田と申します。世間的には怨霊と呼ばれる類でございますが、彼の物語の説明役を務めさせていただきます。

この首吊り死体は地縛霊。お察しの通りこちらは『事故物件アパート』でございます。


では、はじまりはじまり。

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