紺色の波

むーるとん

第01話 夏の扉を開けて

梅雨明けのニュースが芸能人の結婚と政権に対するコラムの間に挟まる形で書かれており、いよいよ長雨のトンネルにも終わりが見えそうだ。季節のグラデーションが消えていく。袖を通す洋服は半袖が主役を張り、蜃気楼が街の外れで静かに踊る。


部屋に閉じ籠る重い空気を入れ替えるために、窓を開けた。本格的な夏の到来はもう少し先のようで、夜風にも心地よさがある。今のうちに味わっておかなければ、さっき部屋に居座っていた重い空気が夜の帳を包んでしまう。10度台の夜風が、静かに部屋へと駆け込んだ。


しばらくして部屋が軽くなったところで、窓は開けたままシャワーを浴びることにした。しかし恵まれた時代の中を生きているもので、その日の汗を十分に流せる時間を作れることに、夏は特に有り難みを感じる。心身のリフレッシュは我々には重要な時間となる。


どこも同じバラエティかニュース番組を垂れ流す最近のテレビには興味もなく、薄型テレビはストリーミングサービスの動画を淡々と流していく。部屋にいながらでも面白いと思える時間が過ごせるのなら、一人も良いもので。椅子にもたれて、随分と緩やかに世界が回る。


カーテンがわずかに揺れて何気なく外へ視線を向けたが、特に変わったこともない。8階の部屋から見下ろすと歩いていく人々。控えめに浮かぶ三日月の下では、光を放ち続け対極の雰囲気を包む街。彼らの足は、そんな煌々とした空間に向かっていく。


三日月が見えるとはいえ西の深くにはまだ夕陽の名残があり、橙色から紺色へと彩る自然のアートには感動する。晴れた日の夕方にはこんな色彩が見えるはずなのだが、気づけばスマートフォンの画面から流れる字面に視線を移し幾度となく見逃している。


アロマディフューザーとピアノが重なり、香りの柔らかさと音色の繊細さが手を繋いだと思えば、気が済むまで部屋の中を巡り続ける。どうやら玄関を前にして踵を返し、外には出ることはないようで。安らぎに奥行きが生まれ、それは深化を続けていく。


丸い置き時計が夜の9時をさす頃、手を繋いだ香りと音色が夢の中へ誘っていたようで、すっかり記憶が消えていた。確かに私の瞳には見慣れない景色が映っていたが、それらは夢うつつに眺めたものであり私の記憶の断片を材料に作り上げた想像の世界であった。


次の目覚めは3時間を過ぎた12時15分。日付を跨ぎながら曖昧な時を彷徨っていたようで、それもまた趣ある時間であった。腰を上げて開けたままの窓の向こう側を眺めてみれば、三日月は透き通ったまま水平線に近づきつつあった。空は星の瞬きを続けている。

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