第13話 星暦549年 萌葱の月 5日 深夜~学院長と朝食
痕跡と言うものは、後から振り返れば簡単に見分けがつく事が多い。
だが、手さぐりに探している時は何百もあるような他の痕跡と混ざり合っていて本当に手に負えない。
◆◆◆
下町の夜は、早いか遅いかの極端に分かれる。
職人や普通の店に勤める層が住む住宅街では、1日働いて疲れ果てた住民は翌日へ備える為に日が落ちると共に眠りに就く。
夜の蝶や酒場の人々が働き、住む地域では反対に朝まで人通りが絶えることがない。
その代わり日が上がってからは静かなものだが。
長が案内にとつけてくれた『青』と一緒に、まず住民が眠りに就いた地域へと足を運んだ。
ちなみに、
彼らは個人ではなく長の目や手足であることを示す為に、個人名では無く適当な色で呼ばれる。
解放奴隷なのか、長の家族なのか・・・。
前身が何なのかは知らないが、これらの色たちは長に忠実で無私に行動する部下であるのは確かだ。
一体どうやってそんな手下を集めるんだろう?
ノウハウを売ったら物凄く儲かりそうだ。
まあ、それはともかく。
最初に見に行った現場の死体は住宅地の角に無造作に捨てられていたらしい。
下町としては比較的広い道に面しているから、馬車で死体を運んで来て投げ捨てたのだろう。
「ちょっとあそこまで下がってくれる?」
青の生命エネルギーが邪魔にならないように離れてもらい、瞼を閉じて
個人のエネルギーと言うのは人それぞれに違う。
個性や健康状態などに左右されるし、殺された場合などは生前のオーラを凌駕するようなショックや怒り、憎しみといった色が付くことも多い。
・・・普通の殺人の跡は見たことはあるが禁呪は未経験だからイマイチ何を探せばいいのか分からないが。
とりあえず、何かの場合には青が一瞬は守ってくれるだろうと思うことにして全ての外部情報を遮断して死体が見つかったと言う場所とその周りだけに集中する。
日中はそれなりに人通りのある場所だ。
しかも死体が見つかってからもう5日もたっている。
まるで落書きの上に落書きが重ねられて、何が書いてあるのか分からなくなってしまった汚い壁のようだ。
普通の痕跡は無視して、異常なモノが無いか探す。
・・・あれは?
単に昔の殺人の痕跡なのかもしれないが、極々微かに嫌な感じの痕跡があった。
強いて言うなら、血の赤が絶望に褪せて更に邪悪に染まったような・・・。
気のせいかもしれないぐらいに薄っすらとした痕跡。
俺らしくも無く詩的な表現が思い浮かぶぐらい、ごく微量しか残っていないのに今まで見た事がない位に嫌な感じが滲み出ている。
何とかしてその後を追おうと馬車が通ったであろう道に眼を凝らしたが、薄過ぎてどうしても見えない。
直近の現場にもっと跡が残っているといいのだが。
「次の場所へ行こう」
青に声をかけて次の現場へ急いだ。
次の現場は最初に死体が遺棄された場所だと言われた。
日数がたっている分痕跡が褪せていたが、人通りが少ない場所だったお陰か薄っすらと先ほどの嫌な痕跡と似たものが残っているのが視えた。
こちらは細い路地を少し入ったところだった。
余程の怪力の主でもない限り、道に停めた馬車から死体が見つかった場所まで直接死体を投げ捨てるのは不可能だろう。
となれば誰か関係者が死体を持って歩いたはず。
そこを歩いた人間の痕跡のうちどれが事件の関係者なのかは知るすべもなかったが、とりあえず同じ時期ぐらいと思われる痕跡の色は全部心に刻み込んだ。
3番目の現場は井戸脇で、住民が寝静まれば静かな場所だが日中の人通りが多すぎて何も見つけられなかった。
「残り2つの現場は夜の町にある。明日の朝に周ろう」
青が声をかけてきた。
「分かった。学院の方にもちょっと2、3日どうしても出なければいけないと連絡をしておく必要があるし。8の鐘にカナパラ神殿の裏で会うということでどうだろう?」
頷いて何も言わずに青が消えた。
あいつも気配消すのがうまいよなぁ・・・。泥棒か暗殺者として成功しそうだけど、どちらか(もしくは両方)を長の為にやっているのだろうか?
青と別れた後に、学院に戻る。
一応学院長にでも言っておくか。
無断欠席で退学になってしまっては困る。
あの学院長ならこのような事件に役に立つようなアドバイスをくれる可能性もあるし・・・最悪の場合はそれなりに社会的地位にある人間がこの禁呪のことを知っておく方がいい。
◆◆◆
俺の前職を知っているとはいえ、学院長の家に早朝忍び込むのは不味いだろう。
本当は中に忍び込んで屋根裏ででもしばし仮眠を取りたいところだったが、お年寄りだけあって学院長の朝は早いようだ。どちらにせよ8の鐘までにカナパラ神殿まで行かなければならないから、ノンビリ眠っている暇は無い。
しょうがないので学院長の館の庭に周り、食卓からちょうど見える辺りにある木に寄りかかって寝ることにした。
昔は昼夜が逆転した生活を送っていたのだが、早寝早起きの生活をするようになってきた今日この頃では夜更かしが大分堪える。
夜明け前の静寂な空気に包まれながら、いつの間にか睡魔の泉に沈んでいたようだ。
「ウィル?何をしている?」
学院長の声に起こされた。
意外と気持ちよく眠れた。まだそれほど寒くないのが良かったのかもしれない。
「学院長。早朝からすいません。少しお時間をいただきたいのですが」
「こんなところで寝ているんだ、そりゃそうだろうな。
入りなさい。私もまだ朝食を食べていないんだ」
館へ戻りながら付いて来るように学院長が身ぶりで示した。
・・・確かに腹が減った。
幸い、学院長は俺の分の朝食も出すように使用人に指示してくれたので、食べながら簡単に説明することにした。
「下町の知り合いから、どうも禁呪による連続殺人が起きているようなので犯人を見つけるのを手伝えないかと頼まれたんです」
「禁呪??下町でか?」
お茶を淹れながら学院長が聞き返す。
この人、お茶が好きだよなぁ。最初に会った時も何よりも最初に朝はお茶って感じだったし。
「下町だからでしょう。少なくとも、死体遺棄は。
猟奇殺人の被害者のような遺体が複数見つかっても、保安部にかかる犯人発見の圧力は大分緩いですから」
「嫌な話だが現実的というところか・・・。」
俺の前に出してくれたパンを一口貰ってから続ける。
「下町は死体に慣れています。そんな慣れた人間が見ても異常と思われる死体が既に5体発見されています。保安部も連続殺人として3人目から死体の保全を始めたそうです」
「なるほどね。で、お前は?」
折角なので極上のベーコンを一切れ口に放り込む。
「まだ死体遺棄の現場3か所しか回っていませんから確実なことは何とも言えませんが・・・。人通りが少ない2か所には見たことがない嫌な感じのエネルギーの残滓というか、痕跡がありました。ただの殺人ではないと思います」
ため息をつきながら学院長はベーコンを皿に取るのを諦め、代わりにパンを手に取った。
「食欲の失せるような話だな・・・。もしも本当に禁呪であることが分かったら、こちらに来なさい。絶対に自分で対処しようとするな。
禁呪は死罪だ。例え被害者が孤児だろうが娼婦だろうが、術者が貴族だろうが大魔術師だろうが、死刑は免れない。
だから無理にお前やお前の知人で始末をつけようとするな」
今度は卵をお皿にとりながら頷いた。
「分かりました。必ず死刑だというのなら、確証を持てたらこちらに来ます」
「確証でなくてもいい。それなりに怪しいと思ったら来るんだ」学院長が強い調子で修正した。
「禁呪は被害者の生命エネルギーを使って術を成すんだ。魔力がある人間が捕まって術の糧にされたら、被害が想像を超える規模になる可能性がある」
なるほど。
魔術師の卵なんて、禁呪の糧には最適なのか。
魔術学院の生徒が行方不明になったら大騒ぎになるから今まで狙ってこなかったのだろうが、近くまで勝手に調べに来た魔術師の卵は口封じも兼ねて確実に禁呪に使われそうだな。
「了解です。まだ死体から禁呪の現場までの痕跡は拾えていないので、『怪しい』術者を見かけるどころか場所の大雑把な特定すら出来ていませんが、目処がつき次第こちらに来ます」
お茶のお代わりを注ぎながら学院長が頷いた。
「『魔術を使った殺人が行われているかもしれない』と言う情報に基づいて調査を行っているということで保安部に情報提供を求める書状を書こう。クラスの方はとりあえず数日なら休んでも問題が起きないよう、話をつけておく。
数日調べても何も見つけられなかった場合は、例え下町を良く知っていても一人ではどうしようもないということでこちらから人を出す」
流石、学院長。中々的を射た対応で助かる。
伊達に年を取っていないねぇ。
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