トカゲコトカゲコ

在都夢

蜥蜴子と陰子

 黒井はわたしの幼馴染なんだよね。幼馴染だからいつも一緒にいるしよみうりランドなんか二十回くらい行ってるし、服買いに行く時は黒井に見てもらうし、あきあきするくらい遊んでるんだけど楽しい。でも黒井は蜥蜴とかげだから笑わないし泣いたところも見たことない。それどころか感情もないというのが世間の通説らしい。

 嘘ばっかり。

 さっきだってカラオケ二人で5時間くらいやった帰りだけど、黒井は一つも嫌そうな顔しないで(というか無表情で)歩いていて「楽しかったね!」とわたしが言うと「うん」と言う。

「ほんとね。またいこーね」

「うん、いくわ」

 黒井はスマホいじりながら歩いていて、本当に聞いてるのかなーってスマホ覗きこむと「脱皮終わる 時期」とかググっていて、ああもう蜥蜴なんだからと思う。ガバッと開いたシャツから見える鎖骨付近の鱗も白っぽくなっていて痒そう。

「いついく? 16? 17?」

「ん、そっち決めて。あたしどっちでもいーや」黒井はスマホを見ながら言う。

「……そっかじゃあ17で」

「うーん」

 と黒井が了承したのできっちり17日にまたカラオケに行って楽しく歌って、その一週間後にアベンジャーズの新作をやるから一緒に観に行って、期末試験も近づいてきたから家でお勉強会を開く。黒井は見た目ギャルっぽいのに意外と頭良くて成績で勝てたことないんだよね。これには才能の差を感じざるをえないんだけど、まああんまり悔しくなくて、むしろ宿題教えてもらえるからラッキー! って感じで、お勉強会もわたしのためのものになっている。あ、もちろん黒井はお菓子でもてなしています。当然です。

 そんな風に連日お勉強会を続けていると妹がわたしに言ってくる。

「もう黒井さんに頼るのやめなよ」

 へ、となったわたしに妹は続ける。

「何でもかんでも黒井さんとしようとすんのやめなよ。迷惑でしょ。てか騒がれんのうざいし」

「は? うざくないよ。何でもかんでももしてないし。勝手に決めつけないでよ」

 中学生になった妹はたいそう反抗期だ。反抗期なのでわたしは寛大な気持ちで暴言的なあれこれを許せる……わけがない。

「黒井とわたしは別にいいの! そういうものなの!」

「うざ。コミュ症が」と妹は言う。

「黒井は幼馴染だもん」とわたしは言う。

 妹は舌打ちをし、わたしの横を通り過ぎていく際に「黒井さんはそう思ってるか知らないけどね」

「うっさい!」

 と怒鳴っても妹はすでに自室に戻っていて消化不良も甚だしい。

 妹が言っていることはただの挑発だ。だって黒井がうちの隣に引っ越してきたのはわたしが小3の時で、そっから高校生まで喧嘩の一つもないし、そもそも遊びに誘いまくっても断られないし(よみうりランド二十回)。

 黒井はわたしの幼馴染で親友だ。

 親友だ。 

 まあ心配なわけではないけど、わたしは学校で黒井に訊いてみる。

「黒井さ、わたしと一緒にいて楽しい?」

 わたしの机にお尻を乗っけながらスマホを見ていた黒井は、体を捻り、肩越しにわたしを見つめた。キュキュキュと縦長の瞳孔が拡大と収縮を繰り返して、

「楽しいけど」

「……あ、えーと」

「どしたん?」

 黒井が首をかしげると金に染めた髪がシュッと胸の前に垂れる。

「あ、別になんでもないけどね。ちょっと訊いてみたかっただけで。いや、ほら、そのあれで」

「ふーん」

「あ、そうだ。期末終わったら黒井ん行っていい?」

「いーけど」と言う黒井は相変わらず無表情。

「あ、よかったぁ! 最近妹マジうざくて顔合わせたくないから」

「喧嘩したの?」

「いやいや全然! 喧嘩にもなんないよ」

「ふーんそう」

 黒井は体を元に戻して視線をスマホに移す。するとわたしは反射的に言っている。

「やっぱやめよっか」

 黒井が顔を上げる。

「なに? やめんの?」

「あ! えっと……あはは、うそうそうそ! いきます! いきます! わたし、黒井の妹ちゃんたち好きだし、久しぶりに会いたいしねーあはは……」

 とわたしが言っている間にも黒井はじっとわたしを見つめるだけで顔色一つ変えない。そのうちにわたしは「あはは……ちょっとトイレ……」と言いながら教室から出て行く。

 ちょっとやらかしたかもしれない……と思って気分が落ち込むけど大丈夫だ。黒井はこれくらいではなんとも思わない。少し経ってから戻っても黒井は「おー、間に合った?」と言うからわたしは「漏らすとこだったあはは」と言える。ほら大丈夫。

 大丈夫なわたしは期末が終わってから、お菓子持って黒井んのピンポンを押す。

 すぐに黒井の声がする。

「入ってー」

 ドアを開けて靴を脱ぎ、きっちり揃えて洗面所で手を洗って(手洗い大事)から居間に向かうと、でっかいソファに黒井そっくりな顔をした女の子たちがくっついて寝転がっている。女の子たちは全員黒井の妹で、五つ子ちゃんだ。まるでワニが群れで日向ぼっこしてるみたいにくつろいでいて、お互いの体に足やら腕やらを乗っけてみんなぼんやりしている。

「お邪魔します」

 と言うと妹ちゃんたちはたった今気づいたみたいにパチパチまばたきして、「こんちわ」「こんちわ」「こんちわ」「こんちわ」「こんちわ」

「あはは、こんにちわ。今日も可愛いね」

「ありがと」「ありがと」「ありがと」「ありがと」「ありがと」

「おー、来た」

 波紋みたいに広がっていく妹ちゃんたちの声に別のものが混ざる。黒井だ。クイッと顎をしゃくって階段を上がっていく。私もついていく。階段の壁には黒井の家族写真とかが飾られていて、お父さんもお母さんも蜥蜴とかげだから鱗があるのに表情がないし、佇まいが柳みたいで、どこの妖怪一家だよと思う。

「お父さん何歳だっけ?」

「37」

「お母さんは?」

「37。てか前言ったじゃん」

「あ……そうだった」

「記憶喪失か」

 と言って黒井は扉を開ける。

 黒井の部屋は漫画が本棚にぎっしり詰まっていて、勉強机には何も置かれていない。黒井はそこからパッと適当な感じで一冊とってカーペットの上に腰を下ろす。わたしはというと、もう何十回も読んだワンピース1巻をとってページを開くけど、全然集中できない。すぐに戻して別の漫画を読もうと、目線を散らしても、全部読んだことある。ブリーチもナルトもトリコもサイレンもジョジョもハンターハンターもネウロもガンツもヘルシングもシャーマンキングも無限の住人もフェアリーテールも進撃の巨人も空灰もそれ町も荒川アンダーザブリッジも全部読んだことある。

 わたしはシャーマンキングを閉じて棚の中から代わりの漫画を見繕う、ふりをして上から黒井を見る。黒井は漫画を傍に置いてクラスの子とラインしてる。親指をしゅっしゅと動かして熱心に返信している。

 黒井。

 わたしの幼馴染はわたしだけの幼馴染じゃない。黒井は友達が沢山いる。新しい環境に行くたびに新しい友達を作る。簡単に作ってしまう。中学でも高校でもそう。でもわたしには黒井しかいない。わたしは黒井みたいに簡単に友達を作ることができない……それはいいけど、いいんだけど、黒井にはわたし以外の友達がいてほしくない。もちろんこんなこと言ったら絶対引かれるから言いたくないけど、言えるものなら言ってしまいたい。

 黒井。

 黒井はわたしの前にいない時は笑うんだろうか? もし笑ったとしたらどんな顔で? 

 トンと音がすると黒井がスマホ持ったまま顔を上げるのが見えた。視線の先を追うとそれはわたしの足元に伸びていて、足と足の間にいつの間にかシャーマンキングが落ちている。

 あれ?

 わたし落とした?

 慌てて拾い上げると着地の仕方がまずかったみたいで背表紙が折れてしまっている。

「あっごめん……」

「いいよ別に」

 黒井はわたしからシャーマンキングを受け取ると、折れ曲がった背表紙を下にして机に置いた。わたしは黙って見ていることしかできない。別にってなんだろう? 怒っているんだろうか? 黒井が?

「あっ黒井……新しいの買うから」

「いいよ別に」

「ごめんねシャーマンキング……」

「いいよ。どうせもうあんま読まないし」黒井の声音は全然変わらない。

「でも……」と言うと黒井は自分の目を指差して「何? 泣いてんの? だから気にしなくていいって」と言う。

 あ……。

「気にするなって無理あるよ……黒井漫画好きでしょ……」

「漫画って読めればいいから、ちょっと折れたくらいなんでもないって」

「でもマンキン全巻揃えてるじゃん……」

「まーあるけど」

「ほら」

 わたしは袖で顔を拭く。

「黒井怒ってる?」

「怒ってないよ」

「……ほんとに怒ってないの? なんで?」

「怒ってないって」

 と黒井はカーペットに寝そべる。

「……」

「ほら、カルピスでも飲めよ」

「……いらない。帰るから」

「来たばっかなのに?」

 わたしは返事をしないで部屋の片隅に置いてた自分の荷物を持って、バタン! とわざと大きな音が鳴るように扉を開けた。

「怒れよバカ!」

 と言ってわたしは振り返らないで一階に降りて妹ちゃんたちの「帰るの?」を背中に受けながら自分んに帰る。

 妹には「え? 黒井さんとこ行ってたんじゃないの? 忘れ物?」とか言われるけど返事なんてしない。

 翌日の学校でも黒井に話しかけない。黒井もわたしの方を一回ちらりと見ただけで他の友達と喋る。

 怒ってるかな。怒ってるんだろうな。でもどうせそんなのはわたしの願望で怒ってもないんだろうな。というかわたしは黒井を必要としていたけど黒井の方はわたしのことなんて全然必要じゃないだろうし、わたしと喋ってもつまらないだろうし、そもそも悪いのはわたしだし。だけどそのはずなのに、黒井の変化が何もないことが気に食わない。わたしが黒井と喋れなくて寂しいのに黒井はそんなそぶりも見せない。黒井にはわたしが寂しがってるのと同じくらい寂しがって欲しいのにそうなってくれない。そんなわけだからわたしは学校にいる時間のほとんどを机に突っ伏して過ごす。

 わたしと喋る人なんて黒井以外いなかったから、まるで幽霊みたいに存在感が薄くなって、そのまま喋らないでいると終業式が来て夏休みに入る。夏休みでもわたしはどこにもいかず、何もせず、ずっと家でゴロゴロしている。

 妹はそんなわたしに言う。

「どうせ黒井さんに悪いことしたんでしょ? お姉ちゃん。うじうじうじうじうざいから、さっさと謝って許してくださいって言ってきなよマジで」

 妹はしかめっ面でわたしを見下ろす。ずいぶん前から機嫌が悪くて諸々の動作が荒くて、わたしに怒っているのは明白だった。

 悪いのはわたしだ。絶対的に悪い。そのはずなのにわたしは「嫌だ! 絶対しない!」と言って妹に蹴られる。

「どうしようもなさすぎでしょ、ほんと。もう知らないから」

 妹は呆れた様子でわたしと口を利かなくなる。

 わたしは意地を張っているのだろうか。

 黒井に喧嘩なんて、成立するはずがないのに。だって黒井は怒らせるようなことしても絶対怒んないし、一緒に楽しいことしても楽しんでくれないのに。

 ——幼馴染だからそんなこと知っていたはずなのに。

 でも幼馴染ではあったとしても友達なんかじゃなかったかもしれない。黒井はわたしのことなんてどうでもよかったのかもしれない。まるでほんとの爬虫類みたいにわたしのことを、ただそこにいるだけの、ただ自分にくっついてきているだけの存在として認識していたのかもしれない。だから今まで黒井と過ごしてきたすべては無意味だった……。

 そんなの嫌だ。認めたくない。わたしは黒井と友達でいたい。

 でもどうしよう。

 どうしたらいいんだろう。

 ぽろぽろ涙が出てくる。止めようと思っても止まらず、どうにもしがたくなってわたしは一週間ぶりに外に出る。

 蒸し暑すぎて一気に汗が噴き出す。

 少し家の周りを歩くと、それだけで歩くのが面倒になって道を引き返す。ひび割れたアスファルトを見ながら義務的に足を動かしていると、自分の家を通り過ぎて、黒井の家の前に立っている。

 戻んなきゃと思っても足が動かない。窓から人影が動いているのが見える。黒井か妹ちゃんたちかわからないけど早く離れなきゃ、そうしなきゃ鉢合わせになる。

 動け!

 念じるとようやく足が動くようになる。よかった。黒井と会うとかできない。無理に決まってる。そうして勢いよく後ろを向くと黒井がいる。

「人んの前で何やってんの?」

「あ、あええっと……」

 パニクっているわたしに「ん」とだけ黒井は言う。

 その顔は全く怒っていなくて、ほんとにいつもの、いつもの黒井の顔で、だから、それを見たせいでわたしはこんなことを口走っている。

「友達やめないで——っ! お願い! お願い! お願い! 私黒井と友達でいたいよ……お願いします……やめないでください……」

 言っちゃった。

 妹の言う通りだ。わたしってどうしようもない。結局出てきた言葉が謝罪じゃなくて懇願とかどうなのそれ? ほんとどうしようもなさすぎる。

 わたしは黒井が口を開くのを待つ。心臓止まっちゃいそう。

「ごめ——」

「キモ。メンヘラじゃん」

 さーっと全身から力が抜けるのがわかった。

 あ、やっぱそうなっちゃうじゃん。あーあ、外なんて出なきゃよかったこれから友達完璧にいなくなるけどどうしようと思っていると黒井が言う。

「だからそんな深刻になんなくていいって」

「え……」すでに涙でぐしょぐしょになりながらわたしは言う。

「別にこの前のことなんて謝んなくてもいいレベルじゃん。いちいち謝んなくたって許すけど」

「え……でも、じゃあなんで話してくんなかったの?」

「だって話しかけられなかったし」

「え、そんだけ?」

「だってあたしから無理に話したらややこしくなるじゃん」

「え……ややこしくなんないよ……」

「なる。絶対なる」

「なんない」

「なる」

「なんない!」

「すでにややこしいじゃん」

 と黒井が言うと膝から崩れ落ちちゃう。黒井はそんなわたしに両膝を落として目線を合わせてくれる。

「お前って元々こんな感じのめんどくさいやつだから、今さら絶交とかしないから。何年お前の幼馴染やってると思ってんの?」

「あ……そうなの?」

「そうそう。あとお前、いちいちあたしの機嫌伺いすぎ。そういうのわかるから」

 ズガーンと雷が落ちたみたいな衝撃が来た。わかるってマジで? それっていつ頃? 結構前からってこと? わたしは自分の言動のあれとかこれとか色々思い出してしまってぐるぐる頭ん中が回ってもう自分がいたたまれない。うわわわあぁぁ……。

「まあお前、気にしすぎで考えすぎなんだよ。心配しなくても見捨てないって、多分」

 と黒井は言う。笑いもしないし怒りもしないけど黒井が天使みたいに見える。蜥蜴とかげなのに。脱皮とかしちゃうのに。

「黒井〜」と泣きながら抱きついてみても黒井はそのまま受け入れてポンポンやってくれる。でもやっぱり心配になってわたしは、

「見捨てない!? ほんとに!?」

「見捨てないって言ってんでしょ。マジヘラってんな」

 そうだね、それには同意しかない。でも二度目のメンヘラ呼びにはなんかよくわからないけど嬉しくなる。

 それから黒井に起こしてもらうと、窓から妹ちゃんたちがずらりと並んでいるのが見える。妹ちゃんたちはそれぞれ首を傾げたり、拍手してたり、前のめりになってたり、鼻頭をガラスにくっつけてたり、別の妹ちゃんの頭に自分の顎を乗っけてたりしながらわたしたちをガン見している。

 そんな妹ちゃんたちの姿が可愛くて、また黒井に抱きつくと黒井から「うっぜ」と言われるけどそれも嬉しい。感情があるとかないとか黒井にまたくっつけるのと比べれば大したことじゃないのだ。

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