一章 私はミコ様

1-1

 夢を観ているのだと思った。

 私は、寝ていたはずなのだ。


 試験勉強の合間、漫画を読んでいたところまでしか記憶にない。寝落ちして夢を観ているのに違いない。

 どこまでも広がる草原と、青い空。青と書くより、蒼と表現したい。遠くに霞んで観える山なみ。草の匂いまである。甘くて、しっとりしてる。今までに嗅いだこともないような匂いだったけど、私は瞬時に「空気の匂いだ」と分かっていた。

 分かる。身体が覚えている。

 柔らかい土に裸足が触れている、この感触。

 風に髪がなびく感覚。私、小学校の頃から、ずうっとショートカットなのに。髪を伸ばしてみたい願望が、夢に反映されたとか?

 思いながら、頭に手をやってみる。思い通りに手が動く。自分の意思で動けるようだ。頭がゴワゴワしてる。汗まみれになったのにシャワー浴びれなくて、夜まで放置した時みたい。シャンプーのCMみたいな、なめらかな指通りがない。


 自分の格好も、見下ろしてみたら小汚くて酷い。薄茶色の、これまたゴワゴワの布を巻きつけたような服。足下もスースーする。ってかパンツ履いてないし!

 汗まみれ、泥まみれだ。

 なんなのこれ、どんな世界設定よ?

 見えてる手足は人間のそれだけど、周りに人もいないから、もしファンタジーですってなったら、私エルフとかかも知れない。ドワーフではないと思いたい。腰まで長い黒髪のドワーフって嫌だわ。自分の顔を触っても、目鼻口は定位置にあるな、ぐらいしか分からない。

 などと考えていたら。


「いたぞ!」


 ものすごく遠くから、声が聞こえた。

 何キロ離れてる? ってぐらい遠いのに、その声も姿も、はっきり捉えられる。山すそから声がした。数人が、何らかの動物に乗っている。馬? ダカダカと走る音も聴こえてきて、地面にその響きが伝わってくる。足の裏で、それが感じられる。

 こっちに向かっている。

 明らかに、私に向かっている。

 私は本能的に、きびすを返していた。


 とはいえ相手は馬らしき乗り物に乗っていて、私は裸足だ。柔らかい土だなとは思ったけど、草は生えてるし石もゴロゴロしてるし何か根っことかあるし、しかも極めつけに、自分が疲れている!

 走り出してみて分かった。

 私のこの身体、喉は乾いてるしお腹が減ってるし、走ってきたらしく足が痛いし、へとへとだ。だから、ぼ〜っと立ってたんじゃないのか?

 ってかストーリーが、どこから、どうつながっているのだか分からない。

 私が現れたところから始まってない。その前があった。この身体の子がが、あったのだ。

 そして追われている。

 どうして?

 私が犯人なんだろうか。

 それとも追ってきてる、あの人たちが悪人?

 どちらにしろ……捕まる寸前だ。


「みこさま! おもどりください!」


 背後に迫ってきた男が叫ぶ。


 お戻り下さい?


 みこさま? ……巫女様?


 御子? 皇女? 美子? ……神子?


「いやよ!」


 私が叫んだ。私の中の誰かが、この身体で叫んだのだ。途端に感じていた五感のすべてが、自分から遠くなった。身体の中に閉じ込められ、それを別世界から俯瞰しているような、おかしな感覚だ。

 でも、この方が夢を観ている感じに近い。きっと目覚める直前なのだろう。


「私はクニに縛られない! 自由に生きるの!」

「ミコ様……!」


 拒絶しているのに、どこか甘えているような、親しい感覚がある。男たちは口々にミコ様ミコ様と叫んでいる。知り合いなのだ。それも、かなり近しい。

 ミコ様なる、この身体が「来ないで」と悲痛に叫んで、走り出す。先ほどまで感じていた痛みや匂いが、すべて遠くなっている。

 と思っていたら、視界までもが暗くなってきた。

 足が、カクンと折れた。ようだった。

 ジワジワと目尻から侵食されていく、闇。

 うわ、これ知ってる。貧血で気絶する寸前のヤツだ。周りの声も遠くなっていく。


 机で寝たりするからだ。ろくな夢じゃなかったわ。

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