第31話 元婚約者の独白2
俺が黙ったままうつむいていたら、母が別の方向から口をはさんできた。
「いえ、あの、店はディアちゃんじゃないと分からないこともありますし……そちら様も家業がございますからお手伝い頂くわけにはまいりません。こちらの店のことはやはりお嫁さんになっていただくレーラさんにやっていただくしか……」
「そのレーラは今妊娠中ですし、生まれてからも赤子の世話で精一杯でしょう。我々は家族になるわけですし、ご遠慮なさらないでください。なあに、妻もおりますから、交代でならそれほど負担にはなりませんよ」
「いえ、でも……あの、やっぱり、仕事でディアちゃんが担当していたところは……そちら様には無理かと」
俺のこととは別の件で、あちらの父親との話がまとまらなくなり、母が怒りを込めた目線を送ってくる。
母親の言いたいことは分かる。とんでもないことをしてくれたと心底怒っているのだろう。
店舗の帳簿や在庫の管理は今ほとんどディアがおこなっているし、発注に関しても一部ディアが担当しているものがある。突然ディアが仕事から外れたらどうなるのか考えるだけで頭が痛い。
しかもこの父親が店を手伝うなんて言い出すのは予想外だった。
他業者であるレーラの父親に契約書の内容や帳簿を見られるわけにいかないし、ディアのしていた仕事はただの雑用とかではないのだから、簡単に『手伝う』などと言われても困るだけなのだ。
それを言外に匂わせて母は断ろうとしているのだが、あちらは『レーラのために』と言ってなかなか引いてくれない。
この状況に、隣にいた父がぼそりと『お前が馬鹿な真似をしなければ……』と恨み言をつぶやいた。
全くもってその通りなので、俺はうなだれるしかできない。
本当なら今日ディアと結婚して、店は安泰のはずだったのだ。
本当に馬鹿なことをしたと悔やんでも悔やみきれない。
子どものときからずっとディアと婚約していて、ディアと夫婦になる以外の可能性なんてないと思っていた。なにをしてもこの結婚の予定は覆らないと思い込んでいた。
婚約者がいることを友人に揶揄われるのが嫌で、口では『親が勝手に決めたこと』だと言って、不本意みたいに吹聴していたが、本当はディアと以外結婚なんて考えられなかった。
大店を切り盛りする母と、多くの使用人を従えてどんどん家業を繁盛させていく父の姿を幼いころから見てきた俺は、店を継いで父以上の商人になることを夢見てきた。
その俺にとって、結婚は将来一緒に店をやっていける相手でなければならないと思っていた。恋愛と結婚は別だ。
そんな俺にとって、ディアは理想の相手だった。仕事もできるし、頭もいい。なにより骨惜しみせず働くディアは、店をやる者にとっては得難い嫁だ。愛嬌はないが美人だし、気が利いて誠実なその人柄は、商売相手に好まれた。
ディアとなら、一緒に店をやっていくのに不安はなかった。父と母のように、いや、それ以上に店を繁盛させられるだろう。
ただ、不満がなかったわけではない。
下手すれば俺よりも親に信頼されて仕事を任されているディアに、嫉妬のような感情もあった。母も店の事に関しては俺よりもディアに対して熱心に教えている。実際俺の知らないことまでディアは把握していたりして、俺がこの店の主になるはずなのに、ディアのほうがよっぽど店の経営者に見えた。
そんな母とディアに反発心を覚えたし、だったら勝手にやってろと店の手伝いをだんだんとさぼりがちになった。
そもそもディアは、大店の女将になって経営者になりたいから俺との婚約を了承したのだろうと思っていた。
何も知らない子どもの頃はとても仲が良かったが、大きくなるにつれ、ディアは俺に対して態度が他人行儀で冷たくなったし、話していても全然嬉しそうな顔をしない。町の女どもはもっと俺に対してにこやかで、興味を引こうとアレコレ話しかけてくるのに。
だからやっぱりディアは、俺自身には少しも興味がないんだろうなと苦々しく思うこともあった。
まあこちらも益があって婚約しているのだから仕方のないことではあると納得していたが、やはり腹立たしくもあった。
だから友人らがディアを悪く言っていることがあっても咎めることはなかった。むしろみんなに言われて、こんなに将来有望でいい男と婚約していることをもっと自覚すればいいと思っていた。俺もみんなの尻馬に乗ってディアを悪く言ったりもした。それを悪いことだと思うことはなかった。
なぜなら、既婚の男衆は、酒の席ではだいたい嫁さんの悪口を言っているからだ。
どんなに惚れていても、男同士では自分の妻に対する不満をこぼし、自分の嫁さんがどれだけ悪妻かを言い合って、不幸自慢をする。
どれだけ悪口を言っても離縁することなんてないのだから、言えるだけ仲がいいっていう証明みたいなものだ。
俺にとっても長いこと一緒にいたディアは身内同然で、同じ感覚でディアを事あるごとに貶めるような発言を口にしても罪悪感なんてなかった。そういうものだと思っていたし、身内だからこそ言えるのだと、変な優越感すらもっていた。
その間違った認識と行動が、こんな結果につながるとは思っていなかった。
ディアを嫌っていただろうと言われれば、実際そのようなことを言っていたのだから否定できない。本当はディアと結婚したかったと言っても全く説得力がない。
それに、レーラが妊娠しているというのなら、ディアと結婚する道は完全に断たれた。まだ浮気だけならば違う道があったかもしれないが、レーラは妊娠していて、その相手である俺と結婚したがっているのだから、俺にこの状況を覆すすべはない。
……なにもかも、こんなことになるなんて、思っていなかったんだ。
ディアをどうするのかという母の問いに対し、ディアの父親は『別の町に出稼ぎにでもいかせる』と言った。
そして、この騒動を収めるために、ディアにはもっといい縁談があったことにすればいいと言い出した。
俺とレーラがやらかしたことは人の口に上るだろうから、しばらくディアはこの町にいないほうがいいだろうと言う。
それに対してなぜかレーラが反対してきた。
ディアを町から追い出すような、そんな非道な真似はできない。それならば姉を二番目の奥さんに迎えたらどうかなどと言いだして、双方の親が慌てだした。
妻を二人娶るなんてあり得ないとみんな口をそろえて言うが、レーラは納得しない。
そんなこと無理だとみんなで言っているのに、本人はいい考えだと言わんばかりの様子で、自分の父親に『なんとかならない?』と聞いたりしている。
ディアの両親は、レーラが姉を不憫がって良心から言っていると思っているようだが、俺にはこんなバカなことをレーラが言い出したのには大体の予想がついた。
レーラは働いたことがなく、仕事どころか簡単な算術もおぼつかない。だから自分には店のおかみは荷が重いとでも思い至っただけだろう。
実際、レーラの学校での成績はひどいもので、あれでよく卒業の許しがでたなと言うのが友人たちでの共通認識だった。
あちらの両親が店を手伝うなどと言いだしていたが、それに関しては母が断ったから、レーラはやはり親の助けを借りられず自分で店の仕事をやらなければならない。ディアがやっていた仕事を自分がやるのは無理だと気付いて、慌ててディアを第二夫人になどと言いだしたのだろう。
第二夫人なんて貴族でもあるまいし、不可能に決まっているのだが、ウチの母親もまた、ディアには何とかして残ってもらいたいと考えていたようで、しばらく考えた後、こんなことを言い出した。
ディアには店の権利を一部譲渡するから、店の経営者のひとりとして残ってもらうのはどうだろう、と提案したのだ。
それならば慰謝料がわりにもなるし、ディアの面目もたつので、了承してくれるのではないかと言った。
ディアの人柄と才能を見込んで、早い段階でディアを婚約と言う形で囲い込んだ母は、ディアをどうにか店に引き留めたいのだ。
母はディアに、店を任せるつもりであらゆることを教え育ててきた。一人前に育て上げたのに、今更失うのでは、店の損失は計り知れない。
ディアの両親はというと、確かにこのままでは、レーラが婚約者を盗ったと悪く言われるかもしれないから、ディアがレーラと円満な関係であるところを周囲にみせたほうがいい、そのように取り計らって頂けるのは有難い、と言った。
……本当に、彼らはレーラのことばかりだ。
厄介者扱いで強制的に別の町に行かされるのも嫌だろうが、かといって自分を裏切ったレーラを手助けする役目なんて引き受けるだろうか。
でもディアが拒否する姿は想像できない。ちょっと無理な頼みでも、アイツは嫌な顔せずなんでも引き受けてちゃんとこなしてくれる。
お人よしなのだろうが、もしウチの親が頭を下げて頼み込めば、ディアの性格上、結局は折れて引き受けてくれるような気がした。
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