第5話


 まだ父の事業が上手くいっていなくて、使用人がほとんどいなかった頃、私はできるだけ家のことを手伝うつもりで雑用などを進んで引き受けていた。


 ある日、買い出しを頼まれて町の中心部に来たときに、ベンチに座り込むご婦人の姿が目に入った。一目見ただけではただ休憩しているようにしか見えないが、うつむいた顔が真っ青だったので、放っておけなくて声をかけた。


 ご婦人は貧血だったようで、少し座っていればよくなると言ったが、顔をあげるのも辛そうだったので、家の人を呼んでくることにした。ご婦人に教えてもらった場所に駆けていくと、そこは大きな商店で、お店にいたご主人に事情を説明してきてもらった。


 ご主人をご婦人の居場所まで案内して、私は名乗り合うこともせずその場で別れた。



 だがあのあとご婦人は、助けてくれた娘さんにお礼がしたいといってくれて、私がどこの誰なのかを聞いて回ってくれたらしい。

 よく買い出しに町に来ていたので、私をよく知る商店の人たちから私の家を教えてもらって、ご婦人とご主人はわざわざ私の家までお礼をしに来てくれた。

 この時は珍しく両親に褒められたのを覚えている。


 この時のご婦人が、ラウのお母さんだった。





 この出会いをきっかけに、我が家とラウの家との交流が始まり、時々私がお店でお小遣いかせぎに働かせてもらったりするうちに、私の真面目な働きぶりを気に入ってくれたのか、お義母さんが私の父に『ディアちゃんをウチの子のお嫁さんに欲しい』と婚約を申し込んできた。



 私の父の仕事も、ラウのお父さんの伝手で人を紹介してもらったりしたおかげで上手く回り始めていた。

 私がお嫁に行けばあちらとの商売のつながりも深くなるし、店の規模からいって我が家には利益しかない。父は二つ返事で了承した。



 私の元にその話が来たのは、両家ですっかり話がまとまった後だった。ラウと婚約したのよ、と言われ驚いたが、嫌ではなかった。むしろ自分の価値を認めてもらえたようで、とてもうれしかった。


 私は必要とされている。


 その事実だけで、今までの自分が報われた気がした。ラウとはお互い恋愛感情など持っていなかったが、店の手伝いをするなかで仲良くなっていたし、小さい頃、ラウは私にとても優しかったので、正直私はこの婚約がとても嬉しかったのだ。


 ラウはどうなのだろうと思って、この話が決まった後聞いてみたことがあったが、『別に、ディアならいい。母さんも喜んでいるし』となんてことないように言った。


 正式に婚約者となってからも、ラウの態度は変わることなく、気の合う友達で仕事仲間といった感じで、いつも優しかった。


 ラウは、この頃まだ結婚というものについてあまり深く考えていなかったのだろう。大きくなるにつれて、友人たちが女の子と付き合ったりする年頃になると、ラウは急激に私に余所余所しくなった。


 恋愛もせず、親の決めた相手と結婚して一生を共に過ごさねばならないことの重大さに、成長するとともに気づいたらしいが、それでもこの結婚を止めるとは言いださなかった。


 私はもうラウのお店で経理や仕入れ管理まで担当するようになっていて、私が抜ければお義母さんとラウだけでは店は回らなくなるくらい、働き手としても店に欠かせない存在になっていた。

 それに、いずれ嫁になると決まっているからか、基本的に給金もほとんどもらっていなかった。

 今更この結婚を止めるには問題があり過ぎるところまで来ていたのだ。


 多分そのことをお義母さんに言われていたのだろう。ラウは不満そうな顔は見せるが、決定的に私を遠ざけることはなかった。




 私とラウの会話で、お義母さんは何かを感じたのか、いつもより余計に『ディアちゃんがお嫁に来てくれたら、私は引退してお店は二人に任せるからね!』とラウに聞かせるように言っていた。


 そう、ここでやっぱり結婚しないとなった時、一番困るのはお義母さんだ。毎日店に立ち続けるのが辛くなってきた、と常々言っている。この結婚は二人だけの問題ではない。今更止めたらたくさんの人にも迷惑をかける。




 ……だから、これでいいんだ。


 ラウの言った言葉は、聞かなかったことにするのが一番いいんだ。



 そう思って、自分を納得させ、ラウの不満にも自分の胸の痛みにも全て気づかない振りをして、式の予定日がちかづくなか、私は淡々と結婚の準備を進めた。





 ***









 ーーーそして迎えた結婚式当日。



 この日ばかりは私が主役のはずなのだが、朝早くから会場の準備に駆けまわっていた。



 教会のとなりにある広場で、結婚の宣誓が終わった後にささやかな祝賀会を開くのが習わしとなっている。


 本来は、家同士が決めた結婚の場合は、両家の親が場所を用意し人々を招くものなのだが、私の両親は私のために動いてはくれないので、お義母さんだけに負担をかけるわけにもいかず、私が会場の準備からやらざるを得なかった。



 招待客の確認と受付の準備が終わると、私も自分の準備に取り掛からねばならない時間になっていた。



 急いで控室へと向かい、この日のために準備した婚礼衣装に着替えなければいけない。

 忙しくてラウとは朝からほとんど会話もできなかったが、もう着替えを済ませているころだろう。


 私も急がなくちゃと思いながら、控室になっている部屋のドアを開こうとした時、隣の衣裳部屋のドアの向こう側から、男女のうわずった声が聞こえてきて、心臓が凍りついた。


「あっ、ラ、ラウッ!好きっ!ラウ好きなのっ」


「ああ、レーラ!俺だって!レーラ、レーラッ!」



 聞こえてきた声に、体が凍り付いて動くことができない。


(嘘でしょ……)



 ドアの向こうで女性と睦みあっているのは……信じたくないが、これから結婚する相手であるラウだ。



 そして、信じたくないがその相手は、私の妹のレーラなのだろう。


 ドアノブにかけた手がブルブルと震えて力が入らない。この後どうすればいいのかも、何を考えればいいのかも分からない。





 呆然として、動くこともできず立ち尽くしていると、後ろから明るい声がかけられて飛び上がった。


「あららら!ディアちゃんまだそんなカッコして!そんなとこ突っ立ってないで、早く着替えないと!なにやってるのー!」


 私を探しに来たのか、いつの間にか真後ろに居たお義母さんが、止める暇もなく衣裳部屋のドアを開けてしまう。





 開けられた扉の向こうには、私の婚礼衣装を羽織った半裸のレーラと、ズボンをずり降ろしてみっともなくお尻を晒したラウの二人が抱き合っていて、狭い衣裳部屋のなかで明らかに情事の真っ最中という光景が広がっていた。



(ああ……最悪だわ……)



 予想していたよりも悪い光景に、言える言葉も見つからず私は現実逃避するように手で瞼を覆った。



 声も無く口をあんぐりとあけて呆然としていたお義母さんだったが、数秒おいて、その光景を認識した瞬間、絶叫した。



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