不幸な人間


 実家にいた時はフルーツのある生活が当たり前だった。春にはいちごやさくらんぼ、夏にはスイカ、秋にはぶどうやもも、梨、冬にはみかん。朝食に並ぶそれらを見て、当然のような顔で頬張ったものだ。

 肉だけでなく魚も同じくらいの頻度で食卓に上がり、毎食サラダがついていた。色とりどりのマカロニが入った母親特製のポテトサラダは今でも大好物だ。

 自炊を始めてから、実家の食卓を懐かしむことが増えた。まず、魚。実家ではマグロとアボカドをわさび醬油であえたものが大好きで、よく料理の一品に並んでいたが、マグロは高い。近所のスーパーでは、マグロ100gで安くても300円以上はする。買ったとしても副菜として使うのではなくメイン料理用にするだろう。他の魚も高くて手が出ない。魚を取り入れようと思うと、一番安い鮭ばかりになる。実家では海老が大好物だったが、海老は論外だ。マグロ同様高い。海老を食べたいなら惣菜を買う他ない。惣菜も高めなので買うことはほぼないが。

 それから、お肉。安さを追求すると鶏肉ばかりになる。ささみは特に最高だ。脂肪は少ないし、安いし、サラダにあえても、メイン食材としても使用できる。けれどそればかりだと飽きがくるので安売りしている時に豚肉やひき肉を買う。滅多にないが、豚バラブロックが安売りされている日には大喜びで、他の客との激戦の末手に入れたりする。

 そして、野菜。季節によって金額は前後するが、軒並み高い。パプリカなんていうお洒落な食材は勿論、野菜コーナーに並ぶ野菜はどれも高くて、私はいつものようにもやし、キャベツ、キュウリ、ピーマンをカゴに入れる。安くなっている時はニンジンやジャガイモ、玉ねぎを買ったりするが、メインの野菜はキャベツ。千切りにするだけで彩りも良くなり、腹持ちも増す。スープに入れたり炒め物にも使える、万能選手だ。

 自炊をするようになって一番の驚きは、フルーツが滅茶苦茶に高いことだった。スーパーの入り口に陳列され光を浴びて艶めくそれらと目を合わせないように通り過ぎるのが私の日課になっている。とてもじゃないが手を出そうとは思えない。私が買えるのは、大量買いで安売りされているみかんくらいだ。それも買うかどうか迷い、結局手に取るのを止めてしまうが。

 今思えば、幼い頃から恵まれていたのだと思う。当時は全く気が付かなかったけれど。今日も安売りされた食材や割引のシールがついた食材を入れたマイバックを持って、安いだけで決めたアパートに帰る。帰路の途中、高く高く聳え立つマンションが見えた。所謂タワーマンションというやつだ。ランドセルを背負った女の子とその母親が手を繋いでマンションの入り口に入って行った。女の子は母親に何かを話しかけては笑っている。母親もそれに応えるように微笑む。ああ、この小さな女の子、これから大変だな。そうぼんやりと思った。

 家探しをしている時に、参考にタワーマンションの物件も調べていた。セキュリティーは勿論強固であり、入り口はホテルのロビーのよう。どの階にも24時間捨てられるゴミ捨て場があり、低層階には勉強するためのスペースや、集団でパーティーができるレクリエーション施設が併設されている。部屋はオール電化であり、キッチンはIH。トイレは自動で流れる。家の窓からは街が一望できる。駅の近くであれば、駅に直結している場合があり、雨に濡れずに駅へ向かうことができるだろう。そんな、そんな家に物心つく前から住んでいたら。それが生活の基準になる。タワーマンション以外のマンションや一軒家に住んだ時に、住み心地の悪さを感じるのだろうか。貧乏育ちはそうでない者よりも幸福度が高いと聞いたことがあるが、逆がこの場合では言えるのではないか。幸福を不幸と誤認する人間が増えるかもしれない。

 まあ、タワーマンションには縁のない私には関係ないことだな。そんなことを考えながら、玄関のドアを開けた。申し訳程度に綺麗にしていた部屋は変貌を遂げていた。床に散乱する物。マイバックを玄関に置き、恐る恐る中に入ると、黒ずくめの人間と目が合った。ああ、安さだけで決めるんじゃなかったな。ナイフを持ち、こちらに向かってくる人間から逃げながら私はそう思った。


Fin.

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