第43編「さて、どうしてくれましょうか」
その後――……真っ黒になった元・フレンチトーストを皿に移し、
「せっかく小日向さんが作ってくれた物を捨てるだなんてとんでもない。有り難く頂きますよ」
などと主張する裕一郎に対して、恋幸は『焦げ』が人体にとっていかに有害であるか・自分がどれだけ裕一郎の体を案じているかについて長々と語り、何とか説得に成功した。
そして、致し方なくMuber Eatsで昼御飯を注文して、届いた物を食べ終えたのが5時間ほど前の事。
あっという間に時は経ち、床の間の時計が午後7時を知らせる。
「ごちそうさまでした」
「いえ! お粗末様でした!」
「とんでもない。とても美味しかったですよ」
(はわ……)
新人家事手伝いお手製の晩御飯を食べ終えて口元に緩やかな三日月型を作る彼は、
ここで言ういつもとは『星川が休みで二人きりの日』を指すのだが、先ほどの発言など忘れてしまったかのように自然体な裕一郎の背中を見て、恋幸はひたすら頭の上に疑問符を浮かべていた。
(どういう事……?)
もしかすると、彼の発言に深い意味は含まれておらず、『続き』と聞いて勝手に曲解してしまったのかもしれない。
そんな考えが頭に浮かぶと同時に、恋幸は“何か”を期待している自分自身に気づいてしまい、「なんてはしたないのだろうか」と熱くなる頬に両手を添える。
(だめだめ! イイオンナは淫らな想像なんかしない……!!)
裕一郎は、恋幸が一人で
◇
「小日向さん」
「――!? は、はいっ!!」
それから、特筆すべき何かが起きる事もないままに午後10時を迎える。
歯磨きを終えた恋幸が廊下を歩いていると、その背中を心地の良い低音が呼び止めた。
びくりと大きく肩を跳ねさせてから彼女が振り返った先にあったのは、無表情のまま片手で手招きをする裕一郎の姿。
「?」
「今から、少し時間はありますか?」
問いに対して「倉本さんのための『時間』なら“少し”どころかたくさんあります!!」と勢いをつけて返した恋幸が小走りで側に寄ると、彼は「では、こちらへ」と短く告げて
恋幸は何の疑問も持たずにその背中をついて歩きながら、月明かりに照らされた
進行方向も見ずに「え!? あんな所に池がある!」などと考えていた彼女が、
「んぶっ!」
立ち止まった裕一郎の体にぶつかるのは至極当然の結果であった。
漫画のようにベタな事故に対しても彼は動揺することなく冷静に反応し、反動で後方へひっくり返りかけた彼女の背中に片手を回して軽々と抱きとめる。
「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょぶです……すみません……」
「いえ、こちらこそ」
裕一郎には一切の非がないという意味を込めて恋幸が左右に大きく首を振ると、彼は空いている方の手で彼女の頭を一度撫でてから「どうぞ」と言って真隣にある
景色に夢中で気が付いていなかったが、いつの間にか裕一郎の自室に辿り着いていたらしい。
「し、失礼します!」
「……面接はしませんよ」
これから起こる“かも”しれない『何か』に、恋幸の足がかすかに震える。
(武者震いが……)
ものは言い様だ。
立ちすくんだままロボットのようにギクシャクとした動きで室内を見渡す彼女とは対象的に、裕一郎は落ち着いた様子で座椅子に腰を下ろすと、恋幸の顔に目線をやって自身の足をトンと叩いた。
「?」
座れと言う意味だろうか?
そう受け取った彼女は、わずかに首を
「……小日向さん、」
「はい!」
「そうではなくて、ここに」
「!!」
骨ばった大きな手が、もう一度足を叩いて見せた。
今度こそはさすがの恋幸もそれの意味を正確に理解し、おずおずと上半身を持ち上げて、心なしか震える声で「失礼します」と呟き言われた通りに移動する。
彼に背を向ける体勢でその足の上に座ると、裕一郎は「ふ」と小さく息を吐いておもむろに彼女を抱きしめた。
「貴女は相変わらず可愛いですね」
肩に顎をのせつつそう呟いた彼の左腕にそっと触れて、恋幸は小さくかぶりを振る。
「倉本さんは、私のことを過大評価しすぎです」
「……過大?」
納得がいかないようなトーンで落とされた言葉に対して彼女が何度も頷けば、裕一郎の右手がゆっくり移動して恋幸の顎を優しく持ち上げた。
冷たい指先が輪郭をなぞり、無意識に体が
「……悪意のある嘘をつかず、反応も素直で、いつも私の事ばかり優先して、」
言いながら、裕一郎は彼女の耳たぶに口をつけて、右手の親指で唇に触れた。
「作品も……読みやすい文章を心がけ、読者のことを真剣に考えてくれている」
「……っ、」
ダイレクトに脳を揺らす低音のせいで、息継ぎすら忘れてしまう。
全身の血圧が上がる感覚をおぼえながら、まるで全身が心臓になったかのようだと恋幸は頭の隅で考えていた。
そんな彼女の反応が、裕一郎の口元に三日月を浮かべる。
「……ほら、こんなに可愛い」
どくどくと体に伝わる振動が自分のものなのか、それとも彼のものなのか。恋幸がそれを知るのは、もう少し後の事だった。
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