第5編「キラキラネームをぎりぎり回避できていますね」
(……あれ?)
丁重にお断りさせて頂きます……その言葉を、恋幸は頭の中で何度も繰り返す。
さすがの彼女も、二つ返事で了承してもらえると思っていたわけではないのだ。
初対面の女性に求婚されて何の迷いもなく「はい、喜んで」と答える男性など、怪しいにもほどがある。
そんなことくらい、分かっていた。
だが同時に、恋幸は心のどこかで期待していたのだ。
生まれ変わった(かもしれない)彼も、出会ったあの瞬間――……同じ気持ちを抱いてくれたのではないだろうか? と。そんな風に、夢を見ていたのである。
(恥ずかしい……)
「本題についてお話したかった事は以上です」
「……あっ、は、はい。わかりました……えへへ、すみません」
「……」
独りよがりな
両手の拳を自身の太ももにのせ俯いたまま唇を引き結ぶ彼女の頭を、彼は静かに伸ばした片手で優しく撫でる。
瞬間――恋幸は弾かれたように顔を上げて彼を見るが、その表情は一切変化しておらず、ただ空のように美しい瞳が眼鏡越しに彼女を映していた。
「……っ、あ……」
今のは、どういう意味ですか? どうして、頭を撫でてくれたんですか?
恋幸の心に湧き上がった疑問を全て見透かしたかのように、
「……落ち込んでいるように見えたので」
彼は短くそう告げ、一度ぽんと軽く叩いてから手を離す。
先ほどから、恋幸はどうすればいいのかわからずにいる。
彼の行動や発言の原動力は全て本人の持つ『優しさ』から生まれたものでしかないのに、勘違いしてしまいそうになるからだ。
(今世の和臣様も、私のことが好き? なんて……そんなわけ、ないのに……)
考えれば考えるほど、胸が苦しくて仕方なかった。
「……えへ、落ち込んでなんていませんよ! 反省していただけです!」
「そうですね。いささか失言や軽はずみな発言が多いように思いますので、存分に反省してください」
「!?」
なにかがおかしいと、恋幸は浮かび上がった『違和感』に今さら気がつく。
和臣の生まれ変わりであるはずの『彼』の表情、態度、発言……彼女に向けてくるものが、どれも全て冷たすぎる気がしたのだ。
しかし、恋幸はその程度で「幻滅しました」だの「やっぱり前世の和臣様が好き!」だのと
(こういう人、なんて言うんだっけ……あ、そうだ! クーデレ属性? 冷たい和臣様……も、萌える……これはこれでアリよりのアリ……!!)
そう、生半可な気持ちと覚悟で和臣にガチ恋していない。特殊な訓練を受けた精鋭である。
「あっ、そうだ。その……あの、さっきみたいな事、」
「さっき?」
「あ、ああ……頭、を……撫で……あの、ああいう事。あんまり、女性相手にはしない方がいい、と、思います……あの、ほら! 私みたいに勘違いしちゃいますから! ね! な、なんちゃって!」
「……別に、勘違いされても問題ありませんがね。誰にでもあんな真似をするわけではありませんし」
「……え?」
恋幸の問いかけに対して彼は何も答えずふいと目を逸らし、胸ポケットからカードケースのような物を取り出した。
「そういえば、自己紹介がまだでしたよね」
「……っ!! あっ!! 言われてみれば……!!」
「まずは互いを深く知るべきかと」
「は、はいっ! ごもっともです!!」
慌てて彼女もポシェットに入れていた名刺ケースを手に取り、お互いに一枚ずつ中身を交換する。
「では、改めて……倉本裕一郎と申します」
「……くらもと、ゆういちろう……」
恋幸は、明朝体で印刷された名刺の文字を人差し指で優しくなぞり、ふうと小さな息を吐く。
(ゆう、いちろう様……)
「……小日向……、“こいさち”……?」
「!!」
名前を見つめたまま少しのあいだ
「っあ、こゆに……こ、“こゆき”! 恋に幸と書いて、“こゆき”と読みます!」
「……恋幸……素敵なお名前ですね」
(ひ~っ!!)
名前を聞いて当たり障りない言葉で褒める……社会人であれば、飽きるほど繰り返すやり取りだろう。
しかし例え社交辞令であっても、前世で愛した人の口から落とされるそれは凄まじい威力を持っており、恋幸は今にも心臓を吐き出してしまいそうな思いだった。
「あっ、あっ、えへ……ありがとうございます……」
「いえ、どういたしまして」
血圧が上昇し夕焼けのように顔を赤くしている恋幸に対し、裕一郎は涼しい顔でお冷を口へ運ぶ。
(……はっ!?)
言わせてばかりではいけない! 私も作家として、上手い言葉で褒めなければ!
そんな使命感に駆られて唇を持ち上げたのだから、先ほど彼に忠告されたばかりの『内容』を恋幸が
「和臣さ……ゆっ、裕一郎様こそ……!! 前世のお名前も素敵でしたけど、今世でも
「……前世?」
「は……、あっ!!」
軽はずみな失言をしてしまうのは当たり前の流れであった。
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