【忍びの極意】⑦

 マップを確認してわかったことだが、偶然にも転移した先は最初の部屋だった。


 安全がわかると、俺は大きく息を吐いて、敷物の床に腰を下ろす。


「ア、アルヴィンさん……」


 傍らで、ユーリが震える声で言う。


「それ……は、はやく手当てしないと……!」

「俺は大丈夫だ。それより、ユーリこそ平気か?」

「いやっ、ウ、ウチよりアルヴィンさんですって……」


 ユーリが指さした先を見ると、俺の肩当てにはまだ矢が突き刺さったままだった。


「大した怪我じゃない」


 そう言いながら、突き刺さった矢ごと肩当てを外す。

 やじりの先が微妙に貫通していたものの、幸いにも傷は浅かった。

 本来なら完全に貫いていてもおかしくなかったが……あまりにも至近距離だったせいで、威力が落ちていたらしい。一応、目論見通りではある。

 服の血染みも薄い。肉体の怪我にはポーションも効かないが、この分ならそのうち出血も止まりそうだった。


 しかし、ユーリは怒ったように言う。


「ダメッスよ! ちゃ、ちゃんと手当てしないと! それ脱いでくださいッス」

「いや、このくらい別に……」

「脱いでくださいッス!」


 どうにも引き下がってくれなさそうだったため、俺は仕方なく上の装備をすべて外した。

 あらためて肩の傷口を見ると、さすがにかすり傷とはいかなかったが、やはり大したことはない。


 だが、ユーリはなおも言う。


「腕を少し上げてくださいッス」


 言われたとおりにすると、ユーリは腰の革袋から包帯を取り出し、俺の肩に巻き始めた。

 包帯のような、怪我を治療するアイテムは俺の知る限り存在せず、したがってストレージに収納しておくことができない。

 意外と怪我の多い冒険者だが、そのせいで面倒がって持ち歩かない者は多かった。


「はい、できたッスよ」


 余った布を予備武器のナイフで切ると、ユーリが言った。

 腕を少し動かしてみたが、包帯がずれる気配はない。かと言って動きが大きく妨げられる感覚もないから、冒険に支障が出ることもなさそうだ。


「ただの応急手当てなんで、あんまり無理しないでくださいッス」

「ずいぶん手際がいいんだな。冒険者の手当てなんて、普通はもっと適当なんだが」

「じいちゃんに教わったッス。包帯なんて持ち歩いてるのも、山にいた頃の習慣ッスよ。冒険者は、枝で腕を切ったり、沢から落ちて足を折ったり、野犬に噛まれたりすることなんてないんスけどね」


 ユーリはまるで自嘲するようにそう言うと、その場でぺたんと腰を下ろした。

 その表情からは、さすがに疲れがうかがえる。


 俺は装備を付け直すと、元気づけるように笑って言う。


「何か飲むか」


 焚き火のアイテムをストレージから取り出す。

 勝手に火がつき燃え始めた薪の上に、鍋のアイテムをセット。そこへHP回復用のポーションを注ぎ入れる。

 最後に『月香松の葉』というアイテムを一枚落とすと、すぐに消えて無くなり、青色のポーションが琥珀色へと変わった。

 鍋からカップのアイテムにその琥珀色の液体を移し、ユーリへ手渡す。


「ほら」

「え……なんスか、これ」

「飲んでみたらわかる」


 ユーリが恐る恐るカップに口をつける……と、すぐにはっとしたように目を見開いた。


「わぁ……いい香りッス! これ、お茶ッスか? でもポーションだったのに……」

「そうなんだ」


 俺は笑って説明する。


「ポーション系アイテムはだいたい無味無臭なんだが、『月香松の葉』と調合すると、こうして味と香りがつくんだ。一応、効果も少し上がるな。わざわざ鍋で混ぜるまでもなく、ストレージ内調合でも別に問題ないんだが……こうやって温めた方がずっとうまいんだよな」

「知らなかったッス……」


 ユーリが呟いて、両手で持ったカップをまた傾ける。

 俺も自分のカップに残りを注ぐと、半分ほど飲んだところでHPは上限まで回復した。

 ステータス上は、もう問題なく冒険を再開できる。


「……」

「……」


 しかし、そういうわけにもいかなかった。

 俺たちの間には、まだ解決しなければならない問題が残っている。


「…………ごめんなさいッス」


 ユーリがぽつりと言った。

 俺は、焚き火の向こうで顔をうつむける少女へと答える。


「怪我のことなら、気にしなくていい。いきなり前に出てきたのは俺の方だからな」

「……」

「サイクロプス戦の終盤やオーガ戦の時、俺の声は聞こえていたか?」

「……いえ、気づかなかったッス……」

「そうか……まあ、それも仕方ない。冒険をしていれば、焦って周りが見えなくなったり、パーティーの連携がうまくいかないことはある。ダンジョンでは不測の事態がいくらでも起こるからな。俺だって、いつも思い通りにできるわけじゃない」

「……」

「だから、そんなに深刻に捉えなくていい。多少うまくいかなくても、なんとかするのがパーティーリーダーである俺の役目だ」

「……はい」


 ユーリが小さく言った。

 その様子を見て、俺は言葉を続ける。


「大事なのは……それがなぜ起こって、どうしたら次に防げるかを、自分でちゃんと知っておくことだ」

「……」

「今までにも、こういうことはあったのか?」

「…………はい、時々。前のパーティーリーダーは、たぶん気づいてなかったと思うッスけど……」

「原因に、心当たりはあるか?」

「原因……」

「こういうのは、いくつかパターンがあると聞いたことがある。元々焦りやすい性格だったり、夢中になると周りが見えなくなるタイプだったり。だけど、駆け出しに一番多いのは…………単純に、モンスターが怖い・・・・・・・・、というやつだな」


 ユーリが、はっとしたように顔を上げた。

 それからまたうつむくと、ぼそぼそと答える。


「はい……怖い、んだと思うッス。たぶん……でかいやつが、特に」

「そうか……」


 その答えに、俺はどこか納得するところがあった。


 モンスターに怯える冒険者のとる行動は、背を向けて逃げ出すというものが多い。

 危険な行為だが、恐怖に駆られると本能的にそうしてしまうのだ。俺自身も駆け出しの頃に経験がある。


 だが……時にはまったく逆に、過剰なほどの闘志で立ち向かってしまう者もいるのだと、村のじいさんから聞いたことがあった。

 ちょうど、手負いの獣のように。


 ユーリの様子は、そんな冒険者の特徴と一致する。

 しかし、だからこそわからないところがあった。


「……どうしてなんだ」


 俺は、思わず疑問を口にする。


「モンスターを怖がる冒険者が多いのは確かだが……それは本当になりたてだったり、戦闘の経験が少ない者の話だ。今レベル20以上あるということは、少なくともこれまで、何体もモンスターを倒してきたはずだろう。だとしたら……実感できているんじゃないか? たとえ見た目が恐ろしくても、モンスターは自分が倒せる存在なんだと」

「はは……なんでッスかね」


 ユーリが乾いた笑いを漏らす。


「自分でも不思議なんスけど……時々どうしても、考えちゃうんスよねぇ……。本当はこんなのに、人間が勝てるわけない・・・・・・・・・・って」

「え……?」

「たぶんッスけど……まだ、感覚が抜けてないんだと思うんス。山にいる感覚が」


 ユーリは、ぽつぽつと話し出す。


「マッドベアーっているじゃないッスか。あの赤くて、なんだかイっちゃってる目をした、熊のモンスター」

「……ああ」

「あれ、最初にエンカウントした時はびっくりしたッスよ。あのヤバイ見た目もそうッスけど……何より、一緒に組んでたパーティーのメンバーがみんな、あいつを雑魚扱いしてるんスもん」

「それは……別に、間違っていないが……」


 マッドベアーは、初心者向けの雑魚モンスターだ。

 多少攻撃力は高いものの、甲殻や鎧もないおかげでダメージが通りやすく、攻撃パターンも単調で読みやすい。

 スライムやスケルトンよりはいくらか強い、という程度のモンスターでしかない。


「そうッスよね。戦闘になったら、みんな普通に倒しちゃってたッス。でも……きっと現実・・だったら、こうはいかないッス」

「現実……?」

「ダンジョンの外だったらって意味ッス」


 ユーリは淡々と続ける。


「ウチの生まれの村では、村長の家に熊の毛皮が飾ってあったッス。大昔に村を襲った人喰い熊で、仕留めるのにすごく苦労したって話を、小さい頃はよく聞かされました。家の中に逃げても扉を簡単に壊されて、鉈を打ち込んでも毛皮で効かないし、毒餌も食べない。最後は、村の外から来た凄腕の狩人と相打ちになったって……。だけどその毛皮、小さいんスよ。マッドベアーより全然。それでも……倒すには、それだけの犠牲を払わなきゃならなかったッス」

「……」

「冒険者をやっていると、熊型のモンスターなんて弱いのばっかりだから忘れがちッスけど……熊って、本当はそういう生き物なんスよ。ずる賢くて、凶暴で、力が強い。攻撃パターンなんてないから爪も牙も避けられないし、一撃でももらったらHPなんて関係なく死んじゃうッス。普通にやったら、人間なんて敵うわけもない強敵なんスよ」

「……」

「熊ですら、そうなんス。ましてや、自分より大きなサイクロプスだとか、オーガだなんて……もし現実にいたら、絶対に勝てるわけないッス。威力の足らない弓で目の前に立って、命がある相手じゃないッス、きっと」


 そこまで話すと、まるで恥じるかのように、ユーリはまたうつむいた。


「もちろん、わかってるッス……冒険者なのにこんなことを考えて怖がってる、ウチがおかしいんだって」

「いや……そんなことないさ。きっと、ユーリの感覚の方が正しいんだ」


 冒険者は長く続けるほどに、ダンジョンこそが自分の居場所だと思うようになると言う。

 レベルが上がり、どんどん強いモンスターを倒せるようになって、行ける場所も増え、装備も充実していく。自分の努力の成果が目に見えて表れていくような場所で、そう思わない方がおかしいのかもしれない。


 だが……自分たちが生きる場所は、やはりダンジョンの外なのだ。

 ダンジョンに囚われ、冒険の時間がどんどん長くなっていった挙げ句、帰ってこなくなった冒険者の話は多い。


 ここは世界の中では異質なのだということを、俺たちは忘れないようにしなくてはならない。


「しかし……いや」


 俺は、続ける言葉を迷う。


 ユーリの感覚は、確かに正しい。

 だが、それでもダンジョンにはダンジョンのルールがある。これに適応できなければ、冒険者として生きていけない。


 慣れろ、と言うのは簡単だ。

 冒険者のほとんどはそうしているし、ユーリにだってできないことはないだろう。

 ダンジョンでの経験を積んでいくうち、いずれは山で狩人として生きていたことを忘れて、冒険者の弓使いとしてうまくやっていけるようになるはずだ。


 だが……本当にそれでいいのだろうか。


 祖父に狩人として育てられた半生をただ忘れさせることが、本当にユーリのためになるのか。

 それは――――彼女が持っている多くの技術スキルを、否定することにも繋がるんじゃないのか?

 その経験こそが、今のユーリの強さに繋がっているのに……。


 と、その時。

 俺はふと、気になっていたことを思い出した。


「そういえば……」

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