【忍びの極意】⑧

「え……なんスか? アルヴィンさん」


 きょとんとするユーリに、俺は訊ねる。


「サイクロプスと戦っていた時、何度か矢を三本連続で放っていなかったか? スキルもなしに、あれはどうやっていたんだ?」

「ああ、あれッスか。別に、大したものじゃないんスけど」


 そう言って、ユーリは立ち上がって弓を手に取る。

 そして矢筒から、三本の矢を同時に掴み取った。


「こう、指の間を使って、矢を三本同時に持っておくんスよ。そうすると、いちいち矢筒から取らなくていいんで、当たり前ですけど速くてるッス」

「……そんな持ち方で本当に引けるのか?」

「引けるッスよ。こんな感じで」


 そう言うと、ユーリは矢を三本引き手に掴んだまま、内の一本をつがえた。


 かんっ、かんっ、かんっ、と、息つく間もなく連続で矢が飛ぶ。

 それらは綺麗な山なりの軌道を描き、対面の壁へ次々に突き立った。


「……限界まで速く射つとこれくらいッス。普通に引くより威力は出ないし、狙いもつけにくいんで、普段はやらないッスけど……アルヴィンさん?」

「……」


 俺は言葉を失っていた。

 それは――――【弓術】スキルの“速射”以上の速度だったからだ。


 いや、考えてみれば当たり前だ。

 スキルの補助アシストがあるとはいえ、“速射”でも矢筒から矢を取り出す動作は省略できない。


 弓手の常識を覆すかのような妙技だが、しかしユーリは取るに足らないことのように言う。


「こんな小技、ただの曲芸みたいなものなんで、別に自慢できるようなものでもないッスよ。昔じいちゃんがやってるのを見て、おもしろがってせがんだらいくつか教えてくれただけッス」

「い、いくつか……? 他にもあるのか?」

「あとは、こんなのとか」


 ユーリが矢を取り出し、俺に向けて弓を引いた。


「お、おい……っ」


 そして、そのまま放つ。

 矢は――――俺を迂回・・・・するように飛び・・・・・・・、背後の壁へと突き立った。


「な……!」

「曲げ射ちッスね。一応、上下左右曲げられるッス。右に曲げるのだけは、構えが苦しくなるんでちょっと面倒ッスけど」


 その軌道は、【弓術】スキルの一つである“曲射”のものに似ていた。


 だが――――“曲射”で射てるのは、上から下へ変化する軌道だけだ。

 左右に曲がる矢などありえない。


「こんなの……どうやって……」

「少しずらしてつがえる・・・・・・・・んスよ。そうすると、飛ぶ時に矢羽が抵抗になって曲がるみたいッス。別に、そんなに難しくないッスよ。アルヴィンさんだって、練習したらできるようになると思うッス」

「そんな……単純なことなのか? こんなの聞いたことがない。冒険者の弓手は、今まで誰もこれに気づかなかったのか……?」

「うーん……たぶん軌道予測線が出ないからじゃないッスかね」

「な、何?」

「たとえば弓を横に構えたり、矢を変な位置につがえたりすると、軌道予測線が出なくなっちゃうんスよ。そういうの、あんまりいいことでもないんで、みんな避けるんじゃないッスか?」

「そういう……仕様なのか」


 弓を使ったことはないが、いかにもありそうだった。

 ダンジョンの仕組みは、得てして冒険者に正しい行動・・・・・をさせようとするところがある。


「だが、軌道予測線が出ないのに……ユーリはこんな矢を当てられるのか?」

「大体はいけるッス。だって、ダンジョンの外で覚えた技ッスからね」


 ユーリは笑って言うと、それから少し語調を落とす。


「それに……ウチ以外誰も知らないってことは、ないと思うッスよ。これ、威力も射程もかなり落ちるんで、使う場面がなかなかないんス。だから、他の人に知られる機会がないだけじゃないッスか? きっとレベルが高い人の中には、使える人もいると思うッスよ」

「そ、そうか? だがこんな技、噂にも聞かないが……」

「でも……じいちゃんは、知ってたッスからね」

「……ユーリのおじいさんは、冒険者だったこともあるのか?」

「本人は一度も言ってなかったッスけどね」


 ユーリは弓を背にかけると、再び腰を下ろして言う。


「でもたぶん、そうだったんだと思うッス。ダンジョンやモンスターのこと、妙に詳しかったりしたんで。それに……ウチには、狩人じゃなく冒険者になれって、よく言ってましたから」


 ユーリはぽつぽつと話す。


「『お前はスキルに恵まれてる。だからきっと、俺を超えられる』……って。こんなこと、冒険者やってなかったら普通言わないッスよね? 村に来る前に何があったのかは知らないッスけど、たぶん昔はじいちゃんも、ダンジョンに潜ってたんだと思うッス。ああそういえば、どんなにせがんでもステータスは一度も見せてくれたことがなかったッスね……」

「ユーリは……だからこの街へ来て、冒険者になったのか? おじいさんにそう言われて育ったから……」

「いえ、そういうわけじゃないッス。だってウチ……本当は、狩人になりたかったんスもん。じいちゃんみたいな狩人に」


 ユーリは、遠くを見つめるような目をする。


「山は危険だし、狩人の仕事は本当に大変で、じいちゃんには絶対やめとけって何度も言われたんスけど……でも、これが自分の生き方なんだって気がしたんスよね。冒険者と違って、獲物とはほんの一瞬の勝負ッス。たとえ勝てても、アイテムはドロップしないし、肉はストレージに入れて運べない。だから、すんごく大変なんスけど……それが生きることなんだって、ずっと思ってました。生きているんだから、勝った側も苦しくて当然なんだって。だからダンジョンは……いろいろ楽すぎて、なんか変な感じッスね」


 そう言って、ユーリはたははと笑った。

 俺はためらいがちに訊ねる。


「それなら……どうして、冒険者になろうと決めたんだ?」

「仕方なかったッス。だって、じいちゃん死んじゃったッスからね」


 ユーリは、まるでよくあることのように言う。


「あっけないもんだったッスよ。山を知り尽くした熟練の狩人だって、運悪く沢で足を滑らせればそんなもんッス。もしもその日、ウチが同行してたとしても、たぶん結果は同じだったッスね。じいちゃんを見つけた村の人によると、頭を打ってたみたいだったんで」

「……」

「冒険者になろうと思ったのは、他にどうすることもできなかったからッス。さすがに半人前のウチが、一人で山に登り続けて無事でいられるわけもないッスからね。村長は、新しい狩人を外から呼ぶことに決めました。出稼ぎに出ている父のお金で、そのまま生活することはできたんスけど……なんとなく目標を失っちゃって。それならってことで、この街に出てくることを決めたんス。じいちゃんが言ってた冒険者、やってみようかなって」

「そう、だったのか……」

「いろいろ聞かされてたおかげで、なんとなく勝手がわかってたのもあるッスね。あの店長も、実はじいちゃんが何度か話に出してた人だったッス。店を訪ねてじいちゃんの名前を言った途端、何も言わずに宿を貸してくれたのはびっくりしたッスけどね。他にも…………あっ」


 ユーリは、ふと何か思い出したように言葉を止める。


「そういえば……もう一つ、教わってた技があったッス。ただ、これ技って言っていいのか……」

「……? どういうことだ?」

「じいちゃんから、『こいつだけは使える』ってなぜかしつこく教えられたんスけど、よくわからなくて……アルヴィンさん、何か知らないッスか?」


 言いながら、ユーリは再び立ち上がり、弓を手に取った。

 そして矢を一本取ると、それを天井に向かってつがえ、強く引く。


「こんな感じで、空に向かって矢を射つッス」

「いや、俺は弓にはあまり詳しくないから、それだけではなんとも……どういう技なんだ?」

「本当に、空に向かって射つだけッスよ。なんの意味があるのか、ウチにも……あっ、じいちゃんは『月射ち』って呼んでました」


 その時。

 俺ははっと気づいて、ユーリを制止した。


「待て!」

「えあっ……な、なんスか、急に」


 ユーリが驚いたように弓を下ろした。

 俺は、できるだけ落ち着いて言う。


「と、とりあえず、今は射たなくていい」

「はあ……わかったッス」


 ユーリが、素直に矢を矢筒に戻し、弓を仕舞い直した。

 俺は訊ねる。


「ユーリ、その技は……これまでに、ダンジョンで使ったことはあるか?」

「いえ……ないッスけど。というより、今の今まで忘れてたッス」

「そうか……」


 俺は少し考えて言う。


「それを試すのは、この冒険が終わってからにしよう」

「なんだかわからないッスけど……了解ッス」


 ユーリがうなずいたのを見て、俺はほっと息を吐いた。


 ユーリが教わったという『月射ち』という技は……おそらく【弓術】スキルの一つだ。

 武器スキルの本来の効果が、実はただの補助アシストだということを、ユーリのおじいさんも知っていたに違いない。

 スキルを封じられた落日洞穴ボス戦でも俺が“パリィ”を使えたように、【弓術】スキルを持っていない孫娘でもそれを使えるよう、鍵となる動きモーションを教え込んだのだろう。


 その呼び名や構えからするに、考えられる可能性は一つ。

 ただ、ある意味とんでもない技なので、今は試し射ちすらもしない方がいい。


「『こいつだけは使える』……か」


 ユーリのおじいさんは……きっと俺が出会ったことのないほどの、高レベルの弓手だったのだろう。

 “速射”や“曲射”など、【弓術】スキルで有用な技はいくつもある。

 だがそれらを捨て置き、この特殊すぎる技だけを『使える』と言って教えたということは……つまりそう考えるに至ったほどの、研鑽と探究があったのだ。


 そしてそのような老練の弓手ですらも、生まれ持ったスキルに悩み――――それに恵まれた、ユーリに期待を託していた。


 いや……きっとそれだけじゃなかったはずだ。

 ただ弓手向きのスキルに恵まれただけの者なら、他にいくらでもいる。


 託されるだけの資質を、ユーリは受け継いでいたのだ。


「……ユーリ」


 俺は立ち上がり、ユーリへと訊ねる。


「君がモンスターを怖がるのは、見た目が恐ろしいから……だったな」

「は、はあ。一言で言えば、そうッスけど……」

「それだけじゃないんじゃないか?」


 俺は確信を持って問いかける。


弓が弱いから・・・・・・、というのもあるんじゃないのか?」


 ユーリが、はっとしたように目を見開いた。

 俺は続ける。


「何本もの矢を射って、ようやく敵を倒す……狩人からすれば、そんな状況は普通なら明らかに失敗で、下手をすれば死の危険すらある。違和感を覚えたっておかしくないはずだ」


 狩りの経験こそないが、俺だって山の麓にある村で生まれた身だ。狩人の事情だって、少しはわかる。


 風下に隠れ、獲物に気づかれないよう心臓を狙う。

 大きな動物の毛皮や牙を狙う場合は、毒矢を使う。


 いずれにせよ、勝負がつくのは一瞬だ。

 一射で仕留められなければ、逃げられるか……悪ければ反撃を喰らう。

 そうなれば、人間は圧倒的に不利だ。


「自分の武器を、信じ切れていない。どこか、そういう気持ちはなかったか?」

「あった……かもしれないッス」


 ユーリは、自分の持つ弓に視線を落とす。


「店長のくれたこの弓が、強いってことはわかるッスよ。【全体筋力上昇・中】付きの武器なんて、まだウチじゃとても買えないッス。これで文句を言ってたら罰があたるッスよ。でも……やっぱり、なんとなく頼りないっていうか……」


 ユーリは、自分の違和感をなんとか言葉に直そうとしているようだった。


「もしかしたら……サポート弓っていうのが、性に合ってないのかもしれないッスね……。しっくり来ない感覚が、ずっとあった気がするッス……」

「……そうか」


 それは端から見ていても、なんとなく感じていたことだった。

 ユーリにサポート役はそぐわない。弓の腕もそうだが……何よりユーリ自身が、敵を倒そうという強い気概を持っている。

 なら……やはりこれしかない。


 俺は、ステータス画面を操作し――――ストレージから、一張りの弓を取り出した。

 果実の染料で虹色に染まった設定の弓は、その威力と効果を裏付けるように、大振りで重い。


 それを差し出すようにしながら、ユーリへと告げる。


「これを使うんだ。ユーリ」

「え……そ、それってこの前の、ボスドロップの弓、ッスよね……?」

「ああ」

「ど、どうして……?」


 困惑するユーリに、俺は答える。


「強いからだ。もちろんこの弓でも、一射で敵を倒すような真似は無理だが……少なくともサポート弓よりは、ずっと威力が高い。深層のモンスターにだって十分通用するほどだ。だから……ユーリの違和感も、これで少しはなくなるんじゃないかと思うんだ」

「い、いやでも……無理ッスよ」


 ユーリが首を振る。


「これを、斥候のウチが持つわけにはいかないッス。STR筋力が足りないから、装備するとAGI敏捷が下がって回避しにくくなりますし……それに、肝心の【忍びの極意】が無効になっちゃうじゃないッスか」

「それでいいんだ」


 俺はユーリを真っ直ぐに見つめながら、そう言い切る。


「斥候の動きができなくてもいい。【忍びの極意】が無効になってもいい。ユーリは――――これを使って、弓手をやるべきなんだ。サポートの弓型斥候ではなく、純粋な後衛火力としての弓手を」

「え、弓手を……? でもダンジョンの中だと、転職できないッスけど……」

職種ジョブじゃない、役割の話だ」


 俺は続ける。


「確かに斥候職は武器の威力補正がかからない。だが四十層のボスドロップを、他の誰でもないユーリが使うのなら――――下手な後衛よりも、ずっと火力が出るはずだ」

「っ……で、でも……」


 ユーリは、なおも困惑したように言う。


「後衛の火力役なんて、どうやればいいのかわからないッスよ。今まで以上にヘイトを稼ぐのに、足が遅くなって避けにくくなるって……そんなの普通にやったら、あっという間にHPがゼロになるじゃないッスか!」

「簡単だ。前衛を頼ればいい」


 俺は諭すように言う。


「攻撃しすぎたと思ったら、一度手を止める。一人でさばこうとするんじゃなく、そうやってモンスターを前衛に押しつける。STR筋力VIT耐久が高い前衛は、そのためにいるんだから」

「っ……」

「前のパーティーでは、この基本を意識したことがなかったみたいだな」

「っ、そ、それは……」

「責めているわけじゃない。ユーリは同レベル帯の他の冒険者に比べて、ずっと実力がある。スキルも技も、心構えも含めてな。だからパーティーメンバーのことが頼りなく思えて、信じ切れなかったんじゃないか? 自分の武器と同じように」

「……か、かもしれないッスけど……ならどうしたら……」

「俺のことは信じていい」


 顔を上げるユーリに、俺は少し笑って言う。


「自慢じゃないが、今までだいぶ苦労してきた。その分経験も積んだから、駆け出しの冒険者に頼りないだなんて思わせないさ。だから、安心してモンスターを押しつけてくれ」

「そ、そう言われても……できるかわかんないッス……」


 そう言って、ユーリがまた目を伏せる。


「また焦って、周りが見えなくなったりしたら……」

「大丈夫だ。もしそうなっても――――俺が絶対に、君を守る」


 目を見開くユーリに、俺は断言する。


「ダメージソースを任せられるのなら、ヘイト管理なんてやりようはいくらでもある。俺がこれまで入ってきたのは初心者パーティーばかりだったから、パニックになって戦線が崩壊しかける場面は何度も見てきた。そのたびに立て直してきたんだ。心配するな」

「……」


 ユーリは伸ばしかけた手を、一度はためらったように引っ込めたが……やがておずおずと、俺の手から虹色の弓を受け取った。

 その質感を確かめるように、親指で表面を小さく撫でる。


「……ウチが弓手をやっても、いいんスかね……? 【忍びの極意】なんて、強力なスキルを殺してまで……【弓術】スキルを持っていないウチが……」

「いいんだ。君はそれ以上の技術スキルを持っているんだから」


 それに。

 ユーリのおじいさんが価値を見出したスキルは――――きっと【忍びの極意】ではない。

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