[       ]④

 そこは、ボス部屋というには殺風景な部屋だった。


 壁も床も岩肌が剥き出しで、燭台や装飾品の類もない。ここまでのダンジョンそのままだ。これがデーモン系のボスモンスターだと、室内はまるで王の居室のように飾り付けられていることが多いので、それと比べればなんとも味気ない。


 ただ、それでも地味と感じなかったのは――――ボスモンスターの、その姿のせいだろうか。


 ボス部屋の最奥に屹立していたのは、一本の禍々しい樹だった。


 ひび割れ、節くれ立った太く黒い幹。蔓のような無数の枝はねじれ、互いに絡みつくようにして伸び、天井の半分ほどを覆っている。

 天井を這う枝には、わずかな葉と、色とりどりの果実がなっていた。

 赤、黄、緑、青、紫……。市場に並ぶ食用のそれとは明らかに違う、丸くぶよぶよと膨らんだ、不気味な果実だ。


 その異様な見た目に立ち尽くす俺たちの背後で、扉が重い音を立てながらひとりでに閉まっていく。

 やはり、撤退不可のボスであることは間違いないようだ。

 一瞬、扉が閉まりきらないうちに撤退すべきか迷うが、思いとどまる。今さら後には引けない。


 やがて、扉が完全に閉まった時――――赤い果実が一つ、天井から落ちた。


 ベシャリという音と共に潰れた果実は、不気味なほど鮮やかな赤い汁を撒き散らし、床に大きな染みを作る。


「攻撃っ!?」

「い、いえ違います!」


 慌てたようにナイフを構えるテトへ、ココルが言う。


「まだボスの名前が出てません! これは、たぶん演出……」


『……あな、悲しや……』


 その時。

 ボス部屋に、声が響き渡った。


『血潮の赤は、さにあらず……』


 しわがれた、老婆のような声。

 声の主は……どうやら、幹の中ほどから生えた、女の上半身であるようだ。

 形こそ人のそれだが、皮膚や髪の質感は幹そのもので、黒みの強い褐色をしている。目はなく、眼窩はただの暗い凹みだった。


 べちゃり、と。

 また、今度は黄色い果実が落ちた。

 床にできた鮮やかな黄色の染みへ、樹の女が存在しない目を向ける。


『悲鳴の黄は、さにあらず……』


 俺は眉をひそめて呟く。


「ドライアド、か……?」


 人型、それも女の、植物系モンスター。

 ならば、そう考えるのが自然だ。たとえそれが、どれだけ醜悪な姿をしていたとしても。


 今度は、緑の実が落ちた。


『恐慌の緑は、さにあらず……』


 不気味なドライアドが、再び呟く。


 ボスモンスターでも人型に近いものは、こうして人語を発することがある。だが、意思の疎通はできない。撤退可能なボスの例で言えば、何度来てもただ同じ事を喋るだけだ。こういったボス戦前のイベントは、俗に演出と呼ばれていた。


 もしこれが、本当にこの世界の作者の演出だったのなら……悔しいが効きすぎだ。

 気味が悪いにもほどがある。


 次に青の実が、それから紫の実が落ちる。


『慟哭の青は、さにあらず……絶望の紫は、さにあらず……』


 老いたドライアドが、床を見下ろしている。

 体の線は明らかに若い女であるにもかかわらず――――そのドライアドは、俺には老いているように見えた。

 声もそうだが……深くひび割れた幹に、少なく色褪せた葉、伸び放題の枝。本体の老木を思わせる様相が、そう感じさせたのかもしれない。


『あな、悲しや……妾は、かくも衰えたり』


 その時、蔓のような枝の一本が、天井からするすると下りてきた。

 わずかに葉の茂った枝先で、各色の床の染みを、塗り広げるように大きく撫でる。


「っ……!」


 俺は目を見開いた。

 枝先がなぞった後の床には――――壮大な絵が描かれていた。


 人々同士が争う、戦争の図。ココルが言っていた、聖典の一場面だろうか。

 現実にはありえない、鮮やかすぎる色使いが、かえって目を奪わせた。


 だが、ドライアドは失望したように首を振る。


『さにあらず』


 床の絵が、微かな点滅と共に消え去る。


『戦場の虹は、さにあらず。妾のは色褪せ、もはや世界を表すにあたはず。才の日は沈み、この身に残るは虚ろの宵闇のみ。あな、悲しや……』


 そして……おもむろにドライアドが、俺たちを見据えた。


『才の落日は、いづれ訪れる。誰にも、等しく……汝らも思い知るがよい、妾の虚ろを……』


 その時――――ドライアドから湧き出た黒い霧のようなものが、ボス部屋全体を満たすように、俺たちを飲み込んだ。

 咄嗟に身構えるが、ダメージはない。

 そもそも、まだ戦闘は始まっていないはず。これも演出の一つにすぎないと……一瞬、そう思った。


 だが。

 視界の隅に表示された文字を見て、驚愕と共に間違いを覚る。


「なっ……!!」

「っ、何よこれ、デバフ!?」

「いえ、まだ戦闘は始まってないです! それに、デバフならテトさんに集中するはずです! これは、もっと別の……」

「……ギミックだ……」


 パーティーを混乱が襲う中、テトが言う。


「これ、ギミックだよ! こういうルール・・・・・・・のボス部屋・・・・・だったんだ! これがあるから、他の高レベルパーティーが誰もクリアできなかった! それに……ヒントだって、最初からあったんだよ!」


 その言葉で、全員が理解した。


 高レベルの冒険者ほど、たくさんのスキルを持っている。

 ボスを倒すと、スキルを消すアイテムが手に入る。


 そうだ。

 確かに、ヒントは最初からあった。


 だが……果たして誰が、こんなギミックを予想できただろう。


 俺は、視界の隅で点滅する文字を見る。

 それは、大量のスキルを持つこのパーティーの、紛れもない窮地を示していた。



 [スキル使用不可]。



 緊張と共に、自分のステータスを確認する。

 案の定……各種パラメーターは、大幅に減少していた。

 メリナの【嫉妬神の加護】だけでなく、元々持っていた【筋力上昇・大】、【敏捷性上昇・中】などのスキルも、効果が失われている。


 落日洞穴ボス部屋のギミックは――――これまで聞いたこともない、スキル縛りというルールそれ自体だった。


『あなや、されど……妾は諦めきれぬ。酸鼻なる争いの景色を、描かずにはいられぬ。虚ろからなお湧き上がるこの衝動を、誰がはばめよう……。は、用を為さぬ。なればこそ……色が要る』


 老いたドライアドの、樹体全体がうごめく。


『血潮の深緋こきひが、悲鳴の山吹やまぶきが、恐慌の虫襖むしあおが、慟哭の水縹みはなだが、絶望の淡藤あわふじが、妾には足りぬ……。あなや、人の子らよ。争いをいとわぬ、愚かな客人まれひとよ』


 幾本もの枝が、触手のように天井から垂れる。

 ひび割れた樹皮の口が、静かに告げた。


むごたらしく死に、妾の画材となれい』


 ドライアドの上方に、一つの文字列が現れる。

 ダンジョンボス特有の現象であり、戦闘開始の合図でもある、モンスター名の自動表示。

 それは、やはり初めて目にする名だった。


 〈ダスク・ドライアド・ミューラルメイカー〉。


 ボス戦が始まった。

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