栞に願いを

中田カナ

栞に願いを

 朝の出勤時、楽しそうに語らいながら歩く女子学生達とすれ違う。

 王立魔法学院の制服は深い緑色のジャケットで、胸の紋章にある小さな魔石が朝日を反射して時々きらめく。

 毎日のように見かける光景だけど、いつ見てもため息が出る。

 私には手が届かないものだから。


 今日もいつもの時刻に勤め先である貸本屋に到着する。

「おはよう!いつも早いね。今日は例のシリーズの新刊が出るから、悪いけどちょっと早めに作業に取り掛かってもらえるかな?」

「はい、わかりました」

 店長の指示通り、さっそくシンプルなエプロンを身につけて地下の作業部屋へ向かう。



 この貸本屋は魔法を使ったシステムを導入している。

 本の返却は不要で、有効期限を過ぎれば自動的に消滅する。

 期限は本によって異なるけれど、新刊は短く、発売されてからある程度経った本は若干長めに設定されている。著者や出版社と契約した本のみが対象で、レジを通さなければ本を開くことが出来ない。

 その貸本を作成するのが私の主な仕事だ。


 いつもの作業台の上には一部が重なるように連なる2つの円状の魔法陣。

 これが本の複製の魔法陣。ただし他の作業台と違って私にあわせて調整されている。

 一方に原本を置き、もう一方に紙の栞を置いて、魔力を通せば複製本の出来上がり。

 何もないところから作り出すこともできるそうだが、紙の栞を変化させる方が効率的らしい。


 製紙や印刷の技術は進んできたけれど、それでも本はまだ安いものではない。

 若い学生でも手軽に最新の本を読めるようにと編み出されたのが本の複製魔法陣だそうだ。

 ただ、一般的な複製本は文字だけで挿絵までは複製されない。

 ただ文章を読むだけなら複製本でもいいけれど、当然のことながら紙の本を求める人も存在するのだ。



 複製作業が一区切りついたところで店内へ移動し、開店時刻直前にドアの鍵を開けて店の前に看板を出す。

「今日もいい天気になりそうね」

 このあたりには魔法学院や騎士学校などが建ち並び、忙しくなるのは学生達が授業を終える午後になる。

 レジカウンターに陣取り、さっきまで作業していた複製本の原本を開く。外部への持ち出しは不可だが、店内なら読んでもよいことになっている。読書好きな私にとって、この職場の魅力の1つになっている。


 そして午後。

 今日の新刊は人気の恋愛ものなので、女子学生がひっきりなしに訪れる。

 代金を受け取り、差し出された会員証と複製本をレジの魔法陣にかざしてお客様に手渡す。そんな手順を何度も繰り返す。

「あの続き、すごく楽しみなんだよね~」

「早く帰って読まなくちゃ!」

 どのお客様も瞳が輝いている。私にとっても嬉しいひとときだ。



 日も傾いてきて、そろそろ女子学生の姿もまばらになった頃。

「やぁ、今日もごくろうさま」

「あ、オーナー。おつかれさまです」

 オーナーは20代後半の男性で、黒縁の眼鏡をかけて長い銀髪を後ろで束ねている。

 魔法のエリートである王宮魔術師だったが、本の複製魔法陣を編み出したのをきっかけに貸本屋を開いたと聞いている。魔法陣の調整のため定期的に店舗を訪れるのだ。

 ちなみオーナーの弟さんが出版社や著者との交渉を行っているそうで、なかなかのやり手らしく、現在では多くの人気シリーズを取り扱うようになっている。


「差し入れがあるから一区切りついたら休憩室に来るといいよ」

 そう言いながら手にした紙袋を掲げる。

「はい、ありがとうございます」

 オーナーの差し入れにハズレはない。さて今日は何なんだろうか?


 3階の休憩室に行ってみると、今日の差し入れはシフォンケーキだった。味は3種類もある。

 自分でお茶を淹れ、すでに切り分けられたものの中からプレーン味を選ぶ。甘さは控えめで、きめ細かくてふわふわな口あたりがたまらない。

「ああ、もう来ていたんだね。それ、おいしいでしょう?」

 オーナーが休憩室に入ってきた。

「いつもありがとうございます。これ、本当においしいですね。食感も今まで食べたものとは違います」

「まだ出来て間もない店なんだけど、これから人気が出そうだね」

 そう言いながら微笑むオーナー。


「さっき君専用の魔法陣の微調整をしておいたよ。今までより少し時間短縮できると思う」

「いつもありがとうございます」

 オーナーに頭を下げる。

「いつもがんばってくれている君には本当に感謝しかないな」

「いえ、こちらこそ感謝しております。ただ魔力量が多いだけで、属性がない私でもお役に立てるのはとても嬉しいです」

 オーナーは少し表情を曇らせた。

「いや、自分を卑下する必要はないよ。確かに今は魔力属性が重視されがちだけど、それだけで判断するのは安易だと僕は思うけどね。魔法や魔力というのは未知の部分もまだまだ多いんだ」



 この国では誰もが魔力を持っている。

 大多数は魔力量もわずかで魔力属性はなく、生活魔道具を作動させる程度の力しかない。

 だが、中には火・水・土・風のいずれかの魔力属性を持つ者がいる。そして魔法学院に入学するには魔力属性を持っていることが必須条件になっている。

 孤児だった私は子供の頃に故郷の教会で魔力判定を受けた。魔力量こそ人並みはずれて多いけれど、魔力属性なしと判定され、憧れの魔法学院は入学できなかった。


 さらに私はこの国ではほとんどいない黒い髪に灰色の瞳で、周囲の人々からあまりよく思われず、引き取り手が現れることもなく、孤児院でもいつも仲間はずれにされていた。今も黒髪を少しでも隠すために仕事中はバンダナをかぶり、外出時の帽子も欠かせない。

 そんな私にとって本だけが唯一の友達だったのだ。


 本の複製魔法陣には魔力属性は関係ない。ただ魔力を流すだけでいい。

 ただ、魔力量を必要とするので、ほとんどの人は長時間の作業はできないが、魔力量だけは多い私は朝から晩まで作業しても平気だ。だから、この店舗だけでなく地方の支店分も手伝っている。



「ところで、君は栞の噂を知っているかな?」

 オーナーが私に尋ねてきた。

「はい、聞いたことがあります。ハートの栞のことですよね?」

「そう、それのこと」

 魔法の貸本は期限を過ぎれば消滅する。でも複製の土台となった紙の栞は残り、本を借りた人のものになる。

 オーナーの遊び心でさまざまなデザインの栞があり、収集している人もいるらしい。

 客として訪れる女子学生達の会話から知ったのだが、ハートの栞を手に入れると幸せになれるとか恋人が出来るなどの噂が流れているらしいのだ。


「そこで君に頼みがあるんだけど、ここにハートの栞があるから、いつもやっているように本を複製してみてくれないかな?」

 オーナーがハートの栞を差し出す。

「別にかまいませんけど、どうしてですか?」

 栞を受け取りながら尋ねてみる。

「ん~、魔術師としての好奇心と研究心ってところかな」

 よくわからないけれど、まぁやってみましょうか。


 地下の作業部屋に移動するとオーナーもついてきた。

「それではやってみますね」

「うん、よろしく」

 原本とハートの栞を魔法陣に置き、両手を魔法陣にふれる。

 ハートの栞は私のお気に入りでもあるので、この時だけは少しだけ祈りをこめる。


『これを手にする方に幸せが訪れますように』


 いつものように魔法陣が淡く光り、複製本が出来上がる。

「オーナー、終わりましたよ」

 振り返るとなぜかオーナーが呆然としている。

「あの、どうかしましたか?」

「あ、ああ。ちょっと聞きたいんだが、作業する時に何か考えていたかな?」

 ちょっと恥ずかしいけれど正直に答えることにする。

「実はハートの栞は私のお気に入りなので、これを手にする方の幸せを祈りました」

 答えながらオーナーに複製本を手渡す。

「そうか。じゃあ、ついでに別の栞で祈りをこめずにやってみてもらえる?」

「はい」

 栞のストックの中から楕円のものを取り出し、いつものように複製する。

「ありがとう。なかなか興味深かったよ」

 本を受け取るとオーナーは帰っていった。



 オーナーは魔法陣の調整のため月に一度来る程度だったが、最近は毎週のように顔を出すようになった。

 いつも差し入れのお菓子を持ってきてくれて、時には仕事終わりに食事に誘ってくれる。休みの日に植物園や博物館に連れて行ってくれたこともある。

 同性の友人すらいなくて、人付き合いが苦手な私はとまどってばかりだけど、それを察してくれているのか、オーナーはいつも私を気遣った誘い方をしてくれる。

 さらに私がこの国ではめずらしい黒髪を気にしていることに気付いたオーナーは、帽子をプレゼントしてくれた。普段使いできるシンプルなもので、センスの良さを感じる。


 オーナーと話すのはとても楽しい。

 元王宮魔術師とあって魔法についてわかりやすく説明してくれるし、本好きという共通点もある。そしてとても物識りだ。疑問に思ったことを尋ねれば何でも答えてくれる。

 だけど私達はあくまで雇う側と雇われる側。だから決して勘違いしてはいけないといつも自分に言い聞かせる。



 先日は休日に王立魔法院を見学させてくれた。

 魔法研究の最高機関で、一般の人が入る機会などまずない場所だ。

「実は僕は辞めたわけじゃなくて休職扱いなんだ。だから今も僕の部屋はあるんだよ」

 たくさんの書籍や書類が積まれた部屋を見せてくれた。

 オーナーの専門は魔法陣だそうだ。本の複製魔法陣も昔から取り組んでいたものらしい。


 そしてオーナーの先輩である年配の魔術師のところへ連れて行かれた。

「こんにちは、お嬢さん。私は魔力属性について研究しており、魔力判定装置の改良も担当しております。貴女も子供の頃に触ったことがあるでしょう?ああ、せっかくいらしたのですから、作成中の試作機を触っていただきましょうか」

 確かに故郷の教会で触れたことがある。属性なしですごくがっかりしたことを今でも思い出す。

 もしもあの時に何か属性が見出されたのなら、きっと今とは違う人生があったのだろう。あの憧れの魔法学院の制服を着ることもできたかもしれない。


 試作機は10台近くあり、大きさも形もそれぞれ異なる。

「研究の参考にしたいので、一通り触って魔力を通してみていただけますか?」

「あ、はい」

 言われたとおりに触って魔力を通す。光るものもあれば無反応のものもある。

 光るものは、どれも金色の光の粒がたくさん生まれてくる。とてもきれいだ。

「ありがとうございました。とても興味深かったです。ぜひまたお願いしたいところですね」

 年配の魔術師はなぜか少し興奮気味だった。



 毎週のようにオーナーと交流するようになって半年ほど経った頃。

 仕事を終えた私は、オーナーからの伝言で王都の中心部にある大きな商会にやってきた。

 オーナーのご実家が経営する商会で、私の勤め先である貸本屋もここの事業の1つなのだそうだ。


「すまないね。仕事で疲れているところをわざわざ来てもらって」

 立派な応接室に通されると、すぐにオーナーがやってきた。

 窓の外はもう暗くなりかけている。

 女性の事務員がお茶を出して去っていくと、一瞬空気がゆがんだ気がして思わず顔をしかめる。

「ああ、ごめんね。会話が部屋の外に漏れないように魔法陣を展開したんだ」


「さっそく本題に入ろうと思うけど、今日は貸本屋のオーナーとしてではなく王宮魔術師として君と話したいと思う」

「はぁ」

 話がよく見えないのだが、どういうことだろうか?

「以前、魔力属性について説明したことは覚えているかな?」

「はい。火・水・土・風がありますが、他にもあるんでしたよね」

 オーナーがうなずく。

「そう。先日魔法院で触ってもらった魔力判定装置の改良版は、緑や氷など他の属性も検出できるもので、すでに一部で実運用に入っている。だけど他にも公表されていない属性が2つある。それは光と闇だ」


 光と闇?

「この2つは他の属性と違って効果が目に見えるものではないのが特徴だ。まぁ、簡単に言えば光は祈り、闇は呪いといったところかな」

 なかなか興味深い話だけど、それが私と何の関係があるのだろうか?


「ところでハートの栞の噂のことを覚えているかな」

「はい」

「実は君と他の人達とは使う栞が違うんだ」

 それは気付いていた。私の作業専用の栞がいつも用意されていたから。

「他の人が使うものは栞そのものにあらかじめ魔力を付与してある。魔力量が少ない人でも作業しやすくするためだ。だけど君が使う栞には魔力付与はない。それは君自身の魔力量が豊富だからだ」

 オーナーがテーブルの上にハートの栞を置く。

「そして、このハートの栞は君しか使っていないんだ」

 あ、そうなんだ。そこまでは気付かなかった。


「まず君が祈りをこめて複製した時、通常ではありえない色の魔力が見えた。そして実際に祈りをこめたハートの栞を魔法院で調べさせてもらった。さらに先日は改良版の魔力判定装置の試作版を触ってもらったわけだが、いくつか金色に光ったよね?」

 こくんとうなずきながら考える。

 もしかしてあれは単なる見学ではなく、私を調べるためだった?

 オーナーがここで姿勢を正す。


「王立魔法院としては、君が光属性の持ち主であるという結論に至った」


 思わず首をかしげる。

「私が、ですか?」

「そう。君の祈りには力があるんだ」


 でも待って。そんなのおかしいよ。

「あ、あの、何かの間違いじゃないでしょうか?私、子供の頃からいろんなことをたくさん願ってきました。それこそ数え切れないほど。でも何も叶えられたことなんてなかったんですよ」

 孤児の私は両親のことを知りたかった。

 誰か優しい人に引き取られたかった。

 孤児院でみんなの輪の中に入りたかった。

 私が強く望んだことは何一つ叶っていない。


 オーナーは苦笑する。

「そう言われると思っていたよ。実は光と闇の属性については大昔からひそかに研究されている。光属性の祈りというのはあくまで人々のためのもので、属性の持ち主自身には効かないんだ」

 誰かの幸せの力にはなれても、自分自身を幸せにすることはできないの?


 説明を続けるオーナー。

「光と闇の属性が公表されないのは、悪用される恐れがあるからだ。そこで王立魔法院としては光属性の持ち主と判明した君を保護したいと考えている」

「保護?」

「そう。君のことはまだ知られてはいないけれど、情報というのはどこで漏れるかわからない。どういう形がいいかはまだ検討中だが、王立魔法院ならば多方面に影響力もあるので君を守れるはずだ。それにできれば光属性の研究にも協力してほしいしね」


 なんだかもう思考が追いついていかない。

 そんな私に気付いたオーナーが苦笑した。

「ごめんね。急にいろいろ言われてもわからないよね。しばらくは普通に生活してくれてかまわないよ。王立魔法院で詳細が決まったら改めて伝えるけれど、僕が君の保護役になると決まっていることだけは言っておこうか」

「…わかりました」

 そう言って立ち上がる。


「ああ、帰りは送っていこう」

 差し出されたオーナーの手を拒む。

「申し訳ありません。1人で帰れます」

「いや、もう夜だ。人通りが多いあたりとはいえ危ないよ」

 首を横に振る私。

「ごめんなさい。しばらく1人になりたいんです」

「…わかった。どうか気をつけて」



 帰り道で考える。

 なんて馬鹿な私。勘違いしちゃってた。

 オーナーはめずらしい光属性のために動いていたのであって、別に私自身に好意があるわけじゃなかったんだ。

 こんな私が誰かに好かれるわけがない。今までだってそうだった。そんなの最初からわかってたじゃない。

 うっかり期待しちゃったのが間違いだったんだ。


 古いアパートにたどりつき、部屋のベッドに倒れこんで私は泣いた。

 明日は仕事が休みだし、オーナーからのお誘いもなかった。

 だから今はいくら泣いても大丈夫。


 泣き疲れた私はいつの間にか眠っていたようで、明け方に目が覚めた。

 タオルを濡らして腫れた目を冷やしながら、これからのことを考える。

 王立魔法院は光属性持ちの私のことを保護すると言っていた。研究に協力して欲しいとも話していた。

 今までのように自由に動けなくなるのかもしれない。


 それに保護役はオーナーになると言っていた。

 オーナーからすれば、私は仕事で世話すべき相手にすぎない。

 そして私にとってオーナーはいまや特別な存在だ。だけど、この思いが通じることはないだろう。

 近くにいることは出来ても、それはそれで正直つらすぎる。

 私の光属性のことを知っているのは王立魔法院だけのはずで、まだ他に知られているわけじゃない。

 仕事を辞めて、オーナーのことも忘れて、属性のことも置いといて、どこか遠くでやり直したい。

 うん、そうしよう!



 こうと決めたら行動は早かった。

 公設の職業紹介所へ行って仕事を探す。

 幸い好条件の仕事が見つかった。王都から遠く離れるけれど、むしろ好都合だ。

 地方の貸本屋にある魔法陣の調整のためオーナーがしばらく不在になる時期を狙い、私は店長に願い出て退職した。

「君が抜けるのはとても残念だなぁ。もう次の職は決まってるのかい?」

「いえ、しばらくのんびりしてから決めようと思います」

 店長、ごめんなさい。嘘をつきました。本当はもう決まってます。


 ただ、オーナーに何も言わずに去るのは申し訳ないと思ったので、残っていた栞に謝罪と感謝の言葉を綴った。

 オーナーのこれからの幸せを願いながら。




 国境に近い小さな町の役場に勤めて半年が経った。

 人手不足でいつも忙しいけれど、その忙しさのおかげで余計なことをあまり考えずに済んでいる。

 この町には小さいながらも図書館があり、休日はほぼ1日過ごしている。

「こんにちは。新刊が入ってきてますよ」

「えっ、本当ですか?」

 新刊の入荷は王都に比べればだいぶ遅いけれど、それでも本が読めるのは本当に幸せだ。


 役場で働いて図書館に通い詰めているおかげで、この町での顔なじみも増えた。

 来たばかりの頃は若い女性のよそ者がめずらしいのか、いろんな人から声をかけられた。それがきっかけで知り合いも増え、野菜や果物などをよくいただいたりする。


 そして国境を接する隣国では黒髪はわりと一般的だそうで、好奇の目で見られることもない。

 だからバンダナや帽子で黒髪を隠すのをやめた。それだけで気持ちもずいぶんと軽くなった。

 王都よりもこの町の方が私にあっているのかもしれない。

 ただ、時々忘れたくても忘れられない人を思い出してしまい、せつなくなることもあるけれど。



 休日明けは気分も新たに仕事に取り組む。

「あ、悪いけど応接室にお茶を5つ頼む」

「はい!」

 上司に頼まれてお茶の支度をして応接室の扉をノックする。

「失礼いたしま…」

 お客様の1人と目が合って、思わず言葉が途切れる。

 どうしても忘れられなかった人がそこにいた。

「あ…」

 向こうも私に気付いたようだ。


 今はものすごく動揺しているけれど、それでもお茶は出さなければならない。

 お茶をテーブルの上に置き終えて去ろうとすると、ガシッと腕をつかまれた。

「あ、あの」

 オーナーは私の腕を掴んだまま立ち上がる。

「すまないが、しばらく席をはずすので話を進めておいてほしい」

 トレイを持ったまま腕をひっぱられて、たくさんの人でごった返す役場のフロアを通り抜けて外に連れ出される。みんなの視線がすごく痛い。


 役場の前にある大きな木の下の木陰まで来ると、突然両肩をつかまれて真正面から見つめられる。

「あ、あの、オーナーはどうしてこちらへ?」

「この町に商会の支店を出すというので貸本屋も開こうと思って…って、今はそんなことはどうでもいいんだ!どうして突然いなくなってしまったんだ?!」

 大声に身体がびくっとする。

「地方から王都に戻ってみれば、君はすでに辞めていて住まいはもぬけの殻。引越し先は誰も知らない。何か犯罪に巻き込まれたのか、それとも誰かに属性を見抜かれて拉致でもされたのか、本気で心配して探していたんだぞ!」

「も、申し訳ありませんでした」

 初めてオーナーに怒られる。


 だがオーナーの怒り顔は一瞬で崩れ、今にも泣き出しそうな表情に変わる。

「僕が君を追い詰めてしまったのか?どうして王都を離れようなんて思ったんだ?」

 私は思いを吐露する。

「魔法院に保護されたら、もう自由がなくなっちゃうのかなって考えたんです。それで私のことを誰も知らないところへ行って静かに暮らそうと思って」

 オーナーの手は私の肩を離れ、自らの頭を抱えてしまった。

「すまない。僕がきちんと説明していればよかったんだな。決して君の自由を奪ったりはしない。王立魔法院は君に普段どおりに暮らしてもらって、何かあれば保護役である僕が対応する。そして時々協力を依頼する方向で話を詰めていたんだ。だから何も心配はいらない。一緒に王都に帰ろう」

 その申し出はとても嬉しい。でも。


「ごめんなさい。私、やっぱり王都には戻りたくないです」

「どうして?!」

 目の前には本当に泣き出しそうなオーナーの顔が迫る。

 オーナーは商談が終わればすぐに王都へ帰るだろう。

 だったら正直に打ち明けて、ここですべてを終わらせよう。


「私、オーナーが優しくしてくれるから勘違いしちゃったんです」

「勘違い?」

 不思議そうな顔をするオーナー。

「オーナーはめずらしい光属性が大事だから優しくしてくれただけなのに、私ってばオーナーのこと好きになっちゃってたんです。だから、オーナーのそばにいるのはつらいから離れようと思って」

 そこまで言ったところでオーナーの片方の手が私の頬に触れる。

「ああ、僕は本当に言葉が足りなさすぎたんだな」

 もう片方の手も伸びてきて、私の頬を包みこむ。

「君のことがずっと好きだった。光属性に気付くずっと前から」

「…え?」

 オーナーが、私のことを?


「君が貸本屋に入って間もない頃、雑談の折に身の上話をしてくれただろ?つらいことも多かっただろうに、1人で立つ強い女性だと思った。それと同時に僕に少し似ていると思ったんだ」

「私とオーナーが、ですか?」

 共通点なんて思いつかないんだけど。

「そう。自分で言うのもなんだけど、僕は出来がよかったみたいで8歳で王立魔法院に入った。子供の頃から親元を離れて研究に打ち込み、大人ばかりの魔法院ですごしたので同世代の友人は1人もできなかった。ほら、似てるだろ?」

 似ているといえば似ている…のかなぁ?


「あの、私、オーナーは美味しいお菓子のお店やレストランをいろいろとご存知だから、きっとたくさん友達がいて、いつも一緒に行ってるんだろうな…って、ずっとそう思ってました」

「違う違う!あれは君を連れて行くために調べまくって、事前に下見もしてたんだ」

「私のために?」

「そう、君だけのためにがんばってた」


 オーナーは私の頬から手を離し、一歩下がってひざまずいた。

「僕は君のことを愛しています。これからは君がいつでも心穏やかに過ごせるよう全力をつくしましょう。だから、どうか僕を選んでいただけませんか?」

 そう告げて私に手を差し出す。

「本当に、私なんかでよいのですか?」

「僕には君しかいないんです」

 そっとオーナーの手に私の手を置く。

「私も…オーナーのことが大好きです。これからよろしくお願いします」

「ありがとうっ!」

 立ち上がったオーナーに抱きしめられると、ふいに拍手が沸きあがった。


「おめでとう!めでたいねぇ!!」

「よっ!熱いね、お2人さん!」

「うちは万年人手不足なんだから、頼むから彼女を連れ帰らないでくれぇ!」

 役場の窓という窓から人々が顔を出し、みんなして言いたい放題だ。


 注目を浴び、恥ずかしさのあまりオーナーの胸に顔をうずめる。

「ここで君はいい人達と出会えたようだね」

 小さくこくんとうなずく。

「本当は今すぐにでも君を王都に連れ帰ろうと思ったけれど、逆に僕がここへ来るというのもありだよな。うん、そうしよう!」



 いったん王都へ戻ったオーナーは、転移魔法陣の実験と称して王都とこの町を行き来できるようにしてしまった。

 オーナーの保護下にあることと研究への協力も行うということで、王立魔法院は私がこの町で暮らすことを認めてくれた。

 人手不足の役場にはオーナーが商会の人材派遣を紹介し、慢性的な人手不足はとりあえず解消した。

 それを受けて私は役場を辞め、この町に出来た貸本屋で店長をしている。

 お店の2階が私…というか私達の新居だ。


 元職場である役場で婚姻の書類を提出した帰り道。

「そういえば君が王都の貸本屋を辞める時、僕宛てに残した栞には君の魔力の残滓が残っていた。あれは何を祈ったのかな?」

 ちょっと恥ずかしくなり、うつむきながらも答える。

「あれは…貴方が幸せでありますようにって」

 そして立ち止まった彼にぎゅっと抱きしめられた。

「それならもう叶ったよ。僕の幸せは君とともにあるのだから」

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