第3話 雨に紡ぐ
こんなこと、本当はしちゃいけないのはわかっているけれど。
校庭の植え込みに隠れるように立った私は、杏璃の傘の柄を両手でぎゅっと握りながら、生徒玄関に目を凝らした。強い雨がグラウンドの砂粒を叩き、跳ねた水滴が煙のように白く視界を遮っている。
火曜日は、杏璃は図書委員の仕事の後、一人で帰宅するはず。
長引く梅雨に生徒たちはうんざりして、放課後は大半がさっさと校舎を後にしていた。運動部は体育館にこもり、4階の音楽室から吹奏楽部の練習の音が聞こえる以外、玄関は人気がなかった。
待ち焦がれた杏璃の姿が見えて、はっとする。予想通り一人だった。靴を履き替え、傘立てを見て首をかしげている。そこにあるのは、紺地に白の水玉模様の杏璃の傘と似た、真新しい私の傘だけだからだ。
杏璃は別クラスの傘立てもうろうろと見て回り、困ったように玄関から少し身を乗り出して、黒い雨雲が立ち込める空を仰ぎ見た。
今だ。傘の柄を握る手が震えている。深呼吸すると、私は玄関に向かって、雨水を跳ねさせながら走っていった。杏璃が驚いたように私を見、そのまま傘に目を留めて、「あ」と口を開けた。
傘をたたんで玄関に入り、私は何度も頭で繰り返してきた台詞を言った。
「もしかしてこの傘、小松さんのかな? 私、間違って別の傘を持って行ってしまったと気づいて」
杏璃が微笑んで頷いた。
「よかった。すごい雨だし、どうやって帰ろうかって思っちゃった」
その笑顔の愛らしさと、騙してしまった罪悪感が胸に刺さった。
「ほんとごめんね。それ、私の傘。似てるでしょう?」と自分の傘を指さす。
「うん、似ているね」
だって、あなたの傘と似ているものをようやく見つけて買ったんだもの。
「わざわざ戻ってきてくれてありがとう」
「ううん、小松さんが帰るのに間に合ってよかった」
私たちは並んで傘を開き、玄関から出た。
ずっと願ってきた、二人きりの時間。
こんなにも鳴っている心音を雨音にかき消してほしいのか、
それとも、こんなにも私があなたを好きだと気づいてほしいのか。
私の本当の望みはどちらだろう。
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