一章 落ちこぼれの魔術師
ある噂があった。
イングランドには、巨大な魔術師の組織があると。
ある噂があった。
ロンドンのどこかに魔術師の学校があると。
ある噂があった。
魔術学校の地下には、怪物が閉じ込められていると。
ある噂があった。
魔術師は他人の心臓を喰らい、魔女になるのだと。
根も歯もない噂である。
オカルト雑誌だって相手にしない、ありふれた噂である。
それでも噂の一つ目と二つ目は本当だ。
「魔女機関」
それが、魔術師の組織の名前。
「魔女機関付属魔術師学校『エウレーカ』」
それが魔術師の学校の名前。
三つ目の噂は半信半疑だ。
『エウレーカ』は三十年前に移設されてできた建物だが、移設前は古い牢獄であった。
かつて牢獄には魔術師たちの手に負えない怪物が閉じ込められていたと、学生の間で七不思議として代々語り継がれている。
四つ目の噂は、真偽不明。
魔女である本人しか本当のことを知らない。
それでもティファニー・キテラ・エディーンは最後の噂に縋らずにいられなかった。
二〇一九年六月二十一日。一年で一番日の短い夏至の日。
たったの紙切れ一枚が、ティファニーを絶望のどん底に突き落とした。
『不合格通知。この度の試験に於いて汝を魔術師見習いとして認めず。これにより魔女機関における教育を停止。退学とする』
それは、魔術師としての卒業を認定しないティファニーへの最後通告。魔術師として教育されながら、それに認められなかった結果だった。
並ぶ文字の羅列全てが、ティファニーを射殺すようだ。たった一枚の紙切れ一つに十五年の人生を否定された悲しさで、小さな少女はは通知書を強く握りしめた。
ティファニーは、孤児だった。天涯孤独の赤子であったティファニーを「魔術の才がある」と拾われて、魔術師の家で育ってきた。
しかし、ティファニーの才能が開花することはなかった。
子供のころからだれもが使える魔術でさえ、ティファニーは使うことができなかった。
きっと大器晩成なのだ。大きくなればきっと魔術を使えるようになると、義母や義兄は励ましたが、ティファニーは不甲斐なさでいつも泣きそうになっていた。
せめて知識だけはと勉強だけは努力をして、筆記だけはトップを保って進級することができた。
それでも、魔術学校の教師たちは魔術の使えないティファニーを落ちこぼれ扱いし、同級生からも憐みの目を向けられていた。
ただ、義母ウルスラのように人を喜ばせられるようになりたかった。義兄セオドアのように誰かを守る仕事をしたかった。しかしその夢は今日で潰えたのだ。
魔女機関付属魔術学校『エウレーカ』
ロンドン市内にあるヴィクトリアン様式の校舎は、十九世紀に建てられたものをリノベーションして使っているのだという。
かつては牢獄であったともいわれているが、そのようなおどろおどろしい面影はなく、明るい光の差し込む校舎には常に子供たちの声が響いていた。
夏至のガーデンパーティーを前に沸き立つ校内で、ティファニーは廊下でただ一人、暗い顔をしてロッカーの荷物を片付けていた。
ぼろぼろになるまで読み込んだ教科書や無意味にすり減ったインクのペンを鞄の中に放り込んでいく。ロッカーの内側に張り付けたキャラクターもののステッカーを剝がそうとして失敗し、白い紙がこびり付いてしまった。
はあとため息をつく。ふと顔をあげた先の鏡に薄褐色の肌に星色のショートヘアーの少女が映った。蜂蜜色の目は今にも泣きそうで、ひどい顔をしていると自分ながらに呆れた。
「おいティファニー、もうロッカーの片付けかよ。卒業式にはまだ早いぜ?」
嫌な声が後ろからして振り返ると、そこにはにやにや顔を浮かべた少年たちが立っていた。
茶髪の少年、ザックが意地悪い顔をしてティファニーに近づいてくる。
「まさか認定試験に落第して退学するんじゃないよなあ?ティファニー?のんびり屋のマーフィーでさえ受かったんだぜ?筆記トップのお前なら受かるよなあ?」
「…………」
ティファニーは聞こえないふりをして残りの荷物を鞄の中に詰め込んでその場を後にしようとした。しかし
「
取り巻きの一人が杖を取り出して呪文を唱えると、ティファニーの革製の鞄が音を立てて裂けた。裂け目からどさどさと落ちて散らばった荷物を、ティファニーは慌ててしゃがんで抱え込む。
「ごめーんティファニー。詠唱魔法の“練習”をしていたんだけど的を外したみたいだ。でも修復魔法を使えばすぐに元通りだよな?」
「ッ…………」
ティファニーは黙って歯噛みし、少年を睨みつけた。ティファニーが魔法を使えないことを知っていて、クラスメイトの少年たちは度々こうしていじめを仕掛けてきていた。
しかし泣いてはいけない。それは奴らを喜ばせる。言い返してはいけない。それは奴らの思う壺だ。
奴らの行動に、意味なんてない。ただ蹴った犬がキャンと鳴くから面白いだけだ。だったら徹底して無視してやり過ごすしかない。
ティファニーはきゅっと唇をかみしめてその場から逃げ出そうとする。
反応してはいけない。焚きつけてはいけない。そう自分に言い聞かせながら。
「ただの人間と魔術師を間違えて育てるなんて、名門のエディ―ン家も名が落ちたな!」
「ッ!…………撤回して」
己を抑えようとした時にはすでに遅く、怒気を孕んだ声が唇を飛び出していた。
「あ?」
自分のことは散々言われようがどうでもいい。何年も劣等生をしていればそんなことは慣れてしまう。しかし自分を育ててくれた家族を貶されることはどうにもティファニーには許せなかった。
「撤回して、って言ったの。義母さんたちは関係ないでしょ!この大まぬけ野郎!」
怯えと怒りの入り混じった表情で冷や汗をかきながらティファニーは叫んだ。
すぐさま後悔が襲う。言ってしまった。絶対にザックの怒りを買ってしまった。しかし同時に、まあいいかと諦めの感情が湧いた。どうせ今日でなにもかもがおしまいなんだ。
「本当、あなたって最低!紋章魔術を毎回書き間違えるし、徒弟先も決まってないのに人の悪口を言うことしかできないくせに、一人前の魔術師ぶってバッカじゃないの?まああなたを弟子にしたい魔術師なんていないでしょうけどね。せいぜい今から頭を下げる練習でもしておけば!?」
これで最後と思った途端に、自分でも驚くほどにつらつらと罵倒の言葉が飛び出していた。
ティファニーの大声に、廊下にいた全員がこちらに注目していた。
喉はカラカラに乾いて上せそうだったが、もうどうだって良かった。
ザックはつかの間、目を見開いて面食らっていたがすぐさま顔を真っ赤にしてティファニーを突き飛ばし、馬乗りになった。
廊下にいた女子の悲鳴が上がり、一気に場が騒然とする。
「ただの人間風情が調子に乗ってんじゃねえよ!」
ザックはがティファニーの右腕を掴み、荷物から奪い取ったペンで何らかの紋様を腕に描き始めた。
「な、なにするの!やめてよ!」
「おい暴れんなよ、スペルがずれるだろ!」
ザックはにやにやと笑いながらティファニーの腕に紋様をスラスラと書いていく。
「バカにしやがって。そんなに言うならお気に入りの紋章魔術でお前のこと、豚に変えてやるよ。食材になれば少しは役に立つだろ?」
「やだ!やだやだやめて!離して!!」
やっぱり、あんなこと言うんじゃなかったとティファニーはすぐさま後悔した。どうにか身を捩ってザックの下から逃げ出そうとするが、体格の良いザック相手ではびくともしない。
周囲の取り巻きたちははやし立てる様に下品な笑い声をあげている。
「あはは!ハナシテェ!だってよ」
「やってやれザック、能無しティファニーに魔術師様との違いを分からせてやれ!」
「落ちこぼれに恩情かけてやってんだよ。感謝しな」
「うひひひひひぶひひ……ぶひ?」
突如、笑い声が次第に奇妙な鳴き声へと変わりはじめた。
何事かと少年の一人が隣を見ると、仲間の一人の鼻がどんどんと短くなっていった。
「おい、お前!鼻が!ぶひに!?」
「ぶひ?お前こそぶひひひ?」
「ぶひい!ぶひひ!ぴぎぃ!」
「な、なんだ!?」
取り巻きの少年たちは、みるみるうちに体が縮み、丸い子豚へと姿を変えていく。
ザックは周りの少年たちの姿が変わっていることに気が付いて慌てふためいたように声をあげた。
「あら。図体が大きいせいで、少し効きが悪かったかしら?それじゃあもう一度。『フィエリ・ポルクス』」
澄んだ少女の声が響いたかと思うと、ザックの姿もあっという間に変化し、丸い子豚になってしまった。
「まあまあ随分可愛い子豚ちゃんだこと。その方が小回りが利いていいんじゃないかしら?ザック」
革靴の音を鳴らしながら、黒髪の少女が現れる。
「でも残念、食用に出されてしまうんですってね?さて、いったいどの子から食べられちゃうのかしら?」
にやりと薄い唇を弧に曲げて、少女は品定めするように子豚たちを覗き込んだ。
「ぴぎー!」
少女の姿を見るなり、子豚に変えられた少年たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
残されたティファニーは呆然としたまま突然現れたヒーローを見上げていた。
「ほらティファニー。いつまで寝っ転がっているの?」
「う、うん。ありがとう、オリヴィア」
戸惑いながらティファニーは立ち上がってスカートに着いた埃を払った。一連の騒動を見ていた生徒たちは、オリヴィアを見るなりそそくさと立ち去ってしまった。
「別に、あいつらが不愉快だっただけ。呪文魔法も使えないのにイキがるなんて、十年早いっての」
そう言いながらオリヴィアは細い木製の杖をついっと振ってティファニーの鞄を叩いた。破けた箇所が元通りになり、散らばった荷物も吸い込まれるように鞄の中へと入っていく。物体の時間を巻き戻す、ちょっとした時間遡行魔術だった。
「……さすが、学年トップの魔法は違うね」
「当たり前でしょ。優等生ですから」
オリヴィアはそう言いながらその名に相応しいオリーブ色の目でウィンクしてみせる。
オリヴィア・ネメシュはティファニーの同級生で学年主席の優等生だ。ティファニーにとっては雲の上の人のような存在であるが、どういうわけかオリヴィアはティファニーをよく気にかけてくれている。
おそらくはティファニーにとって唯一、友人と呼べる存在だ。
オリヴィアはティファニーの右腕を取って、少年の書いた魔術のスペルを確認する。
「なーんだ。結局紋章魔術だって間違ってるじゃんあいつ。だっさ!」
そう言いながらオリヴィアは自分の鞄から魔術用のペンを取り出し、何事か書き加えた。
「え、えと……これは、守護の紋様?」
「お。正解〜!さすが筆記テストは一番取ってるだけあるわねティファニー」
オリヴィアはにっこりと笑いながら最後のスペルを跳ね上げた。インクを乾かすようにふう、と息を吹きかけると文字の書かれた部分が一瞬、わずかに光った。魔術が有効になったことの証明である。
「途中で変なスペルミスしてたから、そこからできる呪文で書き加えてやったわ。シャワー浴びたら落ちると思うけど、まあそれまでのお守りってことで」
「ありがとう、オリヴィア……。私なんかのために」
「コラ、私なんか、とか言ったらダメでしょう。ティファニーは頭いいんだから」
「あんなの、頑張って覚えてるだけだよ。使えなきゃ意味ないんだし……。それよりも、オリヴィアは魔術局に徒弟に入るんだよね!すごいなあ。さすがエリートって感じ」
あからさまに話をそらしたティファニーにオリヴィアは肩をすくめて見せる。昔から、ティファニーは褒めようとするとすぐに謙遜して話をそらそうとするのだ。
「まあね。本当は防衛局に行きたかったんだけど、今年は人数が足りてるんですって。まあ、異動を待てばいつかは行けるでしょ。ティファニーこそ、進路決まったの?」
「……………………まだ、決まってないんだ」
俯きながら言うティファニーを、オリヴィアはなんとか励まそうとする。
「ま、魔法が使えなくてもさ。きっとできることはあるよ!魔術図書館の司書とか、会計士とかさ!」
「……励ましてくれてありがとう。でも私、結局試験に落ちて退学になったから、きっとどこにも入れないよ」
「……………………そう」
ティファニーの言葉に、オリヴィアはかける言葉を失ってしまう。
「…………これから、どうするの?」
「わかんないけど……義母さんたちに迷惑はかけたくないから、家を出ることにはなるかな……」
「そんなの、ウルスラさんたちが許すわけない!何か手立てはないの?まだ魔法が使えないって、本当に決まったわけじゃないんだし……」
「ッ…………」
オリヴィアは必死にティファニーを慰めようとしたが、今のティファニーにはその優しささえ、刺さってしまう。
「ありがとう、オリヴィア。でも、私は魔法が使えないのは本当なんだ」
十五年かけて、魔力の発現を待っていた。魔法が使えるためには、なんでもやった。それでもティファニーは、魔法で物一つ浮かすことさえできなかった。
「ザックの言うことを認めたくはないけど、やっぱり私、間違えて育てられた子なんだと思うんだ」
鞄をぎゅっと抱えながら、ティファニーは泣きそうなのをこらえた。ザックらの前で泣くも嫌だが、友人であるオリヴィアの前で泣くことのほうが嫌だった。
「…………ティファニー、あのね。これは先輩から聞いたんだけど」
オリヴィアは少し言い淀むように、ある噂話を口にする。
「魔術師が他人の心臓を食べると、魔女になれるって話、知ってる?」
「うん、知ってる」
それは生徒たちの間でまことしやかに伝承される都市伝説の一つだった。
「それでね、人の心臓を食べるとか、多分犯罪だと思うんだけど……でも、この学校の地下には『生ける屍』の怪物が眠っているって話なの」
「……うん」
それも有名な七不思議の噂話だった。かつて牢屋であった校舎の地下深くには、取り残された怪物が眠っていると。
ティファニーは、オリヴィアが何を言おうとしているのか、分からなかったがひとまず最後まで話を聞こうと頷いた。
オリヴィアの目に優等生らしからぬ、迷いが浮かんで見えたからだ。
「もし、もしもだよ?ティファニーが都合よく、『生ける屍』の心臓を食べて魔女になったら、それはティファニーが魔術師だってことで、今までやってきたことはなにも間違ってなかったって言えるんじゃないかって………」
「…………………」
はたと、ティファニーは目の前に光明が浮かんだような気がした。それは、今までに考えてもみなかった手段だった。
しかしオリヴィアはかぶりを振って自らの言葉を取り消した。
「ごめん、やっぱりいまのはなし。荒唐無稽すぎて自分で自分に呆れそう」
「ううん、気にしないで。オリヴィアなりに気遣ってくれたんでしょ?それならうれしいよ」
ティファニーはできるだけ自然に笑顔を取り繕って気にしていないふりをした。
「そう?ならいいんだけど……。進路の件、どうにかできないか私も考えてみるから、絶対に諦めないでねティファニー」
「……ありがとう、オリヴィア」
オリヴィアの言葉をティファニーはほとんど上の空に聞き流していた。頭の中では、どうやって生ける屍を見つけるかでいっぱいになってしまっている。
荒唐無稽でも、眉唾でも、試してみる価値はあるはずだ。
なぜならこれが、自分が魔術師であるといえる、最後の証明方法なのだから。
#
フィリップ・マートンには後が無かった。パンケーキのように無限に積み重なる借金はもはや真面目に働いたところで返せる額ではなく、期日までに返さねば二つ目の腎臓を捧げるほか無くなってしまう。
そんな折に舞い込んだ高額の依頼はまさにチャンスであり、同時に人生を棒に振るか否かの大博打であった。
フィリップたちはマジックアイテム専門の泥棒集団であった。本人らはそれらしく「トレジャーハンター」と名乗っているが、中身はただのごろつきばかりだ。唯一、フィリップだけは過去に地方の魔術学校を卒業した死霊魔術師——ネクロマンサーであった。
依頼人の要求は『生ける屍』の盗掘。場所は魔術学校『エウレーカ』の地下深く。
曰く、魔術学校『エウレーカ』はかつて牢獄であったという。そこには魔術師の手に負えない怪物たちが閉じ込められており、特に手に負えないものは地下の奥深くへと幽閉されたという。
しかし、牢獄が使われていたのは第二次世界大戦前までであり、三十年ほど前に学校の移設先として再利用されたが、地下まではリフォームされずにそのまま残っている。というのが、依頼人から聞いた話であった。
夕方。魔術学校『エウレーカ』の向かいのコインパーキングに停められた黒いワゴン車のには長い黒髪に無精ひげを生やした陰気な男と筋骨隆々で禿げかかった赤毛の男が乗っていた。
「なあ、フィリップ。本当にこんな学校に依頼人の言う死体があるのかあ?」
赤毛の男……アダムスが不満げな声をあげる。彼もまた、フィリップと同じように借金を抱えていた。アダムスの齧るポテトチップスのカスが座席に落ちるのを苛立たしく思いながらフィリップは舌打ちする。
「いいから素人は黙ってろ」
「だってさ、どう見ても普通の学校だぜ?『私立エウレーカ学園』って。よく知らねえけどいいとこの坊ちゃん嬢ちゃんの通いそうな名前だ。そんな場所に死体なんてあると思えないね」
「こういうお高く留まった学校ってのは古い建物を使っているから地下に骨が埋まっているなんてよくある話なんだよ。それにここはただの学校じゃねえ。魔術学校だ。普通の学校とはわけが違う」
「ふうん」
アダムスは興味なさげに指についたポテトチップスの油をズボンに拭いつけた。それを見てフィリップはもう一度、チッと舌打ちした。
アダムスはマジックアイテムを盗み出す仲間でありながら、魔術に深い関心を抱いていなかった。マジックアイテムのことをオカルトマニアの喜ぶガラクタ程度にしか思っておらず、フィリップの魔術も科学の発展くらいにしか捉えていないお頭の弱さだった。
今回の依頼品である『生ける屍』についても少しも興味を示す様子はなかった。
『生ける屍』
それがどういったものであるのか、フィリップも詳細までは知らない。しかし聞いた話によれば何十年も昔に亡くなっているにも拘わらず、生前と同じ姿をしているとの噂だった。
ネクロマンサーの端くれとしては、興味の引く話ではある。依頼人に渡す前に少しばかり研究してみたいものだ。
フィリップはカーナビの備え付けた時刻を確認する。時計が指示しているのは午後六時前。『エウレーカ』の方を見ると校門のあたりにだんだんと人が集まり始めていた。
「ほら見ろ。ガーデンパーティーが始まるぞ。今のうちに潜り込もう」
フィリップは仕事道具をポケットに詰め込んで車から降りた。
「気張っていくぞ。今夜を逃したら、俺達には後がないんだ」
魔術学校『エウレーカ』は公には普通の私立学校ということになっている。
当然だ。魔法を習うための学校であるなど、大通りに看板を出せるはずがない。魔術は世間に秘匿されているのだから。
故に『エウレーカ』もまた強固な警備で守られ、魔術を使っている様子は外から見えないようになっている。
そんな『エウレーカ』が一年に一度、警備が緩む日がある。
一年で一番日が長い夏至。九時を回っても明るい夜は若き魔術師たちにとって一大イベントの日でもある。
「夏至のバカ騒ぎ」
その昔、魔術学校の生徒が夏至の日に家に帰らず、日が沈むまで大騒ぎをしたことをきっかけに『エウレーカ』では庭を解放したガーデンパーティーが行われ、日没まで踊り明かす決まりになっていた。パーティーには保護者も参加し、一種の交流の場となっている。
当然入れるのは招待状を持った関係者のみ。
しかしフィリップたちは今回、招待状を手に入れていた。
「あの少年、簡単に騙されてくれて助かったぜ」
数日前、フィリップは『エウレーカ』から出てきた一人の少年に取引を持ち掛けた。
「自分は魔術師で娘が『エウレーカ』に通っているが、妻に離婚されたため娘に会えずにいる。夏至のガーデンパーティーの日に校内へ入るために招待状を譲ってくれないか。もちろんお礼はするから」と。
親への反抗期真っ盛りの子供であれば、学校に親を呼ぶ招待状など破り捨てたいものだろう。そう睨んではいたがまさかこうもあっさり騙されるとは思わなかった。あるいは「お礼」のゲーム機につられたのかもしれなかったが。
「ザックくんには感謝しないとね」
フィリップとアダムスはほくそ笑みながら校門を潜り抜けた。
#
盛大な花火の音と共にガーデンパーティーが始まった。
ゲームに料理、音楽とダンス。夏至の夜を祝う子供たちのバカ騒ぎ。
日のあるうちは子供の時間
だれも僕らを寝かせない
日が沈むまでは子供の時間
誰も僕らを咎めない
日よ、落ちるな
僕たちをいい子でいさせたいなら
日よ、もっと高く
僕たちはまだ家に帰らない
誰ともなく、伝統の歌を口ずさむ。それは最初に「夏至のバカ騒ぎ」を起こした生徒たちが口ずさんでいた歌だと言われている。
ガーデンパーティーの喧騒を遠くに聞きながら、ティファニーは地下へと繋がる入口を探していた。
地下室へ繋がりそうな入り口はいくつか心当たりがあった。
一つ一つしらみつぶしに探して行くこと数時間。ようやくティファニーは目当ての扉を見つけることができた。
校舎の裏側。庭がある方面とは真反対の、誰も来ないような茂みの中に鉄格子のドアがあった。
「本当にあった……」
意地になって探しておきながら、まさかあるとは思っていなかった。
ティファニーははやる気持ちを抑え、用務員室からこっそり持ち出した大型ペンチを構えた。しかしティファニーの意に反し、鉄格子のドアは少し引いただけであっさりと開いてしまった。
「え……」
まさかずっと開きっぱなしなのか?いいや、そんなはずはない。いくら校舎の裏とはいえ誰もずっと点検に来ないとは考えにくい。
「…………」
ティファニーは一応、気をつけながら地下室の中へと入っていく。夏至の薄明かりに照らされた外とは違い、一歩入っただけで漆黒に包まれるようだった。
スマホのライトをつけて地下室の階段を照らす。目の前には底無しの階段が地下の奥深くまで続いていた。
ちらりとスマホ画面の時刻を確認する。現在の時刻は八時五十分。ガーデンパーティーが終わるのは大体九時半だ。それまでには戻ってこようと心に決めてティファニーはゆっくりと階段を降り始めた。
長い階段を歩きながら、ティファニーはなんとなく、ギリシャ神話のオルフェウスの話を思い出していた。
冥界下りの物語。死んでしまった恋人を冥府のそこまで迎えにいくお話だ。
(本当に冥府まで続いていそう)
いつまでも続くかと思われた階段は、不意に終わりを迎えた。突然、開けた空間に出ると目の前には長い廊下が現れた。その左右には鉄格子で囲われた部屋が連なっている。
地下室の中はひどくカビ臭い匂いで、湿った空気と共に匂いが鼻腔に張り付くようだ。
「わあ……本当に牢獄だったんだ……」
半信半疑だった噂話の真相を前にティファニーは少しだけ感動して、そして少しだけ怖くなった。
それでもすくむ足を鼓舞して、ティファニーは一歩一歩、前へ進んでいく。
スマホのライトが映し出す景色は異様な光景だった。牢屋の中はすべてもぬけのからだったが、唯一、名札のようなものだけは手前にいくつか残っている。
「アーロン、アラン、アーチボルト……ベンジャミン、ブランドン……」
名札を眺めていくうちに、ティファニーはそれがABC順であることに気がついた。そして同時にしまったとも思う。
「『生ける屍』の名前、知らないや」
これは長い探索になってしまいそうだ。せめて名前が分かれば当てはつけられたのに。
今日は途中で引き返すべきか?とティファニーが悩んだその時、牢獄の奥から人の話し声が聞こえてきた。
「おいフィリップ。見つかったか?」
「いや、全然だ。ちくしょう、一体どこあるんだ」
ティファニーは咄嗟にスマホのライトを消し、すぐそばの牢獄の中に隠れた。
心臓が早鐘を打つ。
誰かがいる。ゴーストか。地下に住む魔物の類か。
どちらにせよティファニー一人では対処できない相手だ。特にゴーストはタチが悪い。彼らは基本的に悪戯好きで、平気で一ヶ月ほど子供を攫ったりする。
とにかく声の主に見つからないよう、ティファニーはこっそりと牢獄の奥へと移動しようとした。
しかし、暗闇の中でティファニーは気づけなかった。
自分のいる牢獄の一部が老朽化し、床が抜け落ちていることに。
「キャッ!?」
小さな悲鳴をあげて足を滑らせ、ティファニーはそのまま床の下へと落ちた。
次に襲ったのは全身を殴打する激痛と、木製の板が割れるような音だった。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
あまりの痛みに声を出せずにいると、上の方から声がした。
「アダムス、なんの音だ!?」
「さあ?入り口の方から聞こえたけど………」
「見てこい」
ティファニーは痛みで泣き叫びそうなになるが、下唇を噛んで必死に耐えた。
かつかつと、上から足音が聞こえてくる。その音を聞いてティファニーはああ、と気がつく。上にいるのはゴーストでも魔物でもない。人間だ。
それはそれで、ゴーストや魔物よりもずっとタチの悪いものだ。この状況では最悪と言ってもいい。
(泥棒……?)
学校の中に泥棒が入っている。自分たちの学舎を土足で踏み荒らす部外者がいる。ティファニーは全身に冷や汗をかくのを感じた。
もしも見つかったらどうしよう。目撃者として、殺されるかもしれない。浅く呼吸をしながら、ティファニーは手にした巨大ペンチを握り直した。
そうなっては『生ける屍』探しどころではない。本当の本当に、命が終わってしまう。
ティファニーは祈るように拳を握り込んで必死で息を殺した。
やがて足音は遠ざかり、離れた場所から声が聞こえてきた。
「何もないぜフィリップ」
「よく探したのか?」
「ああ。それよりも早くお目当てを見つけに行こうぜ」
そのまま二人分の足音が聞こえなくなるのを待って、ティファニーはようやく安堵のため息をついた。
音を立てないようゆっくりと身を起こし、体の無事を確認する。所々擦り切れたり痛みはあるものの、骨は折れていないようだ。腕を確認すると、オリヴィアの書いた紋章が少し、薄れていた。どうやら彼女の魔術が守ってくれたようだ。
スマホのライトをつけて天井を照らすと、自分が落ちた穴が見えた。人一人がちょうど通れるような小さな穴だった。
見つからなくて本当に良かったとティファニーは再度、安心する。
(それよりも、私一体何の上に落ちたんだろう?)
自分が落ちた物にライトを向けてティファニーは驚愕した。
それは木製の箱だった。恐らくはティファニーが落ちた衝撃で壊れたのだろう。箱の上面は粉々に割れて、中のものが覗き見えていた。
音を立てぬよう、割れた板を取っ払ってティファニーは息を飲む。
「!」
それは、死体だった。皮と髪の残るミイラのようなおどろおどろしい姿に、悲鳴をあげそうになるのを堪えながら、ティファニーはゆっくりとライトを翳す。光は、死体の左胸のあたりで止まった。
そこにあったのは、胸骨を貫く錆びついた鉄の杭と、杭に貫かれてなお脈動する、一つの心臓だった。
(これが、生ける屍……)
不思議と恐怖はなかった。
それよりも目的の宝を見つけた高揚感で、ティファニーの胸は高鳴っていた。
(本当にあった……生きている死体。動いている心臓。これを食べれば、もしかしたら……もしかしたら………)
錆びついた杭に手を伸ばし、引き抜こうとするがうまくいかない。
体を貫いている杭は想像以上に深く刺さっているようだ。
ならばとティファニーはスマホのライトを箱の端にセッティングし、大型ペンチで杭を挟み込んだ。呼吸を整え、箱の端に支点を置いて一気に押し込む。
「ふん〜〜〜ッ!」
必死に力を込めていると不意に杭が抜ける感覚が手の中に伝わってきた。
「やった!」
思わずティファニーが声を上げたその時。死体の瞼が開き、突如むくりと起き上がった。
「えっ」
「あ あ ああああ あああ!!」
男とも女ともつかないしゃがれた咆哮が轟く。
死体の骨に赤黒い肉塊がまとわりつき、それは無数のミミズが這いずり回っているようだった。
肉が張り付き始めた骸骨の腕がティファニーを掴み、ぐっと引き寄せた。
「ひっ!?」
顔らしき部分に、うぞうぞと赤黒い肉が蠢いていく。肉塊の中央あたりに白い眼球のようなものが現れた。怪物はエメラルドのような色をした瞳でティファニーのことを据える。
「あ、ああいあおおお………」
怪物が鋭い犬歯をみせながらニイッと笑うのを見て、あまりの悍ましさにティファニーはそこで気絶してしまった。
#
「あ あああ?あれ?もしもーし……気絶しちゃった?」
怪物はようやく己の声帯を取り戻すと正常な声で少女に語りかける。
しかし、当の少女は怪物の恐ろしさに気を失っているようだ。
「あー、でも確かに初対面でこんな姿じゃびっくりするよねー」
怪物はずるずると自分にまとわりつく肉塊を整えながら独り言をつぶやく。
筋肉を美しく整え、白磁の肌を上に貼り付けていく。頭部からは金色の髪が滝のように流れ落ち、ゆるりと波打った。
伸ばし終えた髪をかき上げると、そこには切れ長の美しいエメラルドの目をした顔が現れた。
「うん?あれ、寝る前こんな格好だっけ?まあいっか。大体あってれば」
怪物は大きく伸びをしてあたりを見回す真っ暗な牢獄は眠る前よりも随分荒れ果てているように見えた。
「げ、もしかして寝過ごした?今って西暦何年だろ……」
少し考えて、とりあえず外に出ればわかるだろうと怪物は立ち上がった。
ふと、足元に転がっている光る板に気付いて、怪物は少女と板を見比べる。
「うーん……まあ、とりあえず全部持っていこ」
そう呟くと怪物は少女と少女の持ち物を抱え込んで天井に空いた穴へと飛んでそのまま外へと出て行ってしまった。
「さあて、久しぶりの娑婆の空気だ!」
その足取りはまるでバカンスに向かうかのように軽やかに跳ねていた。
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