第18話 魔法協会

 受付の悲鳴を皮切りに、支部内はザワザワと騒がしさが広がっていった。


 あちらこちらで聞こえてくる「アークトゥルス卿」という単語。


 同時にこちらに向いてくる視線に、気恥ずかしさを覚える。


 予想はできていた事態であるが、いざ体験してみると今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「なんだ、そんなに驚くことか?」


 だが当の本人は全くの無関心。


 それどころか疑問を呈した。


 この人は本当に……っ!


 呆れを通り越して、感心すら覚える。


 これだけ上り詰めてもなお、本質が変わらなかったということなのだから。


 しかしもう少し立場というものを自覚して欲しいのも事実。


 振り回されるのは周りの人なのだから。


「も、申し訳ございません!」


 すっかり青ざめてしまった受付の方。


 見ていて心が痛い。


 完全にこの人は悪くない。


 誰も一等級魔法師が尋ねてくるなんて思いもしないのだから。


 強いて言うならレイモンドが悪い。


「師匠……今までもこういうことありませんでしたか?」


 未だ悪びれもない様子のレイモンドに呆れ顔で声をかける。


「まあ何度もあるな」


 レイモンドはそう答える。


 いつも通り笑みを浮かべながらだ。


 そこで流石に察しがついた。


「師匠……気づいてますよね?」


 いくら鈍感だとしてもこれはない。


 この人、この状況を楽しんでる。


「ん、何のことだ?」

「いい加減にしろ」


 なおも惚けるレイモンドにポカンとパンチをお見舞いする。


「はっはっは、流石にバレたか」

「性格が悪すぎますよ……」


 日頃の無頓着さも相まって騙されるところだった。


 どんな人でも裏の顔というのはあるってことだ。


「おいおい心外だな。喝を入れるためだよ、何事も油断せずに対応するようにってな」


 どこかで聞いたようなセリフ。


 もちろん半分はその意味も持っているのだろうが、もう半分は絶対におふざけだ。


 その笑顔が物語っている。


「ってことで、油断しないようにな」

「はぁ……はいはい」


 これ以上何かいうのも面倒なので、嫌々ながらも頷いた。


「よし、それで見学の件は良いんだな?」

「あ、はい! もちろんでございます。そちらの方もご一緒でしょうか?」


 唐突に話を振られた受付が俺の方を見た。


 好奇の眼差し。


 受付の方からすれば俺は一等級魔法師と共に現れた謎の少年。


 気にならないわけがないか。


「ああ、こいつで間違いない」

「えっと……どのようなご関係で?」

 

 気まずそうに尋ねる受付の人。


 レイモンドは口角を上げる。


 やばい、嫌な予感がする。


「俺の弟子だ」

「あ、お弟子さん……え、弟子ですか!?」


 またしても驚愕の声。


 今度は一斉に俺に注目が集まった。


 周囲からの好奇の視線が痛い。


「ああ、正真正銘のな」


 レイモンドは楽しそうに答える。


 またこの人は……っ!


 最悪だ。


「ええっと、お名前をお聞きしても」


 受付の人に視線を向けられる。


 レイモンドはニヤニヤしたまま俺を見た。

 

 気が引けるが、俺の口から言うしかないようだ。


「……ノーム・レスティです」

「ノーム・レスティ……ノーム、ってあのノーム・レスティ!?」


 またもざわめき。


 レイモンドに至っては大声で笑いだしている。


 本当最悪だ。


「あ、し、失礼しました!」


 俺の顔と共に悪評をも思い出したのか、顔を青ざめて謝罪を告げる受付。


「い、いえいえ、大丈夫です」


 俺は首を振る。

 

 直後、受付含め数人がギョッとした顔で俺を見た。


 言わずもがな、俺の対応が予想と違ったからだろう。 


「それでえっと、ノーム様は本当にアークトゥルス卿の……」


 言いずらそうに尋ねられた。


 本当申し訳ない。


「一応は……はい、そうです、ただ家庭教師という形ではありますが」


 事実は事実として、嘘をつかず肯定した。


 しっかりと補足も付け加えることも忘れない。


 だがそれが返って困惑させてしまった。


「え、か、家庭教師ですか? アークトゥルス卿が?」


 あー、そうだよな。


 普通はそんな反応になる。


 あえて言うべきじゃなかったか。


「色々ありまして……一時的にですが家庭教師としてアークトゥルス卿についてもらうことになったんです」

「な、なるほど……」


 まだ完全に納得はしていないようだったが、驚き疲れたのかこれ以上の質問を飛ばしてくることはなかった。


「お、話は終わったか。随分長かったな」

「……お陰様で」


 皮肉には皮肉で返す。

 

「おいおい、全部俺が悪いみたいな目で見るんじゃねえよ。あんたを驚かせたのはノームもだろ? なあ?」

「え、ええっと、まあ、そうですね」


 レイモンドの振りに、受付の人が苦い顔で答える。


「くっ、否定ができない」


 俺も俺で自分が有名であるという自覚が少々足りていなかったか。


 いや、気を付けていても、結局レイモンドに台無しにされる気がする。


「はっはっはっ、まあ気にすんな」


 あんたには言われたくない。


「ってことで早速案内を、任せてもいいか?」

「え、あ、はい! 畏まりました!」


 レイモンドが案内する流れじゃないのか。


 受付の人もまかさ自分が案内するとは思ってなかったみたいで慌てている。


 本当、自由というか自分勝手というか。


「ではノーム様、初めに魔法協会の工房についてご存知でしょうか」

「はい、一応は」


 ゴホンと咳払いをして受付の人は説明を始める。


「では改めてご説明させて頂きますと、現在の魔法協会は魔法工房シリウス、開発工房カノープス、そして対魔工房アークトゥルスを始めとして大小様々な工房が集って構成されています」


 決して大きな会派とは言えない対魔工房を入れたのは、明らかにレイモンドに対する忖度だろう。


 現にレイモンドは満足でに、うんうんと頷いていた。 


 やりにくいだろうな。


「勘違いされがちですが、これらの工房は魔法協会の中にあるというよりは、工房によって魔法協会があるという認識の方が正しいのです」


 一応、俺も魔法師だった。


 言っていることは理解できている。


 彼女の言いたいことは、魔法協会の本質は工房にあるということだ。


 魔法協会というものは一つの組織として動いているのではなく、各二十一の工房がそれぞれ独立して動いている。


 時には対立したり、時には協力したりとその関係性は時と場合によって様々。


 だからこそ魔法協会には全体の統括機関は存在せず、実質的に権限を握っているのは各工房のマスター、つまり一等級魔法師たちだった。


 まさに彼らは魔法協会の実質的なトップ。


 こうして当たり前のようにいていい存在ではないのだ。


「次に支部の意義ですが、基本的に本部と変わりはありません。ただ本部とは異なる点として、支部は全ての工房が集っている場所ではないということです」


 現在の魔法協会本部は全ての工房が集い出資し合って創られた。


 研究施設を始めとして食堂や居住施設なども存在し、今では多くの魔法師たちの拠り所になっている。


 だが外に出て調査をする者や、そもそも本部から離れた場所に住居を持っている者などは、わざわざ本部に訪れるというのは手間がかかる。


 そこでできたのが支部だった。


 近くに自分たち専用の研究施設を設置することで、本部との距離の問題を物理的に解決したのだ。


 基本的に主要都市には存在しており、ここレスティ領支部もそれに該当していた。


「なのでここレスティ支部は魔法工房シリウスと開発工房カノープス、観測工房プロキオンの三工房でのみ構成されているのです」


 概ね予想通りの構成だった。


 基本的に魔法工房と開発工房、そして観測工房はどこの支部にも存在しているからだ。


 魔法工房は魔法師の絶対数が多いこと。


 開発工房は需要の大きさ。


 観測工房はその仕事の特色から、多くの地点での観測を行う必要があるため。


 中でも開発工房は冒険者組合と出資の関係で繋がっているため、片方がある場合はもう片方もあることが多い。


 ただ残念ながら目当ての魔導工房と神聖工房はこの支部にはないようだった。


 折角の機会だったが、こればかりは仕方がない。


「あれ、師匠の工房は参入していないんですね」


 ふと、気になったことを口にした。


 そして言ってしまった後で気が付く。


 アークトゥルスは対魔工房だ。


 対魔とはその名の通り、対魔物という意味で、魔物を相手取ることに特化した工房である。


 その特性上、冒険者とは非常に近しい関係にあるらしく、中には魔法師兼冒険者という者も多い。


 ということで、対魔工房もまた冒険者と同じで魔物被害の少ない場所には在籍者が少ないということになる。


 支部を置く必要はないのだ。


「そうなんです! アークトゥルス卿、是非我が支部にも参入を検討していただきたく……!」


 突然饒舌になる受付に驚いた。


 先ほどとはまるで人が変わったようだ。


 支部の運営のことは良く知らないが、その様子から参画工房が増えるというのは支部にとってメリットなのだろう。


「あー、前向きに検討しておく」

「そ、そうですか……」


 レイモンドは分かりやすくその誘いをあしらった。


 受付の人も分かりやすく肩を落とす。


 余計なことを言ってしまったかもしれない。


「ってことで続きを頼んだ」

「そ、そうですね!」


 表情を切り替え見学会が再開される。


 工房の奥へ進んでいくと、見慣れた光景が広がってきた。


「こちらが魔法工房シリウスの研究室になっております」


 無造作に置かれた何かの部品。


 あちらこちらに転がる石ころはきっと魔石の破片だろう。


「まああまり人に見せられる状況ではありませんが……」


 受付の人は苦笑して答える。


 まあ確かにその通りだ。


 だが決して良い景色とは言い難いその部屋は、俺に懐かしさを感じさせた。


 そう、これこそが魔法師の研究室。


 各々が好き勝手に実験する場所なのだ。


 俺が初めて配置された研究室もこうな風に雑多な感じだった。


「生憎と魔法師の方々は留守のようですね」


 見ての通り部屋はすっからかん。


 特に会いたい人がいるわけでもないので問題はない。


「では続いて観測工房プロキオンの観測室になります」


 続いて案内された部屋は、観測工房プロキオンの観測室。


 こちらはキチンと整理整頓されており、ごみ一つ落ちていない部屋だ。


 彼らはその特性上、不規則を嫌う。


 まさにその性格が表されたかのような部屋だった。


「お仕事中のようですので、次に行きましょう」


 部屋の中で数人の魔法師が大きな水晶に向かって両手を突き出していた。


 何でもあの大きな水晶で、周囲の魔力の流れを図っているのだとか。


 俺自身体験したことがないので、あまり詳しいことは分からない。


「次が最後になりますが、こちらが開発工房カノープスの実験室になります」


 この部屋が一番興味をそそられた。


 良く分からない機器が並び、試作品と思われる魔道具がそこら中に落ちている。


 一つ一つ、とても興味深いものばかりである。


「極力、手を触れないようにしてください。何が起こるか分かりませんので」


 受付からの注意が入った。


 その苦い顔から、以前何か起こったのだろう。


 確かに開発工房の実験室では、よく事故が起きていた気がする。


 触らぬが吉だろう。


 と思った矢先だ。


「お、これは何だ?」


 レイモンドが一切の警告を無視して、目の前の魔道具を手に取った。


「師匠……今、触らないようにって」


 呆れて言葉を漏らす。


「大丈夫だって、こんな小さいんだぞ?」


 確かにレイモンドの持つ魔道具は手のひらサイズ。


 その大きさなら仮に爆発なんかしても大丈夫か。


 ピッ。


「ん、何か音がしたな」


 嫌な予感がし、俺はレイモンドから離れた。


 直後、ボンっとレイモンドの持つ魔道具が爆発音を上げる。


「あ、アークトゥルス卿! 大丈夫ですか!」


 受付の方が顔を真っ青にして駆け寄った。


「ゲホッゲホッ、何だこれ」


 レイモンドは咳き込みながらも無事なようだった。


 まああの程度の爆発でどうにかなる男ではないことは知っている。


 ただこれに懲りて少しは反省して貰いたいものだ。


「目覚まし時計です」


 問いに答えるかの如く、実験室の中から現れる青年。


「目覚まし時計? これが?」


 珍しくレイモンドが目を丸くした。


「ええ、爆発することで強制的に目を覚まさせるのです」


 自信満々にそう答える青年。


 確かにその方法で目は覚めるのだろう。


 だが日常生活においては不便が過ぎる。


「……ちなみに商品化は?」


 思わず俺も質問を飛ばした。


「残念ながら認可が下りていないのです、何でも危険だそうで」


 でしょうね。


 と心の中で相槌を打った。


「おや、見たことがある顔だと思ったら、アークトゥルス卿ではないですか」


 青年がレイモンドを見てそう言った。


 流石は一等級魔法師。


 こんな研究しか興味がなさそうな人でさえも知名度は抜群なようだ。


「お初にお目にかかります、ネジル・エンドールと申します」

「……っ!」


 息を吹き出しそうになるのを我慢する。


 幸い、誰にも気づかれずに済んだ。


 ネジル・エンドール。


 俺はその名を知っていた。


 彼は開発工房カノープスの副マスターを務める二等級魔法師であると同時に、冒険者組合最高ランク、英雄級なのだ。


 まさに異色の天才魔法師だった。

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