第9話 抗う力

 パタリとその場に倒れこむリビアの姿。

 

「リビアっ!」


 ダメだ。


 お前がこんなところで死ぬなんて。


 まだ恩返しもできていないのに、


「どけっ! 水球!」


 直ぐに水筒から水をぶちまけ、リビアを刺した張本人に向けて、目一杯の魔法を放つ。


「水流操作!」


 顔面ほどもある水の塊が男の顔にぶつかり、そのまま静止。


 当然男は水の中で溺れるようにもがき始める。


 そのまま溺死しろ、と思いを込めて。


「リビア!」


 俺はその隙にリビアに近寄り、傷口に水筒の水をかけた。


 すぐさま水流操作の魔法を唱え、止血を開始。


 だが今の俺に全ての出血を止める技術はない。


 そして無茶をすれば、リビア全身の血流を止めてしまう恐れもあるのだ。


 自分は何て無力なのか。


 加えてリビアの呼吸は浅く、顔色も悪くなっていく一方だった。


「くそっ、また毒か!」


 先ほどの発言を思い出す。


 この短剣にも同じような毒が仕込まれてあってもおかしくない。


「リビア、ごめん」


 俺はゆっくりとリビアに突き刺さっている剣を引き抜く。


 リビアは苦しそうに呻くが、このまま刃先の毒が回ることを避けるために致し方ない。


 そしてやはり刃には液体が塗られてあった。


 間違いなく毒物だろう。


「――火球」


 背後で声がした。


「っく! 水壁!」


 先ほど男へ仕掛けていた魔法の効力が切れたのを感じ、すぐさま反転し水の壁を発生させる。


 直後、火の塊が水の壁に衝突。


 蒸気が立ち上る。


 物凄い火力だ、当たったらただでは済まなかった。


 それこそ水筒の水がなかったら防ぎきれなかった可能性だってあるほどだ。


「……ノーム・レスティ、お前は何者だ?」


 男は目を細め俺を睨みつける。


 さっきの男とは打って変わって、油断は一切感じられない。


「答える義理はない」


 隠すことなく恨み節をぶつける。


 今はお前の相手をしている場合じゃない。


 早くリビアを治療師の下へ連れて行かなければならないのだ。


「情報にない水属性魔法、繊細かつ高度な操作魔法、評判とは大違いだ。今まで隠していたのか?」

「答える義理はないと言っている! 水弾!」


 先ほどテルを倒した水の弾丸。


 相手の血液に入りさえすれば必殺の一撃となる。


 だがその弾丸は男の前方に立ちはだかった火の壁によって阻まれた。


「ほう……弾丸魔法も使えると、なるほど流石は英雄の家系と言ったところか」


 勝手に納得し、笑みを溢す男。


 油断ではなく余裕を感じられる。


 やりづらい相手だ。


「それで次の一手はなんだ、英雄の卵よ」

「黙れっ!」


 明らかな挑発だ。

 

 自信の表れか、単なる趣味趣向か。

 

 ただ一つ言えることは、その挑発に乗ってはいけないことだった。


 男を常に覆っている熱気、それは火属性魔法における防御魔法の1つ、炎衣えんい


 今まで放ってきた水球、水弾などの攻撃は全て蒸発し、無力化される。


 攻撃するだけ無駄、それどころか不利になりかねない。


 悔しいがこの男、魔法師相手のセオリーを心得ている。


「火球」

「くっ、水壁!」


 俺に考える暇を与えないとばかりに男は魔法を放ってきた。


 咄嗟に床の水たまりに手をつき、水の壁を出す。


 ああくそ、本当に厄介だ。


「判断も良い、このまま成長すれば優秀な魔法師になれただろうな――火球」


 男は一歩ずつ距離を詰めながら、俺の張った水の壁に向けて火の球を射出する。


 このままでは水が蒸発しきってしまうのは目に見えている。


 動くならば、ここしかない。


「弾」


 俺がそう唱えると同時に、せり上がる水の壁から水の弾丸が複数射出された。


「なっ」


 男の顔から余裕の笑みが消えた。


 魔法というものは複数使用すると、基本的に片方の精度が落ちてしまうのだ。


 つまり攻撃に転じている男は防御魔法が手薄になっているはずだった。


「その歳で略式詠唱とは流石に驚いた。魔法戦闘において最も大事なことは情報、良くここまで隠していたものだ」


 完全に不意を突いたと思ったのだが、俺の魔法は届かなった。


 この男は見せかけだけの攻撃魔法を放って、俺の反撃を待っていたのだ。


 

 男の言う通り魔法師同士の戦いは情報がカギだ。

 

 中でも重要なのが相手の使用魔法と詠唱法の見極めだと言われている。

 

 詠唱法の見極めだけでも戦局は大きく変わる。


 例えば完全詠唱しか使えない魔法師だとバレてしまえば、口元にだけ注目していればいい。

 発声した詠唱通りの魔法しか発動しないのだから当然だ。


 だからこそ多くの魔法師は基本的に完全詠唱で魔法を行使する。


 魔力効率の問題ももちろんあるが、やはり地力の詠唱法を悟られないようにするためという意味合いが強い。


 そして俺の講じた手のように、完全詠唱しか使えないと見せかけて略式詠唱で仕留める策は有名な戦術の一つであった。


 略式詠唱は完全詠唱に比べると難易度が高く、使いこなせる者も決して多くはない。

 だからこそこの歳で略式詠唱を使えるわけはない、という先入観を利用した有効な一手のはずだったのだ。


「ちっ」


 最悪だ。

 

 これで相手に俺が略式詠唱を使えるという情報が渡ってしまった。


「ふむ、これで終わりのようだな」


 悔しがる俺を見て男が息を漏らす。


 その瞬間だった。


「なっ!?」


 突如として男の足が凍り付いた。


「これは氷結魔法! まさかお前……!」

 

 しかし俺の隠していた手は略式詠唱だけじゃない。 


「これで終わりだ! 水弾!」

「炎衣!」


 男はすぐさま炎衣を再発動。


 足元の氷と共に、俺の放った水の塊が蒸発しだす。


 今度こそ俺の全てを出し切った攻撃。


 しかしそれでも男の炎の衣を貫くことはできなかった。


 その事実に男は笑みを浮かべて叫ぶ。


 まるで勝利宣言かのように。


 そしてそれは初めて見せた男の油断だった。


「ははは! 氷結魔法に加えて動式詠唱とは、予想以上……がはっ!」

 

 略式詠唱に氷結魔法、そして動式詠唱。


 その全てが布石。


 全てはこの時のためだった。


「剣……そうか、あの時に」


 男は自分の激痛の正体を見るべく、視線を落とす。


 胸に突き刺さる1つの短剣。


 これは自分が持っていた物であり、あのメイドを刺した時に使用したものだと悟り、俺を睨む。


 俺は水弾と同時に短剣を投擲していた。


 戦場において使えるものは何でも使う。


 それが勇者パーティとして培った戦闘術だ。


「貴様……本当に何者だ?」


 膝を床につけ、なおも俺に問いかける。


「答える義理はない」


 俺は答えず、リビアの方へ向かった。


 もはやリビアの意識はなく、顔色も青ざめている。


 毒のせいだろうが、出血の影響もあるだろう。


 一刻も早く治療しなければ、最悪なことになりかねない。


「クソっ」

「……生憎解毒薬なんてものはない」


 後ろから声が聞こえた。


 見るまでもない、あの男だ。


「そうかよ」


 現状、解毒薬があったらどれだけ良いか。


 生憎と希望を砕かれる。


「ああ、毒が回ってきたか……残念だ、お前の死に際が見られなくて」


 なおも1人でしゃべり続ける男。


 まるで俺が死ぬことが確定しているかの言いようである。


 ただの負け惜しみだと思いたいが、意味のあるものと考えてしまう。


「おい……まさか」


 最悪な予感が頭をよぎる。


 すなわちこいつらにはまだ出していない策があるという可能性だ。

 

「ああ……クソっ、まだ魔物も出てきていない!」


 暗殺事件の記事を思い出し、悪態をつく。


 魔物襲撃、この事件において最も注目を集めた出来事だ。


 もちろん今現在魔物は出てきておらず、それはこれから出てくることに他ならない。


 最悪な状況だ。


 魔力も枯渇まではいかないが、大分消費した。


 体力ももちろん残っていない。


 なのにこれからが本番だなんて、嘘であって欲しい。


「……リビア、ごめん」


 意識のないリビアに向かって謝罪の言葉を告げる。


 アイリスと共に地下室に向かったはずのリビアがなぜここに来たのか。


 そんなの俺を探しに来たからに決まっている。


 いくら俺の事情を知っていようともだ。


 それにこの事件をもう少し早く思い出していれば、事前に防ぐまではできなくても備えることはできたはずだった。


 全て俺のせい。


 あまりにも能天気に考え過ぎていた。


「はは、本当に仲間がいたみたいだな……」


 バタバタと足音が周囲から聞こえてきた。


 恐らくあの男ほどの魔法師はもういないだろうが、それでも脅威であることには変わりない。


 目一杯、魔力を使い切って敵を倒す。


 今の俺にできることはそれだけだ。


「よし……行くぞ」


 ゆっくりと立ち上がり、敵を待つ。


 足音が近づいてくるのを感じる。


 一人じゃないのも同時に感じた。


 そして敵が目の前に現れたその瞬間を狙って詠唱を始める。


「水――」


 だがその詠唱が完了する前に衝撃が走った。


 閃光と爆音、そして吹き飛ぶ敵たち。


 ピリピリとした感覚が肌をくすぐる。


「遅くなった、俺が来たからにはもう大丈夫だ」


 はるか前方に一人の人影。


 光に目が慣れ、段々とその姿が露になる。


 男は、魔法師とは思えない大柄な体格に、燃えるような紅い頭髪を持っていた。

 

 俺は目を丸めて口を開く。


 その男を俺は知っていたからだ。


「レイモンド・アークトゥルス……」


 世界で21人しかいない一等級魔法師。


 対魔工房アークトゥルスの現マスターであり、至高の魔法師エドワードの実弟。


 雷帝レイモンド・アークトゥルス、その人だった。

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