「短編」寝耳に花のごとし。
たのし
寝耳に花のごとし
僕は地方の田舎まではいかないが都会でもない。そこそこ生活には困らない程度の場所でアパート暮らしだ。
そのアパートは壁が薄く上の階の住人の足跡に扉を開ける音が僕の唯一の悩みでもあった。幸い両隣には誰も住んでいないので、上の階の住人の生活音にさえ慣れてしまえば、家賃も安いしこっちのものだと思っていた。
しかし、隣にどうやら住人が引っ越して来たらしい。僕が休日返上の仕事から帰宅すると玄関のドアノブに「隣に引っ越して来ました、鳴海です。よろしくお願いします。」と少し若々しい字体で書かれている手紙と茶菓が入れられていた。
これは、今夜からまた隣の生活音にも慣れなきゃいけないのかっと僕は茶菓を冷蔵庫に入れながら考えていた。
その夜、僕は人の話す声で目が覚めた。
「ど…どうも。今日からこちらのチャンネルでラジオを始めることにしました。鳴海と言います。沢山の人に聞いてもらえる様頑張ります。よろしくお願いします。」
隣の住人であった。
慣れない口調で自分語りを始めた住人の声に僕は「勘弁してくれよ。」っと布団を被って眠った。
次の日、やはり僕は一睡もできず、少し隣の住人鳴海に怒りを覚えた。
僕は仕事の支度を済ませ、隣の部屋の鳴海の家の扉を睨みつけながら鍵を閉めた。
その日も泥の様に重い体を引きずり、帰宅した後、早々とお風呂を済ませ、ツマミと寝酒程度のハイボールを作り、テレビをつけつまらないクイズ番組を見ながら、火照った身体を冷やしていた。その時である。
「どうも。鳴海です。こんばんわ。皆様お仕事お疲れ様。今日は3人の方が聞きに来てくれたんですね。凄く嬉しいです。ありがとうございます。」
隣の鳴海だ。
僕は始まった。っと深いため息を吐きクイズ番組を見ていた。しかし。
「へー。そうなんですか。あそこの葛餅美味しいですよね。一度食べたことあります。」
鳴海はラジオの3人しかいない視聴者と会話をしていた。
僕はだんだん、クイズ番組より鳴海の会話に耳を引っ張られていった。
「お仕事でそんな事があったんですね。でも、お体は資本ですから、野菜をいっぱい食べてその部長の背中蹴ってやりましょうよ。」
鳴海は視聴者の悩みを聞き彼女なりの返答をしていた。
「部長の背中を蹴るって。一発でクビじゃん。」
僕はそう思い、ハイボールを一気に飲み干した。
「でも…部長って肩書きで、ついて行くか行かないかは貴方が決めていいんじゃないですか?」
幼さが残る声で鳴海は視聴者にそう言っていた。幼さから来る、ストレートな回答に僕は少し納得した。
それから、僕は布団に入り隣の住人鳴海のラジオを薄い壁越しに聞いていた。
彼女への相談は、恋愛の事。職場の事。学校の事。家族の事。様々な相談が寄せられていた様だ。僕は鳴海の返答に「確かにそうだな。」とか「いやいや。それは違うと思うぞ。」っと独り言を言いながら気付けば眠っていた。
次の日は、休日出勤の振替で休みとなっていた。僕は朝目覚めると朝食を軽くとり、歯磨き洗顔を終わらせ部屋の掃除を始めた。
隣の鳴海家からは生活音すら聞こえず、シーンとしていた。
夕方になり、そろそろ夕飯の支度を始めなきゃって思った頃に隣の住人鳴海の玄関を開ける音がした。
生活音がガチャガチャとなり始め、僕も夕飯の支度を終えご飯を食べながらテレビを見ていた。
「ん?今日は静かだな。ラジオやらないのか?」
僕の耳はテレビではなく鳴海のラジオを欲していた様だった。その日はどうやらラジオは休みらしく僕は上の階の住人の生活音を雑音にその日は眠りについた。
その日から僕は仕事から帰ると、つまみを作りお酒を呑みながら鳴海のラジオを聞いた。
彼女のラジオは視聴者が少しづつ増えている様で、たまに視聴者同士がチャットで喧嘩を始め炎上してそれを鳴海が慌てて鎮火するなんて事もあった。
僕はそれを聴きながらケタケタ笑い眠ることもあった。
視聴者が増えるにつれ鳴海の口調もしっかりし始め、「おー。そんな事も言えるようになったのか。」とか「それは考えすぎだ。」っと視聴者にツッコミを入れる僕がいた。
それから、歳月は過ぎ、僕が鳴海のラジオが生活の一部となって2年が過ぎた頃。
「鳴海のラジオです。今日は【住む】をテーマにやって行こうと思います。」
僕は見ていたテレビを消し、鳴海のラジオに聞き入った。鳴海は皆の家の中にある家具とか広さとか沢山の返答を上手く回していた。その時。
「私?私は築35年のアパートに住んでますよ。」
視聴者からどうやら鳴海の住んでいるこのアパートの事を聞いてきたらしい。
「私はここ気に入ったいますよー。」
20代の若い子がボロボロのアパートに住んでいる事。少し人気が出てきた鳴海がそんな所に住んでいる事へのギャップから少し騒然としている様子だった。
「このアパートは私が一人暮らしを始める初めての場所で、隣の人の生活音丸聞こえなんですよ。」
鳴海はどうやら僕の事を話しているようだった。
「隣の人のトイレの流す音も聞こえて、どれだけ壁紙薄いんだ。って思いますけど、逆にこのラジオも隣に聞こえていて、時々苦情来るんじゃないかってヒヤヒヤしたりもしますよ。」
鳴海も一応こちらに気は使ってくれてるみたいだった。僕はビールを飲み干し鳴海のラジオに聞き耳をたてた。
「でも、隣の人に会った事ないんですし、もちろん頼んだ事もないのに、私のラジオが始まるとテレビの音を小さくしてくれるんです。感謝しかないです。」
僕はそれを聞いてそんな風に思ってくれてたんだ。っと少しほっこりとした。そして鳴海のラジオを毎回楽しみにしている視聴者の気持ちが理解できた気がした。
僕はもたれ掛かった壁を人差し指で、コンコンっと鳴らすとベットに横になり、鳴海のラジオ聴きながら眠りについた。
それから、少し経ち、花びらが散る四月のある日の休日。僕は休日出勤を終え家に帰ると玄関のドアノブに紙袋がぶら下がっていた。
中を確認すると茶菓と手紙が入っていた。
手紙には、「いつも五月蝿くしてごめんなさい。今日引っ越します。いろいろありがとうございます。」
そう書かれていた。
「別に五月蝿くは無かったけどな。少し寂しくなるな。」
僕は茶菓を冷蔵庫に入れ、ツマミとハイボールを作りスマホを手に取って、『鳴海のラジオ』のチャンネルをクリックした。
今日も寝るまで聞いていてあげよう。僕は幼い声に耳を傾けた。
おしまい。
-tano-
「短編」寝耳に花のごとし。 たのし @tanos1
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