夢の中で初めまして

北森青乃

夢の中で初めまして

 



 いつもと変わらない朝。

 見慣れた車両に、乗り慣れた座席。

 そんな電車に揺られながら、俺はとある事を考えていた。


 ……あの夢ってなんだったんだ?

 夢なんてしょっちゅう見るし、いわば日常的な現象に過ぎない。だからこそ通学の合間に気にする事もなかった。

 それが普通の夢ならば。


 なんか変な感じだったよな。

 そう思いながら、今朝見た夢を思い出す。

 個人的には今まで生きてきた中で、良い夢だろうと悪い夢だろうと起きた瞬間にはその内容の殆どを忘れていた。

 それか断片的な記憶だけで、という曖昧なものに成り下がる。


 ただどういう訳か、今朝の夢は違った。


 気が付くと目線の先には若い女性が居て、俺を見下ろしていた。

 その眼差しは優しく、どこか感じる懐かしさ。

 目と目が合い、見つめ合う。そんな時間がどれくらい続いた時だろう。不意に女性の口が開き……そこで目が覚めた。


 起きてから小一時間は経った今でも鮮明に思い出せるし、覚えている。

 まるで自分の記憶か何かのように。


 やっぱ変だよな。

 腕組みをしながら、何度も何度も思い出す。ただ、その度にそれに対しての疑問は大きくなるばかりだった。


 あの女の人、結構美人だったよな。最初は生まれた時の記憶か何かかと思ったけどさ……こう言っちゃなんだけど、いくら若いとはいえ母さんがあそこまで美人だったとは思えない。


 それに……なんで俺は、あれが夢だって分かったんだ?


 それは勿論、今朝の夢が気になる要因の一つでもあった。

 夢を見たとしても、その最中にそれを夢だとは認識する事は殆ど不可能だと思う。自分自身、今まで幾度となく夢を見てきても、そんな思考に至った記憶はない。その夢が現実だと思い行動する。


 ただ、今日の夢に関して言えば、俺はなぜかそれが夢だと理解出来た。とはいえ、自分で体を動かす事は無理だった訳だけど。

 意識だけがハッキリしている状態と言った方が良いだろうか。


「うーん。金縛りの一歩手前って感じなのか?」


 それに似た症状として、金縛りが浮かんで来た。

 まぁ過去に何度か経験もあるし、やっぱり症状は似ている。治る時も気が付けば眠ってて、再度起きるってパターンだし、類似性は大いにある。


「けど、今回は……」


 ≪次は黒前くろさき黒前駅くろさきえき


 っと、もう着いちゃったか。

 とりあえず、気にしないようにしとこう。色々と集中しないと怒られそうだし。


 開いたドアの先から、一斉に注がれる夏特有の日差し。

 そんな光景の中に、俺は今日も足を踏み入れた。




「あっつ」


 駅から出ると、それは素晴らしい天気が待ち構える。

 夏休み間近という事もあって、その気温は日に日に増すばかりだ。まぁ、駅からキャンパスまでの距離が短いのが救いではある。


 黒前大学。

 ここが俺の通う大学。


 生徒数も学科数も多く、敷地面積も結構広い。そんな大学が近くにあるのは恵まれていると思う。


 ここに通うようになって約4ヶ月。新しい環境に慣れるのか不安が無かったと言えば嘘になる。それでも、最初は尻込みしていた広いキャンパスにも建物にもだいぶ慣れた。それに……


「おっ、おはよう!」

「おはよー」


 同じ高校から進学した友人らが居るなら百人力。


「あっ、おはよう」


 全く、夏にも負けないくらい熱いねぇ。

 まさしくこの2人も、俺にとって大切な友人で間違いない。高校から一緒で同じバスケ部であり、今なお熱々のカップル。


 美男美女で性格も良い。俺にしてみれば手も届かないような陽キャで、俺自身この2人には何度助けられた事か分からない。


 同性として、高校3年間の苦楽を共にした戦友。

 異性として、部活だけじゃなく高校生活を楽しませてくれた友達。


「暑いなぁ」

「本格的になってきたねぇ」


 しかも同じ学部ということもあって、履修科目やらその他諸々。彼らの大切さは身に染みる。

 本当はリア充爆発しろと言いたいけど……いつまでも仲良く居て欲しいし、仲良くして欲しい。


 こうして俺達は世間話をしながら、教室へと向かって歩いて行く。

 四苦八苦した教室の場所へも、今じゃ案内図を見ずともスラスラ歩ける。人の慣れというものは恐ろしい。まぁ足を踏み入れた事のない棟も数多くある方が恐ろしいかもしれない。


 なんて事を考えていると、本日1コマ目の教室が目の前に見えて来る。その時だった、


「あっ、おはようー! みやび

「おはよう多田たださん」


 違う廊下からやってきた人の姿。肩にかかる位の髪の毛に、スラリとした体形。分からない訳がない。


「おっ、おはよう。多田さん」

「おはよう」


 この人の名前は多田ただみやび

 同じ高校、同じバスケ部のマネージャーとして3年間お世話になった人だ。まぁ今現在もお世話にはなってるんだけど……俺にとってはそれ以上の存在かもしれない。


 率直に言うと、俺は彼女の事が好きだ。


「それにしても一気に暑くなってきたよなぁ。練習とかヤバそうだ」

「何言ってんの? この暑さ。利用しない訳はないでしょ?」

「えっ、雅? 何考えてるの? まっ、まさか地獄の練習メニュー!?」


 一見すると冷たいように感じる言動や態度だけど、高校時代は他の仲の良いメンバーとほぼほぼ毎日お昼ご飯を食べてたりしてた。

 遊びに行く時も、結構参加してくれてたしね? それに、多田さんは良く人を観察している。特にバスケ部の俺達の事は。


 俺なんかは良い例で、今でもよく指導されている。


 最初はキツかったな。あの顔とか言い方にも慣れてなくて、ご飯の見直しとかバスケの弱点何かズバズバ言われてさ?


 でも、多田さんの言っていることは正しかった。

 高校1年の時に比べて20キロは減量できたし、他のぜい肉も上手く筋力に変換できたと思う。


 だからかな? 個別に色々なアドバイスを受けるにつれて、怖いマネージャーから尊敬できる人に。

 そしていつの間にか……親身になってくれる多田さんの事が気になって、好きになっていた。


「ん? 何? ちょっと顔ニヤニヤしてない?」

「えっ? そんなことないよ」


 ツンツンな見た目と言動は変わらないんだけどさ? それに多田さんは自分のことを滅多に話さない。そういうミステリアスな部分と、バスケに対する熱のギャップが良いんだけどね。


「そう? あっ、それよりあんた。暑いからってアイスばっか食べてないでしょうね?」

「食べてないって。ちゃんと野菜を中心に高タンパクな物を変わらず……」

「太りやすい体質なんだから、気緩まないようにね? 大会も近いんだから」


 それに一日に一回は、こんな多田さんの言葉が飛んで来ないともどかしいというかなんというか。


「相変わらず鬼管理だな?」

「でも、いつ私達にも個別トレーニングが届くか分からないからねぇ」

「もちろん、夏に向けたカリキュラムは作成中よ?」

「「えぇ!!」」


 それすら当たり前で、笑える。

 そんな大学生活は……


「もちろんアンタもね?」

「えっ? はっ、はい」


 滅茶苦茶楽しい。

 今朝の夢のことなんてすっかり忘れる程に。







 ―――しかしその日の夜。俺はまた夢を見た―――


 気が付けば、目の前にはクルクル回る玩具。横には木の枠組みのようなものが見えた。

 そしてそれらを認識出来た瞬間、俺はまたしてもこれが夢なのだと理解する。


 沸々と感じる変な感覚。

 それはいつも通りの充実した一日のお陰で、どこか消えかかった昨日の夢を思い出すのに十分なものだった。


 えっ? これって……また? しかも連日? どういうことだ?

 その理由は分からない。ただ、その状況は昨日の夢と瓜二つなのだけは確かだった。


『可愛いねぇ』

『本当。可愛いなぁ』

『うんうん。本当にかわいいねぇ』


 その時、何処からともなく声が聞こえて来たかと思うと、現れた顔が3つ。その全てが俺の方を見下ろしていた。


 ん? 誰……って、この人は昨日の女の人だよな? んでその隣が、若い男? 歳的に旦那さん? そんで、反対側にも女の人か。そっちの2人より少し年は取ってそうな感じだ。


 だが、その3人の顔は、どうも自分の記憶には存在しない。特に、若い女性の顔をじっと見て見ても……やはり思い当たる節がない。もちろん他の2人も。


 なんだろう? 遠い親戚の家か? そもそも……うわ。やっぱ体は動かせないな。視線もっていうか勝手に動いてる? 意識はあるのに自由に動かないってまどろっこしい。


『目元は私に似てるよね? 母さん?』

『口元は俺ですよね?』

『そうね? 似てるわ』


 母さん? って事はこっちの年取ってる人が……美人さんの母さん? そういえばイケメンの方はちょっと敬語っぽい言い方だな?


 って、関係性が分かっても意味ないよな。


『そう言えばこの子の名前はどっち……』


 てか夢……なんだよな? これって? いったい……






「はっ!」


 気が付くと、目の前には見慣れた天井が広がったいた。

 勿論クルクル回る玩具も、両脇に木の枠組みも、3人の顔もそこにはない。

 そして目が覚めたばかりだというのに、不思議と頭の中は冴えていた。


 なっ、なんだ。またあの人? しかも知らない人も出て来たな?


 徐に上体を起こし、枕元のスマホに目を向けるとアラームの30分前。

 正直、二度寝なんて出来そうにもない。

 俺はベッドから立ち上がると、いつもより少し早い朝ご飯を食べにリビングへと向かった。

 連日見た夢が偶然で、自分が作り出した想像のモノなのだと言い聞かせながら。


 ……とは言いつつも、結局俺はあの夢を忘れることが出来なかった。

 その日の講義は比較的遅い時間からだったから、身支度を終えると昔のアルバムやら何やらが置かれている物置に足を向けた。


 あの女の人が母さんだとは思えない。その他の2人も記憶にはない。

 ただ、小さい頃の記憶なんて曖昧だし、遠い親戚の可能性だってある。調べる意味は十分だと思った。


 えっと……俺が産まれた時で良いよな? それだったら比較的……あった。どれどれ? 父さんナイス! これ病室だよな? まさに生後何日かの写真だろ? どれどれ……


 俺の生まれた西暦が刻まれたアルバム。その1ページ目に、俺の望むそれはあった。ただ……


「やっぱ違う」


 そこに映し出された母さんの顔は、今も面影がある顔。あの夢で見た女の人とは明らかに違っていた。


 やっぱ違うよな? それにその下には父さんと母さん? 夢で見た若い男の人って旦那さんだよな? あとはどっちかのお母さん? やっぱ父さんと夢の中の若い人は似てない。それに、あの母さんって呼ばれた人も……どっちの婆ちゃんとも顔似てないよな?


 残されたアルバムに写る若かりし頃の両親と爺ちゃん婆ちゃん。しかしその全てが夢に出て来た人達とは全く違う。


「やっぱ、俺の妄想か? まぁ夢なんてそんなもんだよな」


 こうして俺はアルバムを閉じると、物置を後にした。やっぱり、夢は夢だ。そう思いながら。


 結局、そんな思考が功を奏したのかその夜には夢を見ることはなかった。

 アラーム通りに目覚めた時には少しホッとした気がする。

 まぁある意味、いつも通りの生活に戻っただけなのだけど……数日も経てば、あの不思議な夢のことも大分忘れかけていた。







 ―――だが、そんなある日。俺はまた……夢を見た―――


『さぁ、立ってみて?』


 気が付くと、目の前に広がっていた光景。そして聞こえてくる誰かの声。


『頑張れっ、頑張れ!』


 俺をじっと見つめ笑顔を見せる2人が、その声の持ち主で間違いはないだろう。

 そしてその2人は見覚えがある。


 えっ? よっ、良く分かんないけど……目の前で笑ってるのは美人さんと、前の夢でも見た母さんって呼ばれた人か? にしても俺って今どんな状況な訳!?


 何処かボヤッとしていて、明らかに低い視線。

 右に左に頭が揺れ、その不安定さをどうにかしようと思っても、全くと言っていい程力の入らない体。

 周りに広がっている、自分の記憶にない誰かの家の中。


 恐らく俺は必死に立ち上がろうとしている途中なんだろう。


『もうちょっとだよ!』

『うんうん』


 いやっ、そんなこと言われても、動かないんだけど? 立ってる感覚すらないし、力も入らないんですけど? 


 ……なんて思っていた瞬間だった。一気に視界が傾き、そのまま俺は……






「はっ!」


 気が付くと、目の前には見慣れた天井が広がったいた。

 勿論、頭には枕の柔らかさ。片足に感じるタオルケット感覚のお陰で、夢から覚めたのだと理解する。


 夢……だよな? 

 明らかに倒れかけている途中での目覚めに、念のため顔全体に触れてみたけど、幸い怪我はないようだった。


「いやっ、夢だから当たり前か」


 それにしても、またあの夢? しかも段々と成長してる? 俺? いや俺なのか? やっぱあの2人の記憶はないな……


 実際、アルバムを見ても夢の中の人物らは映っていない。さっき見た夢で片隅に見えた部屋も……まるで分からない場所。


 なんだろ? 俺疲れてんのかな? 確かに最近、大会に向けてバスケの練習はきついから……その影響か? 


「とりあえず、気にしない方が良いよな。それより疲労残さないようにアフターケアだけは念入りにやらないと……筋肉痛いってて」


 久しぶりに見た変な夢。

 久しぶりに感じた不思議な感覚。

 けど俺は、疲労から来る現象か何かだと思っていた。けど……







 ―――万全のアフターケアも虚しく、その夢は連日のように現れた―――


 気が付くとそこは公園だろうか? 視界のあちらこちらに遊具が見える。そして目の前には小さい子どもが立っていて、俺の方を見つめていた。


 俺は例の如く、声も体も動かせない。今までの夢同様、その場で見るだけ聞くだけ。


『えっと、こんにちは』


 うおっ、話し掛けられた? しかもやっぱ体は動かせない。けど、立ってるのは分かるな。この前のあれより視線が高いし、安定してる。


『こんにちわ。新しく保育園に来た子だよね?』


 しゃ、しゃべった? って俺なんだけど……いや俺は喋ってないぞ? あぁもう、やっぱ変な感覚だわ。まるで誰かの目線をそのまま見ているような……


『うっ、うん』

『これからよろしくね? みんなー、新しいお友達だってぇ!』

『わー』

『お友達だぁ』


 えっ? なんだこれ? どこからともなく沢山の子ども達が……かっ、囲まれた?


『ねぇーお名前は?』

『何歳?』

『えっ? あの、その』


 目の前の男の子質問攻めかよ。そりゃいきなり囲まれてそれだと、テンパるよな。


『おいおい、そんな事より皆で遊ぼう! 滑り台まで競争だー!』

『えっ?』


 って、手繋いで走り出した? 


『あっ、ズルいぞー』

『私も私もー!』


『あっ、ありがとう』

『どういたしまして?』


 何だよ行動が陽キャそのものだぞ? これって確実に俺じゃ……ないよな?





 ―――次の日―――





『あぁ?』

『あぁじゃないでしょ?』


 はっ! また夢? しかもなんだ? 机に教室……ここ小学校か? しかもなんか早々に、目の前の男の子に睨み付けられてるんですけど?


『なんだ、男女のあんどうか』


 あっ、あんどう? そう言えば結構この変な夢は見たけど、俺……というかの人物の名前とかは知らなかった。自分の小さい時の記憶ではないってのは薄々分かってたけど。

 それにしても安藤?


『なんだよじゃないでしょ? あんた、さくらさん泣かせたんだって?』

『はぁ? あんどうには関係ないだろ?』


 ちょっ、ちょっと? どういう状況? まてまて、俺……と言うか、この目線の人物は……安藤って子だよな? しかも声的に女の子? 


『関係ない訳ないでしょ? 友達なんだから。大体スカートめくるなんて最低だよ』

『別にいいだろー? 減るもんじゃないし』


 スッ、スカート? 男の子に突っ掛かるこの安藤さんも安藤さんだけど、このご時世スカートめくりとは……この男の子、絶対そのさくらさんの事が好きだな。


『ふざけんじゃないよ!』


 って! 胸倉掴むのは……


 ガヤガヤガヤ


 ダメでしょ!?





 ―――また次の日―――





 はっ! またこの夢か? 今度は……


『皆やったね!』


 たっ、体育館? しかもこのユニフォームってバスケ? 


『勝ったー』

『やったぁ!』


 何かチームメイトらしき人達喜んでるな? しかも俺……じゃなくて夢が続いてるなら安藤さんか。安藤さん中心にってことは……やっぱ慕われてんだろうな。皆順々にハイタッチしてるじゃん。

 にしても、現実でバスケやって夢でもバスケって……なんか寝てるはずなのに休んでる気がしないな。


 ん? ユニフォームになんて書いてる? ローマ字で……し・ら・が・き? しらがき? 小学校の名前だよな?


『はい、並んで下さい』


 あぁ終了後の挨拶ね? あっ、そうか。体は言う事聞かなかったんだった。

 まっ、センターサークルの所に行く……


 えっ?


『優勝だよぉ! 母さん?』

『お疲れー! けど、ここで満足してたら駄目だよ? アンタはまだまだ出来る』


 ちょっ、いきなり場面変わった? ……車? 後部座席に乗ってる。しかも運転してるのは……あの美人な人じゃん! って、こっちチラチラ見ないで前向いて前!


『流石大活躍だったね?』

『でしょ? お婆ちゃん』


 この声も何となく……やっぱり! ちょっと歳は取った感じするけど……美人さんが母さんって呼んでた人じゃん。

 だったら安藤さんにとってお婆ちゃんで間違いない。


『じゃあこれプレゼントしようかね? 好きだろ?』

『なにな……きゃ! ゲコッピーのキーホルダー!』


 ゲコッピーって……あぁなんかそういうキャラクター居たよな? カエルの。


『ありがとう! お婆ちゃん!』

『あと、大好物の豆大福も用意してるからね?』

『うぁぁ!! やったぁ!』


 にしても、滅茶苦茶喜んでるなぁ。





 ――――――――――――





 ん!? またか? もう3日連続……っ!?


『ごめんね? ごめんね?』


 なんで泣いてるんだ? 美人さんじゃなくて安藤さんのお母さん。隣にはお婆さん?


『大丈夫。私は母さんの味方だから』


 あっ……なんか自分じゃないのに、自分が抱き締められた感覚に陥る。

 にしても、一体何が……






「声出してこー!」

「おー」


 体育館に響き渡る声。バスケットシューズが擦れる音。

 地震かのように力強いドリブルの音。


 ただ、今日に限ればそれらの音の半分も耳には届いていない。

 試合前のこの時期、練習に集中しなければいけないのは分かっている。夏休みに入り講義もない今、尚の事。

 しかし、そうとは分かっていても……頭の中にはあの夢が居座っている。


 なんだろう。夢だってのに、自分の妄想だって理解はしてるのに……どうしてこんなに気になる? 


 夢で安藤という名前が分かってから、両親や祖父母にそういう名字の親戚は居ないか聞いてみたものの、答えはノー。疲れとかが原因で自分が作り出した妄想や創作の塊が夢に出てきていると確信していた。

 そこに今朝の夢。安藤って子、その子お母さんの涙。


 ありゃ尋常ないことが起きたに違いなくはないか?


「パス早く!」


 あっ、やばっ!


「はっ、はい!」


 とっ、とにかく集中しないと……




「はいじゃあ、今日の練習おしまい!」

「「「お疲れ様でしたー」」」


 はぁ……ヤバイ……ミスばっかりだった。


「ちょっと?」

「たっ、多田さん」


「なんなのアンタ? 全然集中出来てないじゃない。大会まであとちょっとなのよ?」

「えっ、あ……ごめん」


「……ったく、アンタはまだまだこんなもんじゃないでしょ? とりあえずアイシングとか疲労回復だけはサボっちゃダメよ?」

「うっ、うん。ありがとう」


 ……だよな。集中しなきゃダメだ。てか自分の妄想なら、それこそ頑張れば良い夢だって見れるんじゃないか。


 それは自分でもよく分からない思考だった。

 夢なら、自分の妄想なら気にしなければいいのに、どうしても気になってしまう。


 勿論その内容が、少なからず自分の私生活に影響しているってのもある。ただ、架空の人物であろう安藤さん。その家族らの行く末が幸せであって欲しい。なぜかそう考えてしまうもの事実だった。


 そうだ。そうだ。頑張れ俺、どうせ見るなら幸せで心温まるような夢見せてくれ!

 そう思いながら、俺は体育館を後にした。夜に待ち受ける不思議な夢に希望を抱きながら。







 ―――だが、そんな俺の願いが叶う事は……なかった―――


『かあ……さん……』

『お婆ちゃん……』


 えっ? なんだ? ここ、病……室?


『8月7日、8時55分……御臨終です』


 しかも御臨終って……お婆ちゃん? 安藤さんのお婆さん? 

 まっ、待て待て? なんでこんな事に? なんで……


『お婆ちゃぁぁぁん!』





 ――――――――――――





 ん? 今日は学校? 周りの子達の制服的に……中学校か?


『あっ、転校生さん』


 ん? 転校生って……


『うん?』


 あっ、反応した。やっぱ俺……じゃなくて安藤さんの事か。えっと? 女の子が2人。

 それにしても転校生って……安藤さん転校したのかな? 


『ねぇ部活とかもう決まってる?』

『部活?』

『そうそう』


『えっと、バスケ部とか……』

『えっ? 本当? 私達もバスケ部入ろうと思って! でもウチの中学部員少ないみたいで……』

『ちょっと勧誘って訳』


『そうなの? 私なんかで良かったら……』

『やったぁ! 決まり!』

『部員ゲットだぜぇ! 私は―――』


 あれ? とりあえず良い感じなのか? けど昨日の夢では……いや? あれがあったからこそ、この2人との出会いは嬉しいだろ?

 こういう子達が一生の友達になるんだろうな。





 ――――――――――――





『ねぇ? ちょっといい?』

『えっ?』


 ん? ここは……体育館? しかも目の前には昨日話してた子と後ろにも何人かいる。ちょっと雰囲気変わったか? 大人びたっていうか……にしてもあれ? なんか眼つきが……


『もう無理。あんたの練習には付いてけないわ』

『どっ、どうしたの? 急に』


『どうしたのじゃないでしょ? あのね? いくらバスケ上手いからって、私達一般人まで巻き込まないでくれる?』

『そうそう。練習キツ過ぎなんだって』

『新入生だって、何人辞めたと思ってんの? 折角私達が後輩に声掛けて入ってもらったのに』

『でっ、でも皆で県大会優勝しようって……』


 ……これってもしかして、目標のすれ違いか? 運動部には結構あり得る問題だけど……


『そんなの建前でしょ? それなりに楽しくバスケしたかっただけなのに』

『そっ、そんな。れっ、練習メニュー考えたら皆喜んでくれたじゃ……』

『最初はね? それが段々レベル上がって行って最悪なの。大体監督が素人だからって、全部のメニューやら練習試合提案したりとか……ウザったいんだよね?』


 そう言う事か。安藤さんは本気で大会優勝を目指してた。けど友達は……違うと。


『そういうわけで、アンタが居るなら、もうここには来ないから』

『じゃぁねー』

『ちょっ、待ってよ皆!』




『ふぅ。プリント運ぶの手伝ってたら時間遅くなっちゃった』


 場面変わったな。これって次の日? 


『昨日のあれから皆に連絡したけど、返事来なかった。教室でも無視されて……けど、自分の思いは伝えたし、皆来てくれてるよね?』


 待ってくれよ? なんか嫌な予感しかしないんだけど? 

 体育館と思われる扉の前、そこで安藤さんは大きく深呼吸すると、徐にその扉を開ける。

 だがその先には……


『誰も……居ない……』


 やっぱりか。なんとなくそんな予感はしてたけどさ……


『誰も……』


 これは酷いだろ?





 ――――――――――――





『じゃあもう一度聞くよ?』


 うっ……今日も嫌な予感はしてたけど……やっぱ空気が違う。

 えっと? 椅子に座って、目の前の眼鏡の男性は……


『進路に変わりはないんだね?』

『はい』


 先生か。しかもなんだ? 進路? 面談とか?


『進学率等は申し分ないけど、結構な距離がある』

『そうですね』


『君の成績なら余裕なのは分かる。けど、片道2時間もかけて行く理由はあるのか?』

『……』


 遠い高校? あれじゃん、昨日の夢で見たことが原因じゃん。あぁもう、あれからどうなったのか想像できるぞ?


『皆だって近場の……』

『みん……な……?』


 声が……低い。聞いた事のないような低くて生気のない声。しかもその視線は……先生の目を一直線に見つめてる。

 どんな眼差しなのかは目の前の先生の反応を見れば一目瞭然だ。焦るように視線を外し、声がどもってる。


『いっ、いや、先生は……』

『あの先生? 私が決めたんです。私が良いと思ったんです。だから……進路は変えません』

『そっ、そうか……』






 ……あぁ最悪だ。

 そんなことを呟きながら、俺はただひたすらベッドに寝ころんでいる。


「なんか最悪すぎるだろ」


 思わず口から零れる通り、ここ数日に見たあの夢の内容はとんでもないものだった。

 今日が練習休みの日だったのが幸いだ。いくら夢とは言え、どこか心抉られる内容に普通で居られる自信はなかった。


 なんだよ……最初の微笑ましい光景から、一気に暗くなりすぎだろ。俺は映画でも漫画でもハッピーエンドが好きなんだけど? 本当に俺の妄想か? 好きな夢は見れないって言うし、どうしようも出来ないのか?


「はぁ……寝ないなんて流石に無理だ。練習に直で支障が出る。あぁもう、本当にお願いしたいよ。頼むからハッピーエンドで終わってくれ。安藤さんとやらを幸せにしてくれ」


 出来ればこのまま夜が来なければ……そう思っていても、無情にも時は流れる。

 晩御飯を食べ、風呂に入り、ベッドに横たわると、容赦なく襲いかかる睡魔。

 頼む、ハッピーエンド。

 もしくは熟睡して夢を見ないでくれ。


 そんな事を考えながら、自然と瞼は重くなる。







 ―――そしてその夜……俺は夢を見た―――


 はっ!


 気が付けばそこはどこか懐かしい光景だった。

 窓から差し込む光に、黒板。目の前に並ぶ机は……見覚えがある。


 えっ? ここって……


 コツッ、コツッ、コツッ


 その時だった、何かが床を跳ねるような音が聞こえて来たかと思うと、自分の内履きに何かぶつかってきたような気がした。


 まっ、まさか……


 するとどうだろう。その目線はすかさず自分の足元に。その最中、ちらりと目線に写るのはジャケット。そして長いズボン。


 あれ? これって……いつもの安藤さん視点じゃない?


 なんて動揺する俺をよそに、目線は足元へ。そしてそこには……カエルのキーホルダーが落ちていた。

 そしてそのキーホルダーには見覚えがある。それは奇しくもあの夢の中で見た物と一緒。


 これって……ゲコッピー!?

 間違いない、ゲコッピーだ。しかもあのお婆さんが安藤さんにあげたやつと同じ。


 あれ? 待って? なんで? これゲコッピーだよな? 落とした? けど、今日の夢……俺の目線になってるのは男だぞ? 一体どうなって……


 そんな混乱する俺をよそに、夢の中の人物はそのゲコッピーと手に取ると、隣の席へと視線を向ける。

 するとそこには、誰かが座っていた。


 肩にかかる位の髪の毛に、ぱっと見少し機嫌の悪そうな表情。その人は……


『これ……』

『ん? あっ、私のだ。どこかに落としちゃったのかと思ってた。ありがとう』


 多田さん!?


 ちょっと、ストップ。なんで多田さん? しかも私の? てかそもそもこの光景……このシチュエーション。妄想と言うより……なんか懐かしいんですけど?

 だって、これって……


『えっと、その……初めまして。しっ、白波しらなみ聖覧せいらんって言います』

『私は多田雅。よろしく』


 入学初日、俺と多田さんの……会話じゃんか! なんで……






「あっつ」


 いつも通りに駅から出ると、今日もまた素晴らしい天気が待ち構える。

 夏真っ盛りという事もあって、その気温は日に日に増すばかりだ。

 まぁ、駅からキャンパスまでの距離が短いのは、普通なら救いではある。しかしながら今日に限ればそうとも言えない。


 ……あれってなんだったんだ?

 ここ最近、目にする事の多かった不思議な夢。ただ今朝のそれは、今までとはまた違う。自分の過去の記憶だとハッキリと分かるモノだった。

 そして、それは大きな疑問を生み出した。


 ただの偶然、妄想なんだから気にしなくても良い。

 そう思えればどれだけ楽だろう。ただ、どうしても気になって仕方がない。


 俺が夢で見てきた安藤さんという人物の記憶というか妄想。その時、お婆ちゃんから貰ったゲコッピーのキーホルダー。

 高校生活初日。隣の席だった多田さんと初めて話したきっかけは、床に落ちてたキーホルダーを拾った事。そのキーホルダーはカエルの……ゲコッピーだった。


 自分の記憶と妄想が交じり合って作り出したものなのかもしれない。

 そもそも、夢で見たのは安藤さんという子。多田さんとは名前が違う。


 けどなんで……ここまで引っかかるんだろうか。


「こりゃ直接聞いてみるか? いや、どうやってその話題に……」


 なんて一人で黙々と考えに耽っていた時だった。


「おっはよー白波君!」

「おっす、聖覧」


 声を掛けてきたのは、夏にも負けない熱々カップル。その佇まいはいつもながら清々しい。


「あっ、おはよう! 二人共」

「今日も暑いねぇ」

「どこまで上るんだろうな?」


 そして今の俺にとっていつも以上に眩しく、いつも以上に羨ましくも感じた。


「そう言えば雅、今日と明日お休みだって」


 えっ? 多田さんが?


「えっ? なんかあったのか?」

「体調不良とかじゃなくて、家の都合だって」


 家の都合か……てか何ともタイミングが悪いな。


「そっ、そうなんだね」

「折角今日、雅ちゃんの誕生日なのにねぇ」

「だよな? じゃあプレゼント渡すのは明後日だな」


 ん? 多田さんの誕生日? 

 すかさずスマホを確認すると、待ち受け画面が表示される。そしてそこには映し出されたのは8月7日という日付。それは間違いなく、多田さんの誕生日で間違いない。


 ……やっば! 完全に忘れてた!


「聖覧、今年は気の利くものプレゼントしろよ?」

「何言ってんのぉ? 人の事言えないくせに」

「はっ、はは。今年は大丈夫だよ!」


 マズいな。全然用意もしてない。えっと、渡すのは明後日だよな? 今日明日で買っておかないと。

 それにしても、誕生日忘れるなんて……友達の誕生日忘れた事なかったのにな。ましてや多田さんのはさ? 


 8月7日だよ。言い訳だけど……あの夢のせいかな? うーん、分かんないな。

 けど、とりあえずプレゼント渡した時に何気なく多田さんに聞いてみれば良いかな? キーホルダーの事、おかあさんの事、お婆さんの……あれ? お婆さ……ん?


 その瞬間だった。頭の中にある光景が蘇る。それは…………病室でお婆さんを見る安藤さん。いつの日か見た夢の一つだった。



『かあ……さん……』

『お婆ちゃん……』


 これ……そうだ。お婆さんが亡くなった時の夢だよな? 


『8月7日、8時55分……御臨終です』

『お婆ちゃぁぁぁん!』



 っ! そういえば……そうだ! お婆さんが亡くなったのも8月7日。

 そして多田さんの誕生日も8月7日。


 偶然か? これも偶然か? 

 けど、実際多田さんは今日休んでる。それも家の都合で。もしかして……法事とかなら? いや? まだ分からない。本当に家の都合かもしれない。

 けど、なんだろう? この変な感じ。


「どうかしたの? 白波君」

「買ったプレゼント後悔してるとかか?」

「そっ、そんな事ないよ!」


 やっぱり分からない。

 けど、どうしても引っかかる。


 俺が見てきた安藤さんという人物目線の光景。

 偶然とはいえ、少なからず当てはまった多田さんとの共通点。


 まさか……な?

 いや? あり得る?

 名前が違うのに?

 それでも気になる。


「おーい、行くぞ? 聖覧」

「あっ、うん!」


 だったら……




 この日、練習が終わると……俺は多田さんの誕生日プレゼントを買う為に、駅前の店へと足を運んだ。


 まずは本屋さん。前々からこういうのはどうかと考えていたから、選ぶのにそこまで時間は掛からなかった。

 ただ、問題はもう一つのプレゼント。雑貨店やらなにやら探し回っても、目的の物は見当たらない。


 結局その日は諦めて、翌日の練習終わり。少し遠く離れたショッピングモールへと足を運んだ。

 するとどうだろう。少し小さめの雑貨店で……それはあった。しかも一つだけ。

 俺はそれを手に取ると、迷う事なく購入した。


 そして……




 いつもと変わらない朝。

 見慣れた車両に、乗り慣れた座席。

 そんな電車に揺られながら、俺はリュックを抱き抱えある事を考えていた。


 ……ただの偶然でも良い。だからこれを渡す時に、思い切って聞いてみよう。

 そう思うと、少しだけ両手に力が入る。

 いつもは練習着しか入れてないリュックだけど、今日は違う。そこには、二日掛けて探した多田さんへのプレゼントが入っている。


 まぁ、何となく軽い感じで言えば大丈夫。

 俺だったら多少変な事言っても怪しまれないと思うし、冗談で済むだろう。


 だから聞いてみよう。多田さんに。




「相変わらずあっちぃ」


 いつも通りに駅から出ると、今日もまた素晴らしい天気が待ち構える。

 ここ3日間で一番の気温が予想されてるだけあって、すでに額から汗が零れる。

 それらを手で拭いながら、俺は大学のキャンパスを目指して歩き始めた。


 ……そういえば、俺は多田さんの事をあまり知らない。高校3年間、そして現在進行系でお世話になって、それなりに仲良くなったとは思う。実際あの二人を始め、良くお昼を食べてた人達には笑顔も見せてたし、遊びにも行った。だけど……言われてみれば多田さんが自分の事、特に自分の家族について話した事は……ない。


 俺達も、話したくないことは聞かないって雰囲気だったし、大体が自分から家の事や自分自身の事を話してた。だから、別に多田さんの事が気になったりとかはしなかったんだと思う。


 だからこそ……改めて気が付いた。

 俺は多田さんの事を知らないだ。

 好きな人の事を知らないんだ。


 もしかしたら、どことなく雰囲気が似ている美人なお母さんが居るのかもしれない。

 もしかしたら、お婆さんが居たのかもしれない。

 もしかしたら、何かの理由で小さい頃に転校を経験したのかもしれない。

 もしかしたら、何かの理由でバスケットボールのプレイヤーを辞め、高校からマネージャーを始めたのかもしれない。

 もしかしたら、豆大福が好きなのかもしれない。

 もしかしたら、ゲコッピーが好きなのかもしれない。


 もしかしたら……


 考え出したらキリがない。勿論、それらはただの推測でしかない。

 ただ、全部が合っていないとも言い切れない。断片的に合っているかもしれない。

 可能性はゼロじゃない気もする。


 だからこそ、聞きたいと思った。


 なんて考えていると、正門を抜けた先に一人の女性の後ろ姿が見える。

 肩にかかる位の髪の毛に、ジャージを着ていても分かるスラリとした体形。分からない訳がない。


 おっと、今日はタイミングが良いな。じゃあ……行きますか。


 心の中でそう呟くと、俺は少し駆け足でその人の元へと向かった。


「おはよう多田さん」

「ん? あぁ、おはよう白波。ちゃんと集中して練習してた?」


 うっ、さっそく練習の事か。しかも結構図星なんですけど。


「だっ、大丈夫だよ」

「怪しいわね?」


 ……うん。いつも通りの多田さんだ。やっぱり聞くなら、誰も居ない今しかないよな。


「大丈夫だって。それより多田さん」

「うん?」


「えっと……誕生日おめでとう。これ……必要かどうかは分からないけど……」

「えっ? ……ありがとうね? 開けて見ても良い?」


「どっ、どうぞ?」

「えっと……スポーツ飯大百科?」


「あっ、その……多田さんの役に立つかなって」

「白波?」


「はっ、はい?」

「つまり、これを見てもっと自分の為にご飯を作って欲しいと?」


 ……はっ!! いや、確かに今でも食事の管理やらお弁当作って貰ってますけど、そういう意味じゃ……


「ちっ、違うよ! いやほら、ご飯だけじゃなくてスポーツに欠かせない間食とか色々……」

「冗談だって。全く……ありがとう。白波」

「はっ、はは……どういたしまして」


 なっ、なんだ冗談か。未だに冗談か本気か分からないんだよなぁ……って違う違う。まさか牽制の為のプレゼント1がカウンターという形で帰って来るとは。本題はここからだろ? 


 ……いけっ! 白波聖覧!


「あっ、あとさ?」

「うん?」


「こっ、これも……」

「えっ? なに? もう一個?」


「まっ、まぁね? 気に入るかは分からないけど……」


 どっ、どうだ?


「へぇ。けどね? こんな事しても練習メニューは……」


 多田さんが徐に袋を開け、その中身を手に取る。そしてそれが目に入ったのだろう。

 その瞬間、その表情が一瞬固まった気がした。


 あっ、表情が……って事は……

 それは少なからずそのキーホルダーに対して、何かを感じている証拠だった。問題は、このあとどうなるか。


 どうなる……って!

 だが俺は見逃さなかった。いつもは冷静沈着で、滅多に笑わない多田さんの顔が赤らみ……少しだけ口角が上がったのを。


「こっ、これって」

「あっ、いや。偶然見つけてさ? そういえば多田さんゲコッピーのキーホルダー持ってたよなって」


「いっ、いや。それは……ってなんでアンタが知ってるのよ」

「えっ? だって1年の時多田さん落としたじゃん? だから好きなのかなって……」

「っ! そっ、それは……くっ、くぅ」


 えっ? いや、想像以上なんですけど? 顔真っ赤なんですけど? 正直、こんな多田さん初めて見た。

 ……って言うことは……


「あっ、要らないんだったらごめ……」

「いっ、要らないなんて言ってないでしょ? しっ、仕方ないから貰ってあげる!」


 うおっ! 鞄の中に入れるのはやっ!

 これはまさか……いや? これじゃまだだよな? 単にゲコッピーの事が好きなだけかも。けどやっぱり、こんな動揺してる多田さん……もうちょっと見て居たいかもしれない。


「無理しなくても……」

「しっ、してないわよ!? それに折角くれたプレゼントなんだから、返すのはマナー違反でしょ。ととっ、とにかくありがとう」


 ……ヤバっ。普段とのギャップが凄すぎて余計に可愛い。あっ、じゃあもう一個聞いてみようかな?


「あっ、そう言えば多田さん?」

「なっ、なによ!?」


「多田さんって豆大福好きだったりする?」

「っ! ななっ、なんで……」


 マジか? これも当たり? 


「あっ、そうなの?」

「なんでいきなりっ!」


「えっ? その……なんというか勘というか……」

「はっ、はぁ? 意味分からないんだけど? もう、今日のアンタちょっとキモいよっ!」


「ははっ」

「なっ、なんなのよぉ」


 目の前で、見た事もない位動揺している多田さん。

 その光景をどこか嬉しく思う自分が居た。


 勿論、あの不思議な夢。それらの出来事はたった二つしか当てはまってはいない。

 ただの偶然だってこともある。

 むしろその可能性の方が多いと思う。


 けど、もしかして……そんな期待を抱いているのは事実だ。



 なんで突然、あのきおくを見るようになったのか理由は分からない。

 安藤さん=多田さんなのか、確証はない。


 だったら、聞けばいい。

 今まで自分の事を話してくれない、何も知らなかった多田さんの事。


 それを聞ける関係になろう。


「いや。その……多田さん」

「なによっ!」




「夢の中で初めまして」




 どれだけ時間が掛かろうとも。
















「ちょ、ちょっと? あんた本当に大丈夫? この暑さで……」

「あー! おはよう雅!」

「おいっすー」


「あっ、ちょっと聞いて? 白波がちょっと」

「おはよう。二人共! それより聞いてよ多田さんって……」

「こっ、こら! ささっ、さっさと練習行くよ! とっ、特別メニュー用意したんだから!」


「えっ? 多田さぁぁん?」





「なっ、なんなんだ? 物凄い勢いで行っちまったぞ?」

「いやぁ……何なんだろうねぇ? 一体」


「とりあえず」

「だね?」



「「今日もあの二人、仲良いなぁ」」



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夢の中で初めまして 北森青乃 @Kitamoriaono

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