す【鈴】

 少女は小さく輝く金色の鈴を見つめていた。それは祖母からもらった大切な宝物であり、彼女のお守りでもあった。チリンチリンと涼しげな音を鳴らすそれを、どこに行くときも肌身離さず持ち歩いていたのだ。

 つい二年前に亡くなってしまった祖母は、少女をとても愛していた。食事の幸福感も、親に愛される喜びも知らない少女を、心の底から愛していたのだ。荒れ果てたリビングの掃除をし、汚れた食器だらけのキッチンを片付け、破れたカーテンも絨毯も綺麗に編み直して、「家」という存在を教えた。深夜にしか帰って来ない母親の代わりに「ママ」を教えた。少女はそんな祖母のことが大好きだった。


 ある朝の学校へ行く途中、人気のない路地裏に黒猫を見つけた少女は、ランドセルにぶら下げている鈴を鳴らしながら彼にゆっくりと近付いていった。朝だというのに真っ暗なその小道は不気味な程静かで、背中の方に広がる街とは全く別の世界に迷い込んだかのような感覚になる。少女は少し怖くなりながらも、黒猫を追う。

 行き止まりについた彼は、少女の方に向き直って、ちょこんと座った。

「ねこちゃん、あそびましょ」

 少女はその細くてすぐに壊れてしまいそうな腕を伸ばして、彼に触れようとする。しかし黒猫はにゃあとひとつ鳴いて、塀の方に駆けていく。

「あ、あぶないよ!」

 リンリン、と鈴がいつもより大きな音を響かせる。するとどうだろう。黒猫は壁の中へと入り込んでいった。少女は呆気にとられて、立ち尽くす。

 この壁がどこかに繋がっているなんて、小学校では聞いたことなかった。ウワサ好きのあの子も、怪談好きのあの人も、そんなことは喋っていたことがなかった。これは、私が初めてになれるかも。少女はゆっくりと黒猫の消えた行き止まりへ進む。

 何の変哲もない、ただのレンガ。これがさっきは水のように柔らかくなって、彼を受け入れた。どうしてだろう。

 遠くから青い鈴の音が聞こえる。それ自体が見えた訳ではないが、何となく、青という色彩を感じた。それに応じてか、少女の赤いランドセルにさがっている金色のそれが光り始めた。

「これって……」

 荷物をおろして、その光だけを手のひらに乗せる。壁を見つめながらそれを鳴らしてみれば、ただのレンガだったはずのそれに波紋が広がる。引き金はこれだ。少女は理解して、ひとつ頷く。

「おばあちゃん、私にゆうきをください」

 波紋に突撃するように、少女は全速力で走る。そして鈴を鳴らした。


す【鈴】美しい音色と共に異世界へとさらって行くもの

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