第31話 桜子を巡る戦い

 俺はオープンフィンガーグローブを嵌め、リングに上がる。

 この闘技場では、目潰しと金的以外のすべての攻撃が許されるため、投げ技、締め技、関節技などが使えるよう、指が出るグローブを装着するのだ。


「ちょっと慣れないな……」


 どのみち俺はパンチしかできない。それならば、普通のボクシンググローブの方が良かったのだが。


「いいか八神、絶対につかまれるなよ。今のお前にエスケープできる技術はない。転ばされたら終わりだぞ」

「はい!」


 金網の外から、セコンドについた迫田さんがアドバイスをくれる。

 つまり早乙女につかまれる前に、マットに沈めるしかないということだ。


 何人もの打撃系格闘家を破壊している早乙女相手に、一発KOを狙うなど正気の沙汰に違いない。――だが、やるしかないのだ。



「君は陸上部らしいな。しかも、もうすぐインターハイ予選があるんだって? だから、絶対に怪我をさせないで欲しいって、桜子さんに言われたよ」


 先生……そこまで、俺のことを考えてくれているのか……。


 俺は先生の姿を探す。――見つけた。怯えた表情で俺達を見ている彼女を。


「桜子さんにだいぶ気に入られているようだね。実に気に食わん。という訳で、足を一本いただくことにした」

「そりゃどうも。おかげで遠慮なくいけます。その甘いマスクを、グチャグチャにしてやりますよ」


「この早乙女諒一に舐めた口を利いたこと、一生後悔させてやるからな小僧……!」


 早乙女は殺意のみなぎった目で、俺を睨みつけてきた。



 カーン!

 選手紹介がないまま、ゴングが鳴る。

 このような場で、個人情報を公開すべきではないからだろう。


 迫田さんの話では、早乙女は打撃技が不得意だそうだ。牽制程度にしか使わないらしい。柔術はパンチ、キックを使わないので、これは当然と言える。

 仕留めにくる時は、つかみからの投げ技か、タックルを仕掛けてくるはずとのことなので、そこを狙い撃ちしてやる。



 早乙女は構えながら、徐々に近づいて来る。


「ふふ、どうした? 足が止まっているぞ? 緊張しているのかな?」


 奴はニヤッと笑うと、ステップを刻み、軽く右のジャブを打ってきた。

 集中力が極限まで高まっているからだろう。また動きがスローモーションで見え始めた。


 早乙女のジャブはさほど鋭くない。俺は難なく左手でガードする。

 だが、初手で即タックルに来ると読んでいたので、俺は少し驚いた。


 ――が、驚きながらも、いつの間にか右ストレートを放っている。



 俺のパンチが、早乙女の顔面にめり込んでいく。



 スローモーションが終わった。

 ふらふらっと奴が下がるので、俺は左フックを奴のアゴに入れる。


 早乙女は一気に力が抜け、その場に倒れた。



 カンカンカンカン! ゴングが鳴る。

 開始数秒での一発KOだ。


「勝者、青コーナー!」


 俺はレフェリーに腕をつかまれ、右手を挙げる。


「八神! お前本当すげえな! ジャブにカウンターあわせたのかよ!」

「ははは。ええ、まあ……」


 迫田さんが大喜びでタオルを振り回す。

 あのカウンターは、狙って打った訳ではない。自然に体が動いていたのだ。

 本能や直感というやつなのだろうか?


「早乙女の敗因は、お前相手にぬるいジャブを打ったせいだな!」


 確かに。初手に鋭いタックルで来られていたら、結果は違っていたかもしれない。

 おそらくジャブで、俺を怯ませてからタックルを仕掛けるつもりだったのだろうが、結局カウンターのチャンスを与えてしまっただけという訳だ。



「勝者にはファイトマネーが贈呈されます」


 とてつもなく淫乱な恰好をしたラウンドガールが、俺に賞金袋を手渡してくる。

 うーん、このエロさ。いかにも裏社会って感じだな。


 俺が賞金を受け取ろうとした瞬間、入り口のドアが激しく開け放たれた。


「サツだ!!!! サツが踏み込んでくるぞ!!!!」


 げ!? マジかよ!? ……そうか、災いが降りかかって来たのか!


 係員が奥の扉を開ける。


「皆様! こちらからお逃げください!」


「八神、すぐにずらかるぞ!」

「――先生は!?」


 桜子先生が、こちらへとやって来るのが見えた。


「八神君!」

「先生、逃げますよ!」


 俺達は一目散に地下闘技場から逃げ出した。

 狭い廊下を駆け抜け、細いハシゴを上がると、どこかの工事現場へと出る。


 他の観客と共に、闇に紛れて街へと溶け込む。

 俺達は、だいぶ離れた人のいない公園にたどり着いた。

 どうやら上手く逃げられたようである。



「あっぶねえ……危うくお前の人生をダメにしちまうところだった。悪いな八神」

「いえ、おかげ様でまとまった金も――って、俺、賞金貰ってねえ!」


 迫田さんは俺の肩をぽんぽんと叩く。


「こういう時はなかったことになる。捕まらなかっただけでも幸運だと思って、あきらめろ」

「ノーオオオオオ!」


 せっかく闇の世界に堕ちたのに、これではあんまりだ。とほほ……。

 でもまあ、災いがこれくらいで済むならマシな方か。前回は家がなくなってるからな。

 それに……。


「八神君!」


 桜子先生が、ほっぺをぷくーっと膨らませて俺を睨んでいる。――可愛い。

 そう、俺は金なんかより、遥かに大事なものを守ったのだ。


「どうして私の言うこと、聞かなかったの!」

「すみません先生……でも、あんな奴に先生を奪われるのが、どうしても嫌で……」


「八神君……」


 先生は目をうるうるさせている。――可愛い。


「ありがとう……でも2度と、こんなことしないで……」


 先生がひしと俺に抱き着いて来た。


「はい、約束します」


 俺も先生を抱きしめる。

 なんだか、この世界にいるのは俺達2人だけのような気さえする。



「……じゃあ、俺は先に帰っているぜ八神。頑張れよ」


 そうだった。迫田さんがいたんだった。恥ずかしいよお……。


 俺は桜子先生を抱きしめたまま、迫田さんが去っていくのを見送った。



「……行った?」

「ん? ええ、迫田さんなら行きましたよ」


「……しないの?」

「え? なにがですか?」


 先生はムスっとする。


「知らない!」


 俺は先生の可愛らしい怒り顔を、微笑ましく眺めながら、彼女を抱きしめ続けた。

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