第21話 三宮部長の漢気

 紫乃に、むりやりプリンをあーんした翌日の朝。


 目が覚めた俺は、いつものようにダイニングへと向かう。

 今日も紬が、ソーセージエッグ定食を作って待っていてくれているはずだ。



「先輩、おはようございます!」


 紫乃が、フライパンから皿へとオムレツを移していた。


「――おお、おはよう紫乃。……今日は、お前が朝食を作ってるんだな」

「はい! そういう気分だったので!」


 紫乃は満面の笑みを見せる。

 かなり機嫌が良さそうだ。あんなことをされた後なのに……。

 まあ、こちらとしては、その方が助かるので全然かまわないのだが。


 しっかし、プリン一つくらい、ケチるんじゃなかったよ。

 あそこでさっさと譲っていれば、アホみたいにオラついたあーんをせずに済んだものを。本当、俺の馬鹿野郎……!



「紫乃嬢が『今日はどうしても私が作ります!』と譲らなかったのです兄上」


 席についている紬が、不満そうな表情を見せる。

 自分の役割を奪われて、腹立たしいのだろうか? 台所に女は2人いらないと言うしな。もしくは、単にオムレツよりソーセージエッグ定食の方が良かっただけか?


「おはよ……」

「ふわーあ……」


 桜子先生とひまりも席につく。

 紫乃は、それぞれのオムレツにケチャップで文字を描き始めた。


『ダメ女』

「むー!」


『バカ』

「はぁ!? ざっけんじゃないわよ!」


『キ〇ガイ』

「ぴえん! ひどいでございます紫乃嬢!」


『オラつき陰キャ』

「おい!」


『陰』をケチャップで書くなんて、ずいぶん器用だな!

 俺はすぐにスプーンで『オラつき陰キャ』を塗り潰した。


「うふふ、冗談です。――はい、どうぞ」


 紫乃はハートマークを描いた。

 そうそう、プレーンオムレツといったらこれよこれこれ。母上も毎回、これを描いてくださる。


「おお、かたじけないな紫乃。――では、いただきます」


 紫乃は「うふっ」と笑った。





 放課後、俺はグラウンドへ向かう。

 これから5,000メートル走の、代表選手選抜試験があるのだ。


 メンバーは1,500メートル走の時とほぼ一緒。

 三宮部長を始めとした3年生3名に、木野村は当然参加だ。



「せんぱーい、頑張ってくださーい!」

「八神ー! 男見せろよー!」

「負けたらシメっからなー!」

「八神氏ー、ご武運をー! ソイヤッサー!」


 紫乃、北原、小松、それに図書委員の星まで、俺の応援に来てくれている。

 ちょっと前までの俺からすれば、考えられない事態だ。


「女子に応援されてるからって、調子のんなよ八神!」

「ふ、ふん! 全員ブスばかりじゃねえか! ちっとも羨ましくなんてねえからな!」


 木野村と別のクラスの奴が捨て台詞を吐き、スタートラインにつく。


「八神、今日も全力で挑めよ」



[1、「はい!」全力で5,000m走に挑む]

[2、「これが俺の全力じゃあああ!」三宮部長に全力ラリアット]



「はい! 部長の胸を借りるつもりでいきますよ!」


 さすがは部長。

 今回3位以内に入らなければ、インターハイの道は完全に閉ざされるというのに……。

 まさに真の漢である。もはや俺に迷いはない。



「オン・ユア・マークス」


 スタートの合図を聞いた瞬間、俺は一気に駆け出した。


 今日は徹底的に逃げ切ってやる。誰にも後ろにつかせてやるつもりはない。

 俺は序盤からハイペースで駆け抜ける。


「おいおい、マジかよ!」

「クソがっ!」

「うろたえるな! 自分の走りを維持しろ!」

「1年、2年! 八神の走りに惑わされるなよ!」


 そんな声を背中で受け止めながら、俺は目の前に誰も存在しない光景を楽しむ。


 1位の景色は、実に気分がいい。

 これを味わってしまうと、さすがの俺も心変わりしてしまいそうだ。

 そこそこの順位で満足せずに、やはりがむしゃらにトップを目指すべきなのではないか? そんな風に思えてきてしまう。



「1位、八神君」

「やったわね! 八神ー!」


 ぶっちぎりの1位をとった俺は、ひまりとハイタッチをした。


「きゃー! せんぱーい!」


 紫乃たちが手を振ってきたので、俺も手を挙げる。ちょっとしたスターの気分だ。悪くない。

 運動部の連中は、こういう思いを何度もしているのだろうか? どおりで頑張る訳だ。

 そして結局俺も、俗物的な人間だったということだな。恥ずかしいかぎりだ。



 俺はひまりからスポドリを受け取り、コース外へと出た。


「……さて、2位と3位は誰かな?」


 できれば3年生に勝ってほしいが……。



「2位、市ヶ谷君。――3位、木野村君」


 1,500メートル走とまったく一緒だ。ということは……。



「――4位、三宮部長」


 これで部長のインターハイは終わった。


 部長はコース外に出ると、俺達から離れた場所に静かに立ち尽くす。

 表情からは、なにも読み取ることはできないが、そのショックは凄まじいものだろう。


 そこへ、市ヶ谷先輩が向かい、部長の肩を叩いた。

 きっと部長なら、悲しみをこらえ強い笑顔を見せてくれるだろう。

 俺は涙ぐんできてしまう。



「うわああああああん! 市ヶ谷ー! 僕、負けちゃったよおおおおおう! 悔しいよおおおおおおう! 悲しいよおおおおおおおおう!」

「おう、よしよし……」


 部長はわんわん泣きながら、市ヶ谷先輩に泣きついた。――え?


「格好つけて、八神に本気だせなんて言うんじゃなかったあああああ! 時間巻き戻してええええええ!」

「そりゃ無理だわ」


 めちゃくちゃダセえ! 俺の涙を返せ!



 こうして俺は、2種目の代表選手となったのであった。

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