第15話 痴話ゲンカ

 翌日の月曜日の朝、「よく分からないけど、ごめん」と桜子先生に謝られる。

 何をしたのかは憶えていないが、妹たちに言われたから謝罪したという感じだ。

 俺は「男としての責任はとります」とだけ返事した。


 不思議な顔をした先生を送り出し、朝の家事を紬と終え、学校に向かう。

「ドーピングコンソメ野郎」「インチキランナー」と書かれた上履きに履き替え、教室に入り席につく。

 それからしばらくすると、チキン野郎こと鬼頭将吾が姿を現した。


「お、ようやく出てきたのか……」


 ひまりに追及されることを恐れたのだろう。

 あの事件以来、鬼頭はずっと休んでいた。電話にもでないし、本当情けない奴である。



 鬼頭は教室を見回し、ひまりの方へと視線を向ける。

 一方ひまりの方は、ちらっと鬼頭を見ると、またすぐにスマホをいじりだした。

 普段は顔を見ると、すぐにでかい声で挨拶するのだが。


 鬼頭は気まずそうにひまりの元へと向かう。


「よ、よう……」


 鬼頭がひまりに話しかけたが、ひまりはつーんとシカトしている。


「な、なあ……」

「まず、言うことがあんじゃないの?」


 もしかして鬼頭の奴、まだ謝っていないのか? それじゃ、口利いてもらえないだろうよ。


「いや、あれはしょうがないべ?」

「は!? アタシ拉致られそうになったのよ!?」


「こうして無事だったんだから、いいじゃねえか。もう水に流そうや。――な?」


 おいおい……お前がそれ言っちゃ駄目だろ……。

 こいつ本当に偏差値60以上あるのか?


「ふざけんじゃないわよ!」


 バッチーン! 鬼頭が頬を張られた。

 ひまりの頬を涙が伝う。


「ってえな! 何すんだ、このクソアマ!」


 鬼頭がひまりの襟をつかんだ。


「おい、将吾! やめとけって!」

「鬼頭君! やめて!」


 クラスメイトが鬼頭をとめる。


「アンタみたいな男とは、もう口利かないから!」

「んだと……! 何様のつもりだ!」


 鬼頭がひまりを机の上に押し倒す。


「やめろって、鬼頭!」

「うるせえ、黙ってろ! 殺すぞ!」


「くっ……」


 男子たちは鬼頭を制止しようとしたが、奴の迫力に後ずさる。


「せ、先生呼んでくる!」


 女子の一人が教室を飛び出した。


「おいひまり、テメエ……謝れよ……!」

「何でアタシが謝らなくちゃなんないのよ! うえーん!」


 ひまりが大泣きしてしまった。


「ちょっと男子! 誰か助けてよ!」


 女子が涙目で叫ぶ。――が、誰も踏み出せないでいる。みんな鬼頭が怖いのだ。

 じゃあ、ここは俺が――って、出てきやがったか!



[1、「ぷんぷん! 僕のひまりたんに手を出すな!」ひまりの前に立ちはだかる]

[2、「愛と平和の使者、颯真君が、君達にラブ&ピースの心を抽入するお!」2人に股間を押し付け、喧嘩を仲裁する]

[3、「俺に任せろ」鬼頭を力尽くで止める]



 ああ、くそ! 1と2がキモすぎて、一番荒っぽいやり方しか選べなくなっちまったじゃねえか!

 元々ひまりのことは助けるつもりだったのに、なんで出てくるんだよ!



「俺に任せろ」


 クラス全員に「は?」という顔で見られながら、俺は鬼頭に近付いていく。


「鬼頭、ひまりを放して謝罪しろ。どう考えても、お前が悪い」

「あん? ゴミ八神が偉そうなこと言ってんじゃねえよ?」


 この態度を見る限り、俺が不良どもをボコしたことは知らないようだな。

 と言うより、駐車場で会っていることにも気付いていない感じだ。

 鬼頭は寝転がっていたし、夜だったから、俺の顔が良く見えなかったのかもしれない。


「いいから放せ」


 まだひまりの襟をつかんでいるので、俺は鬼頭の腕をグッとつかんだ。


「んだよ、いてえな!」


 鬼頭に肩を殴られる。

 腰のまったく入っていないパンチだ。痛くもかゆくもない。

 ……いや、さすがにそれはウソだ。そこそこ痛い。


「ひまり大丈夫か?」

「うん……ありがとう」


 俺はひまりを抱き起こす。


「は? なにその感じ? おいコラ、クソ八神。彼氏ヅラしてんじゃねえぞ……ひまりも、なに大人しく触らせてんだよ?」

「うっさいわよ。一丁前に嫉妬すんなし。マジキモいんですけど?」


 ひまりも余計なこと言うなって!


「なんだと……このアバズレが!」


 鬼頭がひまりを殴ろうとしたので、腕をつかむ。


「おい鬼頭、いい加減にしろよ?」

「なんなのお前? まさか、ひまりに惚れてんのか? ギャハハハ!」


 おい、この手の話は……ああ、やっぱりな。



[1、「ああ、そのとおりだ」]

[2、「愚問だな。男が体を張る理由はそれしかなかろうて」]

[3、「ひまり、愛してるぞおおおおおおおおお!」]



「愚問だな。男が体を張る理由はそれしかなかろうて」


 教室内が静寂に包まれる。まあ、そりゃそうだよな。

 ケンカしていたと思ったら、今度は突然の陰キャの告白。脳の処理が追い付かないだろう。


「ギャハハハハ! マジかよ! こりゃ傑作だぜ! お前みたいなウジムシが、相手にしてもらえると思ってんのかよ! ――なあ、ひまり!」


 ひまりは、ゆでだこのように真っ赤な顔をしている。

 みんなの前でこんな羞恥プレイをさせられたら、当然そうなるだろう。

 本当悪いことをした。恨むなら、鬼頭を恨んでくれ。


「……アンタみたいなクソ野郎より、八神の方が百万倍マシだから。もう二度とアタシに話しかけないでくれる?」

「はいはい、そうかよ。……おい八神、先に言っておくぜ。すぐにやらせてくれそうだから、ひまりに近付いたんだよな? でもなあ、こいつ全然やらせてくれねえぞ? キスすら拒否――」


 俺の左フックが、鬼頭のアゴに入った。

 奴はクソみたいな台詞を吐き出すのをやめ、その場に崩れ落ちる。


「うわあ!」

「きゃあああああ!」

「おい鬼頭! 大丈夫か!」


 鬼頭と仲の良い男子が、奴を揺さぶる。


「お前達、何をやっている!」

「八神君!?」


 生活指導の村山先生と、桜子先生が教室に駆けつけてきた。

 ついうっかり殴っちまった……これは面倒なことになりそうだ。




 俺と鬼頭は生徒指導室に連れて行かれ、学年主任の藤本先生と、生活指導の村山先生、そして担任の桜子先生に事情聴取を受ける。

 鬼頭をなぜ殴ったのかを散々追及された後、「処分は追って連絡する」と言われ、ひとまず解放された。だが、鬼頭の事情聴取はまだ続くようだ。


 俺は頭を下げてから立ち上がり、退室する。


「『何故殴った?』って言われても、ムカついたからとしか――って、どうしたひまり?」


 ひまりが生徒指導室の前に立っていた。


「八神、ごめん……アタシのせいで……」

「いや、気にしないでくれ。俺が悪いんだ。最近どうも口より手が出るようになってきてしまってな……」


 そうなのだ。

 平穏をこよなく愛する俺が、ここ最近暴力による事態の打破をしまくってしまっているのだ。これは由々しき事態である。


 だが正直言うと、このやり方を気に入り始めている俺がいる。

 この平和で文明的なご時世に、あえて暴力という単純で原始的な力を行使することに、爽快感を覚えてしまっているのだ。


「アタシは全然ありだと思うよ……」


 ひまりは耳を赤くしてモジモジとする。――可愛い。人を褒めることに慣れていないから、恥ずかしいのだろう。


「そう言ってもらえると助かる」

「あ、あのさ八神……さっき教室で言ったことって……ノリで言っただけだよね?」


 ああ、ひまりに惚れていると宣言したことか。あれは心底寒かった。

 せっかくひまりが授業を聞いてくれるようになったのに、築き上げた信頼関係を一発で崩しかねないキモさだ。


 さて選択肢は……お、浮かんでこない。助かった。これで誤解が解ける。


「ああ、その場の勢いで言っちまった。悪いな」

「あ……うん……そうだよね。八神が好きなのは桜子だもんね……」


 ひまりはしゅんとしてしまう。

 確かに三姉妹の中で一番好きなのは桜子先生だが、それは他の2人の性格がアレすぎるからだ。

 別に先生LOVEという訳ではないのだが……。


「八神、助けてくれてありがとね……!」


 ひまりは急にニコッと笑うと、教室の方へと走って行った。

 どことなく痛々しい笑みのように見えたが、気のせいだろうか?




 昼休みに鬼頭が再度呼び出され、教室に戻って来たとおもったら、すぐに鞄を持って帰ってしまった。

 その際、俺を思い切り睨みつけてくる。



「――停学1週間だそうですよ。ざまぁみろですね」


 急に背後から話し掛けられた。俺は咄嗟に後ろに振り向く。


「ああ、紫乃か。わざわざ、それを伝えに来たのか?」

「はい。……本当は先輩も停学になる予定でした。桜子ちゃんが父に頼んで、先輩の処分を取り消したんですよ?」


 学校に圧力をかけたということか。

 瑠璃川パパはそこまでの力を持っているんだな。こりゃ、絶対ご機嫌を損ねないようにしないと。


「桜子ちゃん、本当は父に頭を下げるの嫌だったと思います。感謝してくださいね……なんて言いません。ひまりちゃんを助けてくれてありがとうございます」


 紫乃が頭を下げる。

 そのあまりにも普通で素直な態度に、俺は動揺してしまった。


「お、おお……気にしないでくれ」

「私、普段はこんな感じなんです。気にしないでください」


 紫乃はクスッと笑うと去って行った。

 なるほど。みんなの前では、鳴りを潜めている訳か。


 猫を被った毒舌家だが、今のような誠実な一面も持っている。

 ひまりと違って複雑で、どう評価していいか分からない女だ。


 一つ確かなことは、裏でおこなわれていた駆け引きを知ることができる、それなりの立場と実力を持っているということだ。それはつまり……。


「絶対敵には、まわさないようにしよう……」


 俺はボソッと、そうつぶやいた。

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