第2話 バイト
トレーニングを終えた俺は、座間のオッサンと共に荒暮ボクシングジムを出た。
「おっさん、お疲れ様です」
「八神君、お疲れ様ー!」
オッサンと別れ、とあるタワーマンションに向かう。
ジム初日は無事に終わった。いや終わってしまったと言うべきか。
入会初日に即退会するつもりだったのだが、会長に辞めたいと告げようとした瞬間、以下の選択肢である。
[1、「俺、このジム超気に入りました! 一生続けたいです!」素敵な笑顔を振りまく(会長の許可が出るまで退会不可)]
[2、「お前をボコして、今日から俺が会長じゃ!」会長の歯を全部折る]
当然1を選び、俺は退会不可となる。会長は大喜びだ。
しかも練習で手を抜こうとすると、
[1、「会長! 俺の真剣な練習振りを見てくださいよ!」会長を呼ぶ]
[2、「うんこ漏れちゃうううう! 僕にオマル持ってきてええええ!」その場で漏らす]
という選択肢が出てくるので、常に全力でトレーニングするはめになる。さすがにこの年で、うんこを漏らす訳にはいかない。
おかげで、俺の大嫌いな、青春の汗を滝のように流してしまう。本当最悪である。
ちなみに荒暮会長は「久々、ガッツのある奴が来たぞ! がはははは!」と大喜びだ。
「帰宅部にしておくのは勿体ないな!」「素晴らしいスタミナだ! お前は馬か!?」「いいぞ八神! もっとだもっと! お前ならいける!」と俺を励ましてくれた。
「ふふっ、まあ悪い気分ではなかったな」
どうせすぐに退会させないためのリップサービスなのだろうが、褒められて嬉しくない奴などいない。ひねくれ者の俺だが、そこらへんは素直なのだ。
「いや……でも、座間のオッサンはめちゃくちゃいびられてたな。なんでだ?」
凄まじい罵声の数々だった。
「さっさと辞めろ!」「うちに弱者はいらねえ!」「もうヘバったのか! このタマナシが!」
などと、散々な言われようである。
これだけ言われて辞めなかったオッサンの根性、実にたいしたものだ。
「それにしても、ネットに書かれていた口コミと全然違ってたな」
口コミには、
「ヤバいくらいの、超スパルタジム」
「恐ろしいくらいのトレーニングのキツさ」
「エクササイズ目的で入会しちゃダメ」
「プロ目指してる奴でも、余裕で挫ける」
などと書いてあったのだが、正直それほどキツイとは思わなかった。
昨今は不況だから、会員を逃さないように、甘目の方針に転換したのだろう。
でなかったら、万年帰宅部の俺がついていける訳がない。
俺は自分の出した結論にうんうんとうなずきながら、とあるタワーマンションへとやって来た。
心がどんどん、どんよりと曇っていく。
「颯真、負けるな……! 学費を稼ぐためだ! どんな言葉を浴びせられようとも、必ず耐え抜くんだ!」
俺は両頬をパンッと叩いてから、インターホンの部屋番号を押す。
『……どうぞ』
「失礼します」
俺の担任である
エレベーターに乗り、最上階を押した。
エレベーターが動き始めると、俺は深いため息をつく。
俺は家庭教師のバイトに来た。今日で2回目の訪問だ。
生徒は瑠璃川ひまり。桜子先生の年の離れた妹で、俺のクラスメイトだ。
見た目は完全なギャルのクソビッチ。クラスの上位カーストに属する、俺が最も嫌うタイプの女である。
「まったく……桜子先生が自分で教えろよなー。自分の妹だし、生徒なんだから」
俺は桜子先生に頼まれ、と言うより【強制青春選択肢】によって、ひまりの家庭教師をするはめになった。
バイト代は1回5千円。かなり割の良い仕事に思えるが、あのクソビッチが相手では割に合わないというのが本音だ。
「さあ、到着だ。はあ……」
エレベーターが止まり、ドアが開く。
俺は瑠璃川家のインターホンを押した。
ガチャリ。ドアが開く。
黒髪ボブの、小柄で可愛い女性が姿を現した。
この何となく眠そうな顔をしている人が、瑠璃川桜子先生。陸上部顧問。25歳独身だ。
常にテンションが低く、静かな女性である。
クソビッチひまりとは真逆の性格で、正直嫌いじゃない。
「入って。ひまりならリビングに待たせてるから」
「失礼します……」
俺は桜子先生の後についてリビングに入る。
ソファーに座り、俺を睨みつける金髪ツインテールのギャル。瑠璃川ひまり。16歳、高校2年生。
家庭教師にならなければ、一生言葉を交わす機会のなかったアニマルのご登場だ。
「今日も一応付き添う」
「助かります」
俺は桜子先生に礼を言う。
彼女がいなければ、ひまりはすぐにどこかへと逃げ出してしまうだろう。
それではバイト代が貰えない。
「本当マジムリー! キモいから帰れってー!」
――きた。ここで選択肢か。
[1、「今日も可愛いね、ひまり」ひまりの頭を撫でる]
[2、「静かにしろ」ひまりの頭を鷲掴みにし、強引に唇を奪う]
[3、「黙れブス」ひまりにアイアンクローをお見舞いする]
どうする? 3でいくか? 一番無難なのは1だが、俺的には3でいきたい。
しかし、間違いなくクビになるだろう。最悪警察沙汰もあり得る。
やはりここは、1しかないか。
「今日も可愛いね、ひまり」
俺はひまりの頭を撫でた。
「ちょっ! マジキモいんだけど!? なんなのよアンタ!?」
「八神君、何やってるの? ふざけないで」
[1、「うるせえ黙ってろ」桜子の唇を奪う]
「2、「ヤキモチ妬かないでくださいよ」桜子の頭を撫でる」
おいおいなんだよ、この自分をイケメンと勘違いしているかのような行動は……。俺のような陰キャには、あまりにも痛すぎる行為だ。
「ヤキモチ妬かないでくださいよ」
俺は桜子先生の頭を撫でる。
「むー! ヤキモチじゃないもん!」
先生の顔が真っ赤になり、頬がぷくーっと膨れてしまう。――可愛い。
「マジキんモッ! ねえ桜子! こんな奴、さっさとクビにしなさいよー!」
「それは無理。八神君はクラス一、いえ校内一の嫌われ者。罵詈雑言に強い耐性を持ってる。ひまりの相手が務まるのは彼しかいない」
いや、今普通に傷付いたんですが……
「何よそれー! 一条みたいな爽やかイケメン相手だったら、別に悪口とか言わないし! そもそも、なんでタメなのよ!? 普通、年上じゃないの!?」
「3年生は受験で忙しい。成績が良くて、暇で、打たれ強いという条件を満たす人材は八神君だけ。あきらめて」
先生……もうちょっと、言い方どうにかなりませんかね……?
「ねー桜子、こいつ絶対変態よ! アタシ、いやらしいことされちゃうわ!」
お前みたいな下品な女に興味ねえっての。
それだったら、まだ木のウロの方がエロく思えてくるわ。
「心配いらない。八神君はひまりに興味ないから。多分、木のウロの方が興奮する」
見抜かれた!?
「そ、そのとおりだ。俺は変態じゃないし、清楚で大人しい女性が好きなんだ。お前みたいなクソ女にも、木のウロにもまったく興味がない。安心してくれ」
「誰がクソ女よ!? アンタ、マジで殺すわよ!? ……ん? 大人しい女……? もしかして……?」
ひまりはチラッと先生を見た。
「こいつ絶対、桜子のこと狙ってるわ! それで家庭教師のバイト引き受けたのよ! そうなんでしょ!?」
ひまりが俺を睨んでくる。
はあ? んな訳あるか。呪いのせいだっての。
確かに先生を可愛い人だとは思っている。
だが、そういう目では見ていない。俺は恋愛などという無意味な事柄に、まったく興味がないのだ。
――と、言いたいのだが……。
[1、「いや、俺の狙いはお前だ。ひまり」]
[2、「そのとおり。俺は先生を狙っている」]
御覧のありさまである……。
2人のうち、どちらかを選ばなくてはいけないようだ。
どうする? ペナルティ覚悟で無視するか?
だがその時、俺の頭に浮かんできたのは、階段から転げ落ちた後、トラックに轢かれてバラバラになる両親と妹の姿だった。
「そのとおり。俺は先生を狙っている」
先生は大人の女性だ。冗談と受け取ってくれる可能性がある。
それに望みを託すしかない。
「ん……本当……?」
「え、マジなの……?」
[1、「ああ。俺は、こういうおとなしい年上女にオラつきたいタイプでな」と、桜子のアゴをグイっとする]
[2、「だって可愛いじゃん。なんか文句ある?」と、桜子を抱き寄せる]
なんで両方とも、ちょっとオラついてんだよ……。
もっと俺のキャラに合ったやつをチョイスしてくれよ……。
「だって可愛いじゃん。なんか文句ある?」
「きゃっ」
俺は先生の肩を抱き寄せた。
良い香りが漂ってくる。
「あ……えっと……ないです……」
ひまりの目が点になっている。
そうなるのも無理はない。俺の行動は突拍子もなさすぎる。
「放して……恥ずかしいから……」
「あ、すみません先生」
俺が手を放すと、先生は真っ赤な顔で自分の部屋に駆け込んで行ってしまった。
「あっ、先生!? 付き添ってくれるんじゃ!?」
先生の部屋のドアをノックしたが、反応がない。
やばい、完全に怒らせてしまった。担任教師から嫌われるのはさすがにマズい。後日きちんと謝罪しなければ。
「アンタって……なんか、すごいわね……」
ひまりが俺のイカレ具合に気圧されている。今なら上手く授業ができそうだ。
桜子先生に誠意を示すためにも、まずは家庭教師のバイトをしっかりこなそう。
「……まあな。では早速、教科書45ページを開いてくれ」
「あ、うん……」
こうして桜子先生からの好感度は最悪になってしまったが、ひまりの授業は無難に終わらせることができた。
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