同性・同盟・すれ違い
Lie街
1君とカフェイン
コーヒーを飲んだ。私はコーヒーに特別な感情を持っていなかった。むしろカフェインを摂取できれば何でもいいと思っている質なのだ。だから私はいつもコーヒーを飲むときはベランダに出てどうでもいいことを考えながら、顔の左半分ばかりを覆い隠すようにしきりになでる。私の横顔は(特に左から見たそれは)あまり綺麗ではないらしい。大きなほくろがあるのがどうやら醜いらしい。私はそれを最初で最後の彼氏に言われた。
「お前さ、右から見た顔は中の上なのに、左から見た顔は下の上だよな」
もちろん彼に悪気はなかっただろうし、私もその時は静かに微笑んで見せたりした。しかし、私はとても傷ついたし、むかついた。なら、正面から見れば中の中なのかと叫んでやりたかった。乙女の顔について勝手な批判をすることは死にも値する重罪であると、私は胸を張って言い切ることが出来る。
ほんとは声をあげて泣きたかったけどそんなことはしなかった。彼は悪い人ではなかったからだ。
私はだいたいそんなことを手持無沙汰の時みたいに脳の中でコロコロ転がした。要するにこれもどうでもいいことだった。
私は前述のとおり彼氏は中学生の時にできたのが最後で、二十三歳になる今日まで作らなかった。
語弊を招かぬように言っておくが、私はモテないわけではない。むしろ告白はよくされる方だと思う。けれども、私は同性愛者なのだ。中学生の時に、彼と別れた理由もそういう理由だった。だから、彼女はたくさん作った。それはもう、数え切れなきくらいに。
私はコーヒーを飲み終えると、リビングに戻った。キッチンでコップを洗って布で軽くぬぐうと食器棚に並べた。
私はクローゼットの中から白いTシャツと、ブラウンのロング丈チュールスカートを取り出した。そして、洗面台の前で長い髪の毛をとかした。私の髪は子供のように素直なのでその作業は大抵すぐに終わった。
こうして、私の特に目的のない休日が始まるのである。
私は昔から“行き当たりばったり”という言葉が好きだ。これは座右の銘と言い換えてもいいかもしれない。まだ明るい十時十分の町並みは、私に安らぎと居場所をくれる。ここにいなよっと話しかけてくれる。
私はその声を左耳に受けた。その声は大抵話し声だったり、排気ガスが放出される音だったり、コンビニの自動ドアが開く音だったりした。そして、右耳は音楽を聴いていた。このイヤホンはいわば右から街の音を抜かないようにする栓の役割を果たしていた。
私は今日入るカフェを見定めた。この通りには、カフェ通りといっても差し支えないほどたくさんの喫茶店やカフェが並んでいる。
「美咲?」
誰かが私の名前を呼んだ。その声はとても懐かしいにおいを秘めていた。
「幸介……?」
目の前に現れたのは、例の彼氏だった。
彼は黒いTシャツに白いワイドパンツを履いていた。なるほど、実に彼らしい。シンプルで飾らないその服装も、寝ぐせみたいな髪型も、全部あの日のままで目の前に現れた。
私は彼を見つめた。同様に彼も私を見つめた。夏を縫うようにそよ風が吹いて、二人をつなぎとめたみたいに感じた。
「久しぶり、美咲…さん」
私たちは別れてから一度もあっていなかった。それもあってか、彼は困ったように首の皮をつねって伸ばした。いつもの癖だった。私はなぜそんな彼の癖を覚えていたのか全然わからなかったけれど、偶然だと思えば納得がいった。
「久しぶり、幸介。良かったらお茶する?」
私はとても気分が良かった。今日は特別な用事もなかったし、誰かと話したい気分だったのだ。それも、誰かを誘ったりするのではなく、たまたまばったり会った人と。
彼はほとんど反射的に頷いた。そして、二三歩前に出ると、そのままドアノブを掴んで店の中に入った。
彼の背中はあの頃より幾分か細く、筋肉が落ちているように見えた。正面から見たいつもの彼と、背後から見た少し華奢な彼は、私を混乱させた。
同じ次元に過去と現在とが混在しているように思えたのだ。
お昼にはまだ少し早いが、休日ということもあってか店内は比較的賑やかであった。
木目の暖かさに触れながら、店員さんの後ろを鴨の親子のようについて行った。
私たちは部屋の一番奥の二人席に通された。壁に飾られている写真は、綺麗な沖縄の海を写していて少し薄暗い印象を受ける店内に、ひとつの明かりを提示しているようだった。
「俺はアイスコーヒーとスコーンにしようかな。美咲さんは…どうする?」
「じゃぁ、私もそれにしようかしら」
彼は右手を上げて店員を呼んだ。
私は注文をする彼の様子を見ていた。彼は私のことをどう思っているのだろう。元カノ?女友達?それともまだ私の事を女として見ているのだろうか。
「ねぇ」
「なに?」
「美咲さんじゃなくてさ、美咲って呼んでよ。昔みたいに」
「そ、うか。わかった。そうするよ」
彼の表情は一瞬だけ揺れた。それは動揺にもとれたし、一種の不安の表れのようにも見えた。
カウンター席の奥から、ガラスコップが触れ合う音が聞こえた。コツンっと言うよりかは、くわんというような可愛らしい音だった。
私は机の上で組まれている長い指に視線を落とした。細く伸びた指先から白い爪が少しだけ飛び出している。手の甲に薄く血管が浮き出ていた。
ふと、彼の腕にハマっている腕輪に目がいった。銀色の細いシンプルなメンズブレスレットだった。
「それは?自分の趣味?」
私は目線をそのままに彼に尋ねてみた。私と一緒にいた頃の彼はそんな洒落たものを付ける人ではなかったのだ。
「いや、彼女からのプレゼント」
彼は左の手のひらでそれに触れながらそう言った。
「あ、彼女いるの?いいの、こんなところで私と二人でお茶してて」
「うん」
彼はアイスコーヒーとスコーンを受け取った。
彼女について、彼はそれ以上話さなかった。私はなんだかその理由がわかるような気がした。そのせいもあって、私もそれ以上の言及はしなかった。
彼はアイスコーヒーを一口飲み込んだ。喉仏が上下した。私はそののど元に触れたい気がした。この感情の名前を私はよく知っていたが決して言語化しなかった。
アイスコーヒーを飲むと喉がすっきりとした。苦みが口の中に広がったがそれは、潮が引くようにすぐに消えてしまって、後に残るのはただ、波の音だけだった。
コーヒーはカフェインを摂取するだけのものではないらしい。カフェに来てコーヒーを頼んだのはずいぶん久しぶりだった。
「ねぇ」
「なに?」
「楽しいね」
私は素直になってみた。彼がどんな顔をするのかとても興味があった。
「あぁ。とても楽しい。昔に戻ったみたいだよ。君は相変わらずの自由さで、俺はそれを見て楽しんで、君はそんな俺をもてあそんで楽しんでる」
彼はにこっと笑った。真夜中の寝室の電気をつけたみたいな笑顔だった。
「もてあそぶなんて人聞きが悪いねぇ」
私はいたずらっ子みたいにそう言った。
「ほら、今みたいに」
彼は私の目を見ていった。その瞳の奥に、線香花火のような光が見えた。
「この後、うちに来ない?見たい映画があるの」
「うん、いいけど」
彼はだんだん調子を取り戻してきた様子だった。
「よし、決まり。私の新居見たらきっと驚くわよ」
私の心は久方ぶりに踊っていた。
「ほら、はやくコーヒー飲みなよ、早く新居とやらが拝みたいからさ」
「ええ」
私はスコーンを一口かじってそのあとをコーヒーに追わせた。
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