勝利を目指して
一色 サラ
勝利とは...
工藤
会社を早退して、治療観察のため、総合病院を訪れていた。早くギブスを剝がしたくてしょうがない。医者から、「骨がくっついてきましたね。また、再来週くらいに、お越しください」と淡々と診察が終わってしまった。医者とは本当に冷たい人間に見えてくる。
治療費を払うために、1階に行って、総合受付のフロアにある椅子に座わり、音量のないテレビに映る高校野球を漠然と眺めていた。
3アウトして、カメラがスコアボードを映して、観客席が映る。その頭にタオルを乗せて、暑さをしのいでいる観客が映り込む。
甲子園の暑さが、こちらまで伝わってくる。ただ、高校野球という青春とは青臭いものに、どこか懐かしさと寂しさが浮かんできた。もう、あの頃には戻れないんだと、実感してしまう。
コマーシャルが明けて、7回の表が始まった。
「ねえ、暑そうだよ~」
「そうだね」
「扇風機、持っていかなくちゃ」
後ろのソファーで、5歳くらいの男の子と母親らしき人が会話をするのが聞こえてくる。球場に、扇風機を持っていくという考えなど、大人になったら、思い浮かぶことなどないのだろう。何も知らないことが許される年でいいなと思ってしまう。大人になって、物事を知らないと恥ずかしく思ってしまう時がある。
無垢な子供の言葉に、更に憧れが増してしまう。そんなこと、できるはずがないと分かっているのに、素直に思ったことを言えるのが羨ましい。
「誰かが、持って行ってくれるといいね」
子供の言葉を流すように、母親が言っている。
「僕が持っていく!」
「えーとね、ここは遠い場所だから、たーくんには行けないかな」
「イヤだー」と子供独特の金切り声で泣き叫ぶ。「ダメなんだよー」と子供を促すように言うも、子供は泣き叫ぶことをやめない。
「早く、大人しくさせなさい」と年配の女性の声がした。
「子供ですから、しょうがないですけど…」
不満げな声で母親が言うと、年配の女性はさらにヒートアップしたような声で、
「子供だったら許されると思っているの?」と怒りが暴発している。
母親も、すぐに謝れば済む話なのに、余計に相手を怒らせているように聞こえてくる。
「子供が怖がるので、やめてもらっていいですか?」と、母親は相手の怒りを買うような態度で、まったく怯まなかった。そして、相手にしないように、泣く子供に、「怖いね」と繰り返して言っている。
「受付番号891番をお持ちの方は、15番にお越しください」とタイミングよくアナウンスが流れてきた。年配の女性は「まったく」と吐き捨てるように、15番受付に歩いて行った。
「本当に、怖かったね」と母親が子どもに、勝ち誇ったような声が聞こえてくる。子供の声は消えていて、すでに泣き止んでいた。
いつのまにか、テレビ画面には9回の裏の攻撃が始めっている。ピッチャーがキャッチャーミットに向かって投げる。バッターとの駆け引きをして、カメラに映る汗を拭って、キャッチャーのサインに反応する姿が映る。その顔が引き締まって、こちらまで緊張してきた。
3アウトまで、粘り強く投球を続ける。0点に抑えた。ピッチャーのもとに、選手が集まってきて、人差し指を上げて、勝利を喜んでいる。
試合が終わったので、正公は、支払いができる番号が表示される画面を見ると、すでに、表示されていたので、受付に向かうために、松葉づえを使って、立ち上がった。なんとなく後ろを向くと、すでに親子の姿はなかった。
お金を支払って、病院を出ると、空には透き通るような青空が広がっていた。
勝利を目指して 一色 サラ @Saku89make
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