勝利を目指して

一色 サラ

勝利とは...

 工藤 正公マサキミは、働き始めて5年も働いている会社の階段から転落して、2週間前に足首を骨折してしまった。28歳にもなって情けない。それに、お盆を前の、暑い中、ギブスの中が汗まみれになって、気持ちが悪くしかたがなかった。

 会社を早退して、治療観察のため、総合病院を訪れていた。早くギブスを剝がしたくてしょうがない。医者から、「骨がくっついてきましたね。また、再来週くらいに、お越しください」と淡々と診察が終わってしまった。医者とは本当に冷たい人間に見えてくる。

 治療費を払うために、1階に行って、総合受付のフロアにある椅子に座わり、音量のないテレビに映る高校野球を漠然と眺めていた。

 3アウトして、カメラがスコアボードを映して、観客席が映る。その頭にタオルを乗せて、暑さをしのいでいる観客が映り込む。

 甲子園の暑さが、こちらまで伝わってくる。ただ、高校野球という青春とは青臭いものに、どこか懐かしさと寂しさが浮かんできた。もう、あの頃には戻れないんだと、実感してしまう。

 コマーシャルが明けて、7回の表が始まった。

「ねえ、暑そうだよ~」

「そうだね」

「扇風機、持っていかなくちゃ」

 後ろのソファーで、5歳くらいの男の子と母親らしき人が会話をするのが聞こえてくる。球場に、扇風機を持っていくという考えなど、大人になったら、思い浮かぶことなどないのだろう。何も知らないことが許される年でいいなと思ってしまう。大人になって、物事を知らないと恥ずかしく思ってしまう時がある。

 無垢な子供の言葉に、更に憧れが増してしまう。そんなこと、できるはずがないと分かっているのに、素直に思ったことを言えるのが羨ましい。

「誰かが、持って行ってくれるといいね」

 子供の言葉を流すように、母親が言っている。

「僕が持っていく!」

「えーとね、ここは遠い場所だから、たーくんには行けないかな」

「イヤだー」と子供独特の金切り声で泣き叫ぶ。「ダメなんだよー」と子供を促すように言うも、子供は泣き叫ぶことをやめない。

「早く、大人しくさせなさい」と年配の女性の声がした。

「子供ですから、しょうがないですけど…」

 不満げな声で母親が言うと、年配の女性はさらにヒートアップしたような声で、

「子供だったら許されると思っているの?」と怒りが暴発している。

母親も、すぐに謝れば済む話なのに、余計に相手を怒らせているように聞こえてくる。

「子供が怖がるので、やめてもらっていいですか?」と、母親は相手の怒りを買うような態度で、まったく怯まなかった。そして、相手にしないように、泣く子供に、「怖いね」と繰り返して言っている。

 「受付番号891番をお持ちの方は、15番にお越しください」とタイミングよくアナウンスが流れてきた。年配の女性は「まったく」と吐き捨てるように、15番受付に歩いて行った。

「本当に、怖かったね」と母親が子どもに、勝ち誇ったような声が聞こえてくる。子供の声は消えていて、すでに泣き止んでいた。

 いつのまにか、テレビ画面には9回の裏の攻撃が始めっている。ピッチャーがキャッチャーミットに向かって投げる。バッターとの駆け引きをして、カメラに映る汗を拭って、キャッチャーのサインに反応する姿が映る。その顔が引き締まって、こちらまで緊張してきた。

 3アウトまで、粘り強く投球を続ける。0点に抑えた。ピッチャーのもとに、選手が集まってきて、人差し指を上げて、勝利を喜んでいる。

 試合が終わったので、正公は、支払いができる番号が表示される画面を見ると、すでに、表示されていたので、受付に向かうために、松葉づえを使って、立ち上がった。なんとなく後ろを向くと、すでに親子の姿はなかった。

 お金を支払って、病院を出ると、空には透き通るような青空が広がっていた。

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