憧れの空
玉木白見
第1話 幼少クラス 1
遠くから聞こえる鳥の声と窓から差し込む光で僕は目を覚ました。非常に清々しい朝。春になったとはいえ、まだ早朝は凍えるような寒さを感じる。
昨日のお昼はいっぱい人がいたし嫌いないじめっ子達もいた。だから、今朝早起きして誰もいない遊具で一人でいっぱい遊ぶのだと決めていた。起きるやいなや、誰にも気づかれぬよう静かに部屋を飛び出そうとした。
「おっと」
いつも持ち歩いているおもちゃを忘れていた。大好きな飛行機のおもちゃ。見つけ持って静かに部屋を出た。靴を履き、建物を出て、大きなグラウンドを横切り遊具まで急ぐ。早朝で、すこし靄が立ち込める。校庭の土、芝が夜露で濡れている。転ばないように急ぐ。誰もいないはずだ。
遊具近くにくると、予想に反して誰かいる。見覚えがある。ショウゴ君だ。
「おはよう。ソウ君」
こちらに気が付いたようだ。静かな口調だ。
「おはよう」
知っている人で良かったと思った。
「ショウゴ君。早いね。」
「昨日はあまり遊べなかったから・・」
ショウゴ君は同じ部屋で生活している同い年の子だ。静かに部屋を出てきたが、ショウゴ君がまだ寝ていたかまでは見てこなかった。確かにいなかった気もする。気が付かなかった。
しばし沈黙があった。少しの間お互い好きなことして遊んでいたが、ショウゴ君から一緒に遊ぼうと誘われたので一緒に遊ぶことにした。ショウゴ君は僕に似た性格なんだと思う。2人とも1人で遊ぶことが好きだし、どちらかというと内気で物静かだ。
しばらく2人で順番に遊具を移動した。その後砂場でお山作りをした。
しばらくすると、別の子たちが遊具に集まってきたので、2人で朝食を食べに建物に戻った。
この施設では朝になると朝食が準備され、朝のうちの好きな時に食べて良い。少し遅かったせいか食堂もさほど混んでなかった。2人はいっぱい遊んだせいかニコニコしながら朝食を残さず食べた。
ソウイチは、ずっとこの施設の幼少クラスにいる。今7歳だ。この施設の幼少クラスにいる周りの子たちも、ずっとこの施設で育った子たちだ。幼少クラスは2歳から、10歳、11歳ごろまで。12歳以上からはみんな、中高クラスに移動する。みんな、1、2歳のうちからママとは離れ、子供たちだけで生活している。ママとは幼少クラスに入って以降一度も会っていない。部屋も子供たちだけだ。朝食や、朝食後少ししてからの勉強タイム、その他の活動の面倒を見てくれるのは施設の先生たちだ。基本、子供たちの面倒はすべて先生たちが見てくれる。先生はみんな、男女とも帽子、手袋をし、普通の服装に先生によってはエプロンやコート羽織っていた。またマスクをしている者もいる。エプロンやコートはカラフルで、花の絵や、動物のイラストなどが描かれててとても和むものばかりだ。夏の暑い日であっても上は長そで、下は長ズボンで全身を覆った格好をしている。施設内の衛生管理のためなのだそうだ。
朝食後、しばらくしてからお昼までの間は決まって勉強タイムである。勉強タイムの内容は年齢別にすこしレベルが異なるものの、簡単な迷路、塗り絵、言葉や物の勉強、数字の勉強などをするだけだ。この日ソウイチは数字の勉強をしていたが、すぐに飽き、途中から大好きな迷路をした。勉強は先生たちが一人一人に順番に教えてくれる。なお勉強が嫌いな子たちは勉強タイム中でも外で遊んでいたりする。先生たちはそれを特に注意することもない。勉強する、しないは自由だった。
いつも昼過ぎは自由な時間だ。遊ぶ者、勉強する者、昼寝をする者と様々だ。また先生たちが不定期でイベントを催してくれたりもする。
夜になると、食堂で夕飯を食べそれぞれに部屋に戻り就寝となる。
それがこの施設での日常生活だ。この施設は「スクール」と呼ばれている。
■
スクールは非常に広大で自然豊かな敷地にあり、スクール内には様々な施設が揃っている。
普段生活する建物は5階建てで、中には部屋がいくつもある。僕たちは1階の部屋で生活している。勉強する部屋は3階にいくつかあり、生活している部屋から廊下をまっすぐ行くと、みんなが食事をする食堂がある。朝、昼、夜ともここでみんなが食事をする。決められた時間内に適当に行って、その日に準備されている食材から好きなものを自分で選択して食べることができる。生活する部屋、食堂、教室がある建屋から少し離れた場所には体育館があってボールを使ったスポーツなどもすることができる。そのほかにも建物内には様々な施設が備わっている。
普段の生活する建屋を出ると、土と芝でできた1週400mほどのグラウンドがある。グラウンドの周りには小さな山があったり、鉄棒があったりする。グラウンド左端には遊ぶためのボールやスポーツ用の道具がしまわれている大きな物置がある。この物置は先生が毎朝開けてくれて中にあるものは自由に使ってよい。使ったものは夕方にしまう約束になっているがしばしばちゃんとしまわない子供たちがいるため、夕方以降先生達が見周りをし、しまわれていない道具の片づけをしている。夜には先生が鍵をかける。グラウンドも特別なイベントがない限りは自由に使ってよいエリアだ。
グラウンドの左奥には子供たちが遊ぶ遊具、アスレチックがある。鉄でできたもの、木でできたもの様々な遊具が20個以上ある。古いものはとても年季がはいっており、そのうち鉄製のものは色が塗られた部分が所々はげ落ちていて錆び付いてもいるし、木製のものは一部腐食して腐っている。先日、壊れた個所を先生達が新しい木で修理していた。遊具、アスレチックは新しいものが定期的に増える。そのため全体ではとても大きい。数回遊んでも飽きず、みんな定期的に遊びに来る。遊具、アスレチックの周りは数本の木が立っているだけで、その周りも整備されているので自由に走り回って遊ぶことができる。
またさらにその奥には、芝生の公園があってここでも遊べる。食堂でおにぎりなどを頼み、ここに持ってきて友達と食べても良い。ここでもボールなどで自由に遊べる。その先は崖になっていて先には行けないように高い木の柵で囲われている。
建屋を出て、グラウンドを右に行き、しばらくまっすぐ行くと森林に囲まれた林道となる。その林道をさらに進み緩やかな坂を下りまた登るとそこには動物園がある。動物園と言っても木で作られた簡単な柵や小さな檻の中に、犬、猫、うさぎ、タヌキ、ネズミ、リスなどの小動物や、他どこからともなく来た小鳥たちなどがいるだけだ。先生達が外から拾ってきて飼っているようで定期的に餌やりをしている。また、動物園の奥には小川が流れており、小さな木の橋がかかっていて向こう側に行くことができる。向こう側には池があり、水辺に暮らす虫や動物、小魚などがいる。池は草草に覆われているがところどころほとりに続く道が整備されていて池の近くまで行くことができる。水がきれいで鯉などの魚も間近で見ることができる。ここは水族園と呼ばれている。水族園の奥には、お花畑、野菜を育てている畑がある。
動物園奥は道もなく森になっているので行けるのかどうかわからない。見た限り荒れ地となっていて先に進めないように見える。水族園奥やお花畑、野菜畑の奥も高い柵で囲われており、さらに柵の先は崖になっている。すなわちこのスクール全体が柵や崖で囲われてた構造になっている。そしてこのスクールにいる子供たちはみんな、スクールの外に出ることは一切禁じられている。
幼少クラスはこのような構造だが、12歳頃になってから移り住む中高クラスも同じような構造になっており同じく外出禁止だそうだ。また外部にいる人がこのスクールに入ることもいっさい禁じられている。外で仕事をしているであろうママも例外ではなく、スクールに誰のママが来たこともない。先生達からは、僕たちは中高クラスを経てやがてこのスクールを卒業し外の重要な仕事に就くのだと言われている。
■
この日の昼過ぎのイベントは、「動物園に行こう」だった。動物園へは1時間以上歩いて行く場合もあるのだが、この日は「汽車」で往復し連れて行ってくれるとのことだった。「汽車」とは、火で動く車で、後ろには大きな荷台、さらに後ろに大きなリヤカーがついている。荷台、リヤカーに子供たちが乗る。1度に総勢30人くらい乗れる。子供たちに大人気だ。
僕もショウゴ君も、同じ部屋で暮らしているシュン君もいち早く乗りたく、少し早めに行ってグラウンドの汽車乗り場近くで待っていた。行くともうすでに何人かいた。
「これなら3番目くらいには乗れるね。僕、これ、大好きなんだ。」
「僕も」
ウキウキして待っていた。汽車が来た。
「順番に並んでねー。みんな乗れるからね。」
運転手はトクマ先生だ。面白い先生で、みんなの人気者だ。
3人は並んで待っていたが、突然、1つ、2つ年上の双子の男の子が横から押してきた。
「割り込まないでよ。」
お願いしたが聞こえてないのか無視してしているのか、そのまま無理やり割り込まれてしまった。シュン君が文句をいった。シュン君は同じ部屋で過ごしている正義感が強く元気で、言いたいことははっきりという性格だ。僕やショウゴ君とは少し違う。それを双子の男の子が聞くと、うるさいな、いいじゃないか、と軽く肩を叩いてきた。
「痛いな。割り込んできたのそっちだろ。」
「年下のくせに生意気いうな。」
少し喧嘩になったが、他の先生がほらほらとなだめるととりあえずは終息した。でも結局割り込まれたままになってしまった。
僕とショウゴ君は黙ってしょんぼりしていた。シュン君はすこし不機嫌そうだった。でも結局は汽車は3巡目に乗れた。
ボシューという鈍い煙音と一緒に、土で舗装された道を上下左右にガタゴト揺れながらゆっくりと進む。
春の風が心地よく顔に吹き付ける。時に流れてきた煙で目が痛くなる。
やがて森林の道に入る。木々の隙間から黄緑色の高原が見える。
汽車はさらに揺れる。たまにほかの子が揺れでふらつきぶつかってくる。転びそうになりながら汽車の柱につかまり耐えている子もいる。この緊張感がまたいい。「やめてよー」「あぶなーい」とか言いながらみんな笑顔だ。
「うぉぉん。ふぉいやーぁ。ふぁーあ。」
トクマ先生は意味の分からない掛け声で盛り上げていた。これもみんなとても大好きで真似する子達もいた。
やがて動物園に到着した。
着くと、他の先生達と一緒に動物の観察をした。餌をあげたり触ったりした。
動物園には2つ上の女の子のミサトちゃんが先に歩いて来ていた。ミサトちゃんは動物がとても大好きで、毎日のように動物園か水族園に歩いて通っているらしい。動物を見ては絵を描いて観察していた。この日ミサトちゃんは何やら険しい顔でじっと考え事をしていた。話しかけると不思議なことを言った。
「たまにね、柵の外とか、水族園とか、グランウドにも、あまり見ない動物の毛が落ちているの。猫ちゃんとか狙っているんだと思うんだ。でも見たこともないしなんだかわからないの。多分、タヌキとかなんだと思うんだけどなあ。」
「えっ、その毛見せてよ。」
「熊かなあ。」
とてもきれいな茶色の短めの毛だった。トクマ先生に聞いても「なんだろうね、わからないなあ。」との回答だった。結局何の動物の毛だかわからなかったがミサトちゃんはいつか見つけてやるとウキウキしているようだった。
帰りも汽車で帰った。
帰って少しすると夕飯の時間だ。いっぱいの野菜、肉の料理、米、それといつものように出るボウルと呼ばれる大きな丸い果物が出た。ボウルは水族園奥の畑でもいっぱい栽培されている。ボウルはやや硬めで歯ごたえがありほんのり甘く好きな子も多かった。僕も好きでよく食べたが、シュン君はあまり食べなかった。
夜暗くなると、スクール内の通路や部屋は最小限のランプで照らされていた。そのため、全体的に薄暗く、よく廊下つまづいたりした。同じ部屋には、シュン君、ショウゴ君のほかに、女の子のリノちゃん、双子のアイナちゃんとメイナちゃんが一緒に生活していた。みんな、ランプの近くに集まってカードゲームや雑談をしていた。部屋で遊ぶおもちゃ、ゲーム、本などは先生にお願いすると大抵のものは数日後にもらえた。おもちゃに限らず、日用品の類もすぐにもらえた。そのため、部屋での生活は暇することも不自由することもなかった。
やがて順番にお風呂に入り、寝た。
■
ある日の朝、起きると外が少しにぎやかに感じた。眼がぱっと見開き、ばたばたと立ち上がった。
「ねえ、なにかあったの」僕は先に起きて外の様子を見ていたショウゴ君に聞いた。
「遊具のほうがなにかざわざわしてるみたい。ねえ見に行こうよ。」
シュン君、ショウゴ君と一緒に、遊具のほうへ行ってみた。
遊具近くの先生が、遠くのほうを見ていた。先生は「何でもないから、大丈夫だよ」と言ってくれたが、気になったので先生を振り切り遊具の奥のほうに行ってみた。遊具の奥のほうにはちょっとした空き地があり、その奥は乗り越えることができない大きな柵と急な崖になっている。柵の隙間を覗くと外が見えた。
「ねえ、あそこに先生たちがいる」
シュン君が言った。
見ると、数人の先生が一人の別の人を囲んで何かしているようだった。少しもめているようにも見えた。先生に囲まれた人は髪の毛が長く少し汚れた服装をしているように見えた。男か女かはわからなかった。
スクールの外に人がいること自体、不思議ではない。おそらく3歳からずっと会えないママだってスクールの外にいるだろうし、僕たちだって大人になればここから出ていくことになると思う。でもスクール内から見える場所に人がいるのを見る事はまれで、少なくとも僕ははじめてだった。そもそもスクールは山奥のとても自然豊かな高台にある。柵の隙間から見える風景は、森林や、手入れされていない草原、空き地、小川などである。遠くのほうをよく見ると小さな木の家が複数件あるように見える。おそらく小さな集落だろう。でも、誰もそこに出入りする人を見たことはなかった。人らしきものといえば、遠くに細い道があり、そこを「汽車」のような大きな車が走っているのをたまに見ることはあった。そのため、スクールの外に人がいることはちょっとした騒ぎになった。
先生たちが何をしているのかを近くの先生に聞くと、スクールの外を先生たちは厳重に監視しており、外部からの人を見つけると入らないように注意しているとのことだった。なぜなのか先生に聞くと
「ここではないが、昔、別のスクールで外から来た人が病気を持っていたようで、そのせいでスクール内で病気が流行ったことがあったんだ。それ以来、外から来る人はみんな、こうやってちょっと入らないでねって注意しているんだよ。」
「でも、だって、先生だって外から来てるんでしょ。」
不思議に思いふと思ったことを聞いてみた。
「まあ、そうだね。でも入り口で病気のチェックをしたり、殺菌したりしてるんだよ。ほら、こうやって帽子をかぶったり、手袋したり、マスクしたりしてるだろ。それもそのためなんだよ」
「外ってそんなに汚いの?」
「ははは、汚くないさ。とてもきれいだよ。でも、昔そういうことがあったからねぇ。仕方のない規則さ」
「ふーん」
隣で会話を聞いていたショウゴ君が小さな声で聞いた。
「それでママにも会えないの?」
「・・・。あっ、うん。まあそういう理由もある。ちょっと寂しいけどね。」
気のせいか、少し先生が固まった気がした。僕たちのことを気遣ってくれたのか。
その夜、部屋では今朝のことが話題になった。特にリノちゃんは興奮している様子で、
「見たでしょ。スクールの外に一切出してもらえないし、本当に外の世界なんてあるの?って思ってたの。でも大人はみんな外にいるんだって。前に先生が言ってたの。ママも外で元気に、重要な仕事をして暮らしているって。」
「でもあの人って仕事してたのかなあ。」
シュン君が言う。
「ちょっとお散歩でもしてたのよ。」
「あのとき、僕、ちょっと不思議に思ったんだ。ほら、前にアイナちゃんが言ってた小さなスプレーみたいなの。先生が持っていたって言ってたやつ。遠くだったからよく見えなかったんだけど、あのとき先生、あれ持ってたように見えたんだ。」
小さなスプレー。それは前に子供の面倒を見てたサエ先生が持っているのをアイナちゃんとメイナちゃんが見たって話しで噂になったものだった。でもスプレーかどうか確かじゃない。使ったところを見たわけじゃなかった。別に小さなスプレーを持っていたってなにも不思議ではない。でもその時アイナちゃんが、それ、なに?って聞くと、サエ先生はとてもびっくりした顔をして、何でもないのよって答えたという。それがとても奇妙だった。噂になったときは、持ち込んではいけないお化粧のスプレーじゃないかって結論に至った。スクールの中は衛生管理が厳しかったので、本来は持ち込み禁止で、それをサエ先生は隠して使ってたんじゃないかって。
「だって、あれお化粧のでしょ。今日、お外の人と話してたのみんな男じゃなかった?」
「それだってわからないじゃん。遠くだったし。先生はみんな同じような恰好しているし。男みたいな女の先生だったかも。でもなんであのとき使おうとしたんだかわからないんだ。不思議でしょ」
「本当にスプレーだったの?」
「そうだよ。もしかしたらあれは消毒用のスプレーなのかも。ほら保健室にだってあるじゃん。」
「じゃあ、外の人を消毒しようとしてたの?そのスプレーって小さいんでしょ。それに、外の人この中に入れるわけでもないしなんで消毒なんてするのよ。」
「先生が自分の手を消毒しようとしてたんじゃない。」
僕は口をはさんだ。
「いや、外の人に向けているように見えたけど。」
「本当に?どうせ、シュンが見間違えたのよ。あんな遠くでそんな小さなもの見えるわけないじゃない。嘘よ。」
「嘘じゃないよ。」
シュン君は少し怒ったが、確かに、自信はなかった。それでこの話は終わった。
でも、確かに外の世界はあって、外で人は生活している。僕もリノちゃんの話を聞いて、早く外で生活したいなって思い、その夜は少しわくわくし良く寝付けなかった。
■
この日、ショウゴ君が健康チェックをした。スクールでは時折、抜き打ちでの健康診断がある。スクールには保健室がある。その日当日に突然先生に言われて保健室に連れられて、身長、体重、目の状態、熱を測る。また最近の体調や気分、なにか健康面で心配なことなどないかなど根掘り葉掘り質問される。自分のこと以外にも、同じ部屋にいる人や周りの人についても健康状態や変わったことがなさそうかなども細かく質問される。さらに年に2度ほど全員を対象にして健康チェックする日がある。終わった後に問題があると思われる人については、先生から健康面についてアドバイスされる。少し太り気味の子には、もう少し運動するといいよとか、逆に痩せすぎの子にはもう少し食べるといいよとか、少し風邪気味の子や病気がちの子は食事面や普段の生活についてのアドバイスだったりだ。手洗いうがいの指示に加えマスク着用を指示されたりすることもある。先生方は、保健室の先生に限らず、子供たちの健康についてはとても気遣ってくれているようだった。
なお、保健室には何人分かの個々にカーテンで仕切られたベッドがあるなど施設はとても充実していた。また保健室の担当の先生も複数人いてとても手厚く面倒を見てくれた。たまに、風邪っぽい子や熱のある子がいるのを知ると先生がすぐに来て保健室に連れていき、病状が重いと、個室で夜も一緒に付き添って看病してくれることもあった。保健室でありながら、飲み薬の処方もしてくれたりした。
この日のショウゴ君は健康面でほめられたのと、すこし身長が伸びていたことでとてもうれしがっていた。
またこの日、リノちゃんがお姫様のような洋服を着てみんなに見せびらかしていた。普段洋服は、建物の二階に洋服がいっぱいある専用の部屋があり、サイズが合って気に入ったものがあれば自由に持っていってよかったし、洋服のリクエストを伝えれば可能な限り先生が用意してくれた。リノちゃんはおとぎ話の絵本を読んでこんな洋服着てみたいって先生にリクエストしていたようでそれがその日に届いたらしくとてもうれしそうだった。なお、汚れた洋服の洗濯や回収なども全部先生がしていた。
そんな中、僕は、この日遊具でとても気に入っていた飛行機のおもちゃで遊んでいたところをいじめっ子にとられてしまった。取り返すために追いかけて捕まえようとしたが、数人で回しながら逃げられ、「やめろよー」と怒り叫ぶと、逆に面白がられてからかわれた。本当に頭にきたので石を投げつけてやったが簡単にかわされてまたからかわれた。悔しかったが、仕方なく別の小さな公園に行って一人で蟻の観察をして過ごすことにしたがしばらく怒りが収まらなかった。
この間だって、あまり遊んだことのなかった友達とたまたま意気投合し一緒にボールを蹴りあって遊んでいた。ボールが変なほうに行くたびにそれがとてもおかしくてたまにわざと変なほうに蹴っては、「ちゃんと蹴ってよー」などと言いながら楽しく遊んでいたが、そのボールが大きく逸れていじめっ子のほうに行くと、その子は何も言わずそのボールを持っていってしまった。「返してよー」と言ったが、こちらを少し見た後、フンって言い行ってしまった。その前には、「ボールがないからお前らの貸せよ」って急に言われ無理やり持ってかれたこともあった。
その時、たまたま先生がいて一部始終見ていたが、先生は特に怒ることはなかった。本当は少し怒ってもらいたかったが、このようなとき大抵先生は注意したとしても「こらこら」とすこしつぶやく程度で、そのあと、すぐに変わりのボールを持ってきて「これで遊びなっ。」って言ってくれる、そんな感じだった。
いじめっ子と言っても誰かを標的にしていじめをしているわけではないようだった。ほかの子も、いきなり「鬼ごっこするから、お前鬼やれ。」と急に言われ、嫌だったのでちゃんと追いかけなかったら「ちゃんとやれ、こののろま、つまんないだろ。」などと言われたと話していた。ただ自分たちの思い通りにしたいだけで、偉そうに周りを巻き込んで命令してくる。そんな感じだ。でもそんなときも先生がいると、鬼を代わってくれたりした。とにかく先生は怒らず、いつもみんなに対して朗らかに接してくれた。
本当に先生たちはみんなの模範であった。同じ人とは思えないほど素晴らしいと感心することばかりだった。
僕はおもちゃを取られたことがあまりにもショックで忘れられずしょんぼりしていた。ショウゴ君もリノちゃんもとても楽しそうなのになんで僕だけこんな嫌な目に合うんだろうって考えるとみじめになった。蟻の観察に飽き、なんだか外の景色が見たくなり小さな公園の裏の展望台へ行くことにした。狭い木でできた階段を登るとそこにはトクマ先生がいて展望台の修繕をしていた。
「おお。えっーと。ソウイチくんかあ。どうしたんだ。」
服についている名札を見て話しかけてくれた。名前は覚えてくれてなかったみたいだ。
おもちゃを取られたことを話すと、新しいのをまた持ってってあげるから元気出せよっていいながら、なにやら自分も食べている硬い乾燥した肉のようなものを差し出し、良かったら食べなよってくれた。
「これ何のお肉?」
と聞くと、
「牛のだよ。大丈夫さ。美味しいよ。」
何が大丈夫なのかわからなかったが食べたら少ししょっぱくて、噛めば噛むほど味が出てきておいしかった。
僕は展望台から景色を眺めた。展望台から下は、森林が生い茂っている。鳥たちがささやき、追いかけっこしている。遠くに薄い灰色がかった山が見える。
雲一つない、完璧な空だった。薄い青が延々と続く。ふわっと吹く風で、少しだけ涙が横に流れた。
遠くに飛行機のような乗り物が飛んでいる。僕が持っていた飛行機とは形が違った。
「先生。あれ、なに。飛行機。」
「ああ、そうだよ。大きいだろ。」
「かっこいいなあ。ねえ。僕、大人になったら、あれの運転手になりたいなあ。なれるかなあ。」
少し、返事がなかった。あれっと思い横をみると、いつもニコニコしているトクマ先生がまじめな顔をして上のほうを見つめていた。僕が見ていることに気が付くと、
「もちろんさ。努力すればなれるよ。僕も、飛行機の操縦士には憧れたなあ。でも結構勉強しないとなれないぞ。」
とニコッとして言った。
「うん。頑張る。」
僕は少しだけ元気が湧いた。
■
夕飯は日が暮れた時を見計らい決められた時間内に食堂へ好きな時に行って食べる。メニューが決められてて同じものを出される時もあるが、好きなものを注文して食べる時もある。夕飯を作ってくれるのも先生たちだ。
食堂の先生たちは他の先生たちと違ってすこしだけ子供たちから怖がられていた。というのは、夕飯を残したりすると少し怒ったような態度をとるからである。直接「こんなに残して。自分で頼んだものなのだからちゃんと食べなさい。」や「食べ物を大事にしなさい。」と怒っているのを見たこともあった。いや、怒るという表現よりやさしく、少しまじめに注意しているといった表現のほうが正しく、怒鳴るようなことはなかった。食堂の中で偉いと思われるおばさんが良く言うのは、
「みんなの命は、この食事の命からできているんだよ。無駄にしてはいけないよ。」
といった事で、子供たちはそれを言われると、反省しつつもまたうるさいこと言われたとばかりに少しからかっていた。
先生たちがまじめに注意する場面といえば、動物や虫を無駄にいじめたり、殺したりした時などもそうだった。
僕よりも小さな子供が蟻を見つけて踏みつけて遊んでいた時や、僕よりも年長の子が水族園の田んぼで見つけたカエルを捕まえてぶん回して遊んでいた時、また子供たちが逃げるのが楽しいと鳩などの鳥や猫を追い回して遊んでいた時などに、偶然に先生がいてそれを見ていると、先生は決まってあまりいい顔をしなかった。そしてたまに近寄ってきては、
「みんなは虫は食べないけど、その虫を食べて大きくなった鳥は食べることがあるでしょ。虫さんの命だって私たちにとって大事な命なんだよ。」
などと注意された。
先生たちは見ている限り子供たちに教えていることを守っており、たまに食堂で一緒にご飯を食べるときがあるのだが、お皿をみるとこれでもかと思うほどきれいに食べていたし、動物や虫も無駄に殺すようなことはなかった。先生によっては、部屋に出たゴキブリすら命なんだからと言って安易に殺さなかったりもした。先生たちはこのスクールで働く前にそのような教育をみっちりされているのだろうと思った。なお、ゴキブリが出たその部屋の子は、しばらく安心して生活できなかったそうだ。
■
夏を迎え、燃えるように暑かった日々が過ぎ去り、少し落ち着いたころの初秋のある日、2歳の子供たちが赤ちゃんクラスから幼少クラスに入ってきた。
この時にはすでに赤ちゃんたちはママとは別れている。みんなギャアギャアと泣いている。床に寝転がり、体を捻らせ暴れている子もいる。
これをみると、みんなママのことを思い出し、4歳、5歳の子供たちももらい泣きする子が多い。僕も、またこの日かと思いながらとても寂しい気持ちになった。
2歳の子供たちの入所は、秋から春にかけて数回ある。赤ちゃんクラスにいたときのことは僕はあまり記憶にないが、リノちゃんやアイナちゃん、メイナちゃんは少し記憶があるらしい。
「私たち、ママと先生たちとずっと一緒に赤ちゃんクラスで過ごすの。先生とママと一緒にいっぱいお部屋のなかのおもちゃとか近くの公園の遊具で遊んだ気がする。あと歌とか歌ったり踊ったり。先生とママどっちがママだかわからないくらい。私が覚えている先生は、アリサ先生とユナ先生。」
「ユナ先生は私も覚えてる。私たちのことアナメナちゃんって呼んでた。」
「先生、いっぱいいたよね。ママと同じくらいいなかった?」
「そんなにいたっけ。でもいっぱいいた気がする。たまにしか見ない先生もいたし。」
「急に気が付くとママにだけ会えなくなってこっちに来るんだよね。気が付くとみんな泣いてるし。あれって今思うととても寂しいよね。急にだもんね。」
リノちゃんも少し涙目になっていた。
入所するときは、赤ちゃんクラスにいた数人の先生と一緒に入所する。僕の時もサエ先生と一緒に入ってサエ先生にいっぱい面倒見てもらった。しばらくサエ先生のことがママだと思っていたくらいだ。だから、サエ先生がまた赤ちゃんクラスに戻るときは、また大泣きした記憶がある。
ママも赤ちゃんクラスで数年過ごしたのちこのスクールを卒業するのだという。昔、なぜママに会えなくなるのって先生に聞いたときがあった。その時先生は、大人には外に重要な仕事があってそれをするために卒業するんだよって教えてくれた。「重要な仕事ってなに?」と聞いたが、「それについてはまた大人になってからね」と言われ詳しくは教えてくれなかった。
赤ちゃんが入所すると、しばらく建物内はうるさくなる。ある日、リノちゃんに誘われて、部屋のみんなで歩いて動物園に遊びに行くことにした。リノちゃんはうるさい赤ちゃんに懲り懲りした様子であの泣き声が聞こえないところに行きたいという理由からだった。動物園は歩いて行くにはとても遠いが、あのうるさいところで昔を思い出させられて生活するのはうんざりで、みんな賛成で行くことになった。
1時間以上かけて歩き動物園にやっとつくと、例のミサトちゃんがいた。
「ほら、いるでしょ。毎日のようにいるのよ。すごくない。毎日歩いてここまで来るのだけでも大変なのにミサトちゃんなんであんなに太ってるんだろ。動物食べてるのかなあ。」
リノちゃんのぼやきにみんな笑った。ミサトちゃんは熱心に動物ではなく柵の近くを飛んでいるトンボの観察をしている。なんだかとても興奮している様子だ。
ミサトちゃんはこちらに気が付くと、スケッチブックをたたみ、慌ただしく立ち上がりこちらに向かってきた。トンボがピューと逃げていく。息遣いが荒い。挨拶もせず、ミサトちゃんが急に話し始めた。
「ねえ、私すごいこと知っちゃったの。教えてほしい?あのね、虫さん見てて気が付いたの。みんなじゃないんだよ。でも大体そうなの。鳥さんもさっき見てたトンボも・・。」
いつもはぼんやりゆっくりしゃべるミサトちゃんが早口だった。
「誰も知りたいって言ってないよな。」
ミサトちゃんには聞こえないようにシュン君がボソッとつぶやく。でもミサトちゃんのほうが年上だし少し気になったので聞くことにした。
「みんな、同じような形してるんだけど、男と女があるの。私たちだってそうでしょ。」
何がすごいことなんだろう。僕にはわからなったし、シュン君もすこしあきれ顔だった。ミサトちゃんは続けた。
「でね、男は女に求愛するの。男の鳩なんか、くおっくおっって言いながら首を膨らませて女の鳩を追い回すの。鳩だけが追いかけっこするのかと思ってたらスズメとか、今見てたトンボもそう。カモもカブトムシもカエルも。犬だって猫ちゃんだってそう。それでね。背中に抱きついたりするの。先生にあれって何しているのって聞いても先生たち全然教えてくれなかったんだけど、トクマ先生だけが内緒で教えてくれたの。あれはね、子供を作ってるんだよって。」
「えっ」
いち早く意味を察したリノちゃんが言った。
「それって、人も・・。」
「そうなの。どうするのかは教えてくれなかったけど。子供はね、普通、男と女で作るものなんだって。だからね、私たちにもパパがいるはずなの。でもみんなママのことは知ってるけどパパ知らないでしょ。」
「パパって何?」
ショウゴ君が言った。
「えっ、パパ。」
シュン君が目を見開き言った。僕は全身に寒気が走った。横を見るとショウゴ君も口を開けている。アイナちゃん、メイナちゃんも驚いた様子だ。
「だいたいの生き物は男と女の2人がいないと子供はできないはずなんだよ。人もそう。ほかの動物もそうだけど、子供つくるとパパってどこかにいっちゃうのかなあ。」
みんな、あまりの衝撃でしばらく動けなかった。
「絶対に内緒だよ。トクマ先生と約束したんだから。」
あんたが早速、堂々と約束やぶってるんじゃないかって思ったが、それよりもパパの衝撃でしばらくみんな呆然とした。その日ずっと動物園でオスとメスの観察になった。
その日の夜もずっとパパの話で持ち切りだった。
「パパがいないなんて不思議じゃない?誰だって自分の子供は見たくなると思うんだけど。そうでしょ、シュン。」
「そんなこと言われたって分からないよ。」
「シュン君、子供ほしいと思わないの。」
「わからないって。考えたこともないよ。子供だなんて。」
「ソウイチやショウゴはどうなの。欲しいでしょ。」
「うん・・・ん。」
2人とも困った。赤ちゃんなんて、ママしか関係ないものだと思っていた。
「だからよ。男はみんな子供なんて興味ないんだ。だから子供出来ても赤ちゃんほおっておいて勝手にどっか行っちゃうのよ。」
「でも誰も見たことないし、一切いないなんておかしいよ」
アイナちゃん、メイナちゃんがハモって言った。
「パパだって一人くらい、子供好きで赤ちゃん部屋にいたっていいじゃない。」
「赤ちゃん部屋は、男の人は入っちゃいけないんだよ。ただそれだけだよ。」
「別のところで少しは会っていたっていいじゃない。あんたたちは赤ちゃんの時のこと全然覚えてないみたいだけど、私とかアイナ、メイナは結構覚えているんだよ。でもパパのことなんていっさい記憶がない。」
「男の人は子供を作ると、先に卒業しちゃうんじゃないかなあ。」
僕は思いついたことを言った。
「男は自分の子供をいっさい育てないって言ってるの?」
「そうなんじゃない。ミサトちゃんもそう言ってたよ。オスはどっか行っちゃうって。」
「男って考えられない。私、子供できたら、ずーぅと子供と一緒に居たいって思うよ。だって私の大事な赤ちゃんだもん。私、大人になって子供ができたら先生に言って子供連れて一緒に卒業する。」
「やっぱり、人は女の人だけで子供できるんじゃ・・。」
「ソウイチ、あんた馬鹿じゃないの?ミサトちゃんの話聞いてなかったの?」
僕はちょっと悲しくなった。リノちゃんは喋れば喋るほどどんどん興奮した。
「男の先生に聞いてみたら。先生には子供いるのって。いるって言ったらどうしていたか聞いてみたら。」
シュン君が言った。
「あんたも馬鹿?この話内緒って約束でしょ。」
「ミサトちゃんが勝手にしゃべったんだよ。知らないよ。」
あまりに唐突に出たパパの存在にみんな困惑した。どこで何をしているのだろう。外に出れば会えるのだろうか。やがて、ママにもパパにも会えないことに寂しさを感じた。
夜中、2歳の赤ちゃんたちの泣き声が遠くからほのかに聞こえた。
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