第29話 それは加護の力か何なのか
ディートハルトと執務室へと行き、人払いをしたところで私は椅子に座り込んだ。
「……あれは、なんだ」
「ん?」
棚から瓶を取り出していたディートハルトが手を止めてこちらを見るのが気配でわかる。
「……こちらを見る彼女の顔が、とんでもなく――」
―—綺麗だった。
まるで昔聞いた御伽噺の精霊のように。
銀色の髪はそのままだが、温かみのある穏やかなブラウンの目が優し気な笑みの形になり、小さな唇が控え目に上げられてこちらを見上げた瞬間、霧が晴れたかのように花開いた。
間違いなく彼女の顔なのに、現実味が無い程、それこそ恐ろしい程美しかった。
「……とんでもなく、美人にでも見えたか?」
ハッとして顔を上げれば呆れた顔がそこにあった。
「お前……やる事やってて初恋もまだだったのか」
「はつこい…」
「状況が状況だったから仕方がないとは言え……従弟殿が不憫に思えて仕方がないよ」
ディートハルトの言わんとしている事を察して慌てて手を出した。
「待ってくれ、いやおかしいんだ。今までそんな風に見えなかったんだ。普通の娘で」
それに初恋はたぶん乳母のアデリーナだ。恥ずかしくて口が裂けても言えないが。
「あぁあぁそうだな。そんなもんだ。ふと気づくとっていう場合だとな」
昼間なのにグラスを目の前に置かれて酒を注がれる。
投げやりなその言い方に全く伝わっていないともどかしくなる。
「そういう事じゃない。本当に違って見えたんだ」
対面に座ったディートハルトは『そういうもんだ』という顔をして酒に口をつけている。聞く気がないらしい。
「『生じる』という加護は何かそういう力があるのか?」
埒が明かないと別方向から切り込めば、呆れた顔のまま鼻を鳴らされた。
「知らん。記録が無いと言っただろ。お前そんなに認めるのが嫌なのか?」
「だから違うと言っているだろ。私だってさすがにそのぐらいの事はわかる。あれはそういう事ではないんだ。
……そうだ、お前は気づかなかったのか? 顔の造作が大きく変わったというわけではないが、あれだけ印象が変わったのだから気づいただろ」
「気づいたねぇ……俺には特に何も変わったようには見えなかったが」
首に手をやり凝った筋肉をほぐす様に右に左に傾けるディートハルト。
嘘を言っているようには見えなかった。
だとすると、私の目がおかしくなったのか?
「そもそも、仮に加護の力だとしてもあの場面でなにかするような人間には思えんが?」
「それは……」
そうなのだが……
目覚めた瞬間は焦ったように私の心配をしていたが、素性を知った途端慌てて、それからは常に一定の距離を取る様に冷静に対応されている。
全くぶれる事のないきっちりと測られたようなその対応に、私に全く気がないのは他の令嬢と比べてみても明らかだ。今更あの場面で私をどうこうする気などなかっただろう。
「まぁいいんじゃないのか? 醜女を嫁に貰うよりも」
「お前な……」
そういう事を言うなと咎めれば肩を竦められた。
「それに彼女はかなり頭がキレるぞ。最初に出したのが伝令兵の改善とは……恐れ入ったわ。実現すれば戦のやり方が変わる。あれで男だったら俺が側近に欲しいぐらいだ」
滅多に褒めないこいつが褒めるならそうだろうが……
「聖女なんてものは彼女のごく一部でしかないが……表に出せばその一部に群がる奴は多いだろうな」
「やはり出すのか」
「当たり前だ。隠しておく意味が無い」
そんな事はわかっているだろうという視線に、溜息が出る。
「わかっている。だが憐れに思うんだ……女性の身で官吏になったという事はそれだけ必死で取り組んで来ただろうにと」
「……そう思うのなら、せめてこれからはお前が守ってやるより他にないな」
それも……わかっている。
「守られてくれるようなタイプではなさそうだけどな」
「……お前、一言多いぞ」
確かに。と思ってしまった自分もどうかと思うが。
「はぁ……私が関わらなければ、グレイグをうまく立てて暮らしていたのかもしれないのに」
やりきれなくて酒を煽る。
「グレイグ?」
「ダルティン家の次男だ。騎士団にいる」
「婚約でもしていたのか? そんな事実は無かったが」
「いや、幼馴染と言われたが……」
あれだけ心配していたのだ。グレイグの方には気があるのかもしれない。彼女もそれをいつもの事と受け入れているようであった。
「ならそうなんだろう。気になるのか」
「ひょっとしたら恋仲だったのではないかと」
「考えすぎだろ。あれは年頃の娘のように恋だのなんだの言うタイプじゃない。もっと現実的なタイプだ」
「……そうだろうか」
「お前と違って俺の意図に気づくぐらいだ。しかも怒りもしない。冷静過ぎて落とすのには厄介な相手だよ」
「そういえばお前、私を試したのか」
思い出して咎めれば、溜息をつかれた。
「リシャールは真面目なところはいいと思うんだが、真面目すぎて柔軟性が無いところが心配なんだよ。
真正面から怒りをぶつける前に、もっと俺から情報を引き出すとかあっただろ?」
「それは、相手がお前だったから……」
「だからそれで足元を掬われるかもしれないって言ってるんだよ。懐にあっちの刺客を入れていた事をもう忘れたのか」
それを言われると弱いが……。
「もっと警戒しろ」
「……努力は、する」
呻くように口から出せば、本当に頼むぞと呟かれた。
「で、それはそれで努力してもらうとして。お前ちゃんとエスコート出来るのか? 彼女の演技は問題ないとして、さっきみたいな調子だと話にならんのだが」
ディートハルトの指摘に、眉間に皺が寄るのが自分でもわかる。
いくら言っても通じそうにないが、さっきの彼女は本当にまずいのだ。妖艶な女性も儚い女性も凛々しい女性も見てきたが、そういう言葉で表せるようなものでは無かった。
どう言ったら伝わるのだろうか。この世のものでは無いような、神秘的ですらある存在だった。あれはもはや人間ではないのではないか?
しかも普段あそこまで気が無い状態でいきなりあんな変化を見せられると全く狼狽えないでいる事が難しいかもしれない。
「考え込む程かよ……なら対策が要るか」
この時、ディートハルトが何といっているのか考え込んでいた私は気づかなかったが、気づいていれば何としても止めていただろうにと後になって後悔しかなかった。
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