9杯目
「花子さん、そんな……頭を上げてください……。」
店長さんの声に頭を上げた私は、目の前に泣きそうな人を発見した。
「……あ、いや、……その、……本当に……いいのかな?」
私は、その人を見つめ、大きく頷いた。
「……あー、本当に……、ありがとう……。」
男泣きする店長さんを見て、彼が背負ってきた物の大きさを推し量る。……大丈夫。一緒に倒れたりなんかしない。
だって。
「店長さんの作る賄い、楽しみにしてますからね。」
そう言って笑う私に、ようやく笑顔が返ってきた。
「ああ。任せて!」
それからは、慌ただしく毎日が過ぎた。
雇用関係の手続きや、実家への就職報告や、そして、七絵ちゃんからの感謝の抱擁とか。
「花子さん、うちで働いてくださって、ありがとうございます!あ、でも、もし、お兄ちゃんが変なことしたら、すぐ私に言ってくださいね!」
「ニャー!」
七絵ちゃんとハナちゃんは、息もぴったりに、私を心配してくれる。うう、妹ともふもふが、私を……いやいや、職場の仲間として、だからね、とデレそうになる顔を引き締めた。
「七絵も、ハナも、あんまり騒がしくすると、花子さんびっくりして逃げちゃうぞ?」
店長さんまでお気遣いありがとうございます。
「じゃあ、花子さん、明日からよろしくお願いしますね。」
土曜日の夜、少し早めにお店を閉めてから、店長さんと七絵ちゃんと、それからハナちゃんが、私の歓迎会を開いてくれた。
テーブルの上には、店長さんが張り切って作ってくれた料理の数々が並ぶ。
昔ながらのケチャップライスのオムライスは、私のリクエストメニュー。お肉はチキンが良いなと思っていたら、なんとトリミンチ。ほろほろお肉とご飯と混ざり合うのを、ケチャップとバターがしっとりとまとめている。
それから具沢山のコンソメスープ。市販の素で作ったとは思えない豊かな味は、舌で潰せそうなくらいに煮込まれた野菜のお陰かな。最後にかけられた粗挽きの黒胡椒が、全体を引き締めてくれる。私が家で同じ材料で作っても、こんな味にはならなかったなぁ。やっぱりそこはプロの隠し味かなにかあるのかも。
そして。
「まだお店に商品として出すのは早いんだけど」
と前置きしつつ出してくれたのは、いつものチーズケーキではなく、ドライフルーツやナッツがぎっしり詰まったパウンドケーキ。
「これ、七絵が作ったんだ。そのうち、お店のケーキセットとして出したり、お持ち帰り用に小分け包装して売る予定だったんだけどね。」
だけど、忙しすぎて、そこまで手が回らなかったんですね。
「私も、もっとお兄ちゃんの手伝いが出来たら良かったんだけど、学校と、ケーキ屋のバイトで忙しくなっちゃって、このパウンドケーキも久しぶりに焼いたんですよ。」
そう言いながら、一人分ずつ切り分けてくれる。その間に店長さんはコーヒーを淹れてくれた。
「まだ花子さんがお店に慣れてからでもいいから、いつか出せたらな、って思っています。お味はいかがですか?」
私は既に半分ほど食べたパウンドケーキを見ながら答える。
「とても美味しいです。ドライフルーツもラム酒ですか?とても風味が良くて、ナッツのアクセントもちょうど良くて。大人向けのお菓子ですね。」
「花子さんありがとう!そうなの、ラム酒につけたドライフルーツ入りなんですよ。」
「確かに、これは大人向けだな……なぁ、七絵、例えば…‥若い学生や、小さな子供向けのパウンドケーキも何か作れそうか?」
「もちろん!甘さも、蜂蜜を混ぜてもっと強くできるし、逆にスパイスを混ぜて甘さをほとんど感じさせないようにも出来るよ。」
「そうか……いろいろ幅が広がりそうだな。」
「ふふ。お兄ちゃんのそんな顔、久しぶり。」
にこにこと七絵ちゃんが言うので、少し照れたお兄ちゃん……店長さんは、七絵ちゃんの頭をがしがしと乱暴に撫でた。
「もー、何するの!」
「あ、ごめん。つい……。」
いいなぁ、兄妹のじゃれ合い。
「あ!そうだ、花子さん。」
「はい、何でしょう?」
「えっと、これをどうぞ……お店で働いてくれる花子さんへ、私からの感謝の気持ちとお祝いです。」
何か頂いたので、七絵ちゃんに確認して、その場で包みを開けさせてもらった。
「これ……。」
中から出てきたのは、青い外箱入った、本と、中にあった小さな青い箱。
「その箱も開けてみてください。」
開けなくても、もう分かってしまった。だけど、開けてそれを手で触れてみたい。その欲求に素直に従った。
中から出てきたのは、いつか見た
『The fool』のカード。
「花子さん、トート・タロットは魔術師のカードとも呼ばれているんですが、もう1つ逸話があって。……使う人の人生を変えるタロットカードなんです。」
「人生を変える、タロットカード。」
「あの日、私が占ったことが、花子さんの人生に影響を与えたのだとしたら、今度は花子さんがご自身でトート・タロットを使って、人生を変えていくのもいいかなと思って。」
何かに迷った時、自分に足りないものを探す時、これまでのことを振り返りたい時、いつでもどんなことでも占えるんですよ。
本だけじゃ分からない時はいつでも聞いてくださいね、と七絵ちゃんが話してくれるんだけど、あんまり頭に入らない。
手の中のカードに、私の意識は持っていかれてしまった。
「またゆっくりトート・タロットについてお話しましょうね。」
そう言って七絵ちゃんが、私を抱きしめる。
「お店に来てくれて……わたしたちを助けてくれて、本当にありがとう、花子さん。」
あぁ、お兄ちゃんだけでなく、妹ちゃんまで泣かしてしまった。
だけど。
私も泣かされたから、ね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます