第624話 魔王の想いと女の願い

 ラクシャサの声。ラクシャサのテレパシー。


『真勇者ロアよ……この場の脅威を払うにはもっと簡単な方法があろう? それは、此方が使用した使い魔融合の禁呪を解析して除去すること……だが、それをしないのは、数千の竜を自在に操って一つにするほど大規模な禁術……ゆえに、解析や除去魔法の開発によって発生する脳への負荷が耐え切れずに自身が暴走してしまうか、最低でも甚大なダメージを受けてしまうと汝は一目で判断した……ゆえに、汝は実行しない……自己犠牲の塊であるはずの勇者が自分の身を率先して犠牲にしない……それもまた、戦争が終わった世界ゆえに自分の命が惜しくなったか?』


 今にして思えば、ラクシャサが呪いでたくさん喋ることができなくなっても、テレパシーが使えるんだからもっと話せばいいとも思ったが、魔法の一つを使うだけで痛みを伴うのなら、これまであまりテレパシーでも喋らなかったのは理解できる。


『逆に問おう。汝らは戦争が終わり……争いも戦う必要も昔ほどなくなったそれなりに平和な世界……戦の代わりに汝らは、自分自身のために何かをしたいと思わなんだか?』


 だが、今、それでもテレパシーを使って俺たち全員に語るということは、それはそれだけ重要なことだということ。


「……僕が自分の命が惜しくなったかどうかは別にして……何をしたいかですか? 決まっています。掴んだ平和を保ち、そしてこれからもその平和を繋いでいくことです」


 そんな中、お利口さん代表のロアが模範的なことを叫んだ。

 だが、ラクシャサは首を横に振った。


『それは、勇者として……アークライン帝国の王族として……人類の代表としての言葉……。此方が聞きたいのは、もっと私欲のある願い。わがまま。戦争が終わったからこそ思うことだ』


 ロアの言葉はあくまで勇者としての回答に過ぎないと否定。

 そんな模範解答ではなく、もっとエゴのあるものを答えろとラクシャサは言う。

 俺は……まあ、イーサムとかフルチェンコたちもポンポン出てきそうだけど、あいつらは……


「……わがまま……そうですね……あえて言うのだとしたら…………妹の晴れ姿を早く見たいとかですかね?」


 あんま面白味のない回答。まあ、これは「兄」としての回答だろうな。

 すると、ラクシャサは……


『……ふむ、十勇者のヒューレが普通の女としての幸せを掴んで欲しい…………もし可能なら、自分はアスカともっと色々な時間を積み重ねていきたい……か……アスカという者が何者かは知らんが、まあ、そういうところか』

「なっ……えっ? ッ、魔王ラクシャサ! このテレパシーは、僕の心の中も!」


 ッ! ラクシャサの野郎、ロアの心を読みやがって……っていうか、ロアのやつ、まだアスカがどうとか言ってんのかよ、あのアホは! どんだけあのゲームにハマッたんだよっ!

 思わず噴出しそうになった俺。首を傾げるイーサム。

 そしてビクッとしたシャウトやバーツ。



『……炎轟のバーツは…………もっと強くなって、まね~じゃ~とやらを幸せに………風閃のシャウトは……二人の委員長の間で揺れ動いている……』


 ―――――ッ!?



 さっき大活躍していた二人とは思えぬほど顔を真っ赤にして慌てる二人。つか……お前ら……


『ファルガ王もジャレンガ王子も、そもそも戦争云々に関係なく自己の想いを優先する者たち……汝等に、此方のことは言えぬ……此方も此方の想いのままに動き、叶えたい願いがある……それだけだ』


 それは、今の時点ではロアたちにはラクシャサが何を言っているのか理解できないだろう。

 だが、俺やイーサム、ラクシャサのさっきの一言を聞いた者には分かる。

 思想でもない。大義でもない。種族の問題でも性別の問題でもない。もっと小さいささやかな願い。


「のう、婿よ。ラクシャサについてじゃが……」


 その時、俺の横に立ってこの状況を静観しているイーサムが俺に語りかけた。



「遥か昔、おぬしが生まれるよりずっと昔。旧クライ魔王国の先代魔王であったあやつの父は戦争で、カイレばーちゃん……聖騎士カイレに敗れて戦死した。しかし、クライ魔王国はその時に滅亡まではしなかった。それは先代魔王が死んだ直後に、当時まだ幼かったラクシャサが魔王の座を引き継いだことで、なんとか滅亡を回避したからじゃ。しかし、以降あやつの人生は大きく変わったと聞いておる」


「………………」


「滅亡の危機にあった弱小国家を建て直すため、自身を強くするためにあらゆる禁呪の習得や使い魔契約、サバトによる兵の補充、暗殺ギルドの設立……幾多の呪いや恨み、凄惨な光景を目の当たりにし続け、さらにはあやつ自身もまた呪いや病にまみれた肉体へと変わり果てた」



 それは、恐らく世界のほとんどの者には知られていない過去なんだろう。実際、俺も初めて聞いた。

 過去にクライ魔王国に自ら潜入したというイーサムだからこそ知っているラクシャサの過去なのかもしれない。


「そんな人生を歩みながらも、ワシは戦場ではあやつと何も語り合えず、あやつの本心と触れることが出来なかった。じゃからこそ、ワシにとってあやつは、得体の知れぬ存在としか思えんかった。それが今になって、あんな本音を聞くとはのう…………やはり、半年前の終戦が全ての起因かもしれんのう」


 いや……違う……。イーサムの言っている半年前の終戦も理由の一つかもしれないが、俺はなぜかこのとき、根本的な起因は別のところにあると直感的に思った。

 どうしてかは分からない。だが、そう思えた。

 それは終戦の少し前だ……そう、ラクシャサが俺を初めて見たあの日……


「多分…………俺がウラへプロポーズした日…………あの時のウラを見て、なんかそういうささやかな想いが出たんじゃないかと思う」

「あの娘っ子との?」

 

 言われて一瞬イーサムは首をひねったが、すぐに納得したように頷いた。


「そうじゃったな。あの姫は魔王シャークリュウの娘。しかし、シャークリュウの死後、王位を継ぐこともなく国をそのまま滅亡させた。じゃが……それでもあの娘は……一人の女としての幸せを得ることができた。……ラクシャサとは正反対……そうじゃのう……だからかもしれんのう」


 ラクシャサは、国を滅亡させないために、魔王としての力を手に入れるために、自分のあらゆるものを犠牲にしてきた。

 あの若い容姿からは想像も出来ない長い年月、ずっと肉体や精神が蝕まれる苦しみの中に居ても、国を滅亡させないために自分自身を犠牲にし続けた。

 だが、半年前、世界の大規模な戦争は終わってしまった。クライ魔王国もヤヴァイ魔王国に吸収される形で世界からその名を消した。

 ならば、今、ラクシャサが味わっている苦しみは何のためにあるんだ? 争いのなくなった世界では、もう何の意味もないかもしれない。


「もう……言葉はいらなぬ…………………続きだ、勇者たちよ。『あの国』と戦う前に……汝らを退ける」


 その時、ラクシャサはテレパシーでもなく、小さな声でそう呟いたのが聞こえた。


「待ってください、魔王ラクシャサ!」

「………………………………………」


 もう、問答も何もいらない。

 ラクシャサ自身も身の上話や言い訳をするつもりもないようだ。

 ラクシャサは再びアナンタと共に魔力を全身に漲らせた。

 当然、ロアたちは迎撃態勢に入る。もう、戦うしかない。

 一方で俺は、ロアのおかげで体も元に戻ったというのに、すぐに加勢に迎えなかった。

 正直、ラクシャサたちのやっていることに賛同する気なんて欠片もないし、俺は本来こういうことに同情する奴でもねえ。

むしろ、そんなもん、「自業自得」とか「運が悪かったな」とか軽口叩いて跳ね除ける奴だ。

 なのに、ラクシャサのささやかな願いを聞いていたから、いつものように敵をぶっとばすという気持ちが湧き上がらなかった。

 多分、それはほんの僅かな間でも体にラクシャサの呪いを受けて苦しんだからこそ、俺が感じた苦しみなんかとは比べ物にならないほどの苦しみを何年も受けていたラクシャサに、何かを感じちまったのかもしれない。



―――――になりたい



 それは、さっきイーサムが尋ねた時……



―――――普通になりたい



 それが、あの時、ラクシャサの言ったささやかな願い。



―――――幸福でなくても構わぬ。力もいらぬ、不老の肉体もいらぬし、弱くなってもかまわん。生きているだけで害悪を撒き散らすこともなく、不自由な肉体や苦痛や病もなく、誰かに触れることも触れられることも出来る……ただ……普通になりたい……



 その願いだけが俺の頭の中にこびりつき……



――――ウラ姫の笑顔を見て…………そう思うようになった



 俺は奴を倒すために動くことが出来なかった。

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