第613話 前世のとある夏の日


――それは、前世の話





 あの夏のことは今も忘れない。


「あっち~。どーなってんだよ、この夏の暑さは。風がねえと死ぬぞ?」


 あれは、今でも異常だったと覚えているほど暑い夏だった。

 立っているだけで大量の汗が流れ、歩くだけで意識が遠のく。

 数え切れねえほど喧嘩をしてきた俺でも、あの暑さにだけは白旗を上げちまう。

 それが、朝倉リューマ最後の夏休みだった。


「トゥ~ホット。どこかでティータイムしないか?」

「あすこのファミレスや。クーラーがビンビンに利いとる部屋入らんと、死んでまうわ」

「だな。集合時間にはまだ余裕あるし、時間潰すか」


 そう、あの夏休み、いつもの三人で用事があって出かけていたんだ。ミルコ、そして十郎丸と一緒に。

 あのファミレスに寄ったのは、その用事に向かう前のこと。


「ク~~ル!」

「は~、生き返るわ~! 一瞬で冷たなったわ」


 高校の近所にあるファミレス。あまり利用することはなかったが、その日はとりあえず冷たい飲み物と冷たい部屋が恋しかった。

 扉を開けた瞬間、あまりの外気温との差にブルッと震え上がるものの、「生き返った」と思わず呟くほど快感な世界だった。


「ひゅ~、しかし、ミーたちはまだマシだ。トゥデイはベリー遠くから来るフレンドたちも居るみたいだからな」

「既に働いとる先輩や、関西あたりから来る奴らもおるらしいからな。みんな忙しいのによう来るわ」


 俺たちは、空いているテーブルに腰掛けて、まったりしながら話していた。

 朝倉リューマの人生。喧嘩ばかりで、つっぱって、くだらねえ奴らとつるんで、人に迷惑をかける。そんな虚しい中坊時代を過ごしていた。

 高校生になると、痛い昔の自分に少し恥ずかしいと思うときもある。

 だが、それでも、全てが無意味だったのか? と聞かれれば、そうではなかったかもしれない。


「スゲー人望だ。流石……俺らの兄貴分ってところか……」

「オフコース」

「せやな」


 くだらない日々の中にも、それでも誇らしかったものだって確かにあった。


「葬儀の時は、五百人近い不良たちが各地から集まったんだったな……」

「イエス」

「今日の命日にもぎょうさん来ると思うで。せやけど……もう随分たったように感じるわ。あの日から……」


 中学時代からこの三人で集まって、何だかんだで高校でも腐れ縁で俺たちの関係は続いていた。


「あの日か……」

「……レジェンドとなった……二人のヤンキーが死んだ日か……」

「極川が誇る爆轟十字軍ニトロクルセーダーズ筬島おさじま大和やまと……ブクロの武闘派チーム、アザトース・高原紳一郎……今でも忘れられんわ。ヤマトはんが死んだなんて」


 バカなことをやったり、話したり、笑ったり、そんな毎日だった。

 だけど、この日だけはどうしてもしんみりしちまった。


「やめろやめろ、もうその話をすんのはよ。誰も望んじゃいねーだろ」


 その空気が嫌だった。俺がそう言うと、ミルコも十郎丸も同じ気持ちで頷き返してきた。


「それで、リューマ。ヤマトヘッドに何を報告する? やはり、ユーがフォーリンラブしたインフォメーションか?」

「なはははははは、せやな! ヤマトはん、生前からえっらい心配しとっからな~。リューマは喧嘩ばかりで、女を作ろうともせんし心配やて」

「うるせええええ! つか、それは関係ねえ! 大体、別に俺は好きでもねーよ、あんなバカ女!」

「ワッツ? ヘイ、リューマ。ミーたちは、別に誰とは言っていないぞ?」

「せやせや、あのバカ女って誰のことや?」

「なっ、こ、な、に、ニヤついてんじゃねえ、ぶっとばすぞ!」


 このときの俺たちは、周りの迷惑を顧みずに大声で話して、多分回りの客からすれば不愉快でしょうがなかっただろう。

 誰もが、「うるさい」「関わりたくない」「無視」「さっさと店から出よう」と思っていたかもしれない。

 だが、そんな中で、陽気な女の声が聞こえた。



「ほうほうほうほう。お兄さんは、恋しちゃっているのかネアンデルタール?」



 それは、あまりにも不愉快すぎる言葉で、声で、しかし思わず俺の心臓が大きく跳ね上がった。

 いや、何で?


「えっ?」


 俺も、ミルコも、十郎丸も思わず目を丸くして言葉を失った。

 そこに立っていたのは、ノースリーブと超ミニホットパンツという海外のビアガーデンに居そうな服装を着て、その服装がその幼児体型には全く似合っていないのに、何故か堂々とドヤ顔でオーダー用紙を持った神乃が立っていた。


「か、かみ、の、なん、で?」

「ん? なんだね、君たちは今日がコスプレdayというのを知らなかったのかねい? 私のお気にのセクシーダイナマイトコスチュームを見に来たんじゃねーんですかい!」

「そっちじゃねえよ! 何でテメエがいんのかって聞いてんだよ!」


 まさか思いもよらない人物が居たことに、俺は動揺して声を荒げちまった。


「ん? バイトだよ。バ~イト。今月ちょっちゲームとか色々買いすぎてね~。『鈴原』くんに紹介してもらったんだよん」

「スズハラ~? 誰だよ」

「ひどす! クラスメートじゃないか~い! って、そういえば、朝倉君たちは『園子』ちゃんに何かした? あの子、オーダー取りに行こうとしたら、君たち見て急に顔を真っ青にしちゃって逃げちゃったんだから」


 近いッ! 顔近づけてくんじゃ、ちょ、おいおい! 近づくと、ノースリーブの下に、ハミ……み、みえ……


「えええい、やめえい! うっとおしい! んな、似合わねえかっこしてんじゃねえよ! 萎えるんだよ! つーか、ソノコって誰だよ!」

「んま? なんて子ですか! クラスメートを本当に覚えてないとは、ヨヨヨヨヨ、お母ちゃん悲しいぞい」


 似合わない? 萎える? ウソだ。ギャップが……つうか、かわい……って、そうじゃねえ! 前々からこのうるせえ女にはドキドキさせら……じゃなくて、イライラさせられる。

 大体! こ、こいつ、まさかノーブラ? お、おい、そのポチッとしたのはまさかッ! まさか……サクランボ……

 神乃の……サクランボ……サクランボ? 神乃の?


「賑やかだな。なあ、リューマ? ……ワッツ?」

「ダメやこいつ。なんや知らんが、頭の中がショートしとるわ」


 神乃のサクランボ? 何で? え、見えるのか? 今なら見える? 

 それにここはファミレスだろ? ファミレスならサクランボって食えるんじゃねえのか?

 注文したら食えるんじゃないのか?

 サクランボパフェ……って、俺は何を考えてんだよ! アホか! ったく、俺はなんつうことを妄想してんだよ。


「んで、三人の注文は?」

「オー、ミーはコーラ」

「冷コー頼むわ」


 やめやめ。暗くなる必要もねえが、今日は特別な日なんだ。

 こんなんじゃ、あの人に笑われちまう。

 バカなことを考えてねーで、俺は……


「ねえ、朝倉君? オーダーは?」

「へい、リューマ、ユーは?」

「お前、いつまでボーっとしとんねん?」


 えっ? あれ? あ、れ? えっと……何が?


「朝倉君、ちゅ~~~もん」

「えっ? あ、ああ、えっと、ちゅ、注文?」

「そーだよ~、あとは君だけ? さあ、何かな何かな?」

「じゃあ、サクラン………………アイスコーヒーで……」

「サー、イエッサ! んじゃ、待っててくんろ~!」


 あっぶねえ~、あやうくアホなことを言うところだった。

 つうか、流石に口走ってたら、ミルコと十郎丸にもドン引きされるし、また俺が神乃が好きとか意味不明な勘違いされるところだったぜ。

 幸い、俺の言い間違いに気づくことなく、神乃はツカツカと厨房に向かおうとしていた。

 だが、急にクルッと振り返って……



「そ~だ、朝倉君、それに村田君も木村君も。今日はご覧の通り、コスプレdayだから、店内にはメイドさんとか割烹着女子とか、執事とか色々居るけど~、写真撮影は禁止だからね~?」


「……あっ?」



 あっ、今気づいた。この店の店員……


「ひゅ~、随分とクレイジーな店だ」

「何でこないなことやっとんのや?」

「売り上げ上げるための工夫だよん。まあ、楽しいからいいんだけどねん」


 コスプレdayって何のことだよと思ったが、店員たちが色々と変な格好をしている。

 意味わからねえ、何が楽しいんだ? こんなの衣装を用意するほうが金がもったいねえだろ。


「くだらねえ、誰が撮るかよ」

「にゃはははは、信じるよ~。もし、盗撮バレたら今後は出禁だけじゃなく、オーナーが怒って学校にチクっちゃうかもしれないから気をつけてね~」


 ったく、あのバカ女は俺をなんだと思ってるんだよ。

 嵐のように現れては嵐のように去っていくあの女に呆れながら、ようやく俺は落ち着いて溜息ついた。

 すると……


「へい、リューマ……少し騒がしいが、ミス神乃もキュートだな」

「せやな、ワイら相手に物怖じせんで話しかけてくるのは、結構ポイント高いで」

「あ、あのなあ、俺は別にそんなつもりはねーんだよ」

「ヒュ~」

「まっ、そういうことにしといたるわ」

「ぐっ、テメエら……」


 なんか、ミルコと十郎丸がニヤニヤして俺を見てきやがった。

 くそ、なんか恥ずかしいな……


「さて、ミーはちょっとトイレ」

「あっ、ワイは外で電話してくるわ。一応、今日の大体の人数把握しとかなあかんからな」


 言いたい放題冷やかして、そそくさと席から一旦離れる二人。

 一方で俺は、冷やかされた状態のまま、なんだかモヤモヤとしたままで、微妙な気分だった。

 そんな中……


「いらっしゃいませー、五名様ですね~。今、テーブル片付けちゃうんで少々お待ち下さい~」


 元気に接客して店内を駆け回る神乃の姿が目に入り、気づけば俺はその姿を自然と追いかけていた。

 その姿、やっぱり何度見ても、とびぬけて美人なわけでもない。スタイルだってそんなんでもないし、喋り方なんていつもイライラする。

 だけど、なんだろうな……笑ってる姿を見ると……なんかこう……胸がバクバクというか、キューッとくるっていうか……


「よっ、ほっ、ほいっと、ピカピカふきふきつるてんこ~♪」


 そしてあのヘンテコな歌を歌いながらテーブルを拭く姿とか、他の動作にまで目が追ってしまうというか気になるというか……なんなんだろう……俺、あいつのこと……


「ッ!」


 その時だった。俺は、全身の毛穴と鳥肌が一斉に開いたり逆立ったりした気がした。

 テーブルを拭いている神乃は前かがみになっている。

 前かがみになった神乃のノースリーブと肌の隙間が空いて……見え? 見えな……ッ! ヤバイ、スゲードキドキしてきた。何でだ? 何で俺があんなので……


「ふっきふっき~、ピッカピッカツルツル~♪」


 あんな、機械的な雑用一つを、こいつはどうして一生懸命に、そしてあんな眩しい笑顔で出来るんだよ。

 あんな、ノースリーブにホットパンツとか、超不釣合いなふざけた格好で……格好で……


「……ミルコと十郎丸は……まだ帰ってこねーな?」


 その時、俺の中で、抑え切れない何かが生まれた。

 二人のダチはまだ帰ってこない。他の客だって、俺たちに関わりたくないという思いからか、こっちをまるで見ないようにしている。

 そう、今の俺を誰も見ていない。

 神乃も気づいてない。


「………この距離なら……」


 気づけば、俺は携帯を取り出してカメラの機能を作動していた。

 顔は精一杯ポーカーフェイスで、あたかも暇つぶしで携帯を弄くっているという態度を全面に押し出しながら、その画面には神乃の姿が……

 こんなことはダメだと分かっている。

 常識とかそういう以前に、不良としても終わっちまうような行為だ。

 しかも、俺は予め「写真撮影は禁止」と神乃本人の口から言われている。

 なのに、俺は……


「ッ!」


 俺が周囲の目を最大限に警戒しながら、いざ、親指でプッシュ。

 すると、次の瞬間!


―――――カシャッ!


 シャッター音わすれてたああああああああああああああああああああああ!


「ッ、ちょ、なに、今の音!」

「えっ、今、カメラの音が……」

「ちょっ、誰ですかーっ!」



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