第384話 摘まむ
「もう、同じ対処法はワシには通用せんぞ? 今度は余裕も一切なしで………決めるぞい」
完全に殺す気だ。この一撃で終わらせる気だ。
これほどなまでに真剣な眼差しで、剣気と殺気と、猛獣のような迫力を醸し出されては、対峙するだけでも腰を抜かす。
だが、対してピイトは静かだ。
いや、それは、爆弾が爆発する前の緊張感漂う雰囲気のようなもの。
僅かな物音一つですら聞き取れるほど静まり返る空間の中、ついに動き出したのは、イーサム!
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
百獣の王の咆哮。駆け出し、そして閃光のような居合抜き。
俺たちにかろうじて見えたのは、走り出し、剣を振りぬこうとしたイーサムだけ。
気づけば、目の前にはお互い交差して、イーサムが走り抜けたのか、立ち位置が逆になっていた。
そして…………
「ぐっ、つ…………」
パンッと何かが破裂するような乾いた音が響いた。まるで風船が破裂したような音だが、明らかにそれとは異なる。
何が破裂した? と思った瞬間、ピイトの右腕から噴水のような血が飛び散り、その右腕は肘を支点にへし折れていた。
「……く、くく……くく、さすがだ、イーサム……」
ヤったのか? 着ぐるみから漏れる僅かな苦悶から、俺たちはピイトがイーサムの攻撃をくらったのだと思った。
だが、すぐに異変に気づく。なぜなら、腕が破裂するとか、そんなもの剣で出来るダメージじゃない。
なら?
「自分の腕が破裂し、へし折れるほど力を込めたのは久しぶりだ……」
その時、ピイトが血だらけの腕から何かを落とした。それは金属音を僅かに響かせて地面に落ちた。
そして、次に、右腕と比べて特に変化のない左手から何かを落とした。それは血の塊で、ベチャッと地面に音を立てて落ちた。
何だ? あれは…………あっ!
「ぐわはははは……とんでもないやつじゃな……あの一瞬で……長年戦場を共に駆け抜けたワシの愛刀『虎徹』を、素手で掴んでへし折り、挙げ句の果てに、そのドサクサで……ワシの左耳を引きちぎりおった」
うそだろ…………? しかし、振り返ったイーサムを見て、俺たちは言葉を失った。
「うそ……ですわ……こんなことが」
「父……なんで……」
「んな、バカな! あの、からくりモンスターの群れを一瞬で蹴散らした、イーサムの剣を、素手でだと!」
イーサムの手には刀身の折れた刀と、その顔の側面には左耳を失い大量の血を流していた。
まさか、素手で?
「しかも、一切魔力を感じさせんかったのう。貴様、どうやったのじゃ?」
左耳を引き千切られ、刀を折られても表情は無表情を装っているが、イーサムの心の内も平常じゃないだろう。
それだけありえないことをこの男はやったからだ。
すると、ピイトはゆっくりと振り返り、答えた。
「ただの握力だ」
「なんじゃと?」
握力? つまむ力? ピンチ力? 色々と言い方はあるが、握力だと?
「俺には剣や魔の才能はない。しかし、生まれ落ちた瞬間から、俺の肉体そのものは世界の常識を遥かに超えたものであった」
「握力……そんなもので」
「岩も、鉄も、肉も骨も、宝石も、亜人も魔族も俺に握りつぶせぬものはない」
魔力でもない。技でもない。ただ、身体に備わっていた力。
しかも、この世で最も身体能力の優れた亜人を相手に、この世で最も身体能力が劣るはずの人間が、魔法の強化なしで、こんな芸当ができるってのか?
冗談だろ?
「例えば、こんなこともできる」
「ッ!」
離れた場所からピイトが無傷の左腕を突き出して、グーパーさせて拳を開いたり閉じたりする。
その度に、空気が弾けたような音がして、イーサムの状態を揺らした。
「ぬぬッ、これは、空気の弾丸?」
見えない空気の弾丸。目に見えないが、空気を感じ取れる俺には分かる。小さいボールぐらいの大きさの空気の塊が、弾けた。
しかも、連続で、休む間もなく………
「ぐふふ、あれが、ピイト専務の戦い方さ~」
「テメエ………グーファ………」
「驚いたでしょ、ヴェルトくん。一切の魔力の才、剣の才、勉学の才もなかった男に備わった才能。超人的な肉体で裏社会を駆け上がった男、それが~彼さ。そして、彼のもはや魔法並みの威力を誇る握力を、裏社会ではこう呼ぶ。『
グーファの愉快そうな声を聞きながら、俺たちは目の前の光景がそれでも信じられなかった。
「この手で掴めぬものはない。掴んだものは、例え世界すら握り潰す」
正に、世界を掴む力? 俺と同じ?
ただ、俺と違ってなんの種も仕掛けもない。俺やフォルナのような魔導兵装で身体能力を上げているわけでもない。
素の人間の力だけで、イーサムに傷を刻み込んだ男。そのありえない存在を、未だに俺たちは信じきれなかった。
更に………
「更に、この右腕もな」
「………? ………ッ、なんじゃと?」
次の瞬間、グチャグチャのバキバキにへし折られていたはずのピイトの右腕がみるみるうちに回復? いや、修復されていっている。血が止まり、筋肉繊維が再生し、皮膚で覆われ、恐ろしい早さで元に戻ろうとしている。
「なんじゃ、それは? 回復魔法ではないな?」
「回復は回復だ。『超回復』と呼んでいる」
「ちょー回復じゃと?」
超回復? なんか、前世で聞いたことあるぞ?
筋トレなんかで、休息期間を置くことで、筋肉の総量が増えるとかいう奴か?
「しかも、ただ回復するだけではない。破壊と修復を繰り返すことにより、俺の肉体は、更に強くなる」
いや、だからって、そういうもんじゃねえだろうが! 破壊というより、完全にブッ壊れていた腕が、瞬く間に治り、それがしかも以前より強くなっているだと?
「こりゃまた、面白い身体の能力じゃな。初めて聞いたぞい」
「ガキの頃、『近所に住んでいた力自慢のオヤジ』が色々と肉体の構造について教えてくれたが、それでも俺の体は突然変異の異常なものらしい」
「ぐわはははは、そうかそうか。しかし、よいのか~? ベラベラと自分の能力を喋っても」
「必要ない。俺の備わった力は、別に奥の手でもなんでもない。仮に、全てを知られたからといって、俺の戦い方が何か変わるものでもないからだ」
まるで自分の知らなかった人体のメカニズムを聞き、イーサムは引くよりも興味津々といった表情だ。いや、それだけじゃない。自信に満ちたように堂々としたピイトの態度にも、どこか嬉しそうだ。
「だが、摘みはこれで終わりだ。貴様とて、心臓や首をむしり取れば絶命するのだろうが、さすがにそんな隙はないだろう。ならば、……この握り拳で砕くだけだ」
あの握力で思いっきり握りこんで固めた拳。そんなもので殴られたら?
想像したくもねえ。
「ぐわはははは。ワシ相手に肉弾戦やるバカタレが、ユーバメンシュ以外におったとはのう。キシンもヴェンバイも、カイレばーさんですら、魔法や能力を駆使するというのに」
耳を引きちぎられ、頭を割られ、そして愛刀すら折られたイーサム。
だが、その表情には一切の戸惑い無く、笑ったままだ。
「しかし、分からんの~。おぬしほどの人間が、どうしてラブ・アンド・ピースなぞに肩入れする? 脳みそ筋肉でも、おぬしほどなら自分で組織を立ち上げても良いものを」
「………ふ……口が過ぎるぞ? そんなガラではない」
「そうかのう? それに、今、相当大人ぶっておるが、それは貴様の本性ではなかろう。今すぐ相手をズタズタに引き裂きたいという凶暴な衝動を貴様から匂う。自由に生きるチンピラが、己を押し殺し、あんなバカタレ共の組織に、なんの義理を通しておるのじゃ?」
確かに、これだけ強ければ、例え魔法が使えなくても、もっとその名を世界に轟かせられただろう。あのギャンザだって、実績認められているからこそ十勇者の称号を得られているんだ。それが、どうしてラブ・アンド・ピースの幹部程度に収まってんだ?
「その、めんこい着ぐるみの下で、貴様の内なる本性は何と叫んでおるのじゃ?」
それに、イーサムの言うとおり、俺にも分かる。こいつは紳士的で落ち着いたキャラを演じているが、その本性はもっと凶暴性を持っているはずだ。
それなのに、どうして自分を押し殺してまで、こんな組織に加入しているのか、まるで分からない。
「別に、そこまで大した話ではない。俺の今の心境など、ありきたりでありふれたものに過ぎない」
「そうか……完全な獣と化して貴様を引き裂く前に、聞いておこうと思ったんじゃがな」
こいつもまた、自分の中に眠る激情みたいなものを曝け出さない。
ニートのように自分の中で何かを抱え、イーサムのように全てをオープンにしたりしない奴か。
イーサムは少し残念そうな様子を見せながらも、すぐに鋭い眼光を向ける。
「ほう……完全な獣と化すか……それは厄介だな」
「そう言うな若造。ここから先は、喰うか喰われるか……血肉を貪る戦いじゃァ!」
突風のように駆け抜ける冷気と熱気が入り混じった空気。
「くくくく、グワハハハハハハハハ! 何年ぶりじゃ? 滾ってきたぞい! この血が、肉が、魂が沸き立つ! よい! よい! よいぞ!」
もし今、イーサムに話かけようと近づけば、食い殺されるかもしれないとすら思った。
そして、俺たちは不意に思った。
「武神イーサムか……面白い。この俺も、かつて『破壊神』と裏社会で呼ばれた男。武と野生が勝つか、暴力と凶暴が勝つか……俺も久しぶりに自分を解放してみるのも一興か」
ひょっとして俺たちは、生物界世界最強を決める戦いに立ち会っているんじゃ………
――――それまでだっく、専務
「…………むっ」
「ぬっ?」
――――報告がないから何をやっているんだっくと思っていただっく。これはどういうことだっく?
その時だった。これは、誰の声だ? 俺たちの耳というより、頭の中に響くこの声は?
俺にも、フォルナたちにも、みんなに聞こえる……
「……今、現時点において世界最大の脅威である、武神イーサムと対峙中だ。ここで始末できれば、組織にとって大きな益となるが?」
ピイトが指を頭に当ててそう言うと、この頭に響く声は再び話し始めた。
――――いつまで遊んでいるだっく? 紋章眼はどうだっく?
「同行しそうにない。トゥインクルベルが上手く働けば良かったが、ニート・ドロップに見抜かれていた」
――――攫うのはどうだっく?
「……無理だな……俺がイーサムと潰しあっても、フォルナ姫とユズリハ姫、そしてヴェルト・ジーハも居る。我々の目的を知るこの者たちが、黙っているはずが無い。グーファでは、相手になるまい」
――――ヴェルト・ジーハ………そうだっくか……
「だが、俺としてはイーサムをここで命に代えても始末することは間違っていないと思うが、どうだろうか?」
――――専務、帰ってくるんだっく
「なんだと?」
――――もともと、武神イーサムとは、ユーバメンシュとヴェンバイをぶつける予定だっく。それに今は魔王キシンを始め、ヴェルト・ジーハ率いる曲者ばかりを相手にするには、こんなところで専務を失うリスクを負うのはナンセンスだっく。
まず、このテレパシーのようなものを使っている奴が何者かは別にして、何で語尾に「だっく」をつけるんだ? 不自然だろ。
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