第35話 受け取っておく

「ごめんなさいね、ボク」


 お願いだから気配を消して近づくのはやめてくれ。

 情けない話だが、俺の体は完全にこの女に対して怯えてしまっている。

 俺の背後からひょっこりと顔を出したギャンザは、俺が抵抗する間もなく俺を抱き寄せた。


「ボクのことは、私が助けてあげたかったけれど、ごめんなさい」

「ッ、離せ!」

「今日、ボクを助けて上げられなかったけど、いつの日か必ず迎えに来てあげますからね」


 ダメだ。

 人には見惚れてしまうような美しく優しい微笑みなのだろうが、俺には口を開けたアナコンダにしか見えない。

 蛇の舌で舐め回されるとはこんな感じなのだろうか?

 ゾクッとして、


「チュッ」

「むー!」


 また、喰われかけた。

 だが、この喰われかけた状況でも、全て食い尽くされなかったのは、さっきまでと状況が少し変わっていたからだ。


「ヴェ、ヴェルト!」

「そ、そこの女、何してますの!」


 疾風迅雷の二人の少女。

 人間と魔族、互いに種族は違えど、その身は王族という最高位の身分。

 そんなダブルプリンセスが、ギャンザに抱き寄せられた俺を無理矢理奪い取った。

 二人は、子供ながら鬼のような形相と殺気を剥き出しにして、ギャンザに叫ぶ。



「ワタクシのヴェルトに何をしますの!」


「私のヴェルトに手を出すな!」



 ………………ん?


「……………………?」

「……………………?」


 その時、二人の姫はようやくお互いの存在に気づいた。


「ちょっと、そこの魔族のあなた。随分と聞き捨てならないことを仰いますわね」

「お前こそ、いきなり現れたかと思えば、何を言っている。大体、私のヴェルトに慣れ慣れしいぞ。離れろ!」

「はっ? ふ、うふふふ、わ、ワタクシとしたことが幻聴でしょうか? それとも、あなたの妄言ですか? わ、ワタクシのヴェルトがあなたのもの? 冗談にしては笑えませんわ」

「笑えないのはこっちだ。このイカレ将軍といい、お前といい、人間の女はつくづく頭に来る」


 こいつら、状況考えろ。

 つか、俺の腕を左右で引っ張るな!


「いててててて、こ、こら、まずは離せ、お前ら! いた、つ、綱引きしてんじゃねえ

「ヴェルトを離しなさい!」

「ヴェルトを離せ!」


 て、今はそれどころじゃねえだろ! 

 おい、ガルバとタイラーは何を笑いを堪えてやがる!

 おい、ファルガは何をスゲー呆れてやがる!

 

「また、会いましょう。ボク。今度は魔族に操られていない、本当のあなたと会うのを楽しみにしています」


 んで、そもそもの原因のギャンザは何を、投げキッスだけして自分だけ勝手に帰ってやがる。

 つか、二度と会いたくねーよ。

 だが、俺たちのそんなやりとりの中、ギャンザは横たわる鮫島に軽く一礼した。


「さようなら。魔王シャークリュウ」


 それは、永遠の別れの意味を含んだ言葉でもあった。


「そ、そうだ、鮫島!」

 

 そうだ。こんなママゴトしている場合じゃなかった。

 俺はウラとフォルナから手を引き剥がし、今にも逝きそうな鮫島の元へと走った。


「おい、鮫島! 鮫島! ッ、ヒデーな」


 俺は絶句した。形容のしがたいほど無惨に切り刻まれ、炎によって焼け爛れた鮫島の体を。

 だが、鮫島は既に痛覚すらないのか、表情はおだやかなものだった。


「ッ、おい、フォルナ、お前回復の魔法とかできねーのか?」

「ヴェルト、しかし…………」

「魔王だっつうのは分かってる。でも、何とかしてーんだよ! 何とかならねーのか?」

「いいえ、そうではなくて、ヴェルト……もう、魔王は……」


 フォルナが首を横に振る。

 それは、魔王を治療することへの拒否ではない。

 もう、手の施しようがないという表情だ。


「いいんだ、朝倉」

「いいって、お前!」

「俺も分かっている。もう、……俺は助からねえよ」


 覚悟をしていなかったわけじゃなかった。

 だが、俺の覚悟なんて所詮は、頭の悪い底の浅いもの。

 いざ、その時になると、やっぱり心が震えちまう。

 

「ッ、テメエが、何を満足したように言ってやがる!」

「朝倉……」

「まだ、まだ話すことがいくらでもあるだろうが!」


 後悔しないつもりで選んだつもりだった。

 でも、結局何も変わらなかった。

 俺は弱くて、頭が悪くて……結局後悔する。


「朝倉、俺は、もう十分満足したよ」

「おまっ!」

「ウラ……来てくれ……もう……立てそうにもない」


 喋るたびに、体がガラスのように亀裂が走り、砕けていく。

 もう喋らない方がいい。喋れば余計に……


「はい、父上」


 それなのに、ウラ、何でお前は既に覚悟している?

 お前は十歳だろ? 俺と同じ歳。それどころか、精神年齢だって俺と比べて幼いはずだろ。

 なのに、何でお前は既に鮫島の死を受け入れて、最後の言葉を聞こうとしている?



「ウラ、すまなかったな。お前にはこれから、辛い思いをさせることになる」


「いいえ……私は父上から多くのものを受け継ぎました。王としての父上。親としての父上。どちらの父上も、私にとっては誇りです」


「まったく、可愛いことを言ってくれる。ちょっとでもお前が泣こうもんなら、や、すらかに、死ねない、……心残りができて、いた、よ」


「あとのことは…………わたしに、おま、か、お任せを」



 違う。受け入れたわけじゃない。

 どうしようもないと理解しているからこそ、ウラはせめて父の前で毅然と振る舞おうとしているんだ。奴が安心して逝けるように。

 泣けばいいだろ。

 そんなに目元を潤ませて、全身を震わせながらも堪えるぐらいの涙なんか流せばいいだろ。


「ウラ、我は、我なりの信念や考え、そして大義に基づいて人間と戦った。だが、それをお前が受け継ぐ必要はない」

「父上……」

「ここにいる、あさく、いや、ヴェルトのように、ほんの僅かなことで分かり合うことが出来る者もいるのだから。お前には、お前の思うように、人間を見て、接して欲しい」

「はい。分かりました、父上。私は……大丈夫、ですから」

「お前の幸せだけを願っている」


 泣かないのが立派なことなのか分からない。

 だが、それもまた、ウラの強さの一つなんだろう。

 これから先、俺にこいつを守ることができるのか?

 正直なところ、自信などまるでなかった。


「朝倉」

「あんまり、朝倉朝倉言うなよな。まあ、お前ならいいけどさ」

「今度こそ、どうしてもの願いだ。頼む、俺の、ウラを…………」

「………だから、何でだよ! 何で、簡単に俺なんかに託せるんだよ!」

「?」


 俺には自信がない。なのに、どうしてどいつもこいつも、俺をそこまで買いかぶる!


「俺はどうしようもない、バカだ。でも、お前も大バカだ! 自分の命より大事なもんを、よりにもよって俺に託そうとしてやがる。俺はさっきの通り、バカ野郎だ。考え無しだ。テメエのやったことがどうなるかすら理解していなかった。力もねえし、才能もねえ、覚悟もねえ。半端なんだよ、何もかもが。俺は、お前が考えてるような奴じゃねえってのに!」


 全部吐き出したかった。俺にそんな価値はないと。

 お前の信頼に足る男じゃないと。

 応えようと、覚悟を決めようと、それなのに後悔ばかりだった。

 鮫島の最後の頼み。答えなんてとっくに出ているのに、俺はそれでも弱音を吐くしかなかった。


「か、はは、ははははは」


 なのに、何でお前はそんな、全てに安心したかのように笑ってんだよ!


「朝倉。俺にとって、重要なのは、ウラを守れる力とか、そんなののあるなしじゃねーんだよ」

「な、んだと?」

「俺にとって重要なのは、魔族の姫とか世界とか考えないで、ただ、ウラを幼い一人の子供として、その将来を必死に悩んでくれる奴なんだ。お前はこの世でウラのことを魔王シャークリュウの娘として見ない唯一の男だ。魔王ではなくダチの子供として、ウラを見てくれることが、俺にとっては一番なんだ」


 俺は、ほんの少しだけ気持ちが楽になったような気がした。

 俺が守るのは、魔王の娘ではなく、クラスメートのダチの娘。

 勿論、それでも十分重いものには変わりない。

 だけど、背負う以外の選択はない。


「魔王としてお前が大事にしてきたものが何なのかは俺は知らない。でも、お前が一人の男として大事にしてきたもんは、俺が何とかしてみせる。それでいいか?」

「十分だ……それだ……けで」


 この安心しきったダチの顔を、裏切ることが出来ない。

 俺は、半端だろうと浅かろうと、それでも俺なりの覚悟をする。


「もし、お前がいつか、みんなに……再会し、たら、よろし……言っておいてくれ」

「ああ。同窓会でもしようもんなら、天に向かって乾杯ぐらいしてやるよ」

「天は無理だ……。俺、は地獄に、行って……から」

「どこでもいいよ、んなもん」


 俺たちは、この瞬間だけまた高校生に戻れた。

 朝倉リューマと鮫島遼一の二人に。


「会えるといいな。みんなに……神乃にも」

「ああ!」


 そして、気づけば俺たちは自然と手を差し出していた。

 体育祭のあの時のように。



「渡すぞ…………」


「バトンよりも遙かに重いもんだが、受け取って走ってやるよ」



 弱々しいが確かに響いた乾いた音。

 俺は、この世界で唯一魔王とハイタッチを交わした男となった。


「あばよ、……しん……ゆう」


 だから、いつからだよ! いつから俺はお前の……まっ、いっか。

 そもそも、いつからでもいいのかもしれねえ。

 だから、俺も観念して言ってやるよ。 


「ああ、またな。……親友」


 次の日には大陸中に知らせられた。

 魔王シャークリュウ・戦死。

 そして、俺の心には、二度と消えない事実だけが残った。

 クラスメート、鮫島遼一の二度目の死が……。


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