五
「ねー、なんでかなー。なんで、置いていったのかなー」
長いまつ毛。ほっぺを指先でつついても、眠り姫はすっかり寝落ちしている。
「さあ。ジャマだったんだろうよ。どこへ逃げたか知らねえが」
「ジャマ、ねえ」
大勢が、長野県へ移動した。少しでも標高の高いところへ。地下へもぐった人たちもいるらしいけど、千代田区とか永田町とか、あのあたりの住人だ。なんだか笑ってしまう。
指先を、あたたかくてやわらかい舌がなめる。口もとのかわいらしさについ、
「腹減ってるみたいだな」
それを見て、シュンが笑った。とてもいい笑顔。優しそうでよりかかると安心な、そんな笑顔が大好きだ。
「どうする」
「うーん」
いくら見ていても飽きない。
「かわいい」
警察へ届けるつもりだった。
でも、いまさら届けてどうなるのだろう。さっきみたいに、警察もほぼ死んでいる。誰もいない警察署に、置き去りにされるだけだろう。だから、赤ちゃんを横抱きにして、うちへ帰った。シュンはポットでお湯を沸かしながら、しばらく何かを考えていたけれど、
「ミルク買ってくる」
ミルクって、赤ちゃん用のだろうかと思う間もなく、腕の中へそれが降りてきた。
目。眸。水の中から見上げているよう透明な膜越しのまなざし。見ているのか見ていないのか。白目って、本当に青いんだなあと、どうでもいいことに納得する。
ひとは、水なしでは生きられない。ひとは海からきたというのは本当だろう。柔らかな、みずみずしい肌の柔らかさ。
ああ、かわいいなあ。
何が変わっても、かわいいって思う気持ちは自然だし、本当に可愛いし、たぶん、一緒に、このままこの子といられるのかな。この子の目を見ていられるなら、それもいいのかな、と思う。
今夜は、お腹いっぱいにミルクを飲んで、一緒に並んで朝まで眠る。
寝られるかな。ずっとこのほっぺにキスしていたい。
かわいい、かわいい、かわいい。
もちろん、シュンが戻ってきたのは知らなかった。この子と一緒に、夢の中にいて、やっぱり抱っこして、小さな声をたてて笑うこの子を見つめて、抱きしめて、うっとりと目を閉じて、時が惜しい──そう思った。
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