六
朝、テレビのリモコンを入れると、いつものニュースキャスターが「おはようございます」と言う。こころなしか引きつっているようにも見えるけれど、どちらかというと目を潤ませて、唇をひきしめて高揚しているみたいだ。
使命感ってやつかな。
不思議なもので、あと七日といわれると、あと六日は同じような朝が続くものだと思う。こうして、テレビが昨日と同じ調子で始まっていても違和感よりも安心が先で、画面の向こうに映る青空を見て「ああ、今日も変わらない」と感じているんだ。たぶん、そうして最後の一日になってようやくあわてふためき、嘆いて、残った時間を数える。絶望するもの、家族と手を繋ぎ抱き合って「その時」を迎えるもの、粛々と身辺を片づけ椅子に座るもの、絶望のあまり他者を巻き込んで死に至るもの、さんざん小説やアニメや映画で目にしてきた光景が、あと六日、二十四時間かける六回、百四十四時間、八六四〇分、五十一万八千四百秒ののちに、再現される。つまり、日常がエンターテイメントへと変わる。
「どうする、シュン」
「どうするって、どうもできねえよなあ」
目の前に座る相棒は、非常食のパンの缶詰を開け、「甘いのしかねえのかよ」と文句を言いながら口に押し込んでいた。
「買い物行こうぜ。今日はまだ大丈夫だろうさ」
日常は続いていた。デパートは開いているし、コンビニもあと三日は営業するとテレビで政府広報を流している。
あと三日。
なんだかこの、ゆっくり首を絞められるような感覚。既視感がある。
「ああ、あれか」
十年ほど前に、世界は
でも、正体がわからないままに「恐怖」が満ちた時、前にも後ろにも動けないような、あの逼塞感というか、閉塞感というか、いつも胃のあたりが重くて気が晴れない感じ──あれがいま、また世界に蔓延していた。
あの時と確実に違うことは、「すべてが等しく終わること」。もしかしたら自分は免れるのではないかという、他人事にできる余地がまったくなかったことだ。
そうなると、確実な恐怖から目を逸らすようになる。考えないようにする。考えても、考えなくても結末は同じなのだ。ならば、考えて自分の首を絞めても仕方がない。考えずに、最後の一日まで、一時間前まで、一分前まで知らないふりをして、笑っていた方がいいじゃないか。潔いのがきれいだとか、暴れても意味がないとかではなくて、未来は不確定だからこそ構えていられたものが、誰もが等しく同じ未来を迎えるとわかったとたん、確かに「未来」はなくなった。
「また、小難しいことを考えている顔だな」
ぽんと叩く手のひらの温かさも、七日後には存在しない。
「おまえもな」
「うん」
頬へ降りてきたぬくもりにこすりつけ、目を閉じる。
「おはよう、シュン」
あと、六回。
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