第三十二章 仮面の男ソミン

   第三十二章 仮面の男ソミン


 スターネーシヴァラ国では兵士たちの必死ひっし捜索そうさくにも関わらず、ハルシャ王子の行方ゆくえは未だ分からないままだった。


 「ソミン、ハルシャ王子の捜索状況そうさくじょうきょうはどうなっている?」

 サクセーナ大臣がいつものように部屋にソミンを呼び出して尋ねた。部屋にはカンドゥ秘書長ひしょちょうやその他の側近そっきんたちがいた。つい最近までソミンもその側近そっきんたちの中にいたが、ハルシャ王子捜索そうさく指揮官しきかんにんぜられ、出世争しゅっせあらそいから頭一つけた。


 「町の大通りを祭司がけて行ったという目撃情報もくげきじょうほうもとに半径二十キロメートルを捜索そうさくしています。現在は兵士からの報告を待っているところです。」

 「ハルシャ王子をおそった五人の行方ゆくえはどうだ?」

 「侍女じじょたちに兵士宿舎へいししゅくしゃにいるすべての兵士の顔を確認させましたが、やはりいないとのことでした。」

 ソミンがそう報告すると、サクセーナ大臣は不満ふまんげに息を吐いた。

 「あまり進展しんてんがないようだな。」

 サクセーナ大臣は言った。

 「申し訳ありません。」

 ソミンは奥歯おくばめた。くやしい時、つらい時、そうするのがくせだった。

 「良い、下がれ。」

 サクセーナ大臣は切り捨てるように言った。ソミンは見くびられた気がして腹が立った。けれど収穫しゅうかくがなかったのは事実だったのでおとなしく引き下がった。ソミンは一礼いちれいすると部屋から出て行った。


 ソミンが王宮にある自分の事務室じむしつに戻ると、部屋の前に報告しに来た兵士がいた。

 「ソミン指揮官しきかん。」

 兵士はソミンに気づいた。この兵士はソミンによってハルシャ王子捜索長そうさくちょうにんぜられたチャカという名の若者だった。チャカは兵士らしからぬ小柄こがら細身ほそみ体格たいかくをしていて、気弱きよわそうな顔立ちをしていた。


 「入れ。」

 ソミンは苛立いらだちをおさえて言ったつもりだったが、かすかに声がイライラしていた。チャカに緊張きんちょうが走った。

 「何か有力な手がかりは見つかったか?」

 ソミンは椅子いすに座りながら言った。

 「申し訳ありません。ソミン指揮官しきかん。それが、町の大通りを祭司がけて行ったという目撃情報もくげきじょうほうを最後に、その後の足取あしどりはつかめませんでした。」

 ソミンは仮面かめんの下で顔をしかめた。


 「ハルシャ王子のお命を狙った五人の男の居場所いばしょは?」

 ソミンはあからさまにイライラしてうでみながら言った。

 「申し訳ありません。その件に関しても何も成果せいかは上がりませんでした。王宮のみならず、城中の部屋という部屋を調べたのですが、あやしい人物が隠れている形跡けいせきはありませんでした。」

 ソミンのイライラは爆発ばくはつした。乱暴らんぼうに目の前の机をドンと叩いた。チャカはそれに驚いて飛び上がった。


 「チャカ捜索長そうさくちょう、報告するときは具体的ぐたいてきに述べよ!城中の部屋と言ったが、実際に調べたのは客間きゃくまや空き部屋、普段から公務こうむなどで使われている部屋であろう!?」

 ソミンは報告の仕方しかたがまるでなっていないチャカをしかり付けた。チャカは怒鳴どなられてふるえ上がった。


 「まだ捜索そうさくしていない場所をシラミつぶしに探せ。どこかに隠れているはずだ!」

 「し、しかし、王宮の中で探していない部屋といえば大臣やその他の役人がラージャ王からいただいているお部屋だけで、王宮意外では祭司の方々がすんでいる西のとう男子禁制だんしきんせいのおしゃべりの家だけです。」

 チャカは口ごもりながら言った。

 「言ったはずだ。シラミつぶしに探せと。」

 ソミンはまたイライラしながら言いました。チャカはしどろもどろした。

 「え、でも…。」

 「おしゃべりの家は男子禁制だんしきんせいだ。ラージャシュリー王女がカーニャクブジャ国にお輿入こしいれなさってからはスターネーシヴァラ城に女兵士はいない。だが女官にょかんはまだいる。協力を要請ようせいせよ。」

 チャカは女官にょかんがいるなんて初耳はつみみだった。けれど問題は侍女じじょたちのおしゃべりの家よりも大臣たちの部屋を捜索そうさくしなければならないということだった。


 「ソミン指揮官しきかん、本当に大臣たちのお部屋を捜索そうさくするのですか?」

 「出世しゅっせひびくからいやだとは言うまいな?」

 ソミンはきびしい口調くちょうで言った。

 「いいえ。」

 仮面かめんにらまれたチャカはそう言うしかなかった。


 「他に報告することがなければ捜査そうさに戻れ。私は会議の準備がある。」

 「はい。」

 チャカは泣きそうな顔をして一礼いちれいをすると事務室から出て行った。


 一人になるとソミンは頭を抱えた。また明日サクセーナ大臣に捜索の成果を報告しに行かなければならないかと思うと、気が重くなった。ハルシャ王子の行方を知る新しい手がかりはなく、そのハルシャ王子を襲った五人の警備兵の捜索は中途半端ちゅうとはんぱ面目めんもくが立たなかった。


 一方のチャカもとぼとぼと廊下ろうかを歩いていた。チャカはラージャ王のカルナスヴァルナ行きと宝物捜索そうさくによる人手不足の一番の被害者ひがいしゃだった。今まで一介いっかいの兵士で、何の役職やくしょくにもいたことがないのに、突然ハルシャ王子捜索長そうさくちょう任命にんめいされ、毎日のように仮面かめんをつけた恐ろしいソミンに報告しなければならなかった。

 その上、大臣たちの部屋を捜索そうさくするように命じられ、お先真っ暗だった。もし、大臣たちに目をつけられでもしたら将来どころか、命が脅かされるかもしれない、最悪の場合、その場でお手打てうちになるかもしれなかった。その場でお手打ちにあった自分を想像すると、チャカは気が重たくて仕様しようがなかった。


 チャカは翌日、ソミンに言われたとおり、おしゃべりの家と西のとう、そして大臣たちの部屋を調べた。

 おしゃべりの家については、何とか女官長にょかんちょうという人を探し出して、捜索そうさくに協力してくれるよう頼んだ。

 女官長にょかんちょうという人はラージャ王の祖父そふに当たるアーディティヤ王の頃からつかえていて、もうかなり年の行った老女ろうじょだった。チャカを見るなり、孫のようだと言って、お茶とお菓子を振舞ふるまいたがった。それを失礼がないように断り、捜索そうさくに協力を頼むと、『かわいい孫のためじゃ断れない』などと言って、こころよく引き受けてくれた。

 捜索そうさく順調じゅんちょうに行われたらしく、女官長にょかんちょうはすぐに結果報告をしにやって来た。


 西のとうは、祭司たちがあからさまに嫌な顔をしたが、一応宿舎なので兵士の立ち入りを許し、ハルシャ王子を襲った五人の警備兵の捜索そうさくに協力してくれた。けれど、もし神殿しんでんに対しても同じ事をするのであればただでは済まないとチャカはおどされた。


 大臣たちの部屋の捜索そうさく一悶着ひともんちゃくあった。スターネーシヴァラ国には大臣が五人。国務大臣、外務大臣、財務大臣、農務のうむ大臣、庶務しょむ大臣がいた。

 国務大臣のサクセーナ大臣のところはすんなり終わった。事前に捜索そうさくのことを知っていたようで、部屋のそとに側近そっきんたちを連れて廊下ろうかに出て行ってくれた。

 問題は他の大臣だった。四人の大臣たちは寝耳ねみみに水といった様子で、とにかく怒って部屋を調べている兵士に誰彼かまわずに怒鳴り散らした。外務大臣に『責任者は誰だ!?』と言われた時はきもえた。けれど一番ひどかったのは財務大臣で、兵士の一挙一動いっきょいちどうを見張って、触ろうとしてさえいないのに、この絵には触るな、そのつぼには触るな、あの焼き物には触るなと、散々騒いだ挙句あげく、自分はとても協力的だったと上司に報告しろと言って兵士たちを追い出した。


 「ご苦労様です、チャカ捜索長そうさくちょう。」

 今まで財務大臣の部屋の捜索そうさくに当たっていた兵士の一人がチャカに話しかけた。チャカよりも若く、まだ二十歳にもなっていないような若者だった。まだ人を見る目が養われていないのか、普段のチャカを知らないのか、捜索長そうさくちょうであるというチャカを尊敬そんけい眼差まなざしで見ていた。


 「ああ、君もご苦労くろう。」

 チャカは疲れ切っていながらも先輩風せんぱいかぜかせて言った。

 「あと一部屋で全部終わりですよね?」

 「え!?あと一部屋!?もう全部終わったと思ったけど?」

 「いいえ、あと一部屋残っています。」

 若い兵士は言った。

 「ええと、西のとう、おしゃべりの家、国務大臣、外務大臣、農務のうむ大臣、庶務しょむ大臣、恐怖の財務大臣…。」

 チャカは指をって数えだした。

 「ほら、やっぱり阿吽あうんの会議室がまだ残ってるじゃないですか。」

 「あっ。」

 チャカはようやく思い出した。


 「ラージャ王が大臣たちと会議するお部屋ですよ?僕は一介いっかいの兵士だから一生入ることなんてないだろうと思っていたので、すごく楽しみにしてたんです。」

 若い兵士は目をかがやかせて言った。

 「そうか。まだ阿吽あうんの会議室が残ってたんだ。でも他の兵士には財務大臣のところでお終いだって言っちゃったからなあ。もうみんな疲れて宿舎しゅくしゃに帰っちゃっただろうな。」

 チャカは困ったように言った。

 「大丈夫です。僕がその分働きます。」

 若い兵士は力強く言った。

 「本当?」

 「はい、もちろん。あ、チャカ捜索長そうさくちょう阿吽あうんの会議室はそこです。」

 若い兵士が指を指して言った。そこには黒い重厚じゅうこうつくりの扉があった。


 「これか。」

 「そうです。」

 チャカは扉のドアノブに手をかけた。

 「あっ、かぎがかかってる。」

 チャカが言った。

 「え?」

 「ほら。」

 チャカはカチャカチャとドアノブを回したが、扉は開かなかった。

 「そんなあ。」

 若い兵士は残念そうに言った。

 「鍵がかけられてるってことは誰もいないってことだ。調べる手間てまがは省けたな。でも念のため鍵がないかソミン指揮官しきかんに聞いてみよう。もし鍵が見つかったらまた明日皆で捜索そうさくだ。」

 「鍵が見つかると良いですね。」

 若い兵士が目を輝かせてそう言うとチャカは物好きな奴だと言いたげな視線を送った。


 その日、疲れ切っていながらもチャカはソミンのところに報告しに来た。

 「ソミン指揮官しきかん、失礼します。」

 ボロボロになって事務室に入って来たチャカにソミンは容赦ようしゃなく尋ねた。

 「どうであった?」

 「誰も見つかりませんでした。」

 チャカは答えた。

 「あやしい物もなかったか?」

 「はい、でも…」

 「何だ?何かあったのか?」

 チャカが阿吽あうんの会議室のことを言いかけるとソミンが身を乗り出して尋ねた。


 「阿吽あうんの会議室のことなんですが、鍵が掛かっていて入れなかったのですが…。」

 チャカは言った。ソミンは意味ありげな驚いた表情を浮かべた。けれど仮面かめんをつけているのでチャカには分からなかった。


 「阿吽あうんの会議室は調べなくて良い。あの部屋はラージャ王がカルナスヴァルナ国へ行かれる前に鍵を閉めてある。鍵はラージャ王がお持ちだ。予備の鍵はない。よって五人の警備兵けいびへいが隠れることは不可能だ。」

 「ああ、そうだったんですか。」

 チャカはあの物好きな若い兵士が残念がるだろうなと思った。


 「それより、阿吽あうんの会議室に入ろうとして何ともなかったのか?」

 「え?何ともありませんけど。何でですか?」

 ソミンがちょっと言うのを躊躇ためらった。

 「実は、阿吽あうんの会議室には祭司によって術がかけられていて、無理矢理むりやり入ろうとすると術が作動さどうするようになっているらしいのだ。」

 「ええええっ!」

 チャカは声をあげた。


 「私もつい先ほど知らされた。『抜き打ちの捜索そうさくだったので、連絡するのが遅れた』と西のとうからの使いが嫌味いやみったらしい伝言でんごんこして来た。まあ、無事で何よりだ。」

 「危ないところだったじゃないですか!?」

 「ああ。だから捜索そうさくはいい。」

 ソミンは冷たくあしらうように言った。チャカは不満ふまんそうな顔をした。


 「ソミン指揮官しきかん、思ったのですがハルシャ王子たちを襲った五人の警備兵はもうこの城にいないのでは?それに祭司たちや侍女、大臣たちがかくまうなんてあり得ません。」

 チャカはずっと思っていた不平をこぼした。

 「本当にそう思うか?」

 ソミンの声は冷たい響きがあった。チャカは背筋せすじがゾクッとした。不平ふへいこぼしたことを謝ろうかと思った。


 「今この城にラージャ王がおられない。その間にハルシャ王子が何者かに王宮で襲われた。それが偶然ぐうぜんだと思うか?私なら誰かの陰謀いんぼうではないかと疑う。」

 チャカは生唾なまつばをごくりと飲み込んだ。


 「ラージャ王は未婚みこん。ハルシャ王子が王位第一継承者おういだいいちけいしょうしゃだ。その上、スターネーシヴァラ国にはお二人以外に王族はいない。先代せんだい御世みよ人質ひとじちとして他国に送られたからだ。つまり実質上、ハルシャ王子が王位を継承できる唯一の人物ということになる。そのハルシャ王子がいなくなって一番得をするのは誰だと思う?このスターネーシヴァラ国の権力を一手に握るのは誰だと思う?」

 チャカの頭にある人物の顔が浮かび上がった。恐る恐るその人物の名を口にした。

 「サクセーナ国務大臣?」

 「そうだ。」

 「でもまさか・・・。」

 チャカは冗談じょうだんと言ってくれるのを待っているように引きつった笑顔を見せた。けれどその期待は裏切られた。


 「スターネーシヴァラ国王の玉座ぎょくざ動機どうきとしては十分だ。まあ、確たる証拠しょうこがない以上、本当のところは分からない。だが、五人の警備兵たちとサクセーナ大臣との関わりを証明しょうめいするものならある。ハルシャ王子を襲った五人の警備兵はサクセーナ大臣の紹介でやって来た。これがその証拠の書面しょめんだ。」


 ソミンはそう言ってふところからサクセーナ大臣の署名しょめい捺印なついんがある紹介状しょうかいじょうを出して見せた。紹介状しょうかいじょうはしのところが黒く焼け焦げていた。チャカは両手で口をおおった。


 「これは兵士の宿舎しゅくしゃでのぼやから奇跡的きせきてきに残っていた。この紹介状のことは口外こうがいするな。今はサクセーナ大臣が国の政権せいけんにぎっている。それにハルシャ王子を襲った五人は必ずこの城、いや、この王宮のどこかにひそんでいる。もしハルシャ王子を襲わせたのが本当にサクセーナ大臣だとすると、これを持っている我々の命はない。」

 ソミンは声を落として言った。チャカは全身の毛が逆立さかだつのを感じた。


 「ラージャ王がお戻りになるまで、城の第一権力者はサクセーナ大臣だ。しかも、国務大臣という立場を利用して兵も動かすことができる。今手出しするのは賢明けんめいではない。ラージャ王がお戻りになってからこれを表に出すつもりだ。だが、それまでに私にもしものことがあれば、チャカ、お前が私に代わってこれをラージャ王にお渡しせよ。」

 ソミンはいつになく真剣しんけんで、部下というより、信頼できる一人の友人に頼んでいるようだった。チャカは背筋せすじこおりついた。


 「わ、私にはそんな大役たいやく務まりません。私は今まで何の役職やくしょくにもいたことがない一介いっかいの兵士なのに。」

 「それは知っている。だからこそ優秀な武官や文官、兵士を差し置いてお前をハルシャ王子捜索長そうさくちょうに選んだ。何の役職やくしょくにもいたことがないということは大臣階級の人間と関わりがなかったということだ。お前なら信用できる。」

 「そんな!」

 チャカは泣きそうな声を出した。今まで目立たず、さわがず息をひそめて生きてきたのがこんなふうに裏目うらめに出るとは思ってもみなかった。信用などしてくれなくていいから、この任務にんむから開放かいほうして欲しいとチャカは思った。


 「もしもの時は頼んだぞ。分かったらもう行け。私はサクセーナ大臣の会議に出席しなければならない。」

 ソミンが言った。チャカは思いつめた顔をして一礼すると事務室から出て行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る