　　　第十章　祭司（さいし）たちの天幕（てんまく）で

　その夜、アジタ祭司長（さいしちょう）は野営（やえい）のために馬車（ばしゃ）が止まると四人の祭司（さいし）たちを呼び出した。魔術師（まじゅつし）とカーラーナルの一件を話し、これからはアジタ祭司長（さいしちょう）自（みずか）らが野営（やえい）の度（たび）に結界（けっかい）を張（は）るので四人は交代でその手伝いをするようにと指示した。

　アジタ祭司長（さいしちょう）の話を聞いて天幕（てんまく）に戻ったクリパール、サチン、アビジートはそれぞれ自分のベッドの上に座った。シンハだけはアジタ祭司長（さいしちょう）が結界（けっかい）を張（は）るのを手伝うために天幕（てんまく）の外（そと）にいた。

　「サチン様、昨夜、なぜ魔術師（まじゅつし）はラージャ王の天幕（てんまく）に侵入（しんにゅう）したのでしょうか？」

　クリパールが手を止めてサチンに尋ねた。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）が仰（おっしゃ）っていたではないか、カーラーナルのことを伝えに来たのだ。それにしても我々の結界（けっかい）を欺（あざむ）くだけの術（じゅつ）の使い手とはなぁ。」

　サチンが不機嫌（ふきげん）そうに言った。

　「私はともかく、お三方（さんかた）はスターネーシヴァラ国屈指（くっし）の術（じゅつ）の使い手。そんな方々が張った結界（けっかい）を欺（あざむ）くだなんて。」

　クリパールは恐ろしげに言った。

　「戻りました。」

　そこへアジタ祭司長（さいしちょう）の手伝いを終えたシンハが帰って来た。

　「お勤（つと）めご苦労様（ごくろうさま）です。シンハ様。」

　クリパールがすかさず言った。シンハはクリパールに向かって軽く頷（うなず）いた。

　「サチン、明日はあなたに手伝いを頼みたいそうです。」

　シンハはサチンの方を向いてアジタ祭司長（さいしちょう）の言葉を伝えた。

　「分かった。」

　サチンは返事をすると気遣（きづか）わしげにアビジートを横目（よこめ）で見た。アビジートはうつむいて固まっていた。アジタ祭司長（さいしちょう）が実力に応じて手伝いの順番を決めていることが分かったのだった。最年長者（さいねんちょうしゃ）であるのにもかかわらず、二人に抜かれたことは少なからずともアビジートの自尊心（じそんしん）を傷（きず）つけた。

　「シンハ様、ちょうど魔術師（まじゅつし）のことを話しておりました。是非（ぜひ）シンハ様の見解（けんかい）もお聞かせ下さい。」

　そんなことはお構（かま）いなしに興味津々（きょうみしんしん）の様子でクリパールが尋ねた。

　「魔術師（まじゅつし）ですか…。クリパール、あなたは魔術師（まじゅつし）がどのようなものか知っていますか？」

　シンハが尋ね返した。

　「はい。身分が低いため祭司（さいし）になれなかった者たちです。」

　クリパールは自分がかつての師に教えられたことを教えられた通りに答えた。クリパールはスターネーシヴァラ国の出身ではなかった。実力を認められて他国から城へやって来たのだった。

　「そのように教えているところもあるでしょう。確かあなたの故郷（こきょう）は身分制度（みぶんせいど）の厳（きび）しいところだとか。しかし実際、魔術師（まじゅつし）に身分は関係ありません。」

　シンハがそう言うと、クリパールは意表（いひょう）をつかれたような顔をした。

　「祭儀（さいぎ）と魔術（まじゅつ）の違いは分かりますか、クリパール？」

　「祭司（さいし）が行う儀式（ぎしき）や術（じゅつ）が祭儀（さいぎ）、魔術師（まじゅつし）が行う摩訶不思議（まかふしぎ）な術（じゅつ）が魔術（まじゅつ）かと…。」

　シンハは微（かす）かにだが、おかしそうに笑った。クリパールは自分が教わってきたことがまるで遅れているか、間違っているように思えて恥ずかしくなった。

　「祭儀（さいぎ）と魔術（まじゅつ）の違いから話す必要がありそうですね。」

　シンハはまた真面目（まじめ）な顔に戻ると説明し始めた。

　「祭儀（さいぎ）というのは我々が普段行っているものです。無病息災（むびょうそくさい）、五穀豊穣（ごこくほうじょう）などを祈（いの）って神々に供物（くもつ）を捧（ささ）げたり、護摩（ごま）を焚（た）いたりすることです。

　魔術（まじゅつ）においても同じことが行われます。供物（くもつ）を捧（ささ）げたり、護摩（ごま）を焚（た）いたりします。けれど、それが神々に対するものだとは限りません。場合によっては悪魔（あくま）に捧（ささ）げられることもあるのです。

　祭儀（さいぎ）では必ず神々に頼らなければならないという決まりがあるのに対して、魔術（まじゅつ）にはそういった決まりが一切ないのです。何に頼るかは儀式（ぎしき）を執（と）り行う本人次第。だから悪魔（あくま）や悪霊（あくりょう）、その他の魑魅魍魎（ちみもうりょう）に祈（いの）りを捧（ささ）げて協力を得ることもできるのです。

　つまり、我々祭司と魔術師（まじゅつし）の違いは神に仕（つか）えているか否（いな）か。それだけです。しかも両者の境界線（きょうかいせん）は曖昧（あいまい）で、流動的（りゅうどうてき）です。大昔は両者の区別はなかったと言われています。それに祭儀（さいぎ）について研究していると、特に呪術（じゅじゅつ）の分野について研究を進めて行くと、必ず魔術（まじゅつ）との類似性（るいじせい）が見えて来ます。

　例を挙げると、祭儀（さいぎ）において人を呪（のろ）う時、悪霊（あくりょう）にとりつかせるというものがあります。これはもちろん神々の力を借りるものですが、少し問題があります。神々に頼んで霊を呼び出すまではいいのですが、その後、直接その霊に特定のものを呪ってくれるように頼まなければなりません。つまり、神々を介さずに直接、霊に働きかけることになります。これは魔術（まじゅつ）にあたると主張する者もいるのですが、今のところ祭儀（さいぎ）の一つと数えられています。」

　シンハはそこまで話すと一息ついた。

　「我々の結界（けっかい）は神々の力を借りてできたもの。魔術師（まじゅつし）はその神々の目から逃れるような力を悪魔（あくま）から借りたのでしょう。」

　シンハは肩を落として言った。無力さを感じているようだった。

　「そんな術があるのですか？」

　クリパールが尋ねた。

　「さあ。私は魔術師（まじゅつし）ではないので、そのような術が本当にあるのかどうかはっきり断言することはできませんが…」

　シンハはそう言い終わるか否かというところで、突然アビジートが叫んだ。

　「いいや、あれは魔術師（まじゅつし）などではない！」

　アビジートはさっきまでおとなしく座っていたのに、今や異様（いように）に目を爛々（らんらん）と輝かせていた。クリパールは『なぜそう思うのですか？』と聞き返そうとしたが、アビジートの様子がおかしいことに気ついて口をつぐんだ。

　「あれは魔術師（まじゅつし）だった。いや、魔術師（まじゅつし）じゃなかった。」

　アビジートはブツブツと訳がわからないことを言い始めた。最近ではノイローゼの症状（しょうじょう）が重くなり、時々正気（しょうき）を失うようになっていた。クリパールは奇怪（きかい）な行動を取るアビジートに目を離せないでいたが、サチンとシンハは不快（ふかい）そうに目を背（そむ）けた。

　「あれは魔術師（まじゅつし）じゃなかった。そうだとも、あれは魔術師（まじゅつし）なんかじゃなかったんだ。」

　アビジートはブツブツ言い続けた。アビジートがブツブツ言う度にサチンとシンハの不快（ふかい）の色は濃（こ）くなって行った。二人はむっつりした顔をして黙りこくった。クリパールは二人の機嫌（きげん）がこれ以上悪くならないように、アビジートを止めようと丁寧（ていねい）に声をかけた。

　「アビジート様、もうそのお話は終わりにしませんか？」

　「魔術師（まじゅつし）は出た。だがあれは魔術師（まじゅつし）じゃない。」

　アビジートにはクリパールの声が届いていないようだった。

　「アビジート様。」

　クリパールは困ったようにもう一度声をかけた。

　「魔術師（まじゅつし）は出た。だが魔術師（まじゅつし）じゃない。」

　「アビジート様、もう止めましょう。」

　クリパールは懇願（こんがん）するように言った。

　「そうだ、あれはアニルだったんだ！」

　アビジートがそう叫ぶと、さっきまで目を背（そむ）けていたサチンとシンハもアビジートに目を向けた。

　「そうさ、だから俺たちの結界（けっかい）をかいくぐって来れたんだ。」

　アビジートは何か閃（ひらめ）いたように嬉々（きき）として言った。

　「アニル様？」

　クリパールが聞き返した。

　「そうさ、アニルだ。俺たちを恨（うら）んでやって来たんだ。」

　サチンとシンハがアビジートを睨（にら）みつけた。まるで余計なことを口にするなと言っているようだった。けれどそんなことはお構（かま）いなしでアビジートは喋り続けた。

　「俺たちに復讐（ふくしゅう）しに来たんだ！アハハハハ。」

　アビジートは笑い出した。

　「アニル様が復讐（ふくしゅう）しに来たとはどういう意味ですか？」

　クリパールがベッドの上で笑い転（ころ）げるアビジートに尋ねた。

　「クリパール！」

　サチンが鋭（するど）い声で注意した。それ以上聞くなということだった。クリパールは怒鳴（どな）られたので、しょんぼりして引き下がった。サチンは立ち上がりアビジートの正面に立つと、顔をバシ、バシと二回叩いた。するとアビジートの笑い声は止んだ。アビジートは一体自分に何が起こったのかわからず、黒い瞳でキョロキョロと辺りを見回していた。サチンは無言のまま天幕（てんまく）から出て行き、シンハは深いため息をつきてベッドに横になった。クリパールはその光景（こうけい）を傍観者（ぼうかんしゃ）のように見ていると、アビジートと目が合ってしまった。アビジートの目は『一体何があった？』と聞いていた。クリパールは自分の失態（しったい）を何も知らないアビジートを憐（あわ）れに思い、その問いかけに答えてあげることにした。