　　　第九章　魔術師（まじゅつし）

　翌朝、馬車（ばしゃ）に揺られながらラージャ王とアジタ祭司長（さいしちょう）は昨晩の事件について話をした。

　「何度も調べましたが何の形跡（けいせき）もございませんでした。結界（けっかい）を破（やぶ）れば普通破った所に跡（あと）が残るのですが、それがないのでございます。やはりお疲（つか）れのせいでは？」

　アジタ祭司長（さいしちょう）はくまを作ったラージャ王の顔を窺（うかが）いながら言った。

　「そんなはずはありません。私は確かに道化師（どうけし）を見たのです。天幕の隅に立っていたのです。」

　ラージャ王は信じてもらえないことに苛立（いらだ）ちを感じていた。あれから一睡（いっすい）もせずに謎（なぞ）の侵入者（しんにゅうしゃ）の捜索（そうさく）を行ったのにもかかわらず侵入者（しんにゅうしゃ）は見つからず、それどころか幻（まぼろし）を見たのではないかと疑われていたのだ。

　「しかし、兵士も怪（あや）しい者は見ていないと言っていましたし…。」

　「兵士が気づかなかったのはあれが悪霊（あくりょう）や魔物（まもの）の類（たぐい）だったからです。」

　ラージャ王は声を荒（あら）げて言った。アジタ祭司長（さいしちょう）は殺気立（さっきだ）っているラージャ王を前にして困（こま）ったように頭を掻（か）いた。ラージャ王の証言（しょうげん）を信用していない訳ではなかったのだが、選（え）りすぐりの弟子（でし）たちの結界（けっかい）を破（やぶ）って侵入（しんにゅう）できたものがいたということが信じられなかったのだ。それよりも政務（せいむ）と長旅（ながたび）の疲れが祟（たた）ってラージャ王が幻（まぼろし）を見たという方がよっぽど真実味（しんじつみ）を帯（お）びているように思えたのだ。

　「しかし、先程も申しましたとおり、祭司（さいし）たちが張（は）った結界（けっかい）には何の異常（いじょう）もなかったそうですし…。となると、やはり悪霊（あくりょう）や魔物（まもの）の類（たぐい）ではなかったのでは…。」

　アジタ祭司長（さいしちょう）はまるで独（ひとり）り言（ごと）のように言った。その時、突然ラージャ王が何か閃（ひらめ）いたように大きな声で言った。

　「カーラーナル！」

　ラージャ王は昨夜道化師（どうけし）が言っていたことを思い出した。

　「カーラーナル…。あの道化師（どうけし）はカーラーナルがやって来ると言っていました。何万の兵をもってしても止められない。止めるには呪いの成就（じょうじゅ）を阻（はば）むしかない。詳しいことは祭司（さいし）に聞くようにと。」

　ラージャ王は何か心当たりはないかとアジタ祭司長（さいしちょう）の方を見た。アジタ祭司長（さいしちょう）の表情は凍（こお）りついていた。もはやラージャ王の話が決して夢ではないことが証明（しょうめい）された。

　「ラージャ王、その者は本当に『カーラーナル』がやって来ると言ったのですか？」

　青ざめた顔でアジタ祭司長（さいしちょう）が尋ねた。

　「はい。確かにそう言っていました。」

　アジタ祭司長（さいしちょう）の表情が一層青ざめ、固くなった。アジタ祭司長（さいしちょう）の中で不安という名の黒い煙（けむり）がじわじわと湧（わ）き上がって来た。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）？」

　様子がおかしいと思ったラージャ王はアジタ祭司長（さいしちょう）の顔を覗（のぞ）き込んだ。すると突然アジタ祭司長（さいしちょう）が言った。

　「警備（けいび）を強化（きょうか）致しましょう。かなり高度（こうど）な術（じゅつ）を使えば感知（かんち）されることなく結界内（けっかいない）に侵入（しんにゅう）することができるのです。ただしそんな術（じゅつ）を使えるのはごくわずかな祭司（さいし）のみ。その祭司（さいし）の中に王の天幕（てんまく）に忍（しの）び込むような者はおりません。おそらく侵入者（しんにゅうしゃ）は魔術師（まじゅつし）でしょう。」

　「魔術師（まじゅつし）？」

　「そうです。我々祭司（さいし）と同様、彼らも術を使います。弟子（でし）たちの結界（けっかい）をかいくぐり、カーラーナルの呪（のろ）いのことまで知っているとなると、ただの魔術師（まじゅつし）ではありませぬ。」

　「あの魔術師（まじゅつし）が言っていた、カーラーナルとは一体何なのです？」

　ラージャ王が尋ねた。アジタ祭司長（さいしちょう）の顔が険（けわ）しくなった。

　「カーラーナルとはこの世を破滅（はめつ）に導（みちび）く地獄（じごく）の業火（ごうか）こと。そのカーラーナルを出現（しゅつげん）させる呪（のろ）いがあるのでございます。破壊神（はかいしん）がこの世を終わらせるためにかけたとされ、呪いが成就（じょうじゅ）することによって地獄（じごく）の炎が地上に現れ、この世を焼き尽くすと言われております。しかし、謎が多く、どうすれば呪いが成就（じょうじゅ）するのかということすら判っておりませぬ。」