　　　第七章　カルナスヴァルナ国への旅路（たびじ）

　シャシャーンカ王が手ぐすね引いて待っているとは知らずにラージャ王一行はカルナスヴァルナ国へ向かっていた。スターネーシヴァラ国の都（みやこ）を出たところでラージャ王は象（ぞう）の輿（こし）から馬車（ばしゃ）に乗り換えて旅を続けた。ラージャ王の馬車は四頭の馬に引かれ、前後には騎兵隊（きへいたい）が万全の警備（けいび）を固（かた）めていた。さらにラージャ王の向かい側にはアジタ祭司長（さいしちょう）が座っていた。

　「ついにカルナスヴァルナ国への旅が始まってしまいましたね。シャシャーンカ王から書簡（しょかん）が来た時はずっと先（さき）のことのように思えましたのに。」

　ラージャ王が外の景色（けしき）からアジタ祭司長（さいしちょう）に目を移して言った。

　「月日（つきひ）がたつのは本当に早いものです。」

　アジタ祭司長（さいしちょう）がしみじみと言った。

　「この旅が終わればあなたは祭司長（さいしちょう）の職（しょく）を引退（いんたい）し、城（しろ）を去ってしまうのですね。アジタ祭司長（さいしちょう）。」

　ラージャ王が寂（さみ）しさを帯（お）びた口調（くちょう）で言った。

　「はい。森で庵（いおり）を結（むす）び、静かに暮らすつもりです。」

　「落ち着いたら訪ねて行っても良いですか？」

　アジタ祭司長（さいしちょう）は首を横に振（ふ）った。

　「王がむやみに城を離れてはなりません。それにわしが庵（いおり）を結（むす）ぼうとしている場所はあなたが入って来られるような森ではありませぬ。」

　「そうですか。」

　ラージャ王は残念そうな顔をした。

　「困った時は新しい祭司長（さいしちょう）を頼って下さいませ。」

　アジタ祭司長がそう言うとラージャ王は大事なことを思い出した。

　「そのことですが、一体誰を次の祭司長（さいしちょう）に据（す）えるおつもりなのですか？次期祭司長（じきさいしちょう）に内定（ないてい）していたアニルは追放処分（ついほうしょぶん）になりました。スバル医薬長（いやくちょう）はこの旅に同行している四人の祭司（さいし）が祭司長候補（さいしちょうこうほ）ではないかと言っていましたが、実際のところどうなのですか？」

　「それについてはすべてこの旅が終わり、スターネーシヴァラ城に戻った時にお話し致します。今はまだそれを話す時期ではありませぬ。」

　「それはもうお心が決まっているということですか？」

　「どう取っていただいても構（かま）いませぬ。」

　アジタ祭司長（さいしちょう）は肯定（こうてい）とも否定（ひてい）ともうかがい知れぬ答えを返した。

　ラージャ王一行は日が落ちる前に馬車を止め、野営（やえい）の準備に取（と）り掛（か）かった。兵士たちは天幕（てんまく）を張（は）り、料理人たちは夕食の準備に取（と）り掛（か）かり、祭司（さいし）たちは結界（けっかい）を張（は）り巡（めぐ）らせた。結界（けっかい）を張（は）ることによって死霊（しりょう）や悪霊（あくりょう）、魔物（まもの）、悪鬼（あっき）、その他もろもろの魑魅魍魎（ちみもうりょう）の侵入（しんにゅう）を防（ふせ）ぐことができた。

　「そちらは終わりましたか？」

　ちょうど結界（けっかい）を張（は）り終わったクリパールに声をかけてきたのはシンハだった。シンハは二十五歳でクリパールの先輩祭司（せんぱいさいし）だった。影（かげ）を操（あやつ）って相手の動きを封（ふう）じるという特殊能力（とくしゅのうにょく）の持ち主だった。シンハの後に続いてサチンとアビジートも現れた。二人ともシンハの先輩祭司（せんぱいさいし）だったが、シンハに前を歩かせた。それはシンハの能力（のうりょく）を認めていると同時に、シンハが放（はな）つ気風（きふう）に押（お）されているからだった。シンハには侵（おか）しがたい雰囲気（ふんいき）があった。気品（きひん）と風格（ふうかく）を備（そな）え、他（た）を圧倒（あっとう）するような高潔（こうけつ）さがあった。それはスターネーシヴァラ国の名家（めいか）の中でも特に高名（こうめい）な家に生まれ、幼い頃から一流（いちりゅう）の祭司（さいし）になるために厳（きび）しい教育を受けた者だからこそ放（はな）てるものだった。絶（た）ゆまず自分を磨（みが）き続けた者だけにある輝（かがや）きだった。

　「はい。たった今終わったところです。」

　クリパールは三人の先輩（せんぱい）を前にして緊張（きんちょう）した面持（おもも）ちで答えた。クリパールは草花（くさばな）を愛（あい）し、その成長（せいちょう）を操（あやつ）ることができた。真面目（まじめ）で温厚（おんこう）な人柄（ひとがら）とその能力が認められ、若干（じゃっかん）二十歳（はたち）で王宮付（おうきゅうつ）き祭司（さいし）になった。

　「それではアジタ祭司長（さいしちょう）にご報告しに行こう。」

　サチンが言った。サチンは二十七歳で、四人の中では二番目の年長者だった。雨雲（あまぐも）から自在（じざい）に雨を降らせることから雨乞（あまご）いの祭司（さいし）として知られていた。スターネーシヴァラ国はヤムナー川の水に恵まれているとはいえ、長い日照（ひで）りが続けば農作物（さくもつ）は枯（か）れてしまった。そんな時にはサチンの力が大いに役立てられた。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）…、あの方はいつになったら次の祭司長（さいしちょう）選ばれるのだろう！」

　アビジートが嘆くように言った。もう気が気じゃないというふうだった。アビジートは二十八歳で、四人の中では一番の年長者（ねんちょうしゃ）だった。それにもかかわらず一番落ち着きがなかった。蛇（へび）を操（あやつ）るという繊細（せんさい）な能力の持ち主であるせいか、とても神経質（しんけいしつ）で、長旅（ながたび）のせいですでにノイローゼ気味（ぎみ）だった。

　「さあ。アニルが追放処分（ついほうしょぶん）に処（しょ）せられてからというもの、そのことについて決してお触（ふ）れならないので分かりかねる。スバル医薬長（いやくちょう）は我々が祭司長候補（さいしちょうこうほ）ではないかと言っていたが…。」

　サチンが言った。

　「アジタ祭司長（さいしちょう）のお気持ちをお察（さっ）しします。信頼していた弟子（でし）に裏切られたのですから、そう易々（やすやす）と次の者を選ぶことはできないでしょう。もしまた裏切られるようなことがあればと思うと慎重（しんちょう）にならざるを得（え）ません。」

　シンハが言った。

　「そうでしょうか。私はてっきりアジタ祭司長（さいしちょう）のお心の中ではもう決まっているのかと思っておりました。何も仰（おっしゃ）らないのは何よりの証拠（しょうこ）かと。」

　クリパールが言った。すると突然、アビジートが神経質（しんけいしつ）な声を上げた。

　「それならば、なぜ早く発表してくださらないのだ！？」

　三人はびくっと驚いて肩（かた）をすくめた。そしてこんなにも神経が参ってしまっているアビジートに目を向けて憐（あわ）れに思った。

　「私もそれが気になりました。それでもしやと思ったのですが、アジタ祭司長（さいしちょう）は恩赦（おんしゃ）を出してアニル様を呼び寄せ、再び祭司長（さいしちょう）になさるおつもりではないかと。」

　クリパールがおどおどとそう言うとサチンが鼻（はな）で笑った。

　「まさか！追放されたのだぞ！それに追放されてからずいぶんと日が経つ。もうどこにいるのかさえ分からなくなっている。呼び寄せるなど不可能だ！」

　サチンが声を荒げて言った。

　「確かに。」

　シンハがサチンの意見に賛同（さんどう）した。クリパールもサチンの言うことは最もだと思った。けれどなぜかアニルが帰ってくるのではないかという考えが捨てきれなかった。それは心のどこかでアニルが宝物庫（ほうもつこ）に盗み入ったと未（いま）だに信じられないでいるからだった。クリパールは三人がどう思っているのか聞いてみたくなった。

　「あの、皆様は本当にアニル様が宝物庫（ほうもつこ）から宝を盗んだのだとお思いですか？」

　クリパールはおずおずと質問をした。他の三人は一瞬驚いた表情を浮かべながらも、勇気ある質問に誠実（せいじつ）に答えようとした。

　「私は残念ながらアニルが盗んだと考えている。そうでなければアジタ祭司長（さいしちょう）の判断（はんだん）が間違っていたことになる。」

　サチンが真剣な顔で答えた。

　「私もそう思います。宝物庫（ほうもつこ）にはアニルの指輪（ゆびわ）が落ちていたのです。やはり彼が犯人なのでしょう。」

　シンハが冷静に言った。

　「そうだシンハの言う通りだ！シンハは正しい！あいつが盗んだんだ！」

　アビジートは白目（しろめ）をむいてそう叫（さけ）んだ。その顔をクリパールに突きつけてきたので、クリパールは怯（おび）えて後ずさった。サチンとシンハがとっさにアビジートの腕を押さえてクリパールから遠ざけた。アビジートは二人に腕を押さえられながらヨタヨタと二、三歩歩くと、突然口から泡（あわ）を吹（ふ）き出して意識（いしき）を失った。倒れこむアビジートをサチンとシンハは支（ささ）え、顔を叩（たた）いたり、呼びかけたりして意識を取り戻させようとした。その様子を見ながらクリパールは自分たちの中に祭司長候補（さいしちょうこうほ）がいるなんて疑（うたが）わしいと思った。